22 神に嫌われた神
──深い闇の中で、こんな夢を見た。
ある男がいた。その男は隻腕で、傷だらけの体だった。どうやら数え切れないほどの戦場を駆け巡り、数え切れないほどの人間を殺してきたらしい。
彼は望んでいた。平和という未だ見たことのない世界を。それを作り上げるために彼は剣を振るっていた。
そして彼は彼の手でその世界を作ることは出来なかった。腕を失い、地に膝を突き、彼は彼自身の役目を終えた。
だが彼の意思は消えず、また彼自身も諦めてなどいなかった。
彼はまだこの世界にいる。形を変えて待っている。同じ世界を夢見るものとして、自身と共に世界を救済する者の到来を──。
ここで闇の夢が光に包まれた。
目が開いた。先程までいた暗黒とは打って変わってそこは眩しい光のある景色だった。
その差に目を痛めながらも俺はムクリと体を起こした。
「ん……ここは」
「おはよう、スパーダ君。具合はどう?」
声の方向、横を見るとそこには白衣を身につけたライ先生が座っていた。
一体何が起きたんだったか。体を弄られる感覚だけが強く焼き付いている。記憶にあるのは紅い海と冷然かつ確信を持って倒れ込む俺を見つめていた誰か。俺が何をしていたのかは風船から空気が抜けるように記憶から消えていた。
「……俺は何を?」
頭がガンガン鳴ってうるさい。知りたいのは「何をしていたのか」と「何が起きたのか」だ。
ここに来てもう二度目の気絶となった今、俺は少しずつ苛立ちが高まっていた。
「貴方は能力発現の儀を受けていたのよ。それは覚えてる?」
優しい声で先生は問いかけてくる。心配されているのだろう。それさえも今では不愉快なことだ。
「……思い出しました」
そういえばそうだった。俺は儀式を受け、能力を発現させるところだったんだ。
「……能力発現の儀は……失敗したわ。いいえ、儀式自体に成功と失敗は存在しない。決まったことはただ一つ。……貴方に能力は発現しなかった」
「……は?」
目の前にあるのはうつむいて申し訳なさそうにする先生の顔。先生はなんと言った? 頭が回らない。頭痛がぶり返す。頭が軋む感覚に襲われる。
「なん、て言ったんですか? お、おれ、よく聞こえなかっ、たんですけど……?」
たじたじになりながら俺はなんとか先生に尋ねた。まだだ。もしかしたら聞き間違いかもしれない。そうだ。そうに決まっている。だって俺は──
「──あ……」
何かを言おうとして先生は言葉をつなげることができなかった。手を強く抑え、苦しそうな顔をしてまるで許しを乞うようなまで俺を見る。それに俺は無性に腹が立った。
「……! 何黙ってるんですか……聞こえなかったからもう一度言ってくださいよ……! 簡単なことでしょう!?」
俺は先生の胸ぐらを掴んで強引に吐かせようとする。俺も先生も余裕はなかった。先生は驚いたような表情をしたが、それも一瞬で苦しそうにしながらしっかりと聞こえる声で質問に答える。
「……貴方は能力を発現できなかった。能力発現の儀の結果は絶対。覆ることはない。スパーダ君。貴方は非能力者よ。非能力者はこう呼ばれてしまう。『神に嫌われた者』と」
俺の意図を読み取ったのか先生は非情な現実をハッキリと口にした。俺は──それを受け止めきれる器を持ち合わせてはいなかった。
「──ッ! そんな馬鹿な話があってたまるか!! 俺はリンドバーグ、神の一族の一人だぞ!? 神が神に嫌われているなんて冗談でも笑えねえよ!!」
掴む手に力は強まり、口からは滝のように情けない言葉がこぼれ落ちる。
──なんだ俺? 本当は記憶もなくて、神の一族に生まれた自覚も何一つないのに、こんな一つの欠陥が見つかっただけでこのザマか。
家族の顔を思い出す。親父、母さん。あの島で暮らした日々は本物だったはずなのに、この世界が俺にとっては本物で、俺は内心調子に乗ってたんだろう。恵まれた家系に恵まれた力。馬鹿か。お前が持っているのは国を守る責務を果たせなかった滅びた家系と人々を傷つけ、混乱に陥れる最低な力だけだ。真っ当な力はお前にはない。
先生は俺の顔を見つめてはくれない。顔は歪んでいるがそれが俺が胸ぐらを掴んでいることによる物理的な苦しさなのか何かに引け目を感じている精神的な苦しみなのかは分からなかった。
「……ごめんなさい……」
「一体誰に謝ってるんだ? 神か? 俺にか? もし俺だって言うならそれは間違いっすよ。俺はァ!! 誰からも同情なんてされたくないッ!! 欠陥を抱えた王族に、同情できる人間なんてどこにも存在しないんだからッ!!」
俺は乱暴に先生の胸ぐらを離した。先生は咳き込み、荒く息を吸った。俺は深く息を吸う。
ああ──俺って最低だな。
俺も先生もしばらくは口を開かなかった。重々しい空気に窓辺から差し込む夕日が痛いほどに明るい保健室。この陰と陽の差によって心が上擦ってくる。
「……先生、今何限目ですか?」
俺は顔を向けることなく、下を向いたまま低い声色で尋ねる。
「……今はもう放課後よ。時間は16時30分ね……」
ライ先生は弱い声で呟いた。顔は見えないが先生も俺を見てはいないだろう。
「……先生、本当ならあの後魔法適正を調べるんですよね? これからできるならやってくれませんか?」
俺はもう自分の体のことなんて構っている暇はなかった。多少頭が痛もうが、体が鉄のように重かろうが、一刻も早く俺という存在にまだ可能性があることを調べたかった。
「体は大丈夫なの?」
「問題ありません。いつでもやれます」
即答した。先生に一切の有無を言わせる気はなかった。先生は少し考え込んだが決心したかのようにベッドから立ち上がった。
「……分かったわ。それじゃあ準備するから30分後に魔法科総合室に来て」
ライ先生は杖を自身の体に向けて振ると白衣姿からいつものローブ姿へと変身した。そして静かに扉を開け、保健室から出ていった。
「……はぁ」
どさっともう一度ベッドへ倒れ込む。俺は俺自身に酷く失望した。もう自分が何者なのかもよく分からなくなってきた。
能力が発現しなかった。つまり俺は良くても魔法使いまでしかなれない。剣使いの力が悪であるという風習があるこの世界でまともに生きていくことができる力の一つを俺はもう手に入れることができない。
「……確かに、こんな欠陥を抱えた名前も知らないやつが王族だなんて信じる方が無理あるよな」
だけど、まだだ。まだ望みはある。それがダメなら──後はもう本当にどうしようもない。
「……行くか」
よれた服装を整えるために全身鏡の前に立つ。そういえば鏡を見るのは久しぶりだった。今の俺の顔色はお世辞にもいいとは言える色じゃなかった。
首元を見る。あの傷がある。そういえばまだこの傷については何も聞かれたことはなかった。この傷については本当に何も記憶にないから一切答えることはできないが。
ローブの袖を捲り上げる。やはりある。神家の紋章。これだけが俺の存在を証明してくれる。だが他にも神の一族だっているはずだ。よく考えてみたら俺がリンドバーグの人間だなんて一切確証はない。俺はこの世界では知られていない。自然に考えると知られていない時点で証拠はないし、俺を知っているそぶりをしている人たちが本当は嘘をついている可能性だって──
──そう考えかけて、頭にあの赤髪の少女の姿が浮かんだ。
「……全く、馬鹿も大概にしろ、馬鹿」
こりゃやっぱり
違うだろ。この腕を目に焼き付けろ。何のために俺はこいつに苦しめられてきた? それももう終わりだ。こいつはこの世界において希少なものだ。少なくとも存在する。存在さえすれば俺は胸を張って生きられる。もう奇妙なガキと言われる生活ともおさらばだ。
俺は保健室から出る。すでに10分ほど先生がここを出てから経った。俺もそろそろ行かなければ。
「……参ったな。ここはどのあたりなんだろう」
すっかりと忘れていた。俺は保健室に来たことはなかったし、運ばれた時は意識がなかったからここがどのあたりなのか分からない。少なくとも一階であることは分かるのだが。
「……どうしたの? スパーダ君」
「うおっ!?」
後ろから声をかけられて体が軽く跳ねた。振り向くとそこには縮こまった様子のマキナが本を持って立っていた。
「……マキナ」
……マキナなら俺のことを受け入れてくれるだろうか。俺は能力を持たない欠陥であると正直に告白したらどんな顔をするだろうか。
……馬鹿野郎。この目を見ろ。俺がしゃんとしなくてどうするんだ。今の彼女こそ誰かに受け入れられるべき状態だ。いつ崩れるかも分からないような真っ白な肌が、光を見ることを諦めたその瞳が、その傷んでも輝いて見える赤い髪が「助けて」と言っているじゃないか。
「……何か悩んでるの? そういえば、途中からいなかったよね……? ……私に話してみて?」
そう言われて俺の意地はゆっくりと瓦解する。それと同時に自身の惨めさと傲りに身が包まれる。
そうだ。俺なんかが彼女を助ける資格なぞあるものか。彼女は既存能力者。儀式を受けても能力を発現させられなかった俺とは立つ場所が違いすぎる。
「……俺は無能力者だった。俺は……神に嫌われているらしい」
マキナは何も話さなかった。相変わらずの生気のない目だけが俺の足元を見ていた。
「なぁ……何か言ってくれないか? 罵倒でもなんでもいい。俺は同情をもらうつもりなんてない。だけど俺はまだ終わりたくない……俺をちゃんと見てやってほしい」
もはや命乞いにさえ聞こえるかもしれない。俺はただ俺という存在を認めてほしいだけなんだ。それは昔から変わらない。変なところがあってもちゃんと俺を一人の人間として見てほしいだけなんだ。
マキナはゆっくりと顔を上げた。視線は胸の辺りまで上がり、口は開かれる。
「神さま……神さまはいるよ。私たちをいつも見ている。スパーダ君も見られている……嫌われているんじゃなくて、多分、スパーダ君は怖がられている……」
「……怖がられている? 嫌われているとは違うのか?」
「……うん。嫌いとは言ってないよ。でも、怖いって言ってる。神さまはこの世界の人間を誰一人として見逃すことはないけれど、神さまにとっても怖い人がいる。君は……その一人みたい」
俺の顔を見たかと思えば、マキナの視線は微妙に俺の顔からズレている。彼女は一体だれを見ている?
「何でそう断言できるんだ?」
俺は好奇心に負け、彼女に尋ねる。彼女の視線は真っ直ぐ俺へと向けられた。その目は先程までの彼女が持つ死んだ魚のような目ではなく、かといって生気に溢れているわけでもない。ただ先程までとは打って変わってという言葉で説明できる変容した目だった。
「……視えるの。神さまが」
その言葉と共に夕暮れの窓から風が吹き込む。もとから閑静であった廊下は本当に人が生み出す気配を掻き消したかのような冷たい静寂に包まれた。
「……じゃあ、そこにいるのか。神さま」
「……ここにもいるし、どこにでもいる。私たちは神さまの目から逃れることはできない……この世界にいる以上、私たちは神さまの目の上にいるようなものだから」
「じゃあ、言ってやってくれ。神さまなら平等に人様を扱えってな。アンタの好き嫌いで人生左右されちゃたまったもんじゃねえ」
「……それは無理。私から神さまに何かを伝えることはできない。神さまはみんなを見てるけど、私が神さまを認知していることは気づいていないから」
マキナの視線がまた下がる。その目がまた死んでいく。
彼女のことはもっと知らなければならない。能力にどう目覚めたのか。何故神が分かるのか。どうして人を恐れるのか。
だけど今は先生との約束が最優先だ。そしていま困っていることは彼女に訊いてみるとしよう。
「話は変わるけど、いま俺は急いでるんだ。ライ先生と約束してて魔法科総合室ってところに行かないといけないんだけど、場所分かるか?」
「……分かるよ」
「案内してくれるか?」
「…………」
マキナは腕をギュッと握り締め、震えている。そして怯えるような目つきで俺を見る。
「……襲ったりしない?」
「は? するわけねえだろ!? ていうか何でそんなこと聞くんだよ!?」
訳がわからない。なぜ案内をしてくれと頼むことがそんな外道がする行動に変換されるんだ。
「そうだよね……スパーダ君だけは、きっと……」
初めて俺は彼女が笑った瞬間を見た。だけどその笑顔は苦笑いで、まるでため息をつくような気怠さに溢れた笑顔だと俺の目には映った。
「じゃあ……行こ? 急いでるんでしょ?」
「あ、ああ……?」
彼女が何を考えているのかは全く分からない。当然のことだ。俺は彼女のことなんて記憶にない。初対面だ。内面に隠された思いや過去は内側に入らなければ理解できない。俺はまだ表面に映るその陰を見ることしかできないのだから。
◆◆◆
廊下を歩く。歩く。歩く。黙って歩く。階段を登る。登る。登る。何度も登る。内装は長い歴史のある学校とは思えないほどに綺麗で島にいた頃に通った学校とあまり大差のない現代風のつくりとなっている。
人とはすれ違わない。すでに授業は終わり、寮に帰っている生徒が大半だろうか。チラと見えた校庭では魔法? 能力? の打ち合いをする生徒たちがいた。しかしすぐに駆けつけた管理生によって彼らは取り押さえられた。緑のバンダナをつけたその姿を見て、ああいう活動をしているんだなと一人感心する俺であった。
「……」
「……」
黙ったまま空気を切るこの状況が少し辛い。夕暮れの日差しがさす静かな廊下に女子と二人きり。普通の男子ならば喜ぶべき場面なのかもしれないが、全くそういう気持ちにはならない。まるで戦場を歩くような気分で俺は廊下を進んでいる。
それに彼女をそういった目で見ることは禁忌であることにも薄々気づいていた。彼女は多分だけど、生々しく、暗すぎる人生を送っている。俺は彼女をそういう目で見る人間がいれば殴りたい気持ちに駆られると思う。
俺がこれから取るべき行動。それを左右するのはこれから向かう教室で決まる。力を使えるのかどうか。これが間違いなくこの学校での俺の立場を決めるだろう。
「……お姉ちゃん、どう?」
「え? どうって……どう?」
「……変な人でしょ?」
ちょっとだけ悪戯っぽく彼女の頬が上がったのが分かった。悲しいのはその目がまだまだ息をしていないということだ。
「確かに変な人だな。あと一言足りなくて今みたいな状態を作って困らせることも多い。だけど真剣な顔だってちゃんとあって俺たちのことを考えてくれる人なんじゃないかなって思うよ」
改めて先生のことを考えるとすごく申し訳ない気持ちに襲われる。俺は感情に任せて先生に当たった。胸ぐらを掴んで苛立ちをぶつけた。最低だ。
「……スパーダ君、それは違うよ。お姉ちゃんはずっと苦しんでる。君が言ったことも間違ってないけど、大きなものは小さくして内にしまってあるの。だから強い人。お姉ちゃんはすごく強い。私はそれが羨ましいけど心配」
……なんでこの世界の人はみんな暗がりにいるんだ。あれはその内に隠したドス黒い過去を着火して、目に見えるだけの明るい火を灯しているだけだというのか。
「……闇の王が作ったこの時代はみんなの過去に影をつけている。あいつのことは俺が一番知っていなきゃいけないのに、俺には記憶がない……何もできない自分が情けねえよ」
「……あの男だけは許せない……お父さんが死んだのも全部アイツのせい……だけど、良かった……あの時の選択が間違いじゃなくて。君が、生きてて」
「俺が……生きてて?」
マキナはこちらに顔を向けることはない。分かるのはゆっくりとした歩調と小さな声だけ。
「……出来ればでいいけど、今日の二十一時ごろに庭園に来てくれる?」
前を向いたままマキナはそう言った。いつも怯えた様子の彼女が自分から申し出てくるなど西から日が昇るようなものだ。それだけ重要なことなのだろうし、それだけ彼女は勇気を出したということだ。
「……ああ、これから魔法適正を調べて、その後行くよ。まあ、何もなければだろうけどね」
「……そう」
渡り廊下を超え、一般魔法科の生徒が在籍する一般棟から専門魔法科の生徒が在籍する専門棟へと俺たちは移動した。そしてその三階に身構える年季の入った木の扉の上に「魔法科総合室」と書いてある。
「ここが魔法科総合室。君にとって良い結果がありますように……」
「マキナはライ先生に会っていかないのか?」
「……うん。邪魔しちゃうと悪いから」
軽く微笑み彼女は踵を返す。少し進んだところで彼女は小さな声で俺に伝えた。
「……待ってるからね」
彼女は思ったよりも早い足取りで歩いて行った。階段に吸い込まれるようにその姿は見えなくなっていく。
「……よし、入るか」
俺は立て付けが悪くなった扉を開いて部屋の中に入った。夕暮れの日差しも低くなってくるのと裏腹に、俺の緊張は高く張り詰めるのだった。
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