第33話 帰る場所
カナタが群風岩の森へと向かった同時刻。
ポエラは急ぎ自宅へと戻り、山へと向かう準備を始めた。
昨日も山に入っていたポエラだったが、監査隊が村に陣取っていたこともあり、念のために装備はいつでも使えるようにしていた。
「長丁場になるんだろうな。流石に続けての山登りは身体に来るな…」
ポエラは節々に凝り固まったものを感じながらも、手慣れたように山行きの装備一式に身を包むと、最後に父の形見の手甲に腕を通す。
「そういえば、あいつら携帯食料は持っていったんだろうか?…持ってないだろうな」
碌な準備も出来ていなかったであろう3人に食料を届けようと、ポエラは1階の台所へと向かう。
「あれ…?叔母さん。」
階段を急ぎ降りると、居間には息を切らしたヴィリティスがいた。その手には、布に包まれた糧食を持っていた。
「良かった、まだ居てくれた。ウチの息子たちに届けて頂戴な。飛び出て行ったのはいいけれど、忘れちゃったみたいだから。」
「流石だ、叔母さん。これですぐに出発できるよ、ありがとう。」
「ええ、頼むわね。……ちょっと待って、ポエラ。」
「ポエラは…この村にずっと居たい?」
「どう…したんだ、急に?」
「いいから、答えてちょうだい。」
いつも淡々としているポエラにしては、言葉のキレが悪い。
ヴィリティスから発せられる声には怒りは感じない。だが、何かを明確にしようとする意志がありありと伝わってきた。
ポエラは少し息を整えると、答え始めた。
「もちろんだ。この村で生まれて、そして死ぬと、そう思っているよ。」
「そう。でも、もしこの村に居られなくなってしまったら、あなたはどうする?」
「……」
そこでポエラは、昨夜、自分が言い放った言葉を思い返して、顔を曇らせた。
『この時を持って、私は村を抜ける。』
この村で生を受け、村の皆に見守られ、ここまで大きくなった。
にもかかわらず、ポエラは恩ある家族の前で、全てを投げ捨ててこの村から出ていくと宣言してしまったのだ。その表情が優れなかったのも、放った言葉に負い目を感じていたからだった
「ごめんなさい、叔母さん。無責任なことを言って…どう罵られても仕方ないと思う。」
「いいえいいえ、違うわよポエラ。
私も、カリアトも、誰も怒ってなんかいないわよ。」
「…だが、恩知らずだ。」
「あなたが恩知らずなら、私たちはひどい薄情者よ。」
ヴィリティスの眉根が深く歪むと、吐き捨てるように呻いた。
「あの子を、カナタを村に迎え入れると言ったのに、あの場に居た誰もが、村と、カナタとを天秤にかけようとしていた。冷酷な話よね。」
「それは違う!違うよ叔母さん。」
日頃気丈なヴィリティスにしては珍しく、消え入りそうにつぶやいた声を、ポエラは遮るように答えた。
「私が怒ったのは……私が腹立たしかったからだ。
私はまた、家族とお別れも出来ずに離れ離れになるのかと。
そう思ったら、頭が真っ白になるぐらいに、怒りが湧いて来たんだ。
私の母さんも親父も、二人ともちゃんと話すことも出来ずに逝ってしまった。
それが心のどこかで、しこりとしてあったんだ。
なんで別れも碌に出来ないまま、連れて行ってしまうんだって、ずっと思っていたんだ。
監査官の女がカナタを連れて行こうとしたときに、その怒りがまた湧いて来た。
お前も私から、家族を、弟を、カナタを連れて行くのかと。
だからあの時、私は立ち上がったんだ。
こいつらを叩きのめせば、カナタを連れていかれずに済む。今度こそ、何もできないまま家族を連れていかれることを止められるんだと。
でも、結局、私は守ることは出来なかった。
カナタのほうがよっぽど冷静だった。あいつは、自分が原因で村に諍いを招くならばと、自分の意志で去っていったよ。」
左手の手甲が軋むほど拳を握りこんだポエラは、口の端に血をにじませた。
ヴィリティスはゆっくりと近付くと、怒りで固まったポエラの左腕を両手で握り、やさしくなでた。
「あの子は、優しい子よね。いいえ…優しすぎるかしら、自分と、村の皆とを、天秤にかけれてしまうぐらいに。それに優しくなるには、弱く柔らかすぎるわ。その心も、身体も。
ジィチに呼び止められて、その助けを振り払えないぐらいには、死ぬのが怖かったでしょうに。
あの夜、私たちは使徒だなんだと惑わされて、一番大事なあの子のことを見失うところだったわ。
ねえ、お願いポエラ。うちの息子たちとみんなで無事に帰ってきて。
そして、カナタに謝らせて欲しい、ギュって抱きしめて、もう放さないわよって言いたい。
あの子をこの村に帰してあげて。」
ヴィリティスは、碧色の瞳をまっすぐに向けてポエラへと懇願した。
その眼には、もう迷いは無く、ポエラの心持と思いは一緒だった。
「ああ、もちろん。」
ポエラは力強くうなずくと、ヴィリティスの肩に触れ、日差しを取り込んで明るい玄関へと向かった。
「使徒だなんて、些細なことだ。
カナタ《あいつ》がわがままを言うなら、私もわがままを言う。
姉に勝る弟などいないと、もう一度思い出させてやる。」
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「ぶえっくしゅ…!!ううっ、寒い寒い!!」
「…やっぱり、夏でも風が冷たいねぇ。」
カナタは通り抜ける山風を受けて、大きなくしゃみをした。
初夏を過ぎても、山の気温は安定せず、山肌を沿って流れる風は、表面の熱をこそげとる様に吹いていた行った。
「誰か、俺の話でもしてるのかな?」
「まあ、してるんじゃない?あれだけの騒ぎの中心にいるんだから。」
カナタは、マグニフとベキシラフの両名が組んだ人騎馬の上に乗って、二人の風素魔術によって、地面を滑空するように走っていた。
手負いとは言え、野生動物と追いかけっこをするには、カナタの足では心もとなく。カナタを乗せて、魔術を使える二人に運搬してもらうことになっていた。
「遠くで轟音が聞こえた気がするけど…やっぱりアイツかな。」
「だろうな、考えたくは無いがな。」
カナタ達は、北にそびえる外輪山を沿うように登っていた。
目的地である群風岩の森は、外輪山の内側にあり、最短かつ安全な道程を考えると、二人がかりで山肌を蛇行しつつ登っていくことになっていた。
「ちなみに増援って来るのかな!?」
途端に吹き荒れる突風にかき消されぬよう声を張り上げて、人騎馬の前を受け持つマグニフに問いかけた。
「来るだろうが、全員は難しいだろう!熊にやられた面子を救出する人員を考えると、すぐには来るまい!まずは距離を稼ぐのが先決だ!!」
「救出した人員から情報を吸い上げて、作戦を立ててるんじゃないかな!!一番は熊にやられない様にすることだよ!!」
「どっちにしても、今は群風岩の森まで逃げ回るしかないか!!二人とも頼んだ!!」
現状、逃げの一手というか。
逃げ以外の選択肢が一切湧いてこないような状態だが、時間とともに取れる選択肢も増えてくるならと、運搬の邪魔にならないようにマグニフの肩を握る。
「ちなみに…あの熊を倒せる当ては本当にあるんだよね?」
「無くは無い、だな。俺やベキシラフには無理だ。
考えても見ろ。あのでたらめだったイタチが、熊ぐらいのデカさになったらどうなるか。」
人の背丈を優に超す、イタチの姿を思い起こしカナタは深くうなずいた。
「無理かな。戦意すら沸いてこない。」
あの狂気的だったイタチですら、かなりの脅威だった。その体躯を優に超すであろう立派なクマ相手に、カナタは戦う情景すら浮かばなかった。
「もとになったクマは、群れの中でも結構な実力の持ち主だったんじゃないかな。首と胸周りに、橙色の体毛が生えていた。あれはその年の首領に、生える体毛だよ。元々強力な個体が、あれほどの恩恵か呪いを受けているんだ。自分じゃ及びもつかないよ。」
「クマは執念深い。一度、狙った獲物は山2~3つぐらい越えて追ってくるから、仕留めると決めたら絶対に仕留めなければ村が滅ぶからな。」
「ええ、やだ、怖い…」
カナタは寒さもあったが、恐ろしい想像によって体を震わせながら、どこかにクマがいるのであろう、眼下に広がる森を見下ろした。
結構な位置まで登ってきたせいか、遠くの開けた場所には村が見えた。
下に広がる森のどこかにクマが潜んでいると考えると、途端に不気味に感じ、薄っすらとした圧を感じずにはいられなかった。
「大丈夫じゃないかな?足がぽっきり折れてたせいかあんまり速くなかったよ。カナタでも、少しの間なら逃げれると思うよ。」
カナタが後ろを見下ろして不安げな顔をしていると、気付いたベキシラフが安心させるように声をかけた。
「息切らしたら終わりか…じゃあ、二人が来てくれなかったら、とっくに捕まってる。ありがとう。」
カナタは文句の一つも言わずに、ひたすらに自分のことを運んでくれている二人に対して、ねぎらいの言葉をかけた。
「なにも構わない。なんなら俺は、カナタに申し訳ないと思っているんだ。」
「え?なんでマグニフが申し訳ないと思うのさ?」
「…カナタ、僕たちはあの夜、カナタと村の安全とを秤にかけようとしたんだよ。カナタを差し出せば、他の皆は無事で済むんじゃないかって。」
「そりゃあ…仕方ないじゃん。王国を敵に回したら村の皆が苦しむことになるんだから…。もし自分が逆の立場だったら、たぶん何もできなかったよ。」
「まあ、こちら側の気持ちの問題だ。
村の危機でも勿論あるが、お前の危機でもあるなら、なおさら力を尽くそう。だから、何も遠慮をすることなんてないんだ。」
「そっか、じゃあお願いするね…ってあれ?あの光はなんだ?」
「え?どこ。」
恥ずかしげに顔を逸らしたカナタは、村と自分たちとのちょうど間。
眼下に広がる森の中、山の斜面に差し掛かる手前辺りで、銀色に鈍く光る一点を見つけた。
「おいおいおい…!!でたらめだな本当に!!!撃ってくるぞ!!!」
焦るようなマグニフの声に同調したベキシラフが、周囲の魔素を吸い上げて推進力に変えてその身を進ませる。
鈍色に光る一点を遮るように、凹凸に富む山の斜面の裏へと向かう。
「…兄貴!!来るよ!!」
鈍色の光点が、ポンッっと打ち上げられたかと思うと、太陽の影を作りながら、ゆっくりとこちら側へと降ってくる。
マグニフ達は、太陽から逃げるように山影に逃げ込んだ。
瞬間、山肌が轟音を立てて破裂した。
落雷を何十本も束ねたような音と衝撃が響き、木々の隙間から押し出されるように暴風が森の中を巡った。
3人は人騎馬を崩し、頭を下げて衝撃をやり過ごす。パラパラと降ってくる土埃は、まるで雪のように背中に積もった。
「ぐっ…」
「ちょっと!マグニフ大丈夫?!」
「なに、昨日の骨が少し開いただけだ…」
先ほどの衝撃で石礫を受けたのか、マグニフは昨日まで折れていたはずの腕を一瞬庇うようなそぶりをした。
「兄貴、まだ行けるなら急ごう。」
「ベキシラフ!流石に無理をさせちゃダメだって。」
「いや、弟が正しい…行けるところまで行こうか。」
マグニフは、手甲を強く結び固定すると、再び人騎馬にまたがるように促した。
「ごめん…マグニフ、ありがとう。」
「なに、些末なことだ。」
額に浮かんだ汗を拭うと、マグニフはほほ笑んだ。
このあと、マグニフ達は午後に差し掛かるまでカナタを運び、群風岩の森へとたどり着いた。
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