私の生い立ち前編(保育園〜小学校)

 ここからは、昔の事を書かせて頂く。

 昔は思いのまま生活をしている事が多かったが、感情を喪失するにあたってのトリガーが密かに隠れていたことを思い出す。


 保育園の時、自分は冷静で、賢いヤツだとよく言われていた。理由として、急に家の近所で迷子になったとしても、動物の持つ帰巣本能のように家へたどり着く事が出来たためだ。

 それだけでなく父親の影響もあったためか、ノコギリやドライバーなどといった一般的な工具もある程度使うことができていた。

 当時、テレビでよく見ていたものは、アニメでもNHKの教育番組でもなく「Q○een」という外国のアーティストのDVDや、「布○寅泰」のライブ映像などと中々マイナーな物をよく見ていた。

 ゲームなどの類の娯楽機器は持っていなかったが、当時のパソコンも少しは使うことが出来ていた。その上、習い事としてバイオリンやピアノの練習にも励んでいた。

 

 ここまで読むと、「なかなか出来たヤツじゃないか」と思う人もいるだろう。

 実際、自分の親孝行はまさに保育園で終わらせたのではないのかといつも思う。理由としてここからの自分は、心底親や親戚を恨む上、莫大な迷惑をかけていくからだ。

 

 自分が保育園を卒園してすぐ、T市からH市へと引っ越しをした。

 理由は親の転勤だった。親の仕事は転勤が付き物だったため、仕方がなかったと今でこそ冷静に考えることができるが、小さな頃の自分にとっては何の前触れもなく異国の地へ飛ばされてしまったような感覚だった。


 引っ越し先は、窓から常に海が見える場所だった。真夏日でも窓を開けるだけで涼しい風が抜けるようなところだった。


 ただ、やけに鼻につく潮の匂いが何となく嫌いだった。


 全く知らない土地で、初めて見る小学校で、知らない人ばかり。目に入ってくるのは両親だけ。


 そんな孤独な入学式だった。


 孤独な心持ちで通わなくてはいけない小学校といったら、苦痛でしかなかった。周りはワイワイガヤガヤ楽しんでいる中、自分は訳もわからずただその空間にいるだけ。最初の一週間は先生はおろか、ほとんどの人と話すことが出来なかったと記憶している。

 だが、最初の一週間が過ぎると徐々に馴染むことができるようになり、入学当初の様子からは全く想像することのできないくらい充実した毎日を送れるようになっていった。

 

 ただし、とある二つの障壁を除いた場合の話なのだが……


 自分にとっての二つの障壁。


 一つ目は祖父母の存在だった。

 率直に言って怖かった。

 母方の祖父母は、自分達の引っ越した場所から約二百メートルの位置に住んでいた。そのため両親が家に帰ってくるまでは、祖父母の家に一旦帰って面倒を見てもらっていた。

 一般的に見たら防犯対策や、災害対策、そして孤独感もなく良いのではないかと思われる。


 だが、そんな祖父母の存在が、邪魔であり、強大な悪であり、自分にとって敵対視すべき存在であった。


 遊びに行くにしても、ゆっくりするにしても、何かしらの嫌味を言われる。

 それもそのはず、母は三兄弟で、それぞれ開業医、有名企業のサラリーマン、教職(母)と正統派エリートコースを総なめにしたような面々ばかりだった。

 小学生の自分は、自由を謳歌したかったため、祖父母という存在は足手まといでしかなかった。そして、良い子でいなくてはいけないことを強要された。テストで悪い点を取った時には、渡された瞬間に一気に血の気が引くような感じすらした。

 その上、遊びに行くという事は悪だという教育も受けた。遊びに行きたい!でも……行くことは許されない……。

 自分にとっては、子供心というものを重苦しく邪悪な鎖のようなもので縛り付けられているような心持ちだった。


(遊びたいと思う気持ちは邪魔物?)


 二つ目は、とてつもなく嫌いだったクラスメイトの存在だった。この子をK君としておこう。この子からは教わってはいけないものを教わってしまった。

それは、


「仕返しと暴力の快楽さ」


 だ。

 当時の自分は穏やかではあったが、一度キレてしまうと、自分自身ではもう止めることのできない怒りという感情を持っていた。K君は、そんな自分の怒りを引き出させる能力を持つ数少ない人間だった。

 自分がキレるにあたっては、大義名分というキレた自分を正当化するための盾のようなものが存在した。そのためか、担任の先生からの指導は受けたものの、相手も問題ありだと自分だけを叱る事はなかった。

 しかし、自分の怒りの感情は、後に最悪の事件を招いてしまう。


 小学校三年生の自分はいつも通りK君にちょっかいを出される。普段通りの自分であれば受け流せたものだった。だが、普段通りの自分は、祖父母のことで日に日にイライラが蓄積されていた。その上、日に日にエスカレートしていくK君のちょっかい。


「ブチッッ」


 まるで、野生の力を取り戻した飼い犬が、自らリードを噛みちぎり飼い主に襲いかかるような面持ちで、怒りが自分の心を喰ってかかった。

 気づくと、自分の持つ力、全てを振り絞り、K君の顔面を何度も何度も何度も何度も殴り続けていた。

 その時の自分は意識などというものはなく、もはや怒りという野蛮で、恐ろしくて、真っ赤な感情だけで殴っていたと思う。


「グシュッ」


 不気味な音と、赤黒く染まった自分の拳や顔、服や真っ白だったシューズなどに気付き、ようやく我に帰る。手や顔は飛び血でベタついていた。

 相手ももはや呼吸をするのに精一杯だというところだろうか。


「ヒュウ……ヒュウ…………」


 とこれまでに聞いたことのない呼吸音が弱々しく漏れ出ている。

 どんなに注視してもK君の表情は血と汗と鼻水のようなものが混じったもので染まりきっていて、今、何を考え、どんな表情をしているのか、自分には認識することができなかった。


 冷静になって考えると、この事件が小学校の低学年の時で良かったと今になって思う。

 もし、これが大人の自分であれば殺しかけていたのではないかとも思ってしまった。

 幸いK君は鼻の骨折程度で済んだが、自分にとってこの事件が

「一時的な感情に左右されてはいけない」

 という考え方を確固たるものにした事は言うまでもなかった。


(怒りという感情は危険?)


 この後自分は、自分自身が持つ恐怖に怯えつつも、まじめに祖父母の話を聞き、良い子らしく振る舞っていた。

 両親の勧めで、私立中学校受験をすることにし、塾に行くなどちゃんと良い子らしく振る舞っていた。

 そんな振る舞いは、時間をも忘れさせるほど過重労働だったため、気づけば、自分はいつのまにか小学校を卒業していた。

 卒業する約一ヶ月前、私立中学校からの合格通知を受け取った。自分は友達と遊ぶ時間や、自分の自由時間を犠牲にしてまで頑張ってきた甲斐があったとこの時だけは、とにかく喜んだ。 


 しかし、この喜びによる反動がこの後大きな事件を起こす引き金となることを自分自身はおろか、両親すらも予知することは出来なかった。


 待ちに待った最高の春休みがやってきた。

 勉強からも、祖父母からも、解放された反動でとにかく遊び歩いていた。とは言っても朝の九時から夜の六時くらい。

 小学校の同級生とは別の中学校に進学することになったのを見兼ねた両親は、思い出作りにと長い時間遊ぶことを許可してくれた。

 とある日の事、友達の一人が学区外にある大きめのゲームセンターに行こうと誘ってきた。そこには夥しい数のアーケードゲームやパチンコなどはもちろん、トレーディングカードなどの販売も行っていた。

 このゲームセンターとの出会いこそが諸悪の根源だった。

 ほとんどの友達は何の躊躇いもなく、一万、二万とどんどんお金を使っていく。

 そんな中、もらえてもお小遣いが二千円位だった自分にとっては、なかなか馴染めない空間だった。しかしながら友達と何としてもいっぱい遊びたかった自分はとある最低なことを思いつく。それは…………


「祖父母の金の隠し場所から盗めば良くね?」


 もう一度言う。最低な事だと分かっていたが自分の遊びたいという感情がそのような衝動を起こさせた。どんなに腐ってもこれまで人のものを盗んだことの無かった自分が初めて下した決断。

 怖くて厳しかった祖父母だったが、自分に愛想尽かした事は一度もなかった。そんな祖父母を裏切る事だと知っていた。

 知っていたにも関わらず、心の闇やそこから溢れ出てくる負の感情が盗みというものを行う手助けをした。

 バレないはずがないと思った。

 しかし、何とかシラを切れば乗り切れるといういい加減な思考が勝ってしまった。

 こうのようにして、ある程度まとまったお金を用意できた自分は、約二週間、毎日廃人のように遊び歩いた。多くの友達を引き連れて、自分はもちろん、友達も遊びすぎで飽きさせるくらい遊んだ。

 その、短いようで長く、長いようで短い遊びの時間だけはクラスメイトにとって、ヒーロー的存在だったのではないかと考えている。

 そんな、夢のような時間だったが、あっけなく終わりを告げた。

 ある程度お金を使い果たし、これから遊ぶお金をどう工面しようか、と考えながら自転車を漕いだとある日のゲームセンターの帰り道。

 しばらくし、帰り慣れた祖父母の家に着く。

 自転車を倉庫にしまい家へ入ろうとした時、いつもよりも心なしか扉が冷たく重く感じた。心は、この唐突な異変に警告のサインを出している。


 自分の中で、腹を括った瞬間だった。


「バレたか……」


 扉を開けながら、無意識に呟く。

 予想通り、玄関には帰りを今か今かと待ち構えた表情をした祖父母が二人並んで座っていた。

 表情は怒りをも超越したのか、諭すような表情をしていた。

 そして悲しげでも、威厳を忘れない、太くて強い声でこう伝えてきた。


「あのお金はおじいちゃん、おばあちゃんにとって必要なお金なんだよ。使った額まで返せとは言わない。けど少しでも余りがあるのなら返してほしい」


 この時、自分は我に帰った。

 これまでただ怖いだけの祖父母だったが、その怖さの中には計り知れないほどの優しさが存在していたことにこの瞬間になってようやく気づいた。

 それと同時に、一気に自分という存在が浅はかで、愚劣で、中身のない人間だったということを認識する。

 あまりの情けなさと、申し訳なさにより、自分は玄関で靴も脱がないまま、地べたで泣き崩れながら、土下座をした。

 そんな無様で惨めな自分に、


「話もひと段落したし、お茶でも飲むけ?」


 と優しく語りかけてくれた。

 どこまでも優しかった。

 そんな優しさを踏み躙ってしまった自分の過ちがとても憎くてたまらなかった。


「友達と遊ぶ事は、今、目の前にいる祖父母をここまでさせてまでも成し遂げるべき事だったのか?どうして六年間もほぼ毎日過ごしてきたのに祖父母の優しさにこの瞬間まで気付くことができなかったのか?愚かだ。なんて自分は愚かなのだ」


 この時の気持ちは高校生となった今でもなお鮮明におぼえている。


(欲は自分を変え、最終的に周りを悲しませる?)


( )のことばは、小学生の自分が当時意識的に考えたことではないが、今この小説の執筆にあたり、無意識にこのように思っていたのではないかという推測を書かせていただいた。

 

 この事件の数日後、私立中学校の入学式となるが、何一つめでたくない異例の入学式を迎えることになる。

 

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