第13話「酒宴と夜の瞳」
テルトナの商業区へと繰り出したシェリーは、僕の旅に必要なものを気前良く選んで買い揃えてくれた。衣服の替えや自分用の財布、水袋、さらには立派なナイフまで。色んな店を次々と巡り、その度に増えていく荷物に、僕の方が困惑してしまうくらいだ。
そうして一通りの物を揃えた頃には夕暮れが迫り、町を行く仕事帰りの人々の足元には長い影が伸びていた。僕とシェリーは鮮やかな夕日に追われるように、だんだんと賑わいを増していく繁華街へと足を踏み入れる。
「夕食はお店で?」
「当然だろ。毎日毎日味気ないパンだけで気が滅入ってんだ」
旅の途中でもレーテルの包みで焼きたてのパンが食べられる。けれど、毎日それだけではどうしても味に飽きてくる。そもそも、僕の場合は丸一日眠っていたせいでお腹も空きっぱなしなのだ。
シェリーは意気揚々と歩き、光の漏れ出す賑やかな酒場へと押し入る。
「ビールだ。後は肉。コイツには山羊の乳でも出してくれ」
「ちょっ、シェリー!?」
カウンターに着くなり適当な注文を店員さんに告げるシェリー。僕が驚いて声を上げると、彼女はなんだよとこちらを睨む。
「お酒って飲んでいいの?」
トーマスはお酒を飲まなかった。天秤教の聖職者は、質素な食事をするものだと彼は言っていた。
「良いに決まってるだろ。仕事は終わったんだ」
「ええ……」
シェリーにとって、聖遺物狩りは仕事でしかないらしい。彼女はさっそくやってきたジョッキを掲げると、盛大に喉を鳴らして飲み干した。
「ぷはっ! コレのために生きてるんだ」
「シェリー……」
さらに、豪勢な厚切りのステーキが熱々の鉄板に載せられてやってくる。僕の元にはミルクと豆のスープだ。シェリーは付け合わせの野菜をぽいぽいと僕のお皿に移し、早速ナイフで肉を切り出す。透明な脂が弾け、思わず唾を飲み込む。
「しぇ、シェリー」
「お前は一日何にも食べてないんだ。こんなもん食べたら胃が裂けるぞ」
「そんなぁ」
シェリーは大きく口を開けて、焼きたてのステーキを飲み込む。目を細め、全身で味わっている。僕はそんな彼女を横目に、小さなベーコンの欠片が多少混ざった豆のスープをちょびちょびと食べた。これはこれで、優しい味で美味しいんだけど。
無性にシェリーのステーキが羨ましくなるのは、単にお腹が空いているだけか、もしくは狼なんかなってしまった反動なのか。
「へぇ、こんな場末にも可愛い嬢さんがいるんだな」
「あら、お姉さん。私の事褒めてくれたの?」
近くで誰かがナンパしているようだと振り向いたら、シェリーが給仕のお姉さんのお尻を叩いていた。
「ちょっ! シェリー!?」
「坊やは大人しくしてな。すまんな、うるさい奴がいて」
「あら、見掛けによらず可愛い子供がいるのね」
「違うよ。ただの雑用係だ」
僕をぐいと腕で押して遠ざけて、シェリーは赤ら顔でお姉さんとの会話を続ける。彼女はお姉さんを隣の席に座らせて、気前よくワインなんかを頼み出した。
今着ているその服は本当に聖衣なのかと疑いたくなるような行動だ。シェリーは瓶ごと届いたワインのコルクを指で弾き、グラスに注ぐ。
「あたしの奢りだ。仕事なんか忘れて飲んでくれよ」
「気前の良い人は好きよ。じゃ、遠慮なく」
給仕のお姉さんもそれを断らず、むしろ嬉しそうに飲む。
よくよく店内を見渡してみれば、他の席でも美人の店員さんがお客さんと楽しそうにお酒を飲んでいた。
「ね、ねえシェリー。こういうのってマズいんじゃ……」
「何がマズいんだよ。あたしはただ町の奴らと親睦を深めるために楽しく交遊してるだけだ。世俗と宗教の壁を取り払ってやろうって言ってるんだから、むしろ褒めてくれたっていいんだぞ」
「早口で捲し立てたって言い訳にしか聞こえないけど」
「うるせえなぁ。そんなに早く帰りたいなら、一人で帰って寝てな」
「ええっ!?」
どう考えてもシェリーの行いは経験な聖職者のそれには見えない。それどころか、マナさんやメリアさんに見られたら怒られそう、というか破戒されそうだ。けれど、お酒の陽気に包まれたこの酒場では、シェリーに異を唱える人はいない。むしろ彼女が気前よくお酒を振る舞うことに喜んでいる様子だ。
「じゃ、じゃあ一人で帰っちゃうよ! 酔い潰れて道端で寝てても知らないよ?」
「はいはい。坊やはとっとと帰ってメリアに寝かしつけてもらいな」
「——! 知らないよ!」
適当に手を振って僕をあしらい、次の瞬間にはお姉さんに鼻の下を伸ばしているシェリーにほとほと呆れ果てる。僕は今日一日で買い揃えた荷物を抱え、騒がしい酒場を飛び出した。
「うぅ。メリアさんに何て言えば良いんだ……」
すっかり日の暮れた夜の町を歩く。教会は町の中央にあるし、今も尖塔に光が灯っているから迷う心配はない。けれど、そこに向かう足取りは重かった。
それでも、悶々としているうちに嫌でも目的地にはたどり着く。鍵のかかっていない礼拝堂の扉を少しだけ開き、その隙間から体を滑り込ませる。燭台の蝋燭に火が揺れて、薄暗い中にメリアさんがいた。
「おかえりなさい、ウェルさん」
「たっ、ただいま帰りました。遅くなって済みません」
「いえ。この町を気に入っていただけたようなら嬉しいです」
まさか彼女がここにいるとは思わず、驚いてしまう。メリアさんは祭壇の掃除をしていたみたいで、ピカピカに磨かれた天秤を優しく置いた。
「シェリーさんは?」
「ええと、まだ食事中で。僕は荷物と一緒に一足先に帰ってきました」
「そうでしたか」
酒場で乱痴気騒ぎに興じているなんて言えるはずもなく、穏当な表現で済ませる。幸い、メリアさんは深く追及してこず、僕はほっと胸を撫で下ろした。
「湯浴みはなさいますか? 良ければすぐに準備いたしますが」
「いやいや、そんな! 桶を貸してもらえれば、井戸の水で十分です」
「暖かい季節が近づいたとはいえ、夜はまだ冷えます。すぐに用意しますよ」
「ええっ。あ、ありがとうございます……」
優しく笑うメリアさんに強く断ることもできず、僕は押し負ける。それでも、自分のことくらい多少は手伝おうと、寝所に荷物を置いて彼女の所へ向かった。けれど、僕が井戸の側にやってきた頃には、すでに彼女は大きな桶を温かいお湯で一杯にしていた。
「あれ?」
「湯船の神、ポッカ様の聖遺物ですよ。これで汲んだ水はたちどころに温かくなります」
キョトンとする僕に、メリアさんはすかさず説明してくれる。彼女の手にはほのかに赤く光る柄杓があった。
「聖遺物って便利ですね」
「全ては我々の祈りに神様が応えてくださった結果です。深い感謝の気持ちを送れば、あの方々は限りない愛で応えてくださいます」
メリアさんはそう言って立ち上がる。僕は湯の張られた桶を受け取って、メリアさんにもお礼を言った。そして、ふと気になったことを口に出す。
「この教会の聖遺物は、この柄杓なんですか?」
教会には必ず一つ聖遺物がある。その力で魔獣を退け、町を守るのだ。しかし、自分で言い出しておいてすぐに違うと気づく。生ける聖遺物と言われた僕が村に滞在しても意味がないように、すぐに動かせる聖遺物は集落の守護には効果がない。
「テルトナの教会には、全部で334の聖遺物が納められています」
「さっ!?」
メリアさんの言葉に絶句する。想像を遥かに超えた数だ。
僕の反応はあからさまだったのだろう。メリアさんは苦笑して言った。
「確かに、一つの教会に安置する数としてはとても多いものです。普通、テルトナ程度の教会なら多くても5つほどでしょうから」
「それなら、どうして……」
「司祭様が様々な聖遺物を熱心に集めていらっしゃるのです」
それを聞いて、すぐに気がつく。衛士のおじさんたちが言っていた、この町の司祭様だ。たしか、元々は大きな教会で聖遺物の宝物庫を管理していたと言っていたはずだ。そういえば、まだその司祭様には挨拶ができていない。
「その、司祭様はどちらに?」
「現在は教区内の村々を巡っておられます。明後日の朝に、戻られる予定です」
「えっ。明後日の朝?」
彼女の言葉に驚き、困惑する。
「僕たちは、明日のうちにはこの町を出なければならないんですよね?」
それは、メリアさんが提示してきた条件だった。
教会の屋根を借り、無くした聖印の代わりも貰い、さらに借金すら不問にして。その代わりに明日のうちに——司祭様が町に戻る前に去らなければならないと。
メリアさんは真っ直ぐに頷く。
「はい。シェリーさんとウェルさんには、司祭様に知られぬままに立ち去っていただきます」
そう告げる彼女の瞳は、薄闇の中で青く光っていた。
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