18 バンダナの男
どうやら、いや、やはりここは寮だったらしい。俺は酒に酔って眠った後、誰かに俺の部屋へ連れて行ってもらったみたいだ。雨音はすでに聞こえない。そういえば傘はどうしたのだろうか? ローベンがオリバーさんに返してくれたのかもしれない。また明日訊いてみるとしよう。
部屋を出てとりあえず右の通路を進んでみると、赤い足元のカーペットを分けるように緑のカーペットが敷かれている広間に出た。もしかすると上級生と下級生を分けているということだろうか。そしてその広間の中心に螺旋階段がある。それはどうやら屋上に繋がっているようだ。
段を重ねるごとに音の反響が大きくなっている。この階段を囲うように寮のコンクリート壁があるからか。音が薄れればそれは出口の合図。螺旋階段の終わりは扉付きの塔となっていた。
扉を開くと今日の雨の匂いを交えた強い風が吹き込む。ビュオッという音が耳を掠め、外に出るとそこは先程の部屋二つ分ほどのバルコニーだった。
ここは珍しい形をしている。左を向いてみると同じバルコニーが離れて存在しており、向こうのバルコニーとこちらのバルコニーを挟むようにここより高い建物がある。凹の真ん中に建物を置いたという感じだ。
扉を出て真っ直ぐ。外灯が立ち、水溜りが反射して照らし出されるバルコニーの奥には防護柵の上に腕をついて風を受けるバンダナの青年の後ろ姿が見えた。
「よお、来たか。スパーダ」
「何で俺の名前を知ってるんですか?」
バンダナの青年が振り向く。ニヤリと頬を吊り上げたその顔は悪戯好きの子供のような顔だ。
「そんなもんお前が有名だからに決まってんだろ」
「……嘘つくのはやめてください。好きじゃないです、そういうの」
嘘に決まっている。俺の名前は国民には伝わっていない。名前を出すと挙げ句の果てには嘘つきだと罵られ首を絞められるような現状だ。有名であればそのようなことにはなっていない。
「嘘じゃねえんだがなぁ」
困ったように目を逸らして青年は頭を掻いた。
「とりあえずあなたは誰ですか? 自己紹介伸びちまったんですけど」
「おっと、そうだったな。あー、俺は五十棲利彦ってもんだ。3年生だよ」
五十棲は優しげな目をしていて、その瞳に照明の光が差し込み、暖かさに溢れているように見えた。だからこそ先程俺に見せたあの鋭利な目の意味を考えてしまう。あの目は……普通じゃない。
「先輩のローブ、俺たちのとは違いますね」
「ああ、俺のは管理生のものだからな」
「管理生?」
「この学校を取り仕切る学生のことだよ。ほら、今日だってルーナがお前らを案内してただろ? あいつも管理生なんだ。俺たちは学生たちが困っているのを助けたり、喧嘩が起きた時に仲裁に入ったりって仕事をしている」
喧嘩の仲裁? そんな個人の問題に踏み込んでいいものなのだろうか。
「言っとくけどな、学生たちの喧嘩なんて一歩間違えりゃ死人が出るぞ。魔法の乱射やお構いなしに能力を使われちゃ、被害を出さねえほうが難しい」
俺の心を見透かしたかのように五十棲は言った。
「被害ゼロってのは難しいが、喧嘩が起きたら最速で近くの管理生に連絡が入る。そしたら授業中であろうと俺たちはそこに駆けつけて喧嘩を止める。魔法や能力が飛び交う中で鎮静するには実力がないとできないからな」
つまり管理生として認められている人間は学校からその実力を買われているということだ。五十棲先輩やルーナ先輩はこの学校でも実力がある人間なのだろう。
「で、俺に一体何のようなんですか? 寒いんで早く帰りたいんすけど」
できる限り面倒な話は回避しようとする。もしこれで俺の素性を炙り出し、学校に広めるような真似をされたらより一層厄介なことになる。これ以上俺の首を狙うような奴を増やすマネは避けたい。
「すまねえが少し話が長くなるかもしれん。これはお前に深く関係することだ。なんせお前の兄貴の話だからな」
「……兄貴、だと?」
風がより強くなる。この場を去る気はすでに失せた。強い寒風に打たれようとも俺は話を聞かなければならなくなった。ひた隠しにされた
「……ローレンス・リンドバーグ。お前の兄貴は生きている。今どこにいるかは知らねえ。世間一般には神殺しの夜が勃発したその日に亡命した後、消息不明となり今では死亡しているという話が出回っているが、それは嘘だ」
「……なんで先輩は俺の兄貴が生きていることを知ってるんですか?」
不信感が高まる。俺が有名? 世間で死んだとされている俺の兄が生きている? 何故知っている。一介の生徒に過ぎないはずのこの青年が、何故滅んだはずの王家の内情を知っている?
「それは俺とローレンスが殺し合う仲だからだ」
「は?」
──何を言っているんだ。この男は。殺し合う? 待て、相手は俺と同じ聖五神一族──つまり剣使いだ。いくら校内で実力を認められていたとしても剣使い、ましてや王家の剣使いとやり合う技量など学生が持ち合わせているのか?
「まあ、腐れ縁ってやつだよ。最後に会ったのは半年前か」
「ちょっと待ってください。なんで殺し合う必要があるんですか?」
そうだ。どんな理由があれば殺し合うというんだ。この世界の腐りようは多少知ったが、こんな身近に殺し合いを経験している人間がいるなんて正直言って恐怖でしかない。
「あー……まあ、昔に一悶着あってな。それ以来出会うたびに向こうから殺しにかかってくるんだよ。俺は毎度毎度殺されないように抵抗してるわけ」
……それは怖い。めちゃくちゃ怖い。先輩が怖いんじゃなくて過去の因縁でずっと殺しにかかってくるような俺の兄貴が怖い。ていうか何だ? 俺の兄貴は狂人なのか?
「……もしかして俺のこと、兄貴から聞いたんですか?」
俺が尋ねてみると五十棲は体を震わせ始めた。そして拳を握り、俺の前に迫りながら叫ぶように話し出す。
「そうだよ、嫌ってほど話聞かされてっから俺の中で有名なんだよっ! 自慢しに来たと思ったらついでのように斬りかかってくんだよ、ダリィんだよ! ……はぁぁぁ……いつかあいつに会ったら何とかしてくれ……もう、やめてほしい……」
泣きそうな声で先輩は喚いた。まるでその姿は同僚に愚痴を吐く会社員のようだ。膝までついて落ち込むものだから俺は思わず先輩の側まで行って先輩を宥めた。
「分かりました。兄貴がどんなやつか知りませんが何とかして見せます」
俺は先輩を立ち上がらせ、無保証の誓約を交わした。顔も知らぬが身内であることには変わりないはず。身内の問題は俺の問題でもある。
「……すまねえ。情けねえとこ見せたな」
「いいんですよ。そんな執拗に狙われると誰だってそうなります。ていうか何で生きてるんですか先輩は」
「それは俺がアイツより強いからだよ」
この先輩はどれほどの実力者だというのか。少なくともこの学校でも実力は上位に入るのだろう。
この学校も名門と呼ばれる学校だ。レベルの高い魔法能力者たちが集まっているのは当然だろうが、剣使いにして王家である人間よりも強いと口にできる生徒がごろついているのは当然のことか?
「……先輩はレヴェル先輩よりも強いんですか? なんでもレヴェル先輩は『エーデルヴァルトの至宝』とまで言われる実力者だと聞きましたが」
「お前もアイツを尊敬してるクチか。ふふーん、言っとくがな。俺はレヴェっちより強いぜ?」
「えー……本当すか?」
第一印象では俺はレヴェルほどの圧倒的な重圧をこの先輩からは感じなかった。分かったのはあの先輩よりも人間らしそうだということ。優しい雰囲気を醸し出し、苦しい時はしっかりと苦しさを吐き出せる人物だということだ。
だが……あの目。俺の右腕を見るあの鋭い目と管理生の肩書き。俺の兄貴とやり合っているというのも嘘ではないだろう。この先輩は自分を高く見せるための嘘はつかない。そう思う。
「また時間があれば闘技場に顔出ししてみな。この学校には『闘技会』っていうクラブがあるんだ。俺もレヴェっちも闘技会のメンバーでな。都合が合えばそこでアイツと俺のどちらが強いか白黒つけてやるぜ」
今度の顔はスポーツマンが見せる闘志を剥き出しにしたニヤリ顔だ。拳を鳴らしているため、どちらかというと喧嘩師にも見えなくはないが。
「……気になってたんですけど」
俺は先程の会話から出た気になる単語の意味を訊いてみることにした。
「ん? なんだ?」
「『レヴェっち』って何すか?」
「え? レヴェルのあだ名。ちなみに呼んでるの俺だけな。他のやつらビビってアイツに話しかけないから」
なるほど、つまりあの皇帝のような生徒代表にもこの先輩は軽々しく肩を組みに行けるくらいの胆力、図々しさがあるということか。これは仲良くすると調子に乗ってウザ絡みしてくるタイプだ。俺が酒に弱いと判明した今、酔い潰されるまで飲まされる関係になるのは避けたい。
「話が逸れてしまってすいません。他に話しはありますか?」
「早く帰りたいか? まあ待て。お前に一つだけ伝えておきたいことがある。お前に関係のあることだ。聞いておいたほうが気が晴れるだろう」
この先輩は思わせぶりな言葉で巧みに人をその場へ張り付かせる技術を持っているようだ。興味を惹かせ、話を聞かせる。俺よりも年上であることは間違いない。大人とはこういう技術を会得しているのだろう。
「……教えてください」
「へー、素直じゃねえか。ま、可愛い後輩に頼まれちゃあ、仕方がないよな!! ハーッハッハ!!」
ガラッ!!
「おい! うるせえぞボケズミ!! 何時だと思ってやがんだ!!」
「誰がうるせえじゃこのハゲ!! こんな時間だぞ、早よ寝ろや!!」
「ハゲじゃなくてスキンヘッドだ!! これ以上騒いだら殴りに行くかんな!!」
「上等だよ、いつでも来やがれ!!」
ガラッ!! バンッ!!
「……とまあ、そういうことだからできる限り静か〜に話すな?」
「は、はい……」
今のやりとりは何だったのか。五十棲が大声で笑うと左の建物の窓が開いて、顔を覗かせたハ……スキンヘッドの男性に叱られた。しかも両者共に怒鳴り慣れてるようだ。喧嘩仲間……なのか?
「あ、ちなみにさっきのは俺と同じ管理生のクーゲンってやつな。スキンヘッドって言ってるが、あれはハゲ隠しの言い訳だ」
残念ながらあれはハゲだったようだ。アジア方面じゃこういう時、合掌という祈りのハンドシグナルをするのだとか。うむ。合掌。
「まあ話を戻そう。まずは──お前から聞くとするか。なあ、この世界に来て、自分の扱いに違和感を覚えなかったか?」
「……はい。俺はこの国の王族だと聞きました。この腕の紋章がその証でしょう」
俺は右腕の袖をまくる。暗い場所ではこの紋章がほのかに青白く発光しているのがよく分かった。先輩の顔つきも真剣なものとなっていたが、あの時のような目ではなく、どこか好奇心を混ぜたような雰囲気を思わせた。
「そうだな。それがあるのは王家の証だ。お前の兄貴もそいつを持っている。だがお前は一般世俗にその存在を知られていない。何故だと思う?」
「……俺が公に出るとまずいから?」
「んー……正解といえば正解なんだが……ローレンス曰くちょっと訳が違うみたいだ。お前は……国民に知られないように隠されて育った。分かるな?」
「はい」
それは俺も気づいている。クラスメイトたちの反応を見れば一目瞭然だ。誰も俺のことを知らず、俺のことを偽物であると一方的に糾弾する者もいる。今はクラスメイトの大半が俺を仲間と受け入れてくれているみたいだが……あれ? 誰か忘れている気がする。俺のことをまるで知っているみたいに話してくれるやつがいたような……。
「おい?」
「あ、はい」
いかんいかん。とりあえずは話を聞こう。この話は一ミリも聞き逃さないつもりで聞いた方が良さそうだ。
「早く帰りたいのも分かるが、なるべく人には聞かれたくないんでな。話、戻すぞ。あの日は珍しくローレンスと酒を飲んだんだ」
「……さっきまでの血生臭い話はどこに行ったんすか?」
気を張り直した途端に話の筋を緩まされると気を張ることが馬鹿のように感じられる。この先輩は話の緩急が激しい。
「『喧嘩するほど仲がいい』みたいな感じなんじゃねえの? アイツと俺は。まあアイツはお前の話を熱心にしてくれたよ。……熱心に、辛そうな顔をしてな」
五十棲の顔が曇る。冷え込みが少し強まる。寒風が体を包み込む。これから話される事実を受け入れさせるように、まるで誘い込むかのような情景。
「アイツはこう言った。『もし、弟に会ったらすぐに触れたい。すぐに謝りたい』ってな。お前は──……家族からもいないものとして扱われていたらしい」
「──え?」
冷え込んだのは外気か内気か。とにかく俺は寒さを感じた。思い出される家族の温かさ。かけがえのない毎日を俺は今まで送ってきていた。だからこそ分かる。これは──冷たすぎる。例え理由があり、国民から知られてなくても、せめて……家族からは愛されていたかった。
「……その理由を……兄貴は話してましたか?」
「……いいや、話さなかった。ただ言っていたのは俺以外にはこの話はできないということだけだ。話せない理由は何なのかは見当もつかん。王族でもない俺がこんな話を知っているだけでも豚に真珠ってもんよ」
五十棲だけに話せる内容……それは兄貴の信頼によるものか? それともこの先輩だけが特別な何かを持っているということなのだろうか。
「アイツに会ったら慰めてやれ。お前にとっちゃ初対面だろうが、アイツにとっては大切な弟なんだ。どれだけ俺と
五十棲は満面の笑みを見せ、ポンと俺の胸に拳を置いた。冷え固まったこの心臓がまた動き出した。
俺は愛されていなかったのではないのだろう。ただ何か訳があって、それを今も深く兄貴が後悔しているというのであれば問題はない。だってこの世界に帰ってきた俺はあちらの世界で元気に、幸せに生きた俺なのだから。
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