第11話カナダ旅行記 最終話

いよいよ最後の日は、ニューヨークのフリータイム。


同室のレイコさんが、最終日は、私に自分の持ってきた可愛いい沢山の動物のイラストの付いたTシャツを貸してくださいました。

それ着て、いざエンパイアビルディングへ、チケットを買って、入場する列に並んでいたら、周りでヒソヒソ言いながら、クスッと笑う声が聞こえてきて、フッと振り返ったら、背の高い男の人や周りの女の子たちが私を見てニヤニヤ。

え?っと思って自分のTシャツをよく見てみたら、Tシャツには、英語ではなく、ローマ字で、KIRINやUSAGIやKUMAって書いてあって、それを読んでいたのがわかって、めちゃ恥ずかしくなりました。ここでも、部屋のレイコさんにやられた。って思ってしまいました。10日間一緒に寝起きしたのに彼女との良い思い出は何も出てきません。


他にも、ロックフェラーセンターへ行って、その近くのメットライフビルディング(通称パンナムビル)で、トイレに行きたくなった私に。「あなた高校生なんだから英語でちゃんと聴いて行ってらっしゃい。」って言うものだから、「Where is the toilet?」って受付の女性に訊いたら、下に行ってください。ってジェスチャーで教えてくださって。下の階に行ったら、大きな広い事務室になってて、そこでも恥ずかしかったのですが、近くににいた男性に同じように尋ねたら、トイレまでしっかり案内してくださって、事なきを得ましたが。

本来なら英語の教師をしているレイコさんが話してくださると思っていたら、案外冷たくて、悲しかったです。

後でその話をしたら「えっ?toiletなんて言ったの〜会話ではrestroomって言わなくっちゃ」って、そんな指摘までされました。

初めっから教えてくれてたら良かったのに〜


お昼ご飯は、な、なんとニューヨークで札幌ラーメン屋さんを見つけたので、ラーメンを一杯580円も出して食べてきました。(当時一杯200円もしない頃)


レコード屋さんで当時人気だったベイシティローラーズのレコードを買ったら、店員のお兄さんが私に「What's your name?」と聴くので、「My name Mami」と言ったら、当時流行っていた"マミーブルー"って言う歌をいきなり歌い出され踏んだり蹴ったり。


まぁ楽しい思い出と言えば楽しいエピソードなんですが、レイコさんのことはずっとお友達としてはいたくない人でした。


遂に長いカナダ旅行を終えて羽田空港に到着しました。

入国ゲートを過ぎて、待っていてくれた母の顔を見た瞬間。

おばあちゃんの死を感じ、母に抱きついて、

「おばあちゃんって死んじゃった?」って聴きましたら、母も頷いて、お互い抱き合って

ワンワン泣いてしまいました。


そしたらツアーの人たちが私のところに集まって来てくださって、添乗員のお兄さんが「お母さん、この子がこのツアーの中で1番しっかりしてたんですよ、それなのにはお母さんの顔を見たらホッとしたのかな?」と言ってくださいました。


でも、私がないている理由は、そこではなく、おばあちゃんが旅行中に亡くなったことを母が説明していたら、シアトル空港で、お世話になった福子さんが「まぁそれなら私と一緒ね。私もこの旅行に来る1週間前に父が亡くなってね、この旅行もどうしようか迷ったけれど来たんですよ」と教えてくださって。

彼女も私と一緒に泣いてくださいました。


2人とも共にカナダでは亡くなった人たちに旅行先で助けられました。こんな不思議なことが起きるものなんですね。


私の不思議なカナダ旅行のお話しはこれで終わりです。しかし、この後福子さんのお宅が東京だったので、夏休みがまだ残っていることもあって、彼女がご自分のお宅に誘ってくださったので、一度名古屋に帰ってから出直して彼女の家に泊まりに1週間ほど行きました。



彼女のお宅は立派な門のある大きなお宅でした。庭には、大きなレトリヴァー犬もいて、下町らしく、近所の人が親そうに集まってくるとても雰囲気の良いお宅でした。


彼女自身、外人に日本語を教える仕事をしてらしてとても顔が広い方で、まだレンガ壁の警視庁まで連れて行ってくださいました。

それもその警視庁の中をあの「あさま山荘事件」の時拳銃で片眼を打たれた警察官の方に案内していただき、山荘で命を落とした、警察官の名前の刻んだメモリアル石を見せていただいたり。警視庁の中を案内していただいたり。食堂で、食べたパイナップルがとても美味しかったことも覚えてます。

そのパイナップルが、缶詰めのしか食べたことの無かった私が「これってあの缶詰めのパイナップルですか?」と訊ねたら「あら、本物の果物のパイナップル食べたこと無いの?って、可愛いもんだね」って言っていただいて・・・サングラス🕶かけてらしたのですが、とても良いた声で、お優しい方だったことも覚えてます。福子さんに、「あんな方をご主人になっていただいたらいいのに〜」と話したら、「あの方はもう結婚されてるの。いい人は.すぐ結婚して行っちゃうものよ」と話しておられたことも懐かしいです。彼女とはひと回り歳が離れてました。


旅行中一緒だった奈良岡朋子さんがいらっしゃると言う青山にある民芸劇団までも連れて行っていただいたり、生憎、奈良岡朋子さんにはお会い出来ませんでしたが、当時とても人気だった「おはなはん」と言うドラマの主演だった樫山文枝さんや、宇野重吉さんらがおられ、プライベートにお話ししてらっしゃるところとか拝見出来て感激して帰って来ました。

おまけにちょうど国際ホテルで、各国の要人が集まるチャリティーイベントにも連れて行ってくださったり、銀座ではパープルシャドウと言うグループのライブに連れて行ってくださったり、東京の人でもなかなか行けない様な所ばかり当時1番人気の車ケンとメリーのスカイラインで首都高速を走っていただいたり、夢の様な高校2年の夏休みは過ぎていきました。


ラッキーMが手の中にある人がこんなに幸運が舞い込むってことを知ったのは、それより,20年後になります。


次はラッキーMの手の話しをします。

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