24 夜の庭園にて

 あの後、俺はとりあえず寮に戻った。道中頭が刺すように痛かったが、それでも時間が押しているため体に鞭を打って歩調を速めた。


 部屋に戻るとすぐさま裕人が声をかけてきた。どうやら保健室に司たちも含めて見舞いに来てくれていたようだが、俺がぐっすりと眠っていたため引き返したという。


 みんなは何があったのかを訊きたがる。当然だとは思うが、今の俺には約束が控えている。時計はすでに20時に差し掛かろうかというところ。全て話切るには少々時間が物足りないだろう。


 俺は後で必ず話すと伝え、風呂に入る。寮の一階には大浴場もあるようだが、今日は部屋のバスルームでシャワーを浴びるにとどめよう。


「……今日は流石に疲れたな。一回は気絶、二回目は耐えたけど頭痛え……」


 正直、寝たい。だけど約束したんだ。勇気を出して伝えてくれた。俺が応えなくてどうする。それにこれは俺自身のためだ。


「……行かなきゃ。マキナが待ってる」


 ボロボロで埃まみれになった体を洗い流し、俺は私服姿で部屋を出ようとする。その時──


「行ってらっしゃい。いい話が聞けるといいね」


ベッドに腰掛けて分厚い本を読んでいる裕人がそう声をかけてきた。


「え? どこ行くか知ってんの?」


  おかしい。俺はこの話を誰にもしていない。数時間前、マキナと二人きりの時にその話をしただけだ。もしかしてこいつも先生みたいに心を読む能力があるのか?


「分かるよ。庭園に行ってマキナちゃんと話すんでしょ?」


「あ、ああ」


  何気ないような会話のトーンで裕人は俺のプライベートを暴いてくる。やはりこいつの能力としか思えない。


「……裕人。その辺にしとけ」


  マグカップを片手に持って顔を覗かせた司が低い声色で裕人に喚起する。


「そうだね。時間も押してるみたいだし。ほら、行っておいで」


「お、おう?」


  よく分からないがその通りだ。向こうの世界から持ってきて時間を合わせた腕時計はすでに20時35分を指している。ここから庭園まで15分くらいはかかるだろう。余裕はあまり無い。


「裕人……一体なんなんだあいつは」


 扉を閉めて俺はボソリと呟く。俺の部屋のメンバーは全員変わり者の気がするが、中でも異彩を放っているのが裕人だ。


 脈絡のない突然の発言をし始めたたかと思うと次の瞬間には一気にその話題が落ちていく。雰囲気も無気力というか、ボーッとしてるというか。


「……能力としか考えられねえけど、あいつって既存能力者なんて一言も言ってねえよな?」


  既存能力者でなければ能力を発現させたのは今日のはずだ。それをこんな短時間で使いこなすことなんて出来るものなのか?


「……行こう」


  分からないけどそれも聞いてみればいい。今から話をする相手はクラスヒエラルキーのトップに立つ既存能力者なんだから。



◆◆◆



 夜の庭園にやってきた。暗がりを割く街灯はあまり強い光ではなく暗がりを薄暗がりにぼかす程度のものだ。しかしそんな光でも赤い薔薇は綺麗に輝く。ベンチに座っている彼女だけが同じ赤でも輝いては見えない。


 設備時計の針はちょうど21時を指していた。俺はほっと一息ついてから彼女のもとに向かった。


「隣いいか」


「……うん。来てくれたんだ」


  マキナの隣は座る。ふわっと香るのはやはり薔薇の香りか。いい匂い。華美かつしつこくないこの香りは向こうで香水を作る際にも何度も嗅いだものだ。どうしても懐かしい気持ちに駆り立てられてしまう。


「……魔法適正は分かった?」


  相変わらずのどこを見ているのか分からないその顔で訊いてくる。


「…………」


「……そう」


  何も言わなくても彼女は理解したようだ。今も神さまは俺を怖がって見ているのだろうか。俺の何が怖いっていうんだ。あんたがこの世界の柱だっていうんなら、何であんたが決めた出来損ないの俺なんかを怖がるんだよ……。


「俺を呼んだ理由はなんだ?」


「……話しておかないといけないことがたくさんあるの。……君と私にとっても大切なこと」


 マキナは少しだけ表情を崩した。もとから薄暗い場所だがマキナの顔はより一層暗くなる。


「……君は、昔の俺を知っているんだろ」


「……うん」


  やっぱりな。薄々は気づいていたよ。雨の入学式の後に傘を持ってきてくれたのは旧知の仲である俺のことを気にかけての行動だったんだ。俺が話しかけに行ってもマキナは怖がりつつも話してくれた。本当はもっと話したいはずなのにマキナのうちに秘めたものがそれをさせないのだろう。


「俺は君とどんな仲だったんだ。俺にはこの世界を生きていた記憶がない。君がどんな子だったのかさえ分からない」


「……友達」


「え?」


  弱々しい声だった。微弱な風にさえもかき消されそうな自信のない声。俺は思わず聞き返してしまう。


「友達だったの。いつもそばにいて、いつも一緒に遊んで、お姉ちゃんを実の姉のように慕っていたのが君」


「──」


 イメージする。赤い薔薇の絨毯で遊ぶ少年、少女、二人に寄り添う姉の姿。それは彼らにとってかけがえのない幸せだっただろう。胸いっぱいに生命溢れる香りを吸い込んで青空を眺められる。それはそれだけで十分と思えるほどに清々しいものだっただろう。


 だけど俺は悲しい思いで一杯になる。どれだけ頑張っても、たとえ少年と姉が明るく微笑んでも、薔薇と称されるほど可憐であるはずの少女が陽を持って生きられる世界を俺にはイメージできなかった。


「……いっぱい遊んだよ。でもその頃の君は今の君みたいに花が好きなわけじゃなかった。私を見て『弱虫のお前みたいな花のことなんて大嫌い』って言っていたから」


「……」


「だから本当に嬉しかった。君が帰ってきて、花が好きなのかって話しかけてきてくれて、自分も花が好きだって言ってくれたことが。君がいい人たちに育ててもらえたんだって、嬉しかった」


 ああ、いい人たちだった。本当に、胸を張って、本当の親だって言えるぐらいに今も二人は俺の誇りだ。


「だけど……なんでかな。嬉しいはずなのに……私は悲しくって、悔しい気持ちで一杯になっちゃったの。多分、それは私が弱いから……」

「違う」


  ハッとマキナは顔を上げる。俺と目線が繋がる。これだけは言わなければならなかった。彼女が俺に話さなければならないように、俺には彼女に伝えなければならないことがなる。


「マキナ、君は弱くなんかない。だって君はこうして俺に自分の気持ちを伝えてくれている。本当は怖いはずなのに、君は勇気を出して俺に傘を渡してくれた。勇気を出せる人間が一番強いんだよ。ただその場の感情で人を殴ってしまうような臆病者にはないものだ。君は君が思っているほど卑下していい人間じゃない」


「でも……」


「俺は君がどんな辛い過去を持っているか知らない。だけど君はそれを超えてきたんだろ? だから俺と君はこうやって再び出会うことができた。俺は思う。この世界の人間はみんな強いなって。みんな辛い過去を持って、どれだけの苦しみを味わったってそれでもこうやって生きている人たちがいる。そうだ。『生きてるだけ』ですごいんだよ。俺がいた世界はちょっとの絶望だけで命を絶ってしまう人だっているんだ。彼らを侮蔑する気はないけど、君たちと比べてしまうととても弱い」


 職を失い、道が見えなくなり、足掻くことを諦めて消えてしまう人がいる。まだ余力を残しているはずなのに。


 学校でいじめにあって誰にも相談できず、抱え込んだまま死の安楽を得てしまう子供がいる。まだまだ輝ける力を持っているはずなのに。


 だけど、この世界はどうだ? 沢山の死を見て、夥しい数の死体の山を乗り越えて、燃え盛る獄炎の中をくぐり抜けた子供が明日を見て生きている。


 その地獄を止められなかった大人がその責任を果たすために命をかけて戦っている。彼らの目には簡単に手に入れられる安寧の死がないんだ。それは──本当に強い。


「自信を持って。君は強いんだ。むかし君のことを弱虫って言ってた俺が言ってるんだ。これ以上に説得力のある人間がいるか?」


 マキナは迷いを振り切れてはないようだ。それでも彼女は抗っている。彼女は思うところがありながらも微笑を浮かべてくれた。


「……うん。君が言うのなら、そうなんだろうね」


  一度沈黙が訪れる。もっと聞きたいことはたくさんある。だけどそのどれもが彼女の心を抉ることになりそうで怖い。


「いいんだよ。何でも訊いて? たとえそれが私にとって辛いことでも君には頑張って話してみせるから……」


 そうだ。たじろいでどうする。彼女は自分が傷つくことも覚悟でこうして俺を呼び出したんだ。その覚悟をお前は無碍にするのか?


「……ああ」


  俺の必要のない心遣いで逆に彼女を傷つけるなんて馬鹿げた話だ。俺は聞きたいことを聞く。それだけだろ。


「あの夜、神殺しの夜を俺は生き残り、殲滅局の手によってこの世界から向こうの世界に飛ばされたとは校長から聞いた。だけどどうやって生き残ったのか、それが分からない。あの夜に俺と君は一緒にいたのか?」


「一緒にいたよ。王宮でパーティーがあって、私と君は邪魔にならないように外で遊ぶようにブレン様──君のお父さんからそう言われて庭園にいた。……そして薄暗くなってきた頃に、いきなり王宮が爆発したの。それと同時に街の方も炎上し始めて、だから私は言いつけ通りに何かあった時のために教えられていた森の祠に逃げ込んだ」


「その時、ライ先生は?」


「いなかった。お姉ちゃんは王宮の中にいて、パーティーの手伝いをしていたの」


  顔を合わすことなく俺たちは淡々と会話を続けていく。俺もマキナも今となっては互いに隔てていた遠慮の壁を取り払い、明瞭な言葉を飛び交わせることが出来ていた。


「……ライ先生は無事だったのか?」


「……うん。だけど、お姉ちゃんは泣き崩れて動けなかったよ。……目の前でお父さんが殺されたから」


「……誰に──殺されたんだ」


  こればかりは流石に訊くのが躊躇われた。しかし何か嫌な予感と共にその相手が誰なのかを明確にしなければならないという義務感が言葉を貫かせた。


「…………君のお兄さん、ローレンス・リンドバーグ」


「──え?」


 俺の……兄貴……? 嘘……だろ?


「な、なんで俺の兄貴がマキナの父さんを殺さなきゃいけないんだ? やる相手はクーデターを起こしたローズベルバードだろ!?」


  気がついたら勢いでベンチから立ち上がっていた。それと同時に気がついたのは怯えるマキナの表情だった。一気に血の気が引くのを俺は感じた。


「……ごめん」


  ゆっくりとベンチに腰掛ける。馬鹿野郎。お前は何を考えてる。隔たりなく話せたってマキナの内に巣食っている闇は払えてないんだぞ。何も知らないくせに熱くなってんじゃねえ。


「……いいの。誰だって自分の家族が人を殺したら動揺するもの。だから私のお父さんは殺されて当然だった。私のお父さんは王宮を爆破した本人である国の嫌われ者、ジョージ・アルセットだから」


「……ジョージ・アルセット?」


  記憶を辿り見つけ出したその名前。確かその人物は闇の王に操られていた王家の護衛だ。彼がマキナたちの父親だというのか。


「お姉ちゃんから聞いたの。パーティーの最中、突然魔法を放ち、お父さんは王宮を爆破した。その直後に君のお兄さんがお父さんを切り殺したって」


「そんな……君のお父さんは闇の王に操られていたというのに」


  これは正しい行動なのか? それとも俺が甘いだけなのか? 確かに、確かにだ。より被害が拡大する前に鎮圧するのは正しいかもしれない。ただその裏の背景には黒幕がいて、そいつに操られていたという事実がある。いくら状況が緊迫しようともすぐに殺すのは急ぎすぎな気がする。ましてそれが今まで自分達を守っていた兵だというのなら尚更だ。


「……そうだよ。お父さんは何も悪くない。だけどその身が悪いことをやったことは事実。それをすぐに止めるために確実に息の根を止めた君のお兄さんは堅実な対応をしただけ。みんな悪くない。……だけど、それを分かっていてもお姉ちゃんはローレンス様を許せないでいる。どうしようもなく、ぶつけようのない憎しみを抱えている」


  ……それがあの太陽の内側に宿る黒い核の一つか。憎しみというのはぶつけられて当然の相手がいる時に初めて解決される感情だ。その相手はあまりにも冷徹な理由の立った行動原理によって彼女の大切な人を殺した。彼女はもし仮に父を殺した俺の兄貴を殺したとしても得るものは後悔だけだと理解しているのだろう。そう、逃げ道のない苦しみを味わい続けるしかないんだ……。


「俺は──兄貴のことも覚えちゃいない。どんな人間だったのかも知らない。だけどあの夜における一番の悪はあの野郎に決まってる。あいつは俺の父を殺し、多くの人間を殺した。今に繋がる世界の混乱の中心になっている。俺は……こいつを倒したい」


 闇の王を打倒する。それが出来ないからこうなっているんだろ。だけどそれはやらなければならないことだ。そしてそれは俺の責任だ。あの夜で一人だけ何も役に立たないまま助けられた俺が返さなければならない責務。俺が──やらないと。


「ぷっ……ははは……!」


  小馬鹿にしたような笑い声が響き、俺とマキナは同時に同じ場所を見る。そいつは何故か目の前に立つ設備時計の上に座っていた。不自然なのは、そいつはそこにいなかったということだ。


「闇の王を倒すって? 馬鹿げてるぜ。ゼロユージングのお前が突っ込んで勝てる相手じゃねえよ。なんせそいつはこの世界全てを敵に回しても今どこにいるかさえ分からないような奴なんだからな」


  設備時計からふわりと降り立つその技法はマックのものと同じだった。金色と黒色の髪色でウニのような髪型をしたこいつは相変わらずのニヤリ顔で近づいてくる。


「……何の用だ。フレッジ」


「いいや、面白え話がないかとネタを探し回ってたら目の前で面白え話を始めるやつがいたもんだからな。勝手に聞いたのは謝るし、すぐことにするよ。ホラ」


  フレッジは突然手を頭に当てて目線を上に向けた。誰でも分かるアホ面だ。


「これで忘れたよ。さっきまで聞いたことはなんも覚えちゃいねえ。これが俺の能力の一つだと


「……思う? どういうことだよ。お前は噂によりゃ既存能力者らしいじゃねえか。そんなお前が曖昧な知識で自分の能力を使うってのか?」


「ああ、どうやら神さまってもんは俺によく分からねえ力を与えてくださったみてえだ。能力に目覚めてから3年くらい経つが──正直何ができるのかはハッキリ分かんねえ」


  ……怪しすぎる。第一に記憶を消したなんてこいつの言い分にすぎない。俺たちの目で測れるものではない。ならば──


「……マキナ。神さまはこいつを見ているか?」


「……うん。とても楽しそうに見てる。君とは大違い」


  神さまは楽しんでこいつを見ている。ロクでもない神がそう見ているならこいつも恐らく根はロクでもないと見立てをつけたほうがいい。


「じゃあな、兄弟。ガールフレンドを大切にしろよ〜?」


  フレッジは俺の肩に手を置いて去って行った。結局やつの意図は掴めなかった。気になるのはやつの能力だ。記憶を消す、気配もなしに高さ5メートルほどの設備時計の上に座る。一体この二つの現象をどう結びつければいい?


「……悪い、マキナ。今日はこの辺りにしておこう。アイツは怪しい。今も実はすぐそこで話を聞いているかもしれない。リスクは避けるべきだ」


「……そうだね。あの人、なんだか嫌な感じだった」


 マキナの声には警戒の色が混じっていた。フレッジ・ローハイド……一体何者なんだ。今回のあいつは教室で見た悪戯好きの馬鹿という感じじゃなかった。あれがあいつの本当の顔か?


「でも、よかったよ。……俺は7年ぶりに君と再会できたんだな」


「……うん。待ってた。無事でいてくれて、本当によかった」


  目に涙を溜めながら彼女は笑った。今までのどんな顔よりも一番明るくて、これが本当の彼女なんだって確信を持って言える。


 夜の庭園、記憶にないいつかの薔薇に囲まれた庭園を思い出させるかのようなここで俺は彼女と再会した。


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