17 ルームメイト

 円卓を囲う四人が面を向かう。誰もが沈黙し、静寂が部屋を包んでいる。


 なぜ誰も話さないのか? なぜ自己紹介の時間だというのに言葉一つ飛び交っていないのか?


 理由は簡単──誰も自分から話すタイプではないからである。


「……おい、ピーター。お前が仕切ってんだろ。早く話せよ」


「いいや、俺はあくまでもすべきことを述べただけであって、その行動に責任を持つつもりはない」


「えーと、なんて言えばいいんだろ……? こうか? いや、違う……どれだ?」


 ……駄目だこいつら。拉致があかん。かくいう俺も出方を伺っている最中だ。頑固一徹なマック、喋りそうな雰囲気のくせに黙っている司。考え込んで自分の世界に飛ばされる裕人。出方を探っている俺……。まだまともなのは俺くらいか。こうなれば俺から話すしかなさそうだ。


「あの……」


「まあ待てよスパーダ。今俺たちは時を見極めている最中だろ? 慎重、慎重」


 面倒くせえ……なんでお前が一番話せそうなのに話さねえんだよ……! マックは堅物で話したがらないのは分かるし、裕人は不思議なやつっぽいから棚に置くとして、司。お前はどっからどうみても宴会の場ではしゃぐタイプのやつなんじゃねえのか。


「なんで張り合ってんだよお前ら。自己紹介くらいパッとできないとお先真っ暗だぜ?」


 こんな状況、ため息が出ても仕方ないだろう。こんな初歩的なやり取りさえままならないのであれば、これからどうやってこの部屋で暮らしていくというのだ。


「だけどよ……あるじゃん? 誰がこの部屋を仕切っていくのかとかさ」


 不敵な笑みを司は見せる。そんなにやる気があるというのであればさっさと名乗りあげればいいだろうに。


「確かにそれは興味があるな。それすなわち、この部屋で誰が一番かを決めるということだろう?」


 マックが司の言葉に食いついた。これは展開が変わるかもしれない。なんせマックは話したがらない男だ。それがこうやって口を開いた。つまり堅物が本気を出す時。やっとこの謎の張り合いに終止符が打たれるはずだ。


「…………」


「…………」


「おーーいっ!! なんで二人とも黙るんだよ! お前らリーダーになりてえんじゃねえのか!?」


 俺が怒声を上げると二人とも心外そうな顔をして俺の方を向いた。


「……お前、誰がリーダーになりたいなんて言った……? 俺はただ、面倒ごとを押し付けられたくないから名乗り出たくないだけなんだぜ……?」


 司は理解出来ないというふうにジェスチャーまでつけて説明してくれた。


「俺はリーダーになどなる気はない。あいにくと今まで見てきた指導者というのは無能や傲慢さしか持ち合わせたことのない屑ばかりでな。そんな者しか見てこれなかった俺では務まるはずがないだろう」


 マックも断固として譲らない。こいつも過去に何かを持っているような素振りだが、それは今知ることじゃない。とりあえずは話すことだ。というかなんで普通の話をするだけなのにここまで手こずるんだよ。


「別にリーダーは今決めなくていいだろ?」


 俺は面倒くさくなって適当に話を進める。


「いや、一番に自己紹介したやつがどう足掻いても一歩前に踏み出すことになる。そうなると厄介だ。つまりもう始まってるんだよ。この責任の回し合いが」


「……お前なぁ、頭傾いてんのか? 物事ってのはそんな難しいもんじゃなくて分別をつけるもんだろ? そんなもん言い出したら出席番号一のやつがみんなリーダーになっちまうじゃねえか」


「それとこれは別だ」


 めんどくせええええ!! なんで無駄に頑固なんだよこいつ!


「じゃあ僕から話すね」


 場が凍りつく。これまでのやり取りを全て無に返す一言が放たれたからだ。


「おい……裕人、お前……自分が何をしたか分かってんのか?」


 司が冷や汗をかきながら震える声で尋ねる。当の本人は何をしたのかも理解していないようで首を傾げた。


「何って自己紹介だよ。今からやるんでしょ?」


 こいつは今まで何を考えていたのだろうか。まるで今ここに来て話を始めようとするぐらいの感覚でこいつはこの椅子に座っているみたいだ。だが、これはいい。


「いいぞ、裕人。やってくれ」


 俺は拒むことなく裕人の申告を受け入れる。終わりのない言い合いを止めてくれるなら願ったり叶ったりだ。


「僕は中馬裕人。養成所には通ってなかった」


「ほう? 養成所には通わなかったのか?」


 マックは意外そうな顔をした。養成所というのはローベンが言うにこの世界における小中学校のようなところだとか。


「うん。行く必要がなかったからね。家に家庭教師がいたからさ。ね、司」


「けっ、あんなもん家庭教師なんかじゃねえよ。まあ教え方は巧みだがな」


 腕組みをしながら司は悪態をついた。そんな彼を見て裕人はクスリと笑った。


「なあ、裕人は十年くらい前にこの世界に来たんだよな? もしかして司もその時にやって来たのか?」


「そうだよ」


「……お前が俺と葵を引っ張ってこの世界に来たんだろうが」


 間髪入れずに司が低い声色で言う。怒り──ではなさそうだが、なんとも言えぬ感情がその言葉には含まれている気がした。


「でもそれは君も同意の上だろう? まあ今はこの話はいいんだ。スパーダが聞きたいのはこの世界に来たか、だよね?」


 ここで最初の質問に戻った。それで俺は裕人が何故あんな脈絡のない割り込みをしたのかを理解した。裕人はどうやらずっとこの答えを考えてくれていたらしい。


「ああ、そうだ。世界から世界を渡るのはそう簡単なことじゃない。一体お前たちはどうやってこの世界に来た?」


「簡単に言うと、僕たちはに飲み込まれに行ったんだ」


「渦、だと?」


「うん。正直よく分からないけどね。でも例えるなら渦だろう、司」


 裕人は司に目配りをして言った。司は相変わらず腕を組んだまま鼻を鳴らした。


「森にいてね。そしたら目の前に渦が現れたんだ。比喩でもなく、見た目はそのまま渦だった。僕と司、2組にいる葵って子。この三人でその中に飛び込んだ。そして僕たちはこの世界にやって来たんだ」


「怖くはなかったのか? そんな訳のわからないものに八歳のガキたちが突っ込むなんて普通じゃないぜ?」


「……まあ、仕方なかったんだよね。僕たちは」


 裕人は苦笑しながら頬を掻いた。少し考え込んだようにも見えたのが気掛かりだが、さっきみたいに本題から逸れたことを考えているのかもしれない。こいつはやはりなんというか、掴みどころのないやつだ。


「僕たちはこの世界で生きて十年が経つ。この世界の近況については君よりも知ってることは多いはずだ。そして君が七年前に僕たちの世界に来たということは……のせいか」


「……ああ、神殺しの夜。俺の家は闇の王に滅ぼされた。俺は殲滅局の局長に助けられ、なんらかの手法であの世界に逃されたらしい」


「つまり君はどうやってこの世界を抜け出したのか知らないんだね?」


「……知らない。今の俺には記憶もない。当事者だというのにあの日に何があったのかを何も知らないんだ」


 重苦しい雰囲気を生み出してしまったことを後悔する。そして俺は自身の無知を痛感する。


 俺にしか分からないことが沢山あるはずなのに俺はその一欠片さえも持ち合わせていない。一体俺は何のためにいるというんだ。


「……神殺しの夜、か。酷えもんだったよ。あの一夜は」


 次に口を開いたのは司だった。裕人は司と目を合わせて発言権を譲ったように見えた。


「とりあえずは自己紹介な。俺は高崎司。ここにいる中馬裕人クンとは幼馴染ってやつだ。同じく養成所には通っていなかった」


「お前たちは知っているのか? あの夜のことを」


「もちろんだ。この国に住んでる俺らくらいの歳のやつはみんなこの身を持って経験したからな」


 司は腕組みを解き、重々しい声色で話し出す。


「俺たちはあの日、ちょうどメルバーダに出かけていた。親父の目を盗んでな。時間にして確か十九時頃だったか。ちょうど暗がりが出て来た頃だった。爆弾でも爆発したんじゃないかという物凄い音が聞こえたんだ。気になった俺たちは高台に上がり、周囲を確認すると王宮が炎上しているのが見えた。それが見えた頃にはもう街の至る所が燃えはじめてたよ。一瞬にしてこの国は火の海に包まれた」


 裕人とマックも俯いて何かを思い出しているようだ。七年前の惨劇。人口の三割が死亡。焼け野原となった国。神と謳われる王家が一人の人間に滅ぼされた──この国の若者たちはその夜を乗り越えて今を生きている。


「地獄だったよ。人が焼け焦げる匂いは最低だ。そんなのも気にならなくなるくらいの人間が焼け死んだ。女子供なんて構わずだ。国を滅ぼそうってんだからな。俺たちは必死だった。助けられる人を助けるためにあちこちを回った。影の野郎たちとは極力ぶつからないように立ち回りながらな。最後はこの学校の体育館に逃げ込んだ。ここは鉄壁の要塞だ。影たちもここの防御結界は突破できなかった。そして連合の鎮静によって朝方にはもう影たちはいなくなっていた。残されたのは崩れ、焼け焦げた建物と死体の山だったよ」


 語る司は急に俺に視線を向けた。その眼差しは突き刺さるようで、緊迫感がこの身に降り注ぐ。


「なあ、スパーダ君よ。お前、記憶がないんだろ?」


「ああ、一切の記憶がない。鮮明に思い出せる記憶はな」


「どうだ。この世界は。不思議と魔法に満ち溢れた楽園のような場所だと期待して来たんじゃなかったのか? この世界はお前にとって希望に満ち溢れた世界か?」


 司は真剣な声色で俺に問いかけてくる。まるで俺を値踏みするかのような問いだ。俺は……。


「……確かにここにくる前の俺はこの世界に期待していたさ。の謎が解ける。俺を苦しめてきたの正体を暴き、俺は自分の人生を知るんだってな」


 露わになる長袖の下の赤黒い痣と首元の三点傷。向こうの世界ではこれらには散々世話になった。何のために存在しているのかも分からない外観のコンプレックス。異端児だのなんだのと呼ばれ、肩身の狭い思いをしてきた。


 こちらの世界に来て、この痣の正体は分かった。だがそれは俺が既に終わった家の人間であり、それと同時にこの世界に害をなす力を持つことの証明になってしまった。これは俺が求めた解答ではない。


「だがこの世界に来て話を聞いた。……呆れたよ。クーデターで大勢が死に、今も苦しむ人々が大勢いる。力に対する恐れから迫害を受け、捕縛される剣使いにんげんがいる。いないものに未だ縋ろうとする人間だっている。そんなもんと同じだ。夢の世界なんかじゃない。より力を持った悪が自分達のためだけに力を振るうタチの悪い最悪の世界だと思うよ」


 ……何が夢の世界だ。こんな差別と依存に塗れ、酷い死に方が確約される世界のどこに夢がある? 無垢に、健やかに育つべきである子供が、地獄を知りながら育つ世界が夢の世界か? 俺と同じ年頃の子供は既に死線を超えて生き延びた傷を持った子供たちだ。冗談じゃない。こんな地獄が夢であってたまるか。


「……そうだ。ここは夢の世界じゃない。夢であったとしてもそれは地獄というものだ。俺もお前と同じだった。俺は夢を持ってこの世界に来た。だけどそんな淡い希望は一瞬にして崩れ去った……あの日から俺たちはずっと何かに追われている。終わらない旅のようだ。いつになれば終わるんだろうなぁ……」


  深い溜息の振動が空気を揺らす。何で出会う人間の皆が泥沼のような過去を持っているのだろう。それが当たり前のようになっているのが本当に気に食わない。


「……を持つお前は希望みたいなもんだ。少なくともまだ希望はあるんだ。あのクソ野郎はヘマをした。だってここに生き残りがいる。絶対に野郎にとっては計算外の話なんだ。だからお前も頑張ってくれよ。どれだけ失望しても俺たちはこの世界にいるんだからよ……」


 ポンと俺の肩に司の手が乗る。その感触は脱力していて、どこか諦めのようなものを感じた。


「そうだ。お前は希望だ。少なくとも、俺にとっては」


 今まで口を開かなかったマックがその硬い表情を崩さずに話す。


「お前は『聖席十二貴族』という言葉を聞いたことがあるか?」


「え? ええと……確か、の家系……だったか?」


 記憶を辿ってみると教室でクラスの生徒を仕切っていたあの少女が現れた。確か周りの生徒たちが畏怖の念を込めたかのようにその言葉を言っていた気がする。


「……ちっ、あの雌狐め。既にこいつにまで取り入っているか……まあいい。正直私情あって大々的には言いたくないが、俺の家系、カーマック家もその聖席十二貴族の一つだ」


「……お前が?」


 あ、ミスったかもしれない。今の発言はアウトだ。自分でも気づかずに言ってしまう相手に嫌われる言葉ランキングでも上位に入るであろう一言を言ってしまった俺の運命やいかに……。


「ああ、まっぴらゴメンだがな」


 救われたというと都合がいい言い分になるが、どうやら気分は害さなかったらしい。それどころかその聖席十二貴族と呼ばれることがマックにとって気分を悪くするようだ。


「聖席十二貴族としてカーマックは堕落を続ける。……全ては死んだあのクズ親父のせいだ。あれの血がこの体に入っているというだけで俺は俺を絞め殺したくなる」


 突然マックは自身の首を強く掴み、殺意を露わにした。離された首元にはハッキリと赤い手の跡がついていた。


「おい──」


「だが腐った血であろうとも俺が聖十二の一人であることに変わりはない。我々は国を治める王を補佐することを命とした人間だ。ならば俺はお前を守らなければならない。今ここにいる主を支えなければならない」


「おい、待て。俺はお前に仕えられるつもりなんてないぞ」


 いくらなんでも話が早すぎる。俺にとってこの世界での俺の扱いなんて型に入れられただけの生地みたいなものだ。たまたまこの紋章があるからそうなっているだけのような気さえもする。そんな俺が誰かを仕えさせることなどできるものか。


「問答無用だ。これは許可だの権利だのといった話で片付くことではない。俺とお前という存在そのものでの話だ」


「……俺は認めないからな。俺は誰かを従えさせるつもりなどない。お前が勝手に行動しても俺はお前が俺に仕えているとは認めない」


「それでいい。つまるところ好き勝手するのはいいということだな。俺が欲しいのは仕えているという証明ではなく、お前に仕えている結果だ」


 マックは退かない。俺が何と言おうとも己の立場を崩すことはなさそうだ。それだけこいつにとってその聖席十二貴族の立場というのは大切なのか。だがこいつ自身は自分の家系を嫌っている。支離滅裂だ。支離滅裂だが──それはこいつの責任感が自身の嫌悪を上回っているということでもある。


「チッ、分かったよ。ただ勝手に無茶して死ぬような真似だけはやめてくれよ」


「そう易々と命を投げ出すほど愚かではないさ。……状況次第ではあるが」


 不安ではあるが縛り付けるのも俺の趣味じゃない。やりたいようにやってもらうのが一番マックのためにもなる。俺も助けてもらえるならありがたい。借りばかり作りそうなのが気がかりではあるが。


「さて、残りはお前だけだ。スパーダ。残念だが俺はこの二人に自己紹介は済ませてある。決して下の名を呼ぶなという制約付きでな」


「お、おう……」


 徹底した管理をマックは見せつけてくる。よほど自分の家系が嫌いなのだろう。そして急に出番が回ってきたから話す内容が決まっていない。


 軽く息を吸って話す内容を軽く固める。どこから話すべきかはすぐには出てこないが、とりあえずはこの世界に来た経緯から話そう。


「よし、俺はスパーダ・リンド──」


「おーーっす!! 元気か、新入りども!!」


 出鼻は挫かれ、耳は弾け飛んだかとさえ思った。凄まじい勢いで扉が開かれた次の瞬間、とてつもない爆音が部屋に叩き込まれたのだ。


 眩む頭をさすりながら後ろを振り向き、扉を確認する。扉は無事だ。力の余韻で揺れてはいるが。


 爆音を放ったのは百九十近くあるであろうかという長身にフード付きのローブを纏い、はたまた裕人、司のようなアジア人顔の青年。そして何より目についたのは緑色のバンダナ。そうだ。この人は──


「……今日、大講堂でルーナ先輩と話してた人?」


「あれ? もしかして今日ルーナに押されてた坊主の一人か?」


 彼は俺を思い出したようで大袈裟に手の平に拳を打った。それと同時に俺を見るその優しげな目がどんどんと鋭いものに変わっていく。


「……お前、その紋章は」


「あ」


 気づいた時にはもう遅い。俺の右腕は袖が捲られ、隠すことなく自身の証明を晒していた。


 青年が部屋の中に入ってくる。そして俺の前に立ち止まると俺の肩に強く手を乗せ、耳元で囁く。


「……スパーダ・リンドバーグだな。本来ならこの寮の使い方を説明するつもりだったんだが、予定変更。上のバルコニーに来い。自己紹介はまた後でだ」


「え?」


 指定の場所だけを告げてその青年は部屋を出て行ってしまった。足取りは早足で帰りの扉の閉め方も壊れるのではないかというほど強かった。


「どうしたんだい?」


 裕人が相変わらずの不思議そうな顔で訊いてくる。俺は他の二人の顔も見比べてこう言った。


「すまねえ。とも自己紹介は後だ」

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