26 規格外(オーバーライン)

「あ……あに……姉貴?」

「兄貴だよ」


 いやどう見ても女でしょアンタ!?


「五十棲先輩……どういうことです……!? お、俺の兄貴は女になっちゃったんですか……!?」


 兄を名乗る女に聞こえないよう、五十棲先輩に耳打ちで訊いてみる。だって今までみんな兄貴って言ってたよな!?


「あー……いや、女になったんじゃねえよ。女なんだ。お前の姉貴は男装して男として振る舞って生きてきたから国民には王子として知れ渡ってる。ちなみにこいつのことを女扱いするとすぐに剣が首元に迫って──」


「……なんか言った?」


「……ま、こうなるわけだ」


 俺の目にはまるで時間を飛ばしたかのように剣が現れたように見えた。そしてこの剣……俺の出せる剣とは違う。黒く細身のロングソード。輝く金属光沢に刻まれた銘は名のある鍛治師のものなのか。とにかく、素人目にも分かる良剣だ。


 剣は五十棲先輩の首元をいつでも掻き切れると言うように背後から回され、首元に突きつけられている。こんな状態でも何故この先輩は余裕そうににやけているのだろうか。


「なあ、ローレンス。せっかく弟がいるんだぜ? 今日くらいはやめにしておかないか?」


「いいや、君と私が出会ったら次の瞬間には殺し合いだってのは分かってるんだろ? ほら、得意の居合はどうした?」


「……分からねえな……何でがあったってだけで──ここまで執着、するんだ──よ!!」


 ローレンスの体が一瞬にして投げ飛ばされた。それは比喩ではなく事実だ。ベンチに座った状態から先輩は蹴り飛ばし、それを神がかった反射速度で切り裂いたローレンス。しかしその反射速度を持ってしても先輩の疾さには勝てなかった。懐に入り込み、腕を取って投げ技が完璧に入る。ここまでの攻防、僅か2秒。俺の目で捉えられる限界。


 ふわっ、という効果音が入りそうな軽やかさでローレンスは受身をとる。先輩は杖を抜き、照準を対象の胸へと向けた。


「ちょいと待ってな、スパーダ。馬鹿を止めて感動の再会を果たさせてやるからよ」


 その言葉とは裏腹に先輩の顔には殺意と闘志が込められていた。長さ30センチほどの杖は次の魔法の爆発に耐えている。


 ローレンスは肩の高さに剣を構え、次の姿勢に入る。そして何より目を引くのはその身体を走る。右腕から右胸部、斜めに走り左脚部へと服を透過して発光するそれは恐らく。俺のものとは比べ物にならない規模に侵食されているのか。


炎流弾ジャ・ヴェルレ・アルム!」


 高速で詠唱が飛ぶ。それに反応し、生み出されるは業火の球。弾き出されるかのようにローレンスに向かって飛んだ火球はその目前で爆ぜ、波と化して襲いかかる。


 ──しかし、その火は一瞬にして消える。消火の煙も対象の蒸発のような化学的反応も何一つ起きなかった。まるでを失ったかのように、ローレンスの前で魔法は打ち消された。


「流石魔法の天才と称されるだけある。上級魔法を息を吸うかのように撃たれては並大抵の魔法能力者は泣きべそをかくだろうね」


 ふっ、と笑いながらローレンスは宿敵を称賛する。しかしその高度技術を一瞬にして無に返したその事実がその笑みを嘲へと変換させている。


「テメエの能力はいつ見ても反則だな。それに加えて能力を持ってるときた。──最強のルーガ第五魔法能力者『絶命必至の規格外オーバーライン』」


「……その名で呼ぶな。──殺すぞ」


 一転してその目に殺意の光が灯り、凄まじい寒気が俺の首筋を撫でる。先程までの神秘性は神が持つような慈悲の面ではなく、全てを滅する破壊神の如き恐怖の性質へと変貌する。


 空気が張り付く。世界がまるで様変わりするかのように。


「……エーデルヴァルトの防衛網もお前の能力の前では意味をなさないみたいだな。だが──本気でやる気か? テメエじゃ俺には勝てねえってことを半年前にキッチリと教え込んであげただろうが」


 絶対凍土のような凍りついた視線を先輩はローレンスへと向けていた。


 ──だめだ。格が違いすぎる。この2人は年齢に比例しないほどに重厚な戦闘経験を積み重ねている──!


「……あれを出したら許さない。まで巻き込んだら本当に殺すわよ」


 ──意外な一言。これだけ緊迫した状況下で彼女が真っ先に気をかけたのは俺だった。


「それならその圧を閉じろ。第一にお前が力を出すのは俺に対してじゃねえだろ……目の前に最愛の弟がいるんだ。抱きしめてやれよ。こいつの悩みを聞いてやれ、もうどこにもいない最後の家族としてよ」


  五十棲先輩は身を翻し、耳に手を当てた。そして通話をするかのようにその場にいない誰かと話し始める。


「こちら五十棲利彦。専門棟西側、。すぐに戻る」


 そして胸ポケットへ杖をしまい込むとこちらに目線を向けてこう言った。


「ここに異常は無かったよ。ただ最愛の弟を抱きしめる姉がいただけだ。じゃあな」


そのまま早足で先輩は去っていった。どこからともなく取り出した缶の茶を飲みながら。


「せんぱ──いっ!?」


 ぎゅーっと、力いっぱいの温かみに俺は包み込まれた。柔らかい人肌の感触はいつぶりに感じるものだろうか。この暖かさは母さんに抱きしめられた時のものとそっくりだった。


「……会いたかった。スパーダ……ごめんね……何もしてあげられなくて……」


 頬を伝う涙。それは冷たくも暖かい。誰かを想って溢れ出した涙ほど価値のあるものはない。彼女は俺のことを想って涙を流している。しかし謝罪の言葉とその声色はあまりにも悲痛に塗れたものだった。


「姉さん……」


 姉と呼ぶことが地雷であったとしても、俺はこの温もりの前ではそう垂れ流していた。ローレンスはコツンと額を俺の額に重ねて微笑む。


「本当は兄さん、って呼んで欲しいけど、スパーダならいいよ。私の本当の名はクラウディア。クラウディア・ローレンス・リンドバーグ。あなたの実の家族よ」


「クラウディア……いい名前だね。そのまま名乗っちゃえばいいのに」


「……無理よ。私はもうこの世界で生きていない。もうことになってるのよ」


 少し笑みを崩して諦めたような声で姉さんはそう言った。


「……最強のルーガ第五魔法能力者。それが姉さんなの?」


「……そうらしいわ。私はフローラの隣国『ディール』のルーガ第五魔法能力者。『ローレンス』はディールに亡命した後に安否不明になった。そしてそのまま死んだものとされている。だけどローレンスは生きており、空席であったディールのルーガ第五の座に埋め込まれた。そして連合の虚像として新たなる名前を与えられたの。それが規格外オーバーライン。規格外の強さを持つという触れ込みで連合の力を誇示する抑止力スケープゴートよ」


 それは自虐か憤りか。姉さんの声には明らかな嫌悪が含まれていた。最強の地位などいらないのだと。少なくとも連合の駒として利用されているようなその現状は彼女にとっての屈辱なのだろう。


「私の話は別にいいの。スパーダ。あなたの話を聞かせて? 私はあの夜、父の手によってディールへと転送され、亡命した。弟であるあなたを守ることさえ許されなかった。私は……あなたを見捨ててのうのうと生きてきたのよ。だからあなたが今まで生きたなんて知らなかった。私の責任を果たすために今までどうやって生きてきたのかを聞かせて欲しい」


 その吸い込まれるような美しい銀色の目が真っ直ぐに俺を見ている。そうか。姉さんはずっと罪の意識を抱えて生きてきたんだ。そして目の前にはその罪を晴らすことができる相手おとうとがいる。なら、姉さんは救われることができる。


「……分かった。少し長くなるけど聞いてくれ」


 俺は記憶にある限りの今までの人生を話した。ベンチは姉さんが真っ二つにしてしまったので立ち話となってしまったが、姉さんは真剣に一言も聞き逃さないというような集中で俺の話を聞いてくれた。俺はこんなに真剣に話を聞いてくれる人がいるんだと心から思った。


「……そうか。局長管轄のあの部隊に救われて向こうの世界に逃されていたんだね……。でも向こうがここよりも危険が少なそうでよかった。いい人にも育ててもらえて本当によかった……」


 安堵の息を姉さんは漏らす。ほっと胸を撫で下ろし、空気は温かく軟化する。俺も安心した姉さんの表情が見れて嬉しかった。


「でも……戻ってきてしまったんだね。しかも故意にこの世界へと跳躍するその技術……それは本当なら『いけないこと』だ。スパーダはを犯してしまったんだよ」


「……禁忌?」


「ああ、この世界ではね、が全てなんだ。私たちは神のご意向のもとで当たり前の日常を送っている。だけど神は寛容じゃない。自分に反逆する存在には罰を与えるんだ。その一つが……神は自分のもとから故意に去る者、そして故意に来る者を許さない」


  だからか。マキナが言っていた神が俺を怖がっているというのは。確かに俺には罰が下された。断層史上類い稀に現れる使えない者ゼロユージング。魔法、能力を持つ者に人権が与えられているこの世界において俺は底辺の存在として生きることを神に強制された。これ以上の罰があるのだろうか。


 ……ん? ? の間違いじゃないのか?


「しかし……ゼロユージングか。神も酷なことをする。だが……当然か」


「姉さん?」


「スパーダ。あなたの武器はその体に宿る剣使いの力よ。魔法も能力も使えない以上、あなたはその力を使いこなすしかない」


「でも……この力はみんなから嫌われているものだろ? 俺がこの力を使いこなすって言ったってどこでどうやって使いこなすための鍛錬をすればいいんだ?」


 この力は皆の前で見せられるものじゃない。だってこの力は存在するだけで「悪」とみなされるものだ。ましてや魔法も能力も使えない俺がこの力を使う姿を見られたとしたら目撃した人間は気味が悪くて仕方がないだろう。


「なら使を頼りなさい。ラースヒルズ・ネクト、ここにはフローラ最高峰の剣使いがいるわ」


「ラースヒルズって副校長のことか?」


「ええ。世界闘技協会の会長を務めるほどの戦闘マニアよ。あの男なら必ずあなたに力の使い方を教えてくれるはず」


姉さんは俺の肩に手を置いて俺の横を通り過ぎていく。手が置かれた瞬間、パリッと何かが弾けるような感覚があった。そして去り際に一つ、警告を交えた助言をくれた。


「……信じる人はちゃんと選びなさい。それが例え友達だとしてもね。少なくともラースヒルズ、ライちゃんは信じていい。だけど──トシヒコとレヴェルには深入りしないこと。あの二人に絡みすぎるとろくなことがないわ。特に、あなたの場合は目をつけられるでしょうから」


「……姉さん、五十棲先輩と過去に何があったんだ?」


 ──この世界では信用する人間は考えて選べってことだな──


 その言葉を俺は思い出した。だが俺には分からない。少なくとも五十棲先輩は頼りになる先輩だ。レヴェル先輩はともかく、五十棲先輩はそんな人じゃない。


「……人に話すようなことじゃないわ。アイツと私だけの因縁だから。それじゃあ、私は行くわ」


「行くって──そっちは校舎の方向だぞ?」


当たり前のように歩く姉さんに俺は声をかける。そうだ。何故ここに姉さんがいる? まず第一に、これはだ。先輩は異常はないと言って見逃したが、この国では無く、なおかつ最強とまで呼ばれているルーガ第五魔法能力者が学校に侵入したのだ。正直──これはいいのか?


「ああ、私はこの学校を調べにきたんだよ。どうやら──すでにしまっているみたいだ。もう手が回ってしまっているんだよ。『闇の王』の手が」


「……なんだって?」


「だからより一層信頼する相手は選んでくれ。こうなってしまっては私にできるのは最後の防衛だけだ。ここにいる『誰』が影なのかはもう分からない。常に敵は身の回りにいると考えたほうがいい。だからこそスパーダ。あなたは早くその力を使いこなさなければならない。それができないと……死んじゃうかも」


ぞくりとした寒気を残して姉さんの姿は跡形もなく消え去った。それだけ最強から突きつけられた忠告は重いものだった。

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