一本の電話
「〇〇県警察△△課の□□です」
「…は、はぁ…… え?」
「(私の名前)さんで間違い無いですか?」
「…………はい……」
辿々しい返事で受け答えをしていた。
それもそのはず、相手は警察。特別悪いことをしたことがあったわけではないが、突然のことだったためか、一瞬背中のあたりがゾワッとする感じがしたが、すぐに回復した。
「……で…………僕に何の用でしょうか?」
率直に聞く。
「つい先ほど、(祖父の名前)(祖母の名前)が車の事故により、死亡が確認されました」
「…………」
「……そう…ですか…………」
声色は何とか冷静さを保つので精一杯。
そんな状態の自分とは対照に、淡々と次の行動を警察の職員は指示する。
「今すぐ、〇〇県△△市××町□□までいらしてください」
「分かり、まし、た……」
電話で聞いたその場所だったが、自分の心当たりがあまりない場所だった。祖父母の家の近くでも、町内でもなかった。なんなら、老人が車を運転するには少し遠いくらいの距離だった。
自分は、急いで現場へ向かおうと、車の鍵をつかみ取る。そして、スピードメーターやタコメーターなど全く気にせずに、ただ、ひたすらにアクセルを踏む。
ふと、我に帰った時には、既に現場に着いていた。
事故の説明など受けなくとも分る事故の全貌。
今にも外れそうな足回り。
ヒビの入ったバンパー。
凹んでしまったドア。
破片の飛び散ったヘッドライトやテールランプ。
粉々になった窓ガラス。
役目を終え、しぼんでしまったエアバッグ。
そして、周りを見ると、破壊された看板や街路樹、ガードレールなど、色々な物が突然の悲劇を物語るかのように散らばっている。この様子からしてアクセルの踏み間違いが原因だと見える。
一通り確認を終えたところで、ようやく現場に自分の両親が来ていたことを認識する。共働きのため、急いで仕事を切り上げてきたのだろう。
久しぶりの両親との再会。
まさか、こんな形で会うことになるなんて、想像もしていなかった。
「病院いくぞ……」
親父がそう言ったことでようやく、自分を含め家族全体が、金縛りにあった状態から、動くことを許された気がした。
病院には布を被った老夫婦が静かに眠っている。
顔や体には、痣や切り傷は見られたものの、ひどい傷は負っていないように見える。
そう、見えただけだったのかも知れない
警察の話によると、やはりアクセルとブレーキの踏み間違いにより、街のとある一区画を破壊しながら暴走してしまったらしい。
最終的に、電柱にぶつかってしまった衝撃により、ショック死を起こしてしまったとのことだった。
幸いにも祖父母を除く、ケガ人や死亡者を出すことは無かった。
遠い場所まで来ていた理由は、介護施設からの帰りだったからだと後の調査で分かった。
祖父は、ここ数年でだいぶ弱っていた。
祖母一人では、完全に介護することが難しくなってしまうのは当然のことだった。そのため、介護施設を利用するのは当たり前のことだったと思う。しかし、時々の送り迎えは祖母がしなければならない状況になってしまっていた。これは、家族の連携ミスだったのかも知れない。
滅多に運転をしなかった祖母は、とても無理をしていたのではないかと思う。
だが、なぜここまで遠い介護施設まで行く必要があったのか?
調べてみると高齢化社会の実態が手に取るように分かった。
祖父は、費用の削減のために老健(介護老人保健施設)に行っていた。しかしこの老健、医師の管理の元、リハビリを行い、家庭に戻ることを促すことを目標としている。そのため三か月ほどで退所させられてしまうことが多いのだ。このような制度により、県北から県南まで多くの施設を転々としてきたのであろう。
本当に家庭に戻って良いかどうか、名目上 は調査が行われる。しかし、ほとんどの場合戻っても良いという判定を受けるらしい。それもそのはず、入りたいという老人は圧倒的に多いからだ。
祖母は一人になってしまっても、庭の手入れや家の手入れを抜かりなく行なっていた。そのような状態だったため、家に戻っても良いと判断されたのであろう。
送り迎えはバスでも行ってくれるらしいのだが、祖父母の家は田舎だったため、送迎代が高くついてしまったのではないかと思う。
そこで、費用削減のためにも、祖母自ら車を出した事が、今回の悲劇を産んでしまったということがわかる。
ただでさえ高額になる介護施設。
その介護施設をうまく使いこなせるかどうかは、経済力とパートナーのキャパシティーにかかっているということが現状となっている。
「憎い」
少子高齢化社会が産んでしまった負の遺産と言っても過言ではない今回の事件。
「でも……本当に、憎いのは、社会か?」
自分が祖父母に対して行ってきたことを振り返る。
金を盗み、邪険に扱い、挙句の果てには一人暮らしで大変な祖母のことを気にかけることすらも忘れていた。
人としての温もりが足りなかったのは自分だったのではないか?
もう、遅いが、今となって、ようやく自分のしてきた事が、人の道をどれだけ外れてしまったことかを自覚する。
次の日お通夜が行われた。
祭壇の前に並ぶ二つの棺桶。
死ぬまで一緒とは、まさに、この事だろうか。
不謹慎だが、最後までずっと一緒にいれるというのは、夫婦の最後としては、素晴らしいものだったのではないかと思ってしまった。
ここで、特に意識はしていなかったが、色々な感情がほんの少しずつだけ出てきていた。だが、自分自身はまだ、それに気付いてはいなかった。その上、まだ、祖父母が死んでしまったことに対して実感が湧いてこなかったのである。
そして、祖父母との別れの日。
火葬されて出てきた二人の骨。
それらは、意外にも細く、脆く、八十数年を生きてきた覇気のようなものは感じられなかった。しかしながら、綺麗な骨の残り様から、細いながらも、強く、誠実に、確実に、生きてきた証のようなものが感じられた。
この時、ようやく自分は、祖父母が亡くなってしまったことを、理解した。
これまで何も感じなかった心から、一粒、また一粒、と涙が自分の顔を濡らす。
手に持っていたハンカチは、もはや水を吸うことを諦めてしまうくらいに泣いた。周りに人がいるというのに、理性は崩壊していた。
そんな涙だったが、やがて、自分の感性豊かな心を覆う心の闇を、じわりじわりと溶かし始めていた。
この瞬間、自分は、約五年半にわたって封印し続けていた感情というものが、一気吹き出して、自分の心を色々な感情で染め始めていた。
真っ黒な心から、虹色へ。
自分の祖父母は最後の最後に、自分に心を与えてくれた。
祖父母の最大の遺産とも言えるだろう。
どこまでも厳しく、優しく、逞しかった祖父母。そんな祖父母に感謝の言葉一つかけられなかった自分。
そんな自分が今、憎らしい。
しかし、自分をただ恨んでいるだけでは、また心の闇に感性豊かな心が侵されてしまいそうなので、命をかけて与えられた自分の本心を一生守り続けていく義務を自分自身に与えた。
「死ぬまで、感性豊かな心を守る」
これこそが、自分が一生をかけて叶えなくてはならない夢だと、必然的に考えた。
時間軸にしてみたら約三日くらいの出来事ではあったが、その間に得られた多くのモノは、自分にとって、数年分の価値を持ち合わせていた。
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