23 ゼロユージング


「来たわね、スパーダ君。あら、マキナちゃんも一緒だったのね」


 部屋の中には科学者風の白衣を着たライ先生がいた。この先生は一体どうやって服を着替え、そしてこれからどれだけの服のバリエーションを見せてくれるのだろうか。


 そしてなぜ俺がマキナと一緒に来たと分かったのだろう。俺はこの部屋に入る前にマキナと別れたというのに。


「まあ、とりあえず前の席に座りなさい」


催促されるままに俺は一番前、中央の席に座る。


  部屋の中は講義室のようで、いくつかの長机が配置されており黒板の前は広めの空間になっている。そしてそこの地面には魔法陣が描かれていた。しかし能力発現の儀とは異なり、どうやらチョークのようなもので綺麗な円形に描かれた魔法陣で眩い光を放つ石や他の教師はどこにも見当たらなかった。


「先生、準備はもうできてるんですか?」


「ええ、出来てるわ。要領は能力発現の儀とほとんど変わらないわ。ただあれほど複雑な工程は魔法適正の確認では必要ないの」


 このまま取り掛かるかと思いきや、ライ先生は黒板にチョークで文字を書き出した。


「スパーダ君には今日の講義ができなかったから少しお勉強しましょう。まず第一に魔法についてね。魔法を使えるのは魔法能力者と魔法使い。彼らを総称して『魔法士まほうし』と呼ぶわ。そして本来魔法というのは詠唱のみで発動するものなの」


 黒板に「術式」と中に書かれた炎の絵と点線で書かれた「炎を出す」という文字がカツカツとチョークが黒板を叩く音とともに生み出された。


「この世界にはすでに魔法を使うための術式プログラムが埋め込まれていて、それを試行するために私たちは詠唱によってを出す。これが魔法よ」


 ライ先生は点線の上から文字をなぞった。


 なるほど、魔法というのはつまりは命令の基盤となる術式とそれを下す命令によって発動するものというわけか。そしてその術式はすでに用意されており、それを発動するための命令が詠唱、向こうでよく聞いたアブラ・カダブラみたいな呪文めいれいを出すことで魔法となるということなのだろう。


「今説明したのは単純な魔法。一節の魔法ね。初級魔法とも言われるわ。やってみると──火炎ジャークス


 急に杖を抜いたライ先生は横にあった紙に向かって杖を向け詠唱した。すると紙はボウッと音を立てて火を放ち始めた。


 不思議なことに炎上している紙は机の上にあるのに火が


「先生、なんで火が燃え移らないんですか?」


 真っ当な人間生活を送ってきた、いや、こちらでは俺の方が異常なのか。とにかく火が木に燃え移らないなんて俺の常識の範囲外の出来事だ。


「ああ、これ? 別に燃え移すこともできるんだけど、私は今を燃やしたの。だからこの火はこの紙がなくなった時に意味を失って消えるし、燃え移ることはないわ」


 ────。これがこの世界の常識なのか? 初級魔法で完全に俺たちの世界の常識は通用しない。意味がなくなって消える? 火の気持ちなんてものは考えたこともなかったが、もし彼らに思考があり意義があるならその内の一つに他のものを燃やすということも含まれるはずだ。


 そういったあちらの自然という事象さえもこの世界の法則ルールの下ではただの駒になるらしい。そう考えるとこの世界の出鱈目さに怖気がする。


「まあ、これは鍛錬次第ね。最初の方は他の物も構わず燃やしてしまうだろうから。結局は経験次第なのよ。教師の私がいうのもなんだけどね」


 ライ先生はウインクして言った。やはりライ先生は明るい人だ。だからこそ保健室で俺に見せたあの顔が俺には許せなかった。そしてそんな先生を乱暴に扱った俺自身も。


「先生、続きをお願いしてもいいですか?」


 先生に伝えると先生は「任せなさい!」と胸を張って黒板の方を向いた。


「さっき一節魔法は初級魔法と話したよね? じゃあ二節魔法はどうなのか? 実はここもまだ初期魔法。正直なところ節の多さはあまり当てにならないわ。それでもやっぱり節が多い魔法ほど複雑で上級魔法に分類されるのが多くなるし、ミスした時の暴走の可能性も高くなる。逆に一節の魔法でも少数派マイノリティの固有魔法──これは後で説明するけど、の魔法に分類されるものもある。ま、とりあえず一年生の間は二節魔法までを学ぶわ」


 話しながら先程の絵と文字の横に矢印を書き、矢印の上に「拡散する」の点線を書いた。


「二節魔法はコンビネーションだと思ってもらえば分かりやすいかな。さっきの「炎を出す」に「拡散する」の詠唱めいれいを出せば「炎を出し、拡散させる」になるわよね? これが二節魔法。一年生でもここまでなら大体の子が出来るわ。──炎展ジャ・スプリド


 点線をなぞると同時にあろうことかこの教師は詠唱によって生み出した箔のように広がった炎を部屋の窓ガラス目掛けてぶっ放した。炎がぶつかり、爆発音とともに黒煙が広がる。


「おいおいおい! そりゃ流石にヤバいんじゃないの!?」


 学校の中だぞ!? ていうかこんな場所でこんな爆破を起こしたら誰か気づくに決まってる!


「大丈夫よ。この教室は魔法の練習にも使う部屋だから部屋全体にが施されているの。あ、魔力操作も説明してないのか。んー、そっちはまた今度でいいでしょう!」


 いやー……全く理論が分からんのをほっといていいのか……? 結局一から説明してもらわないと分からなさそうだが、時間はすでに17時10分。この後寮に戻ったり、なによりも21時にマキナとした約束を果たさなければならない。あまり時間はかけていられない。


「そこのあなた! 『あれ? 術式プログラムあるのになんで魔法適正の検査で魔法陣を使わないといけないの?』と思ったでしょ!」


 そんなことを考えていると急にライ先生が俺? 俺しかいないから俺だろうけど指名してきた。


「え? あ、はい」


 突然だったので自然な流れで腑抜けた返事を返してしまった。本当はそんなこと考えてなかったのだけど。


「そうよね、そう思うわよね! じゃあ説明しましょう! 魔法陣を使う理由はズバリ! その術式が断層にからでーす!」


 ……はい? あれ、今さっき術式はすでにこの世界にあるって……。


「あるわよ。あります。だけど魔法陣の術式はこの世界にの」


 この先生、人の考えも読み取れんのか?


「埋め込まれてないって結局どういうことなんですか?」


「正確にいうと術式自体は存在するけど、それを詠唱によって魔法として確立することはできないということ。例えるなら石とか木があっても大工がいないと家ができないみたいな感じ? 別々の場所にあった要素を一箇所にまとめて物を生み出すでしょ? 魔法陣も一緒なの。埋め込まれた術式プログラムを編集して、新しい術式プログラムを生み出すってことなのよ」


なるほど。合点がいった。一応大工の義父を持っているからライ先生の例えはドンピシャだった。


「つまり魔法陣は存在しているけど繋がっていない術式をくっつけて生み出す、いわば『ソフトウェア』みたいな物ですかね? ──あ」


 ソフトウェアってこの世界にはないものか。これじゃあ伝わらないよな。この分だとこれからも気づかないうちに色んなあっちでの言葉が出てきそうだ。


「そうね。確かにそんな感じよ。スパーダ君もいい例えをするじゃない」


 あれ? 知ってる? こっちの世界にもそんなのがあるのか?


「え? 先生、ソフトウェアのこと知ってるんですか?」


「? 知ってるに決まってるじゃない。PCに繋げるじゃないの?」


 普通に知ってんじゃねえか!! なんでだよ! 断層ってもっと俺の想像にある最新技術とか全部拒絶して古い神秘を守ってる世界とばかり思ってたよ!


 だがこの分ならもしかすると普通に俺の常識の範囲内のものもあるのかもしれない。そういえば寮にも洗濯機とかもあったし。


「君の例で言うならバラバラの術式プログラムをかき集めて魔法陣ソフトウェアを作る。それを実物として世界という大元ハードウェアに接続する。その行為が魔法陣を描くということなの」


 俺の例にならってライ先生はえらく世俗的な用語を用いて説明してくれた。やはり見に馴染みのある言葉の方が理解しやすい。


「そしてその状態で組み上げた術式を詠唱によって発動する。これが魔法陣よ。まだまだ研究が進んでいない分野だし、分かってない事も多いけどね。魔法陣の研究は専門魔法科の子達の方が一般修了の私よりも色々知ってると思うし、あまり詳しくは話せないわ。そして次は──」


 よし。そろそろ本題に入ろう。このままでは俺も先生も夜を越すことになりそうだ。


「あのー、先生……そろそろ……」


「まず魔力というものは──で──であることから──」


 だーめだ。この先生自分の世界に入り込むと帰ってこれない系の先生だな。そろそろこっちも自分のことが気になってしょうがないんだが……魔法適正かー。あるかなー。ないかなー。


「あ、そうだった。魔法適正の検査だったわね! ありがとう! スパーダ君!」


 よし。作戦成功だ。でもちょくちょく考えていること読み取られるのって予想つかないから怖いな。


「じゃあとりあえず魔法適正についての説明ね。魔法適正というのは文字通りその人の魔法の適正のことよ。適正がないというのは単直に言うと『魔法が使えない人』のことを言うわ。そして適性がある人は大きく分けてのまとまりに分けられる」


 ライ先生は素早いチョーク捌きで文字を書いていく。左側を広く取り「火」「水」「土」「風」と書き、右側は狭く取り「固有」と大きな文字書かれている。そしてその二つの間に「無」と書き出した。


「この左側は多数派マジョリティと呼ばれる魔法適正よ。大体の魔法使い及び魔法能力者はこの魔法適正を持つの。『火』『水』『土』『風』の四大属性に加えて共通属性である『無』の属性を合わせたを操ることができるわ。さっき私が炎を使ってたわよね? つまり私はマジョリティってわけ」


 ライ先生は杖から蝋燭ほどの火を出した。そういえば無詠唱で魔法を使っている時もあるけどそれで魔法は発動するのか?


「発動するわ。といっても魔法って言えるほどちゃんとしたのじゃないけどね。私たちが魔法を使おうと思った時点でこの世界はをする。その準備段階が無詠唱魔法。今見せたような小さな火や、物を軽く動かしたりっていうのはこの系統の魔法ね。基本的には小さなものだけど、中には無詠唱でも初級魔法に近いことをやってのける魔法士もいるわ」


 なるほど。とポンと手を添えると同時に先生が心の読み取りができることを確信した。こりゃやましい事は何も考えられないな。


「え!? スパーダ君、そんな事考えようとしてたの!?」


「違いますよ! 例えです! 例え!」


 よし、完全にシャットアウトしないとな。理由を考えるとすぐ突っ込まれるからあえて考えないでおこう。


「ま、すぐにスパーダ君の考えなんて見抜いてみせるもんね☆」


 そしてこの少女のような反応である。一体何歳なんだよこの人は。


「それはナイショにしておきなさい?」


 ……先程の少女に戻って欲しいデス……。


「私の歳はさておき、続きを話すわ。多数派マジョリティと異なる魔法適正が少数派マイノリティ。四大属性は使えない代わりに共通属性の「無」と五大属性とは異なる属性である「固有属性」を操ることができる。少数派の魔法適正を持つ人は少なくて全人口の一割にも満たないほどと言われているわ」


 マックがホームルームの時に少しだけ触れたあの言葉のことか。


「魔法適正は基本的に遺伝するわ。多数派の親同士なら多数派。少数派の親同士なら少数派みたいな感じにね。でも少数派の人間は絶対数が少ないから今のような交配で生まれてくることは少ない。むしろ少数派は多数派同士の親から生まれることの方が結果として多いの」


「突然変異みたいな感じですかね?」


「そうね。少数派の固有属性は五大属性を複合したような属性があったり、はたまた私たちの常識の範囲外の事象を起こすことのできるものもある。だから多数派の親は生まれた少数派の子があまりにも特異な属性を持つ場合は親に捨てられてしまう子だっている。記憶のない君から見たら私たちの使う魔法だってよく分からないものだって思うかもしれないけど、固有属性の魔法に関しては私たちだって理解できない範囲のものだってあるのよ」


 捨て子、か。虫酸が走る話だが、こういった話は向こうの世界でも聞いたことがある。いわゆる忌み子ってやつだ。おかしな力を持つ子、不吉の子、望まれなかった子など理由は様々であれ外的な要因によって放棄された命。子に罪は無い。かといって親の心境に全く同意できない訳でもない。


 正常である自分たちの子が異常となって生まれてきたのであれば抱く心の多くは恐怖だろう。人は分からないものを本能的に嫌う機能せいしつがある。それが自分から生まれたという気持ち悪さは計り知れないはずだ。


 だが、だからといって子を捨てていい理由になるはずはない。親であるならば、いや、子を成しこの世に送り出すことを決めたのであれば、その子供がどのような形であれ親は愛情を注ぐことが義務だ。放任や無視、捨てるといった行為を行なったのであれば、それには親を語る資格さえ与えられない。


 ──俺はどうだったのだろうか。断片的に語られた過去の話と現状。家での扱いは本当に家族として正しいものだったのだろうか。国民さえも知らない神の子。


 もしかしたら俺も忌み子という家族から捨てられようとしていた正常に成りきれなかったナニかなのかもしれない──。


「でも彼らが捨てられていい理由なんてないわ。だって彼らの持つものは唯一無二のものなのよ? 親なら子の幸せを一番に考えるもの。どれだけおかしな力でも、自分の子が特別だって考えれば親はそれに勝る喜びを見つけられるかしら? それに、他の人に無いものを、自分だけの宝物を持っているっていうのはとても素敵なことじゃない?」


 難しいことを考えていた俺の固い表情がすたんと力を抜く。その顔があまりにもあの赤い薔薇に似ていたから。その言葉があの時と同じだったから。


 そうだ。ここにはもう一本の薔薇がある。熱い想いを持つ燃えるような赤い希望そのもの。あの娘が話したようにこの熱は偽りのものなのかもしれない。本当は燃えているように見えて、ただ消えいるような光を出して助けを求めているのかもしれない。


 だからこそ俺は知らねばならない。偽りの希望であるとしても俺は全てを受け入れて俺がすべきことを見つけるんだ。


「いい先生ですね。ライ先生は」


 自然と力が抜け、これ以上なく優しい笑顔をしていたのではないだろうか。心の底まで見られることも、この人の前でならいいと言えるほどの信頼感を俺はこの時感じていた。


「そ、そうかな?」


 恥ずかしそうに頬をかく先生の表情はまだあどけなさを残していた。


「はい。では、お願いします。俺の魔法適正を調べてください」


 俺は能力を持たない。そしてこれを逃したならば俺は何のためにこの世界に生まれたのかを問おう。その上で見つけるしかない。俺の進むべき道を。生き方を。


「……分かったわ。じゃあまずは魔法陣の中心に立って」


 心なしかライ先生の表情が僅かに曇った気がした。それが何に由来するものか。推測でしかないがそれは俺が抱えているものと同質のものだろう。


 先生の指示通り先程の能力発現の儀と同じように陣の真ん中に立つ。


「さっきと同じ要領で魔力操作をお願い」


「はい」


 俺は見えない何かとのパスを繋ぐ。体に魔力が流れ込み走り出す感覚と共に足先を通して陣へと魔力が浸透していくのを感じた。


「では、始めます」


 ライ先生の声色は教師に相応しいトーンに戻った。


「──世界の理よ。今ここにその資質を定めよ。多くは結び、奇しくは強く。来たれ、審判の杭。その聖なる刺突を持ってかの者を現世に結びつけたまえ」


 魔法陣が白く発光する。眩い閃光スパーク。魔力が弾ける音。そして流れ込む俺の魔力。それを組み上げ魔法陣が複製される。光は体を透かし、そのまま頭上へ。そしてその複製された魔法陣は一つとなり、赤い杭が生み出された。

 そしてそれは、頭上にセットされ、そしてそのまま自然な落下で俺の体を──真っ直ぐに突き刺した。


「ッッッ!! グッ……アア!!」


 あの時に近い弾かれる感覚。俺という存在ものを否定し、拒絶したあの無情。


 血は出ない。身体を試しているのではない。これは心だ。内に宿る言葉で表現できない何かを探すように杭の表面から手が伸び、それをまさぐっている。


 ──違う。違う。違う違う違う──。そんなふうに杭は慌ただしく中をかき混ぜている。


 そしてそれはついぞや何も、それどころかと何かを突いて馬鹿にした先端を見せつけながら俺を突き抜けて魔法陣の中に潜り込んだ。床で白い光を見せていた円形も今ではただのチョークの落書きへと風化していた。


「ハァッ──ハァッ──」


 意識は落ちかけ、体は床にすでに落ちていた。息は辿々しい波長で部屋に吐き出されている。感じるのは痛みではなく不快感だ。


 身体の中を虫が這い回る感覚。そしてそれだけいじられたにも関わらず、あれは「これはいらない」と中身を弾き、すぐに帰って行った。その配慮の無さがこの身に溜まった不快感を吐き気に変える。


「そん……な、どうして……?」


 女の声。酷く落胆し、哀れむ声。まだ顔も上がらないから、どんな顔をしているのかは分からない。ただ、その顔を想像するだけで俺の中を駆け巡るのは怒りという原始的な感情のみ。


「この子はずっと他の人の為に頑張ってきたのよ!? 本当は自分の事にも手がつけられないのに……! ううん、手をつけることさえ許されてなかった! 神も運命も全部この子を捨てるっていうの!? そんなのっ……そんなのっ、許せるわけないじゃない!!」


 行き場のない怒りが教室に響く。それは円の上に打ちのめされた使に対する理不尽を許せない明るい表皮が剥がされた暗い真皮だった。ちらと目に入ったその光景が無感な体に走ろうとしていた強い怒りを優しく、そして強い意思に変換させた。


「……怒らないで」


「───え?」


 無価値ざんがいが立ち上がる。ふらつきながら机に手をつき、支えにして立ち止まる。そして床に膝をつき、泣き崩れている先生を真っ直ぐに見た。


「怒らないでください。先生は笑顔でいるのがお似合いですから」


 俺はそんな顔を見たいんじゃない。俺はあなたのその太陽のような温かさを濁したくはない。


「なんで、笑っていられるの……? だって貴方はこの世界で一番──」


 価値のない者の考えることを知る由はない。誰に問いかけても同じ解が届くだろう。


「……一番『意味のない存在』だって言いたいんでしょ? 確かに、魔法学校に魔法と能力を学びに来たっていうのにも使えないと来た。これじゃあ何すりゃいいのか分かんねえや。──だから。教えてください。先生は先生でしょ? なら、迷ってる生徒に自分が迷ったまま教える訳にはいかないんじゃないですか?」


「────」


「それに、そんな気がしてたんです。俺が当たり前を生きるために必要な力を持たず、持つべきものではない力しか持ってないってことぐらい」


 分かっていたんだ。俺がいつも一人で過ごしていた理由。それは俺がどうしようもなく「」だったからだ。


 自分で自分に助けを求めることもできず、存在する意味すら感じることができずに生きてきたのだろうと。それを受け入れるのが怖かった。俺はただ、どうしようもなく、だけど本当に現在いま》人間で、自分のことを受け入れるのが怖かったんだ。


 だけど俺のことを見てくれる人がいる。友達がいる。俺は──本当に俺なんだ。


「俺は使えない者ゼロユージングなんかじゃない。俺には託された紋章ものがある。まだ諦めちゃいないから。下を向いてちゃ、目の前の壁にぶつかるから、前を向くんだ。無価値だと好きなだけ罵られてもいい。前を向いて壁は壊せばいい。俺はただ、自分のやるべきことを自分らしくやって生きたいんです」


 無価値が見出した意味。それは呆れるぐらい当たり前で、だけど一番輝いて見える光だった。その光が彼女の底に埋められた闇を少しだけ照らすことができたのかもしれない。


「……もう、本当に馬鹿なんだから。辛い時は辛いって言わないといけないのよ? いつも前向きで辛いことを隠そうとするんだから……。……ああ、君は──」


 どうやらライ先生は俺の心を見たようだ。どんな風に俺の心が見えてるのか分からないし、どこの思考を読み取ったのかも分からない。ただ一つだけ分かることがあるとすれば、ライ先生が読み取った俺の心は決して彼女に不快感や心配を与えなかったということだ。


「もう、本当に馬鹿な子」


 そう言ってライ先生はゆっくりと立ち上がり、そして机を支えに立っている教え子のその手を取り、その少し苦しげな顔を見つめた。


「うん。困っている生徒を放っておく先生はいないわ。例えどれだけ難しい難題も私にできる最大限で君をサポートする。だから君も辛い時は言って。辛い時を支えるために友達や私たち先生がいるんだからね」


「……はい。ありがとうございます。今の俺には友達がいます。今までは頼れる人がいなかった。いや、俺から頼りにしようとしなかったんです。偽善かもしれないけど、出来る限り他の人に迷惑をかけたくなかったから。でも俺にも色んな人がついているんだと分かりました。だから俺は友達を、みんなを助けて、そして俺を助けて欲しい。今ならそう言ってしまえます」


 曇りは一切ない。俺は俺を見ることができた。魔法と能力の世界でその両方を持たない持たざる者ゼロユージング。それが俺だ。ここまで来たらもう負の感情は生み出されず、逆に爽快感を得ていた。こんな俺がどうやって生きていくのか。それは自分一人では決してなし得ないことだと確信を持てた。もう隠さなくていい。そうだ。俺は……弱いんだ。


「ええ。助けるわ。貴方がここで自分の可能性を見出せるように担任として、先生として全力を尽くしてサポートする。安心して、スパーダ君」


 ライ先生が俺の手を握る。じわっと染み込んでくる温かさが心まで伝わって熱を灯す。


「はい。先生」


「それじゃあ行ってきなさい。妹を泣かせたら許さないからね」


「……はい」


どうやら最初の時点で俺の心は覗き込まれていたらしい。ここに来た時にあった不安も、先生には筒抜けだったのだろう。今は──うん、逆にスッキリとさえしている。


 俺は部屋をあとにする。日はすでに暮れかけ、時計の針は19時を指していた。

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