第13話 歓迎の詞(ことば)
「全部だ…、全部の筋肉が痛い。」
日頃の疲れによって、中心に置かれた食卓に力なく突っ伏していた。
連日、慣れない仕事を続けた身体には、一晩寝てもなかなか取れないほどの、筋肉痛と倦怠感がしっかりと残っていた。
身じろぎするたびに、熱を持った鈍い痛みが体中を駆け巡る。
「ヒザの裏なんて初めて筋肉痛になった…。ダメだ、呼吸をするだけで痛い。」
森の中で枝葉集めをした後も、張り切るポエラに、村のいろんな場所に連れられては、様々な仕事をさせてもらった。
ポエラに朝食が準備してもらっている間、机に突っ伏してこれまでにしてきた仕事についてふと思い返した。
ある日は、倉庫に保存してあった、獣の皮の毛をはぎ取る仕事をした。
生皮特有の生臭さが鼻につき、慣れるまで顔をしかめながら借りたナイフで毛を落とした。
皮を傷つけないように処理するのは難しかった。ポエラに革手袋を貸してもらっていなければ、滑ったナイフが指を切り落とすところだった。
またある日は、薪木を割っては規則的に積み上げて、薪で出来た円柱状のやぐらを立てた。
手伝いに来てくれたカリアトが薪を作り、自分がそれをまとめて運んで、ポエラがそれを組み上げていった。
割った薪は、生木特有のにおいがした。このままでは薪には適さないので、乾燥させる必要があると。ポエラに教えてもらった。
途中、試しにとカリアトに薪割りを任されたが、斧の重さに引きずられ、危うく自らの脳天をかち割るところだった。
それ以降は、刃物に近寄らない様に遠ざけられてしまった。
代わりに、途中から薪の組み上げを手伝った。厳しい冬に備えるためなのだろう、3つほど出来上がったやぐらはなかなかの大きさになっていた。
またある日は、ポエラが飼っているらしい家畜の世話をした。
動きは遅く、温厚そうな生き物のようだった。しかし、日頃とは違う奴が来たことで警戒されたようで、畜舎の掃除をしている間、四方八方から小突くように頭突きをされた。
角こそなく柔らかく暖かな触り心地ではあったが、ちょうど腰のあたりを集中的に頭突かれ、それなりの鈍痛と衝撃を感じた。
途中、家畜に囲まれ、小屋の中心で身動きが取れなくなった時には、死を覚悟した。
またある日は、朝早くに出かけたポエラがどこからか毛深い猪を獲ってきた。
玄関先に広がった獣臭さに硬直していると、手早く後ろ脚をつるし上げたポエラが、唐突に解体を始めた。
不意を突かれたのもあるが、ヌラヌラとした鮮やかな色の臓腑を見て、危うく朝食を吐き戻すところだった。
冬に備えて、保存食にするために、後から来たヴィリティス達と一緒に燻製と腸詰めを作った。
しばらくの間、洗っても手から獣臭さがなかなか消えなかった。
視覚も、嗅覚も、感覚も、全てに負荷がかかっているような、大変な日々だった。
身体も辛かったが、それと同じぐらいに心も辛かった。
「ほとんど、お荷物にしかなってない…
たまに、ヴィリティス叔母さんがどうしようかなって、困ったような顔してるのが、また心に来る。」
記憶も、経験もなく、ほとんどが初めてするような仕事ばかりだった。
コツを短期間で掴むような勘の良さがある訳でもなく、そして村人たちとも体力的に大きな溝があった。
役に立つどころか、こちらの手助けで逆に手間をかけてしまっていた。
それでも、不思議なことに、いまのところ村人たちから、なにかしらの危害を受けるようなことは、未だになかった。
休む間もなくこき使われることも、虐められるようなこともなく、斧の取り扱いを間違えてケガをしそうだったときを除いて、こっぴどく叱責するようなこともなかった。
むしろ、疲れてきたのを見計らって、時折休むように促されることすらあった。
仕事が出来ず、邪険に扱われることも覚悟していたが、今のところ、大きな問題もなく過ごすことが出来ていた。
「元々、期待はされてなかったんだろうけど、
だからと言って、このまま穀潰しのままで居るのはマズいよね。」
今は見逃されているのかもしれない。
しかし、このまま役に立たない日々が続けば、いつの日か本当に、見限られる日が来るのかもしれない。
遠く、どこまでも続く、薄暗い森の中に置き去りにされた自分を想像して、背筋にうら寒いものが上がってきた。
「言葉が分からないのも、だんだんキツくなってきたな…ッ痛!」
頭を掻こうとしてと、上げた腕に痛みが走った。
痛くない位置を探しながらゆっくりと下がっていく腕を追うように、再び力なく食卓の上に突っ伏した。
「本当に、どうしたものかな…」
硬く滑らかで、ひんやりとした机の上に頬をのせていると、台所からこちらへ歩いてくる音が聞こえてきた。
『おっきなお日様~こんにちは~♪
赤き日差しがすべて照らす~♪』
器用に二人分の料理と水差しを持ったポエラが、陽気そうに鼻歌を歌いながら、居間へと入ってきた。
今日の朝食は、昨日の穀物粥の余り、小ぶりな赤い果実、薄切りのソーセージ。
日によって異なるが、燃料の節約のためか、なるべく火は使わない方針らしく、よそわれた穀物粥はひんやりとしていた。
「食べなきゃだけど…」
正直、準備をしてくれたポエラには申し訳なかったが、疲れも相まって、起き抜けの胃腸は食物を受け入れてくれるような状態ではなかった。
しかし、食事を抜いた状態で仕事へ向かい、早々に力尽きる自分の姿を思い浮かべると、無理やりにでも胃に入れ込むほかなかった。
胃腸を動かそうと水分を取るために、小ぶりな果実から手を付ける。
二人して、黙々と食べ進めていると、ふとポエラから話しかけられた。
『最初にここに連れてきた時は、ちゃんと生きていけるかどうか心配だったが、カナタなりに色々と頑張っているようで、安心している。
そろそろ、疲れも溜まっているだろうから今日は休みにしよう。』
朝から凛々しくもにこやかなポエラの顔を、口に着いた粥をぬぐいながら胡乱な表情で見上げる。
「分かってるよ…仕事の話だよね?」
仕事に没頭する日々を過ごすあまり、頭の中には仕事以外の行動はまったく湧いて出てこなかった。自然と、仕事の話をしていると思いながら、姿勢を正してポエラの方に向き直る。
機嫌がよさそうなポエラは、机の下から紐が付けられたずた袋をこちらへと差し出した。
食事に夢中で気づかなかったが、準備されたその袋の中身が、今日一日に必要なもののようだった。
『私のお古なんだが、まだ使えそうだったから、一応持っていこうと思ってな。』
「なるほどね…分かった。
それが今日の仕事道具なんだね。」
『ここにきてまだ日も浅いし、何かと気疲れしただろう。
叔母さんからも、たまには気分転換も兼ねて休みがあったほうがいいと言われてな。』
「昨日とは、また違う仕事みたいだけど…
今日こそは、ちゃんと役に立ってみせるから…!」
『まぁ、何をするかは楽しみにしていてくれ。』
「だから、まだ追い出さないでね…」
かたや機嫌よさげに肉詰めの薄切りをもぐもぐと咀嚼する家主と、
穀物粥をかき込みながら、早朝から決死の覚悟を見せる居候。
朝のまだ肌寒い風と共に窓枠に留まった小鳥が、ちぐはぐな部屋の空気に、不思議そうに首を傾げながらのぞき込んでいた。
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朝食を食べ終わったあと、ポエラに連れていかれた場所は、村の中心にあった石造りの建物だった。
基本的に、仕事場とポエラの家を行ったり来たりするだけの日々だったので、あまり気に留めていなかったが、木製の家が立ち並ぶ中、その建物だけ作りが違うこともあってか、不思議と印象に残っていた。
「今日は、ここで働くのかな。」
全体的に四角い石造りの建物は周囲の建物よりも1階分ほど高く、屋根や外壁などに遊び、というか趣向が凝らされているのが分かった。
開かれた扉口は、大人二人が優に入れるほど大きく高かったが、扉口の先は薄暗く、外からだと室内の様子が分かり辛いが、ある程度の広さと奥行きがあるようだった。
「この建物はなんか周りと雰囲気が違うような。
静かというか…厳かというか。正直息苦しいかも。」
今までとは違った
袋自体には、そこまでの重さは無かったが、いくつかの道具が入っているらしく、歩くたびにカラカラと音が鳴っていた。
ポエラも手荒に扱っていたこともあり、そこまで必要なものではないのかもしれなかったが、借り物である以上は丁重に運ぶことにした。
『さて、待たせているだろうから早く行こうか。』
薄暗い建物に入っていくポエラの姿を見失わない様に、慌てて後を追った。
「へぇ…中は結構広いんだな。」
暗い室内に目を馴らしながら、段差に躓かない様にゆっくりと進んでいくと、広く奥行きがある講堂に出た。
講堂の奥には祭壇があり、天窓や、正面の飾り窓から光が差し込んで明るかった。
飾り窓がある正面に向けて、いくつかの長椅子が置かれており、村人たちが集まることが出来そうな作りになっていた。
『ああ、よく来たね。
ポエラ、そして…カナタだったね。』
ひと際、光が差し込んでいる建物の奥まで来たところで、脇の暗がりから声がしたかと思うと、肩口から胸にかけて、質素ではあるが装飾が施された苔色の長いかけ布肩にかけた老人が、椅子から立ち上がると、こちらへと歩み寄ってきた。
『遅くなりました、ポテスタス先生。』
『いえいえ、待ってなどいませんよ。
私など隠居しているようなものですし、こうやって訪ねて来てもらえることはうれしいことです。』
「なるほどね。
この人が…今日の雇い主だ。」
丸い眼鏡をかけた老人は、温厚そうな微笑みをこちらへと向けた。灰色ががった髪を後ろにまとめ上げ、ピシッと伸び上がった姿勢からは、どことなく紳士めいた風格が感じられた。
(この人は、長い耳ではなくて、自分と同じ丸耳だ。)
この村に住んでいる人々は基本的に、やや毛で覆われ先が尖った耳をしていた。
しかし、少数ではあるが自分と同じ、丸耳の人間もいる。この老人は後者だった。
『ここへ連れて来たということは、この子は、あなたのお墨付きが頂けたということですね。』
『はい。なにかと四苦八苦しているようですが、本人はいたって真面目です。
これから経験を積めば、何とでもなるでしょう。』
『そうですか。身元が知れない者を村へと受け入れることは、そう容易なものではないと分かってはいます。ですが、私個人としては、寄る辺がない者に手を差し伸べることは、大変好ましいと思っています。
隠居したこの身でよければ力になりましょう。困ったら言ってくださいね。』
『お心遣い感謝します。ポテスタス先生。』
「なんか、放置されてる?」
家にいる時や、仕事の合間などで、気を抜いていると、時折、眠たげな眼をしているポエラだったが、この老人に対しての背筋を伸ばした対応には、どこか尊敬を感じた。
しかし、蚊帳の外で放置され続けていると、場違いな感じがして心細くなってくるので、ポエラの袖口を軽く引っ張る。
「ポエラ…、し、仕事は…?働かなくていいの…?」
『ああ、すまない。忘れてたわけじゃないぞ?』
『おや、待たせてしまったようだね。では、準備に取り掛かろうか。』
『よし、カナタ手伝ってくれ。』
状況が呑み込めず唖然としていると、何かの準備が始まった。
ポエラに指示されたとおりに、川で水を汲み、端にあった机を動かしていく。
老人が奥から、燭台のようなものを持ってきたりと、仕事というには、こじんまりとした、何かしらの儀式の準備のようだった。
『これで完成だな。』
木組みの一人掛けの椅子と、その前に唐草色の小さなクロスが敷かれた小さな机が一つ。
その上には、平たい水桶と、蝋燭が立てられた燭台、ひと握り分の盛られた土、最後にポエラが取ってきた、ひと房の
「怪しい儀式みたいだけど大丈夫?
なんか召喚したりしない?」
傍目から見ると不可思議な儀式にしか見えないが、危険な物には見えなかったので、ポエラに促されて椅子に座って待っていると、老紳士が小ぶりな本と、なにか透明な石を持ってくると、こちらの真後ろに立った。
『なに、緊張することなんてありません。
すぐに済みますからね。』
こちらが緊張しているのを察したのか、老紳士は後ろから肩にそっと手をかけると、数回ポンポンと優しく叩いた。
硬くごつごつとした手のひらだったが、触れた感覚はどこか暖かかった。
『では、始めましょうか。』
和やかだった老紳士が、講堂によく通る低い声を発すると、場の空気が変わった。
重く、低く、ゆっくりと床の上を広がるような声色で、呪文が唱えられていく。それは、雰囲気や空気感だけではなく、もっと直接的に、目に見えて周囲の光景を変化させていった。
「光が舞ってる…?」
最初は、講堂に舞った埃が、光を受けて反射しているのかと思った。
しかし、地面から空に向かって、丸く粒子のような光が浮き上がっては、ゆっくりと落ちてくる。
どこか雪のような粒子は、身体に触れると瞬時に消えたが、ほんのりとした暖かみがあった。
ふと、机の上に目をやると、供えられた花束や燭台からも粒子が浮き上がっている。
橙、水色、碧、黄と、色付いた粒子が同じように舞い上がってはフワフワと落ちてくる。
『
暖かな
歩みゆく新たな
背中で唱えられる
そこには、5本の線が組み合わさって出来た紋章と、波打つケープを身にまとった人の像が置かれていた。
光の粒子が舞い降りる像に、どこか懐かしいような見覚えを感じて、じっと眺める。抽象的な形ではあったが、こちらを包み込むような姿には、素朴な母性を感じる。
(これがここの神さま、なのかな。
女性のように見えるけど…。)
湧き上がっていた色とりどりの光の粒子が、床に、椅子に、飾り窓に、祭壇に置かれた像に、そして、椅子に座る自分の身体にも揺れながら、静かに舞い降りる。
ふた、視界の端に座っていたポエラが、目を瞑って祈っているのを見つけて、自分も真似をしてゆっくりと目を閉じる。
暖かな光が、瞑った目蓋をチラつくが、不思議と煩わしさは感じられず、ただ流れる、重く平坦な、老人の声に耳を傾けながら、身をゆだねた。
(どこかで感じたような暖かさだけど、いったい
目を瞑ってからどれぐらいの時間が立っていたのだろう。
いつの間にか、呪文を唱え終わった老人に、肩に手を置かれてゆっくりと目を開けた。
時間と空間が曖昧になっており、丸一日が経ったような、それとも一瞬だったような不思議な感覚だった。
『お疲れ様でした。終わりましたよ。』
にこやかにほほ笑む老人に、手を差し出され、ゆっくりと立ち上がる。
本を閉じた老人は、右手にあった透明な水晶を、こちらにかざすと、まっすぐに見据て話し始めた。
『カナタ。
良き輩(ともがら)として、良き村の担い手として、私たちは、貴方を歓迎します。
受けた苦難を打ち明ければ分かち合い。
得た喜びを打ち明ければ祝福しましょう。
小司祭、ベリニタス=ポテスタスが立ち会い、ここに証人となりましょう。』
気付くとポエラが隣に立っており、老人より水晶をかざされたあと、静かに宣誓した。
『偉大なる
我、ポエラ=エルド=ヴェント。
カナタを、
願わくば、その絆、その魂魄が、
ポエラの宣誓を、静かに聞き届けた老人は、ゆっくりと頷くと透明な水晶を小さな箱にしまい、講堂に広く深く響くような柏手を打った。
『おめでとうカナタ。
晴れて君は、この村の一員として私たちが認めます。
もし、君が困ったら、いつでも訪ねてきてくださいね。』
老人は、先ほどの水晶が入った小箱をこちらに手渡した。
持ってみると、重さはほとんどなかったが、光が当たる場所に置かれていたせいか、お日様の香りと、じんわりとした暖かみがあった。
『改めてだが、今日からお前は村の一員で、そして、私の弟分だ。
これからいろんなことがあるだろうが、
しっかりと働いて、休んで、遊んで、学んでくれ。
カナタ、お前なら大丈夫だ。』
「えっと、ありがとうポエラ。
これからも頑張るよ。よろしくね。」
感謝の意も込めて笑うと、ポエラも静かに頬を緩ませた。
そのまま、嬉しそうなポエラに頭をわしゃわしゃと雑に撫でられた。
子供扱いをされているようで恥ずかしかったが、不思議とうれしくも感じた。
それとは別に、気になっていたが、なかなか言い出すこともできなかったことを、おずおずとポエラ達に尋ねてみる。
「ところで、今日の仕事は結局無いの…?」
端に置かれたずた袋を拾い上げて見せると、納得したような顔をしてポエラ達は、二人して顔を見合わせた。
『ちなみにポエラ、やっぱりカナタに言葉は通じていないのですね。』
『はい。取りあえず、後回しにしていましたが、やはり不便ですね。』
『でしたら、ちょうどいいですね。
マグニフとあの子たちに、交じってもらいましょうか。』
『ええ、実はそのお願いもしようと思っていました。』
再び放置された状態で、老人とポエラが会話を眺めていると、途中、ポエラがこちらに手招きをしたので近づく。
『私のお古だが、ちょうどいいだろうと思ってな。』
ポエラはずた袋の中に手を入れると、持ち手が着いた一枚の板を取り出した。その片面には、文字が書かれた紙のようなものが張り付けられているようだった。
その板を怪訝な目でみていると、ポエラはドヤ顔で板を見せた。
『楽しい楽しい、お勉強をこれから始めようか。』
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