2章 2話 吉報を待つ

 

 レグナムルスの城の中。

 来客用の待合室では、硝子窓を叩く雨音だけが響いていた。

 

 横殴りの雨粒で音を立てる硝子窓のそばに、縞黒檀の丸机を囲む2つの人影があった。

 その影は薄暗い空から辛うじて入り込む光を受けて、ひと言もしゃべることなく、また身じろぎをすることもない。

 ただ、何かを待っているようだった。


「おや、あまりにも静かで誰も居ないのかと思いました。ただいま戻りましたよ」


 待合室の扉が開き、一人の男が入ってきた。

 白髪を後ろに流して固め、横長の薄い細目に、綺麗に剃った口ひげを蓄えている。

 中背だがでっぷりとした腹は、詰め込まれた腸詰のように丸々としていた。

 薄青を基調とした文官が着込む二列ボタンの羽織は、腹の肉によって今にもはち切れるかのようだった。

 

「スクード卿は来訪者の対応が押しているようでして…我々の面会にはもう少しかかるようです。

 今年の却魔祭は特に規模も増しているようで、いやぁご多忙ですな」


 ゆっくりと部屋の端の丸机に寄り、空いている椅子に腰かけると、男は懐から取り出した手ぬぐいで汗を拭き始めた。 


「おや、東果て村の次代村長といえども、スクード卿が相手となれば流石に緊張しますかな。」


「ええ、そうですね。いささか緊張しています」


 恰幅の良い男の問いかけに対して、椅子に座る女が丁重に答えた。

 下したての斥候隊の隊服に身を包み、丈夫そうな革長靴はくすみなく磨かれている。

 枯草色の艶やかな質感の肩掛けの外衣を、皺にならぬよう畳んで膝の上に置いている。

 葉を夏の日差しに透かしたかのような薄緑がかった白色の髪は、ざっくりと短めに切られ、髪と同じ色の体毛で包まれた長く尖がった耳が、時折ピクリピクリと動いている。碧色の鋭い三白眼は伏目がちに手元に向けられている。

 柔らかな椅子の背もたれに寄りかからないまま背を伸ばして、ポエラは佇んでいた。


「緊張もありますが、それ以上に驚いてもいます」


「ほう、驚きですか」


「使徒の疑いがあるとはいえ、田舎の村から出て来た無力な少年に対して、スクード辺境伯がすぐさま面会を望まれるとは思いませんでした」


 白毛長耳の女は毅然と姿勢を正して座していたが、その声色はどこか困惑しているようでもあった。


「ポエラ殿が驚かれるのも無理はないでしょうね。まあ、私も驚いていますから。

 何か理由でもあるのかと思い、先ほど近しい従士の方に尋ねてみましたが、いやはや分からずじまいでした」


 暢気そうにカラカラと笑うリストフであったが、その眼は薄く閉じられたままで、見方によっては目が笑っていない様にも見えた。


「先ほどからダンマリのようですが…アナタでしたら何かご存じではなのでは?」


 笑うのをやめたリストフに問われたもう一方の人影は、身じろぎをするでもなく変わらぬままで、窓から差し込む明かりの影に紛れている。


「残念ですが…私にも分かりかねます、ハイ」


 しわがれたようで、軽く飄々とした声だけが暗がりから返ってきた。

 厚い雨雲から、閃光のような稲光が落ちると、その人影が身につけた片眼鏡が白く光った。

 リストフの制服とは異なった紅を基調とした軍服にも似た羽織を着こみ、皴を拵えた細指で懐中時計を握るヤーブは、暗がりの中で静かにほほ笑んだ。


「監査隊に同隊させていただく際に、スクード卿へあらかたの理由をお伝えしております。その際に、使徒の疑いがある少年についてもです、ハイ」


「では、ヤーブ殿のお話を聞いて、スクード卿がその少年へ興味を持ったのではないですか?」


「いえ…その際もお忙しかったようで、簡素に二、三言をお話しただけでした。興味を持たれたようには見受けられませんでした」


 リストフの鋭い口調の指摘に動じる様子もなく、ヤーブは暗がりの中で困ったように小首をかしげた。

 その落ち着いた緩慢な動きは、どこか暢気のんきなようにも思えたが、その向かいに座るポエラは冷ややかな目をしたままとヤーブへと問いかけた。

 

「ヤーブ殿、この期に及んでまだ何か隠しているのですか」


「やや、滅相もございません。私もポエラ殿も到着してすぐにこの部屋へと通されたではありませんか。私にも見当がついておりません、ハイ」


 疑うような目線を向けるポエラに対して、動じるでもなく涼しげにヤーブは受け流した。


「まあ、ヤーブ殿は何かご存じかもしれませんが、口を割るような御仁ではないことは確かでしょうな」


 ため息をつくように答えるリストフは、ヤーブという人物が一筋縄ではいかない人物であると知っているようだった。

 澱み始めた部屋の空気を換えるかのように、リストフは話題を変えた。


「どちらにしても、私たちがスクード卿のお考えを想像してもせん無いことですな。それで、例の少年はどこへいったのです?」


 リストフの問いかけに、一瞬の静寂が訪れた。

 ヤーブとポエラが二人して顔を見合わせ、リストフの方を向き直ると同時、重々しい部屋の扉が再び開いた。


「お話し中に恐れ入ります。監査隊プーリィ、報告に上がりました」

 

 ヤーブと同じく紅の制服に身を包んだ女性が、3人の方へと近付いて来る。

 3対の瞳にまっすぐ見つめられ、女性は長く尖った耳をビクつかせて、一瞬たじろいだ。しかし、すぐさま背筋を正して、報告へと移った。


「遅くなり申し訳ありません。現時点での捜索の進捗をお伝えしいたします。

 件の少年については、ヤーブ監査官補佐のご指摘の通りでした。西城門付近にいた近衛より、城内に入り込んだ少年をつまみ出したとの証言を得られました。おそらく、土地勘もなく貧民街の方へ迷い込んでしまった可能性が高いかと思われます。」


「まだ、生きてはいるのですね?」


「そのようです。ですが、この悪天候もあって、未だ発見には至っておりません」


「そうですか。まさか、レグナムルスへと到着してすぐにカナタ少年がするとは…」


 リストフは腹の肉を揺らしながら、頭痛に耐えるように頭を抱えていた。

 その報告を聞いたポエラは、すくりと立ち上がった。


「やはり…私も探しに行った方がよいのではないだろうか」


「いいえ、ダメですよ。

 曲りなりにも村長の名代として、アナタはここへ来ているはずです。領主であるスクード卿との面会を無下にすることは、お勧めしませんよ」


 プーリィの報告を聞き、今にも立ち上がりそうなポエラに対して、ヤーブが静かにたしなめる様に告げた。

 ヤーブの言い分は最もであった。そのため、歯噛みするようにポエラは椅子へと座りなおした。


「ポエラ…殿。今、他の隊員たちが手分けして捜索しています。

 レグナムルス出身の隊員も多くおります故、直ぐに見つかります。なので、お待ちください」


 ポエラと同じ村の出身であるプーリィは、かつての妹分を安心させるかのようにほほ笑んだ。


「ありがとうプー姉…ではないな。プーリィ殿、カナタをお願いします」


「ええ、まかせてください」


「まあまあ、スクード卿との面会も、まだ時間がかかると従士の方もおっしゃっていました。気長に待つといたしましょう、ハハハ」


 少し和らだ部屋の中を、リストフの小気味よい笑いが響いた。

 しかし、その笑い声を遮るように再び重々しい部屋の扉が開かれた。


「お待たせいたしました、スクード様がお待ちです。皆様を執務室へとご案内いたします」


「間に合いませんでしたねぇ、ハイ」


 ポエラたちを迎えに来た従者の声を聞き、四人は苦虫をかみつぶしたような表情になった。しかし、時間は来てしまった以上は、向かうほかなかった。

 

「止む負えませんな。このまま向かい、釈明を行いましょう。ポエラ殿もそれでよろしいですな?」


「ええ、お願いします」


 足取り重く3人は椅子から立ち上がると、服装を整え従者の案内へと向かった。

 先を行くリストフとポエラの後ろ、部屋を出る前に捜索へと戻ろうとするプーリィを呼び止めたヤーブは小さく問うた。


「それで、あのお方は見つかりましたか?」


「…いいえ。動ける者は全て、トリワーズ代行も城下へと出向いております」


「どうか頼みましたよ…、あの方の身に何かあれば、我々も只では済みません」


「ええ、承知しております」


「少年の捜索と並行し、必ずや見つけ出してください。」


 ヤーブは先ほどまでの飄々とした風貌とは異なった、まるで頭痛を耐えるような面持ちのまま、念を押すようにプーリィへと指示をすると、ポエラ達の後を追った。


 ヤーブたちを見送ると、プーリィは監査隊の詰め所へと足を向けた。

 ふと、通路から硝子窓を見上げると、黒々とした雲が空を覆っていた。横殴りの雨は、まだしばらくは続くようだった。

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