第11話 災難は降ってくる

『おーい、無事かしら?』


 大樹を触れてから、白昼夢を見たかのように持ってかれていた意識が徐々に戻ってきた。

 唐突な体験を飲み込めず、半ば呆けたような状態だったが、聞き覚えのある声で意識がはっきりと戻ってきて、立ち上がると尻餅で付いた土を払う


 指に残った、何かとつながっていたような感覚。

 夢にしては、あまりにも明確な光景が、今でもまじまじと思い返せた。

 朽ちて薄汚れた部屋の中、神々しさを纏った少女から受けた、唐突な戦力外通告。

 


『カナタ!さっき何か悲鳴みたいなのが聞こえたけど…

 木にひっかけてケガでもしちゃった?

 ささくれには気を付けないとダメよ。』


 「えっと、大丈夫。何もなかったから…」


 こちらの叫び声を聞き、隣で作業をしていたヴィリティスが様子を見に来てくれたようだった。彼女が背負った籠には、みっしりと葉と枝が入っており、籠が揺れるたびに、ギシギシと音を立てている。


『あら、カナタ?あなたの籠はどうしたのって…あんなところに。』


 ヴィリティスは、こちらの背中に籠がないことに気付き、不思議そうにあたりを見渡す。

 少し離れた巨木に立てかけられた籠を見つけて、中を覗き込む。


『あらま。ちょっと…あなたには籠が大きすぎたかもしれないわね。

 まあ、最初はこんなものでしょう!あっちで荷台に集めてるから、もってきて頂戴な。』

 

 彼女は少し困ったような顔をしたが、ほほ笑むと、立てかけられた籠を持ち上げると背中にかけてくれた。

 

(マズいな…結構、長く気を失ってみたいだ。)


 仕事を始めた時には、朝日が十分に差し込んでおらず、薄暗かった森の中も、いつの間にか日差しが真上から降り注いでおり、辺りはすっかり明るくなっていた。

 太陽の位置的に、既に正午ぐらいのようだった。


(落ち込んでる…場合じゃないよな。

 居候なのに、ろくに仕事も出来ないんだったら、ただの穀潰しだ。)


 先ほどの彼女の表情を見るに、籠に入っている枝葉の量では、期待にはあまり添えていなかったのだろう。

 せっかく、仕事を任せてもらった以上、失望をさせてしまうのはまずい。

 

『まあまあ、午後から頑張ってくれればいいわ。

 取りあえず、行きましょうか。』


 浮かない顔をしていたことを察されたのか、ヴィリティスから不意に、手を差し伸べられた。反射的にその手を掴むと、力強く手を引かれて、そのまま元来た道を戻り始めた。

 手を引かれていると、ふつふつと申し訳なさが湧いてきたが、謝る言葉も分からない以上、なすがままに連れていかれる他なかった。


 手を引かれている間、ヴィリティスはこちらに何かを話しかけてきた。


『この枝と葉っぱはね。水と灰をかけてしばらく寝かせておくと、上質ななめし液が出来るのよ。

 それに狩りで集めた動物の皮を漬け込んでおくと、不思議なもので腐らず丈夫な革してくれるの。私たちは昔からそれを使って装備を作ったり、街の協会と取引をして稼ぎを得ているの。』

 

 彼女が話している言葉はやっぱり理解できなかったが、彼女もそれを分かったうえで、あえて話しかけてくれているようだった。


『冬になれば、ここら一帯は雪に覆われて、ひどく冷えるのよ。

 それでも、狩りで得た森の恵みが、革や食料になってくれて、何とか暮らせているの。

 言わば、私たちが生活できているのも、この森のおかげってわけ。』


 話しかけられた内容の欠片も理解は出来ていなかったが、ヴィリティスの横顔が時折、誇らしげに木々を眺めているように感じられた。


 (推測でしかないけど、この村の人達にとって、この森は大切なものなんだろうな。)


 手をつないだまま二人で森の中を歩いたが、ヴィリティスの話は途切れることなく続いた。彼女の言葉の意味は分からなくとも、不思議と心地よかった。


 暖かく差し込む木漏れ日と、そよ風で揺れる枝葉が擦れる音が、落ち込んでいた心をほぐす様に流していく。


 穏やかで、平穏な、正午の一時。

 しかし、それは長くは続かなかった。

 

 何かが上からぶつかりながら落下してくると、そのさらに上から緊迫した怒声が割り込んできた。


 『止まれ!!一歩も動くな!!』

 

 咄嗟の怒声に身体を強張らせていると、激しく何かが擦れる様な音に、思わず目を閉じる。

 音はすぐに落ち着き、収まったのを感じて、恐る恐る目を開ける。

 すると、自分の背丈より大きな枝が、目の前の地面に、まっすぐ突き刺さって直立していた。

 

「ちょっと!!危なかったぁ!!!」


 あわや大怪我、下手すれば命の危険もあったことが呑み込めてくると、背中を冷たい汗がつたう。

 あと少しでも横を歩いて入れば、自分か、ヴィリティスに当たっていたかもしれない。


 唖然としていると、投げ縄を駆使して、巨木から背高い人物が降りてきた。


『ごめん!!ケガはない!?

って…あれ?ワカランだっけ。なんでこんなとこ居るの?』


 なんか?今、ワカランって聞こえた気がする。

 傍に降り立った人影を辿るように顔を上げると、これまた見覚えがある青年が立っていた。


『どうやら、見間違えじゃなさそうだ。

 それにしても、なんでワカランがこんなところに?

 …いや、それは置いといて、ゴメンよ?ケガはしてない?』


 ひょろりと背高いこの青年は、ポエラと一緒に自分を村へと連れてきた、あの彼だった。栗色で短めの髪に、長く尖った耳には髪と同じ色の毛が生えている。目は細いがすらりとした首筋からおでこまでニキビ一つなく、整った顔つきは冷たい印象を与える。

 彼は近くに寄ると、傷口が無いかこちらの身体をまさぐって確かめると、申し訳なさそうにこちらの頬を細長い指で包むと、滑らかに揉んできた。


『本当にゴメンよ。

 急遽、人が増えたから作業範囲を広げたんだけど、枝を刈り取る方向を間違えちゃったみたいで…突風でこっちまで流れちゃったんだ。」


「お…おん。大丈夫だから、顔を揉まないで…」 


『おぉーい!ベキシラフ!!けが人はいないか!!』


 なすがままに、顔を揉まれていると、聞き覚えがある野太い声と大きな巨体が上から降ってきた。ポエラの叔父、カリアトが同じように縄を使って地面に降り立った。

 

『君!ケガはないか…と、なんだカナタか。

 何を1人でほっつき歩いてるんだ。』


(このオッサン…いま、相手が僕だって分かって気を抜きやがったな…)


 巨体に似合わず軽やかに降り立ったカリアトは、こちらに気付くと、なんだお前かというような顔をしたが、一通り身体をまさぐってけががないことを確かめると、ぞんざいに背中をバンバンと叩いた。


『うん、問題なさそうだな、カナタ。

た、寝床に逆戻りするのは、洒落にならんからな。』 


『いや…元はと言えば、父さんが調子に乗って枝を切りすぎたのがいけないんじゃないか。って、そういえば、父さん。カナタって誰?ワカランじゃなくて?』


『うん?ベキシラフよ。ワカランとは誰のことだ…?』


 彼らの間で、ワカランという単語が飛び交った後に不思議そうに首をかしげたのをみて、咄嗟に話しかけてしまった。


「申し訳ないけど、ワカランは名前じゃないんだ。

 もし、良かったらカナタって呼んでくれ。」


 喧噪が止み、一時の静寂。

 3人の脳内が、混乱に支配され、時間が止まる。


「取りあえず、あっちに行かない?」


『ワカランが指示するのか…。

 いや、だから言葉分かんないって』


『こいつの名前は、カナタじゃないのか?

 なんだ?こいつの名前はいったいどっちが正しいんだ。』


「ポエラに名前をもらったんだ。

 良かったらカナタって呼んでくれ。」 


『ちょっと待って。情報が多くて、頭おかしくなっちゃいそう。

 じゃあ取りあえず、カナタ。一人で、ここに居たの?』


『そういえば、人影がもう一つあったような気がしたが…。誰かいるのか?』 


 カリアトが周囲を見回す後ろで、突き刺さっていた枝が自重でゆっくりと倒れていく。

 その後ろには、土で薄汚れ、葉っぱを栗色の髪に引っ掛けたまま、腕を組んだ人影がひとつ。

 静かな憤怒が、そこには立っていた。


『ねぇ、あなた。』


「『『あ。』』」

 

 穏やかな表情を浮かべたヴィリティスが、ゆっくりとカリアトの方へと歩いていく。はっきりと通る声色には、明確な怒気が込められているのが分かった。


 隣の青年の閉じられていた眼が、いつの間にか見開かれている。

 恐れと緊迫が感じられたその眼が、これからカリアトの身に惨事が起こることを、暗に示していた。


『覚悟は出来てるかしら?』


『ま。』


 ヴィリティスが霞んだかと思うと、小柄な身体がカリアトの巨躯を一息の間にねじ伏せていた。

 大柄な男のこめかみを華奢な指が掴み上げて、蛇腹を無造作に折りたたむように膝をつかせた。


 平穏だった森の中が、地獄へと変貌する。


 眼前で繰り広げられる惨状に、青年と身を寄せ合うようにして震えあがった。

 やはり、彼女の逆鱗に触れることは、死を意味するらしい。

 徐々に萎れていく大男を前に、今後一切、彼女には逆らうまいと、強く心に誓った。


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