15 クラッカーの音

「そういえば食堂ってどこだよ」


外に出てやっと気付いた致命的な問題に俺は頭を悩ませていた。ライ先生は俺にパーティー会場を伝えることなく上機嫌で立ち去ってしまったのだ。もちろん自己紹介を済ましただけで気を失ってしまった俺がこの学校の配置を詳しく知る由はない。


「どうしたものか……」


「おや? 君は……」


途方に暮れていた俺に気付いた誰かの声が聞こえた。後ろを振り返ってみると、そこには傘をさして俺を見る青い髪の先輩がいた。


「あ、ええと……ルーナ先輩?」


「あれ? 私の名前知ってるんだ?」


「ええ、そりゃ熱心に教えられたもんですから」


 苦笑混じりに俺は言う。あの男の熱意と言ったら限界突破した狂気混じりのものだ。あんなものに当てられたら嫌でも覚えるに決まっている。


「そう。じゃあ君の名前は?」


「え」


 俺はどうしようか迷った。名前を伝えるべきかどうか。もしかしたらまた俺の名前のせいでこの人も俺を軽蔑するかもしれない。それは嫌だ。俺に親切にしてくれたこの先輩にまで嫌われたくはない。


「…………」


名前を伝えるかどうかでここまで葛藤するとは情けない。それでも仕方がないことだ。初日からあんなことがあったとなれば誰だってその原因をぶり返そうなどとは思わないだろう。


 なかなか話そうとしない俺を先輩は優しげな目で見て俺の肩に手を置いた。


「話したくないなら無理に話さなくていいんだよ。嫌なことは誰にでもあるからね」


 俺よりも身長が高い先輩は俺と同じ目線に合わせてそう言った。先輩は続け様に俺に尋ねる。


「君が困っているように見えたから声をかけたんだ。何かあったのかな?」


「はい。食堂への行き方が分からなくって」


「そういうこと。分かった。私について来て」


 先輩は何の迷いもなくゆっくりと歩き始めた。レビンがこの人に惚れる理由がなんとなくだが分かった。


 この先輩は聖人だ。どんな人間であろうともこの人は手を伸ばすだろう。例えどれだけ汚れた人間であろうとも、彼女は救い出そうとするだろう。


 ──でも、それはきっと──


「ほら、行くよ?」


「あ」


 考えに耽っていると、先輩が少し離れた場所にまで歩いて行ってしまっていた。せっかく案内してくれているのに俺がついて行かなければ何のための案内だというのか。


 俺は息を吸って整理し、先輩の後ろをついていった。


「先輩って何年生なんですか?」


 道中、話すことも特になかったが、少しでも話題をふって空気を和ませようと俺は試みた。


「私? 3年生よー」


「へえ、じゃあレヴェル先輩と同級生なんですね。あの人すごい大人びてましたけど」


「ああ……レヴェルはねえ……まあ、変わり者だからねえ……」


 遠い目でルーナ先輩はレヴェル先輩の話をする。まるで思い出すのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの声のトーンで話すものだから余計に何があったのか気になってきた。


「……なんかあったんすか?」


「そうだよ! あいつ、偉そうに壇上であれだけ語っといて、私生活は壊滅的なんだよ!? 特に物忘れが激しいんだ! この前なんて一緒に寮のパトロールをする約束をしたっていうのに、すっぽかされたうえ、問い詰めたら『君、誰だ?』だよ!? ひどくない!?」


「うわぁ……」


先輩は怒り心頭に達したようで、この場にいない恨み節の対象へと罵声を浴びせ続けていた。


 ──よかった。先輩もちゃんと人に怒ることができるんだ。


「まあ、変なやつだけどいざという時は頼れるやつだし、いいやつだよ。……ちょっとところもあるけどね」


「? 危ないところ?」


 先輩は周りに人がいないかを確認して耳打ちした。


「……あいつね。何回か暴力沙汰を起こしてるのよ」


「え?」


「演説聞いたよね? なんていうかびっくりするほど信念が強いのよ。理不尽なことをしている人間とか許せないみたいでね。2年生の頃なんて下級生が上級生にイジメられていたのを聞きつけてその上級生を病院送りにしたのよ」


雨の音だけが聞こえてくる。俺は驚きのあまり声が出なかった。あの瞳は一体何を見ているのだろう。思い出してその真意を考える。あの金色の瞳は光を殺すような深さだった。それが彼の真意そのものだとしたら、彼は危険だ。


「その後は1週間くらい懲罰房に入れられていたわ。そして出てきた後すぐにあいつはイジメられていた下級生に会いに行った。私はあいつがまた何かしでかすんじゃないかって思ってついて行ったの。そしたらあいつ、その下級生にこう言っていたわ。『強くなれ。少年』ってね。あいつはそれだけ言ってすぐに教室に帰っていった。正直拍子抜けしたよ。だけどあいつの顔は真剣だった。良くも悪くもレヴェルにとってはどうでもいい人間なんていないのかもしれないね」


 ……何だろう。話している内容はあまり良いことじゃないのに先輩はどこか楽しそうだ。なんというかウキウキしているといった感じ。


「……もしかして先輩。レヴェル先輩となんかありました?」


「え?」


 先輩はぽかんとした表情で俺を見た。そして少しだけ顔を赤らめてくすりと笑う。


「はは、何にもないよ。あいつ私の名前もすぐ忘れちゃうんだもん。でもそれがあいつらしいっていうか……とにかく私は自分に忠実なあいつを見ているのが好きなんだよ」


 この場にレビンがいたら恐らく髪を掻きむしり、転げ回り、発狂するに違いない。この人は絶対にレヴェル先輩のことが好きだ。それと同時にその事実はこの人を慕う人間にとって戦争を引き起こす要因になりかねない。


「さ、もうちょっとで着くからね。歓迎パーティーなんだろう? まだまだ話したことのない子たちばかりだと思うけど、早いうちに仲良くなった方が楽しいじゃん? せっかくの機会だと思って自分を出してみなよ」


 だけど俺は先輩のことを何も知らないし、その戦争になど参加する気は毛頭ない。だからまだ何も知らない俺にできることは、このいい先輩が楽しんで生活してくれたらいいなと思うことだけだ。


「……はい。頑張ります」


「うん。頑張ってね」


 それからは俺も先輩は話すこともなく雨の雑踏をかき分けていくだけだった。それでも少しだけ話すことができたおかげで俺にまとわりつく鬱屈とした感情も軽くなった気がした。


「それじゃあ、また気軽に話しかけにきてね」


「はい。あ、あと先輩から借りたタオルなんですけど……」


「ん? ああ、いいよ。貰っといてー」


 先輩は友達に話しかけるような気軽さで俺に争いのもとを譲渡した。あー使いたいなぁ。けど見つかったらアイツになんて言われるかなぁ。


「ああ!? ルーナ様!?」


 ほら、来たよ……。


「こんにちは」


「こ、ここんにちは!!」


 礼儀正しくお辞儀して挨拶をするルーナ先輩と、挙動不審になって九十度を超える深さの辞儀をするレビン。レビンに関しては相手に対してする辞儀というよりも、もはや地面に対して辞儀をしているかのように真下に頭を向けている。これではレビンに春が訪れることはないだろう。というかこの世界に季節はあるのだろうか?


「君のお友達かな?」


 ルーナ先輩は目線を俺に合わせて尋ねてくる。友達……かなぁ? どうなんだろう……。


「はい! 友達ですッ!! 生まれた時から片時も離れない心の友です!!」

「先輩、それは嘘です。こいつと心は繋がってないし、初対面です」


「初対面じゃないだろ!? さっきも会ったじゃねえか!? あ、先輩! 俺はレビン・クレイストンといいます。いやー、先輩、なんとお美しいお姿で…………」


 面倒くせえぇ……! 俺はさっさと中に入りたいんだよ……!


 苛立ちを隠しきれない俺と必死に先輩からの株を上げようとするレビン。二人を見つつ、戸惑いの表情のまま微笑む先輩はレビンの肩に手を置いて話しかける。レビンは手が触れた瞬間に体を跳ね上げて奇妙な声を上げた。


「ありがとうね。レビン君。君ともっとお話ししたいところだけど、私は管理生としての仕事が残ってるのでね。ほら、お友達も待たせてることだし、歓迎パーティーに戻ってはいかがかな?」


 言葉巧みに先輩は迫り来るレビンを静止し、俺もパーティーに参加できるように取り繕ってくれた。レビンはその意図に一切気づいてないようで、縦に何度も首を振りながら俺の背中を押し、会場に向かって歩いていく。


「分かりました! またお話ししましょーう! ルーナ様ーー!!」


 俺をぐいぐい押しながらレビンは最後の最後まで媚びを売り続けた。ルーナ先輩は俺たちが会場に入るまで手を振り続けていてくれた。


 中はまるで中世の舞踏会のような盛大な会場と化していた。


 一心不乱に食事へとがっつく者。ふざけ合って騒ぎ立てる者。すでに心を交わした仲間たちと隔たりなく話し合う者。暖かなシャンデリアの灯りに照らされて、これからの生活への期待や希望といったものが目に見えるようで気圧される。


「すげえ楽しそうじゃねえか。みんな」


 卑屈になるに決まってる。俺はこの世界で暮らした記憶を持っていない。ここにいる人間の大半はこの世界で暮らしてきて、もちろんこの場にも見知った顔の人間も多数いることだろう。俺は華やかなこの場を乱す存在。こんな明るい色に当てられると胸焼けする思いだ。


「そりゃそうさ。歓迎パーティーだからな。中には浮かれすぎな奴もいるけど、みんな楽しんで親睦を深めている。素晴らしいじゃないか。ほら、行こうぜ」


「は?」


 レビンは俺を引っ張って奥へと進んでいく。周りから訝しげな目線が追いかけてくる。レビンはそんな視線を気にすることなく歩みを進めるだけだ。


「おい! そんな急がなくてもいいだろ!」


 レビンの手を振り解こうともがくがこいつは一向に手を離そうとしない。逆にもがこうとするほど離れないように力が強くなっている。


「クラスの奴らがうるさいんでな。お前には急いでもらう義務があるんだよ」


「おお!?」


 俺は立ち止まったレビンに前へと突き出された。転けないように踏ん張って顔を上げてみると、目の前には先程まで一組の教室にいた顔ぶれがテーブルクロスの敷かれたパーティー台を囲んでいた。


「あ……ええと……」


 俺に気づくと全員の視線が一斉にこちらへと向けられた。


「スパーダ!」


 真っ先に声を上げ、俺の元に駆け寄ってきたのはローベンだった。そしてローベンが先導するかのように他のクラスメイトたちも俺に群れをなすように押し寄せ──


「大丈夫だったか!? スパーダ!?」


 と、俺の安否を確認し、安堵する声を真っ先に皆があげた。


「すまねえな、あの金髪野郎を止められなくて」


「もう大丈夫なの? うわ、絞められた跡が残ってる。治すね」


「ほら、こっち来いよ! 歓迎パーティーなんだし楽しもうぜ!!」


 弾丸の如き速さでクラスメイト達は俺を囲うように声をかけてくる。


 俺は呆気に取られていた。彼らは先程まで俺に疑いの目線を送る者や嘘つきを煙たがるような態度を見せる者もいた。それが今では俺に対して心配していたという声をかけてくれている。なんで?


「悪かったな。俺たちも今まで色々あったからよ。……まあ、お前の名前はそれだけ俺たちに取っては重要なものなんだ。俺たちはお前の家の名前を知っていてもお前のことを知らない。だけどお前はこれから一緒にこの学校で学ぶ仲間なんだ。この学校では一人一人が主役だ。そこには生まれも何も関係ねえよ」


 レビンは照れ臭そうに頬をかきながら俺にそう言うと、台に置いてあったクラッカーを手渡した。


「よっし、んじゃあ、やるぞ皆んな!!」


 レビンの号令でクラスメイト達がクラッカーを掲げる。レビンはそれを確認し、大きく息を吸い込んだ。


「今日が俺たちの旅の始まりだ! 祝おうぜ! 歌おうぜ! 遊んでいこうぜえぇぇぇぇ!!」


「うおおおおお!!」


 爆発音にも等しい一クラス分のクラッカーがクラスメイト達の雄叫びと共に炸裂する。会場にいる他のクラスの生徒達は何事かとこちらを一瞥するが、そんな変化は一組の生徒にとっては些細なことに過ぎず、レビンの言う通り彼らは一人一人が主役となってどんちゃん騒ぎを始めた。


「ほら! お前も引けよ!」


「お、おおう!」


 肩を組んできたレビンに流されるまま俺はクラッカーの紐を思い切り引き抜いた。『パァン!!』という心地よい音の振動が耳に響き渡る。それは俺の心を洗うには十分で、俺と仲間を繋ぎ合わせる音であったことは間違いなかった。

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