第29話 懐かしき縄

「こんばんわ、ヤーブ殿、それにトリワーズ殿も、夜半に、このような薄暗い場所までいらっしゃるとは。」


 滴り落ちる水音だけがこだまする静寂の中、招かれていないはずの監査官たちが、何故か洞窟の部屋の中にいた。ヤーブと呼ばれた背が低い男は、なんの装備もせず柔和の笑みを浮かべているが、傍らに立つトリワーズと呼ばれた女の監査官と数名の部下たちは、昼間とは異なり、腰には軍式の直剣を装備していた。


「いえ、我々は、明日にこの村を発つ身ですので、できるのであれば、早いうちに済ませた方が良いかと思いまして。」


「早いうちですか…今日はもう夜も遅い、また後日ではいかがでしょうか。」


 なぜ、部外者である監査官たちが、村のはずれの洞窟にある、迷路のように分岐した果てにあるこの部屋へ、迷うこともなく、こんな夜中に尋ねてくるのだろうか。

 どうやって来たのかは分からないが、ここにいる全員が、何故、この場に彼らが居るのか、その理由を察していた。

 こちらの動揺を見透かすように、にこりと穏やかに笑うヤーブからは、こちらの首に手をかけるような、静かな圧が感じられた。


「いえいえ、村長がご了承いただければ、直ぐに済む問題です。

 単刀直入にいいます。その使徒らしき子供を、こちらに引き渡していただけますか。」


「使徒…ですか。」


「とぼけるなよ。」


 カツン!と、全身を打つような硬質で甲高い音の響きに、身体が跳ね上がる。トリワーズが持った直剣の鞘先が、敷石を打ち据え、洞窟の中を反響させた音のようだった。トリワーズの足元、剣鞘に突かれた敷石が、真っ二つに割れていた。

 それは暗に、この場に居るすべての者に対して、”下手な動きをするな”と脅していることに他ならなかった。

 しかし、その脅しに対して動じる風でもなく、村長はそのまま対峙した。


「ヤーブ殿、カナタなる少年に使徒の片鱗があるなどと、我々にも思いもよらなかったのです。見れば分かるように、とてもか弱いただの子供です。とても、使徒だとは信じられませんでした。

 ご多忙なところに、不確かなものをお伝えして、お手を煩わせるわけにもいかず、この場で確かめようとしたのでございます。」


「そうでしたか、いやはや村長、貴方も人が悪い。

 おおよそ、その少年がこの村に来た時には、彼が使徒であると、貴方は薄々感づいていたのではありませんか?」


 微笑みを絶やさないヤーブの問いかけに、はっとして村長の方を見る。驚いた様子もなく、ただ監査官の方を見据えているが、蓄えた髭をさすっているあたり、どうやら当たっているの様だった。

 なんだよぉ…村長、知っていたのか。

 村長の方をジトーっと眺めていると、視野の端、ヤーブに見つめられていることに気づいた。薄く開かれたその眼は、こちらを品定めしているようにも感じられた。


「黒灰色の髪に、青みがかった目。教主国の北東側の島に住む、ヒト族の者達が、そのような形質をもつようですが、顔つきがどうにもそれとは異なります。ヒト族が多い王国にあっても、この少年は、周辺で生まれた者では無いようですね。」


 いつの間にか、一通り見透かすように眺めまわされたようで、身を抱いて構えていると、興味を失ったようにヤーブは村長へと向き直った。


「私が受けた報告では、西を山脈に囲まれ、馬車どころか歩荷すら危うい聖森に、装備すらない少年が、一人で歩いていたと伺ってます。確かに、王都へと報告をするには、微小な出来事と言えばそうでしょう。

 ですが、お忘れなきよう。

 聖森の監視を、王より任せられたことで、あなた方はこの森へと移り住むことができたのです。それは重々、ご理解されているでしょう?村長、それが問題かどうか決めるのは、我々王都の者です。違いますか?」


 初めて聞いた話だった。

 村長たちは…いやおそらくは村長だけは、うすうす自分が使徒ではないかと察していたが、だが何かしらの理由で、王都への報告をせずに、匿ってくれていたようだった。

 畳み掛けるようなヤーブの問いかけに、村長は無言のままであった。追い詰められたようにひるんでいるのかと、固唾をのんで見守っていると、ぽつりと村長はつぶやいた。


「ヤーブ…お前さん、何をそんなにおる。」


 親しい仲の友人を慮るような、穏やかな問いかけを受けたヤーブは、一瞬、悲しむような顔を見せたように見えたが、気づけば微笑みを張り付けたような顔に戻っていた。


「ご理解いただけたのであれば、こちらで引き取らせていただきます。」


 ヤーブが言い終わると同時に、後ろに控えていたトリワーズが指示をすると、二人の部下たちがカナタの方へと迫る。

 だがしかし、トリワーズの部下たちとカナタとの間に、身を滑らせたポエラが、その行く手を阻むと、カリアトが怪訝な顔をするトリワーズへと問いかけた。


「監察官代理殿、一つ伺いたい。

 その少年は、使徒の疑いがあると、それは理解しております。ですが、魔術も武術も、魔素の運用もろくに出来ぬ者です。そのようなものが、果たして役に立つとは思えないのです。」


 改めて羅列されると、ぐうの音も出ないほど情けない話だった。だが、自分が仮に使徒であり、敵か、味方だったとしても、戦力にも脅威になるとは、到底思えなかった。

 つい先ほど、村長に対して魔術の片鱗を見せはしたが、貴重な道具ありきで起きた現象であり、正味、近所に住む屈強な狩人のおじさんたちの方が、自分なんかよりもよっぽど戦力になるだろう。


 その問いかけに、トリワーズはめんどくさそうに頬をかいた。


「一応、答えてやるがな、別ににならないならばそれでいい。使徒としての務めをこちらが用意するだけだ。

 まあ、期待外れの使徒であっても、使いようはあろうな。」


「使いようですか…?」


 さも、少年のことを道具のことように話すトリワーズの答えを聞き、怪訝そうな顔をするのは今度はカリアトの番だった。

 理解が出来ていないこちらに気付き、あざ笑うような嘲笑を浮かべたトリワーズは答える。


「魔王の使徒であるならば、もちろん脅威であろう。民たちの安寧のために、かもしれんということだ。身の上の分からぬ子供一人と、王国の平穏。比べる物でもないだろう。」


「なっ…、こいつを、人身御供にでもするつもりか!?」


「さあな、私には預かり知らぬことだ。」


 …分かってはいた。もし、自分が魔王の使徒であると判明すれば、その時点で待つのは早急な処分。

 その後、人類に対しての反逆の芽だったとして、大々的にこの国全体へと知れ渡るのだろう。

 そうなってしまえば、それをかくまっていたこの村の皆は、反逆者になってしまう。その心配を知ってか、くっくっと笑うとトリワーズは答える。


「腹立たしくはあるが、心配をせずともこの場で引き渡しさえすれば、村で匿っていた事実は黙っておいてやろう。なんならお前たちの言う通りに、合わせてやってもいい。お前らはこいつが使徒だと知らなかったのだろう?これで、お前たちの非は無くなるわけだ。めでたい話じゃないか。」


 言い終わると、笑みを消したトリワーズが立ち止まっていた部下へと指示を出す。部下たちはポエラの横をすり抜けていくと、こちらの手を掴んで無理やり立ち上がらせようとしていた。


「監察官殿…奴はただの子供だ…。そんな子供に何をするつもりだ…。」


「お前たち庶民が知ることではない。度が過ぎるぞ。」


 歯噛みするようなカリアトは、トリワーズへの怒りと、村の安寧との板挟みになり呻く。しかし、その身に宿る責任を思えば、飛び掛かるでもなくただ睨みつける他ないかった。その怒りに対して、意にも介さないようなトリワーズが、踵を返し部屋を後にしようとした。


「ぐあ!?」


 だが、その時。

 ポエラの輪郭がぼやけたかと思うと、少年の手を掴もうとしていた男たちが、突風に吹き飛ばされ、狭い洞窟の中を派手に転がっていった。

 ピタリと足を止め、傍らに転がり立ち上がれない様子の部下を、一瞥すると、こちらを振り向いたトリワーズが、ひどく攻撃的な笑みをポエラへと浮かべた。 


「田舎者が、なんの真似だ?」


「申し訳ないが、こいつをお前たちに渡すわけにはいかん。」


 対峙したポエラの目には、一切の迷いはなく。

 監査官へ振るった暴挙に、後ろめたさはなく。

 その勇ましさは対峙する者の方が、思わずたじろぐほど、堂々としていた。

 しかし、睨みにも動じる様子のないトリワーズは、嬉しそうにポエラへと再び問いかける。


「もう一度だけ問う。どういう真似だ?」


 先ほどまで歯を食いしばっていたカリアトも、呆気にとられたように口を開けていたが、額に手を添えると、苦々しく呻いた。


「こいつはやらんと言っているんだ。これは、都会の奴にも伝わる言葉だろう。」


 対峙したポエラは、ただまっすぐにトリワーズを睨みつけている。

 鞘に収めたまま直剣を構えたトリワーズが、ポエラの方へとゆっくりと歩いて来る。洞窟の床が、凍り始めたかのように底冷えがする。両者が発する殺気で、四肢の末梢が凍り付いていくようだった。


「どうやら、都会では、人の家の子供を連れ去るのは、普通らしい。」


「囀るな、去ね。」


 トリワーズの右腕から先が大きくぶれる。

 鞘におさまったままの片手剣が、目には追えないほどの速度で、ポエラの頭を打ち据えようとする


 まともに食らえば、岩をも砕くであろう一撃を、ポエラは避けずに受け止めた。

 

「なんだこれは…」


 畢竟、ポエラの頭部は無事だった。

 丸腰だったはずのポエラの手元には、薄緑の魔素の帯を纏った、黒緑の平らなものが握られていた。

 自分は、それをたびたび見たことがあった。


「くっ…あははははははは!!何かと思えば、騎士に平鉈で挑むとはな!なんだお前、枝打ちでもするつもりか?」


 トリワーズが呆れたように、バカにする声色で煽ったが、ポエラはさもことなさげに返した。


「森を駆け抜けるときの枝木の方が、苛烈だったぞ。」


「は、騎士を愚弄する。その意味が分からぬほど、田舎者ではあるまいな。」


 侮辱を受けたトリワーズは、久しく怒りのタガが外れた。

 ポエラの首を、肩を、四肢を、胴を、打ち据えんと、握られた片手剣が轟音と上げながら、ポエラを纏う風ごと、切り裂こうと振るわれる。

 しかし、ポエラは平然とその一太刀を、頑丈そうな平鉈の腹で受け、背でいなし、火花を散らしてはじき返した。


 数合の切り合いの末、大きく鍔迫り合った後、洞窟内を震わせるほどの魔素の衝撃を伴って、両者が洞窟の両端へと弾かれた。

 慣れぬはずの騎士との剣戟にも、落ち着き払った様子のポエラは、平鉈の先をトリワーズへと向けると、はっきりと宣言をした。


「コイツは私の弟だ。私の許可なく、連れ出すことは許さん。」


「貴様の許可など要らん、もう一度だけ言う。引き渡せ。」


「断る。」


 ポエラが答えると同時。火の魔素を持つのだろう、薄暗い洞窟の中を、赤い剣影を残しながら、トリワーズの抜身の刃が、ポエラの身を断たんと向かう。

 短く、深く、一呼吸を入れたポエラが、半身で構えた平鉈を、一度、大きく振り払う。すると、薄緑色の光が広がり、身体の表面を風の魔素が包み込むと、負けず劣らずの速さで、トリワーズへと向かう。


 碧と、橙色に揺れる剣影が、相手を打ちのめさんと振るわれる。

 その実力はほとんど拮抗しているようだが、トリワーズの心境は煮えたぎるばかりだった。騎士として修練を積んだその剣技を、どこぞともしれない田舎の小娘が、平鉈程度で拮抗している。その事実が、何よりその精神を逆撫で、怒号のようにポエラへと問うた。


「なんだお前は、何がしたい!!どこでそのような小賢しい技を学んだ!!」


「我が師は父。斥候隊の長より受け継がれた技だ。貴様の曇った刃など、この平鉈程度で充分だ。」


「お前ごときが抗ったところで何になる?王都に逆らった者たちが、のうのうと生きれると思っては居るまい!」


「ああ、だから今日、この時を持って、私はこの村を抜ける。」


 えっ?ポエラ、今なんて言った?

 村を抜けるって…国に逆らっても?

 それを聞いた村の面々は、驚愕の表情を浮かべていた。


「そうか、そうか!だがな、その道理の前に、我が剣を退けてからのたまえ!」


 10を優に超えるほど、刃が切り結ばれた後、信じられないが光景だが、徐々にトリワーズの姿勢が崩されるようになっていた。

 風を帯びた刃は、すさまじい速度を帯びて、トリワーズの振り下ろしを、下から弾き返し。時折、纏った風素の帯が、トリワーズの四肢を打ち据えていた。


 勝てる…勝てるのかもしれないが、ふと思ってしまった。

 勝ってどうするのだろう。その後は?

 少なくともポエラは、この村には居られなくなるのだろう。

 トリワーズ達の部下は、未だ、村の中におり、制圧に乗り出せば、多くのけが人が出るだろう。

 ポエラも、そして村長たちもおそらくは、それを承知の上で、この戦いを止めないでいるようだった。

 その先に待つのは何だろう。

 自分でもわかる、自分自身が招いた、今までの平穏が崩れ落ちる惨状だ。


 優勢に進むポエラの剣戟を、ただ眺めていると、いつの間にか、ヤーブと呼ばれた男が、音もなく隣に立っていた。

 こちらを見ずにただ、両者の剣戟を眺めるヤーブを見て察した。

 

「ヤーブさん。」


「なんでしょう?」


「自分が行けば、監察官の人たちは引いてくれますか?」


「ええ、私たちの命は、疑わしき者を見つけ出し、連行することです。その使命を果たせるのであれば、何の問題もないでしょう。」


 この剣戟の、その先を想像できるからこそ。

 この身と命を助けて、温もりをくれた村の皆を、苦難の道に引きずり込むことは、自分にはできなかった。


「ちょっとカナタ!待ちなさい!」


「ごめん…ヴィリティスさん。本当にゴメン、俺行くよ。ヤーブさん、俺が行けば解決するんですね。」


「ええ、そうなります。」


「命の危険もあるんですよね。」


「ええ。」


「お願いできませんか。自分が行けば、この村の人たちの責はないと。」


 耳が良いポエラは、二人の間で交わされた言葉に動揺し、トリワーズの上段からの振り下ろしに、姿勢を崩した。浅く持った平鉈を弾き飛ばされる。


「トリワーズ殿。」


 ポエラに向かっていた刃が、首筋皮一枚を残してピタリと止まる。

 トリワーズの息は荒く、身を焦がさんばかりの殺意を、深い食いしばりでとどまらせた。


「がぁ!!」


 剣を持たぬ反対側の腕で、ポエラの横面を思いっきり殴りつけると、くぐもった声をあげ、ポエラが床に叩きつけられた。


 拳一発で、辛うじてとどまったトリワーズは、乱れた髪を雑にかき上げると、何も言わずの部下たちを起き上がらせた。


「カナタ…すまぬ、すまぬ…。ヤーブよ…恨むぞ。」


「ええ、承知しております。」


 様々な言葉を押しつぶして、くぐもった恨み節を吐く村長に一礼すると、ヤーブは、トリワーズと共に洞窟を出て行った。

 トリワーズの部下たちに、ぞんざいに縄で縛られ、両脇を固められた状態で、部屋を出る。すると、扉のすぐ外に、村の出身と言われていた治癒魔術使いが、苦々しい顔をして立っていた。彼女に先導されて、ヤーブ達は、この洞窟へと来たようだった。


 

 ふと、そういえばこの世界に来た日も、こんな感じで縛られたんだなと、他人事のように思いながら、水音がどこからともなく聞こえる薄暗い洞窟の中を、トボトボと歩いた。

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