3 家族

「まずいな。多分親父、腹空かせて待ってんだろうな……」


 ずれ落ちてきたボディーバッグをしっかりとかけ直して俺は来た道を走り出した。


 坂は登りよりも下りの方が足が疲れる。登るだけでも疲れるのに本能的に転ばないよう力みながら足は動くので足が少しづつ痛くなってくる。さらに夏の暑さが相まって周りの暑い空気を切り分けながら走らなければならない。


「ハアッ……ハアッ……!」


 息が切れかかる。1度休もうかな……。いや、親父も、昼飯を作ってくれている母さんも待たせている。ここは走り切るしかないだろう。


 先程のローベンの家での会話を思い出す。何を言っているのかあまりよく分からないバースの話。簡潔にしか分からなかったが、自身を知るための大きな転機だということは分かった。


 自身が何者なのか分からず、ただ親が作ってくれた「道」の上を歩くだけでよかった。だが、それで良いのか。別の道はないのか。そう考えて生きてきた。俺は別の道を歩きたい。……だけど、それは俺のただの我儘なんじゃないか? 


 ──名言集を作ってくれと言った親父。


 ──自身家で怒りっぽいけど俺を誰よりも愛してくれる母さん。


 その2人が育ててくれた今までを俺の手で消して良いものなのか?


 気がつくと家に着いていた。考え事をして周りが見えなくなることはあんまりないのだが。家に入ろうとすると小ぶりなバッグを持った母さんが出てきた。


「今帰ってきたところかい! 遅いよ! あの人が腹すかせてるだろうから今から行こうってとこだったんだ!」


 帰ってくるなり俺は母さんに鬼の形相で怒られた。


「悪かったよ。今行くから許してくれ」


「それだったら昼飯持っていかないとね。家に作って置いてあるから待ってな」


 そう言って母さんは家の中に引き返した。


「どうやって伝えればいいだろう……」


 母さんの顔を見ると途端に気まずさでローベンの家での出来事を両親に話すことができるのかどうか不安になってきた。


 突然今まで育ててきた拾い子がどこかに行きたいと言い出したらどんな反応をするのだろうか。恐らく断層の話をしても信じてはもらえないだろう。自分自身も自分の体で起こしたあの変化がなければ魔法が日常的に使われる世界の話など信じない。もっと常識的な説明をしないと。


「はい。崩さないようにね」


 母さんがさっきより少し大きなバッグを渡した。中を確認すると昼食のサンドイッチが綺麗に敷き詰められている。


「アンタのサンドイッチは右側だからね」


「ありがとう。行ってくるよ」


 ……母さんに伝えるのは良くない。少なくとも今は。まずは親父に会ってからだ。バッグを受け取ると俺は走ってその場を後にした。


 親父のいる工事現場は港の近くにある。家を出て商店街を下っていく。商店街を抜けたら住宅地と商店街の境の十字路を左に曲がり下り坂を下っていくと……着いた。


 久しぶりに見る親父の建築物。長年の経験の積み重ねから生み出される作品。作っているものは港に停泊する船を集めるためのドックだ。7年前から政府の要請で作っているのだとか。


「おーい、親父ー」


 ちょうど休憩をしている作業員の集まりを見つけ、声をかける。


「ん? ああ、現場監督の息子か。監督ー? 息子さん来てますよー。多分監督の昼飯でも持ってきてくれたんじゃないっすか?」


 作業員の1人がここからは見えないところにいる親父に伝えた。その直後にまるで突風のような速さで親父がこちらに走ってきた。


「おい! 遅えじゃねーか! 俺を餓死させる気か!」


 ……全くこの親父は……。


「いやいや、弁当置いてったの親父じゃねーか」


 俺はバッグから父が置いていったサンドイッチを手渡した。


「そういやそうだったな。悪い」


 そういうなりすぐに昼食を取り出し食い盛りの少年のように親父は食べ始めた。


「今は休憩中か?」


「おう。お前も飯食うのか?」


 バッグに手を入れ、サンドイッチを取り出した俺に向かって親父が言った。


「うん。親父が飯忘れていったから俺もこっちで食おうと思ってな。昼間、ローベンの家に行ったら長居……しちまって」


 頭の中を今日の出来事がよぎった。ローベンの家で見た青い薔薇や宙を浮くトレイ。そして杖を剣に変える力を持っていて、ここじゃないどこかで生まれた自覚のない俺自身。


「ん? どうかしたか?」


 親父はひょうきんそうに見えて実はかなり鋭い。親父はすぐに俺の言葉の違和感に気づいたようだった。


「……まあ、な」


 やはり言えない。出かかった言葉が詰まってしまう。


「何かあるんだろ? 俺だって昔、親父にこの島に行って暮らしたいって言うのに1週間はかかったんだ。無理に言えとは言わねーよ」


 親父が俺に気を遣ってくれている。俺も腹括って言わないと何も変わらない。でも今は言わない。俺は親父の手伝いをしに来た。もしかすると最後の手伝いかもしれない。ならば一切の迷いは捨てる。今は集中すべき目の前の仕事を成すだけだ。


「また後でな。後で話す。今は仕事に集中だろ?」


「ま! 確かにそうだな! おーい、お前ら! そろそろ時間だ!」


「おう!」


 大工たちが立ち上がり一斉に作業場へと動き出した。夏の暑さに男たちの熱さが相乗する。


「それじゃあやるぞ! 今日は息子も手伝うから気合い入れろ!」


「オッシャッ! 気張っていくぞ!!」


 屈強な男たちが作業を始める。釘を打つ音、機械音、指示の声など様々な音が周囲に広がる。俺も彼らに負けぬよう木材運びを徹底した。


「ノア、こっちだ」


「はいよ」


 親父に指示され木材を指定の場所に運ぶ。


「おう! サンキューな、ノア坊ちゃん!」


「その言い方はやめてくれ。俺は坊ちゃんじゃねーから」


 この人たちは親父の元で仕事をしている大工たちだ。親父はこの島で建築会社を建て、そこの親方としての立場を持っている。その親父に弟子入りしたこの人たちとは俺も昔から面識があり、クリスマスパーティーなどでは家に迎え入れてよく馬鹿騒ぎをやるような親密な仲だ。


「……ふう。今日はこんなところか。よし! お前ら、今日はここまでだ! 工具を片付けてシートを被せろ!」


「へい!」


 午後6時30分。大工たちは汗を拭いながら返事をする。俺は汗だくになりながら近くにあった木材に座った。柔らかな波を打つ海と白い浜辺を、雲を割って差す夕陽が輝かせるこの景色がこの島で一番好きな景色だった。


「ほらよ」


 声の方向を向くと親父が水の入ったペットボトルを投げ渡してきた。


「おっとと……サンキュー」


 水はクーラーボックスに入れてあったのか冷たく、喉を通り抜けると感じるその冷たさが夏の暑さに勝り、生きているということを感じさせてくれる。


「いやー、しっかし全然完成しねーなー」


 俺の横に座った親父は建築中のドックを恨めしそうに見ながら言った。


「あとどれだけかかるんだ?」


「まあ軽く見積もっても8年ぐらいか。やっぱり従業員数が少ないし、政府が貿易のために使うでっかいドックだ。規模も仕事もでかいから手抜きもできねー。ま、大工が手抜きするわけにはいかんが」


 少し間が空いて、親父は光り輝く砂浜を悟るような目で見て話し始める。


「……なあ、ノア。なんで俺は働いてんだと思う?」


「え? 急にどうしたんだよ」


「いいからよ。ほら」


 突然親父が人生相談を息子にし始めたらその息子はどう思うだろうか。いつもこの親父のこういったおかしな流れはウザ絡みから始まり、俺が適当に流して終わらせるものだが、なんだか今日は俺も真面目に受け答えてみようと思った。


「うーん……家族のため、かなぁ」


「まあ、それも1つだよな。うんうん。とーさんはちゃんと質問にこたえてもらえてうれしーぞー」


「ぼーよみやめーい」


「……ま、結局はさ。なんだよ。俺はさ、昔はやんちゃしてて親父にこっ酷くしばかれたもんだ。それでも俺は懲りることなくしばかれ続けた」


 ……うん。なんか情けない独白だな。


「でもな。適当に建築学んで、遊び呆けてた俺がよ、惚れた女がいたんだよな」

「母さんね」


「そうそう。母さんはちゃんと働いててな。すっげえ輝いて見えた。そして俺が猛アタックして付き合って結婚してこの島に移住してすぐに家建てたんだよ」

「仕事してねえじゃねえか」


 この親父の話す内容の大半はこういった脈絡のない会話の波の嵐だ。今聞いてる限りだとただのヒモ──


「ヒモとかいうなよ?」


「……はい」


「でさ、家が建つまで何度も現場を見た。俺が適当に学んだ建築が、目の前で俺たちのために役立ってるんだってさ。俺はなんか悔しくなったんだ。俺はその知識を得たのに何の目的もなくて手に余してるだけだったからさ」


 親父はギリと歯を噛んだ。毎回大袈裟な仕草ばかりするが、この親父は嘘がつけないからそれは本当にその悔しいという感情を今まで引き継いでいるということだ。


「そして家が建ったんだ。そして建てた人がこう言ったんだ。『これからも末永くお幸せに。この家を大事にして暮らし続けてくれたら私たちも幸せですから』って。俺はその言葉を聞いて決めたんだ。建築をやるってな。俺の持っている力で、人を幸せにできる。それって今までやってきたどんな遊びよりも楽しいだろうってな」


 親父が腰を上げる。浜風になびかれて親父の髪がふわりと凪ぐ。


「そして1から建築を学び直して、棟梁の下で修行して、こんな大仕事を任せてもらえるまでになった。俺、多分あのまま遊び続けてたら今よりももっとロクじゃねえ人間になってた。だからよ。も一つ名言集に付け加えておいてくれ。──人は働かなければ腐っていく──ってな」


 何故だろうか。親父が今は本当に親父に見える。能天気で配慮が苦手な親父がこんな真剣な顔をして話す人だとは知らなかった。


 感動からか少しだけ時が凍りついたような感覚になったが、俺はすぐに気を取り直した。


「……ああ、分かった。名言集第30号ぐらいか?」


「え、そんなにあんの」


「ああ、『地中海のマーマレードは全部俺の物だあ!!』から始まり……」


「なにそれ、ダサ」


 それから俺はしばらくいつもの脈絡のないドタバタした展開を見せる親父の会話についていきながらも光り輝く砂浜で家族の時間過ごした。


「なあ、ノア」


「んー?」


「今日、なんかあったか?」


 会話の途中、話が切れたタイミングで親父が急に真顔で聞いてきた。そう。この親父、ちゃらんぽらんに見えて実は鬼のような勘を持つ男なのだ。


「あー、えーとー」


「俺がいいこと言っただろ? お前も自分の本心は包み隠さずいってみな。スッキリするぜ? なんかお前、仕事してる時もちょっと心ここにあらずって感じだったしな」


 うわー……マジか。そんなつもり全然なかったんだけど。……それでもやはり親父は俺のことをよく見てくれている。そんな親父にちゃんと本心で向き合いたいのは俺も一緒だった。


「……実は今日、ローベンの家で──」


 俺は打ち明けた。ローベンの家で自身の正体がこの世界ではないところからきた人間であるということ。ローベンが魔法使いで、俺も杖を剣に変える不思議な力があること。親父も俺の話をちゃんと聞いてくれた。俺の予想に反して親父は俺の話に納得しているようだった。


「なるほどな。やっぱり魔法使いだったわけか」


「魔法使いかどうかは分からないけど……どうしてそんなすんなりと受け入れられるんだ?」


「そりゃ信じるさ。だってお前だぜ? 拾い子なんだからどんな話も信じられる」


 そういう理由かよ……。やはり親父らしく単純な解答だな……。


「まあ、お前は俺の息子だしな」


 親父は照れ臭そうに微笑みながら俺の頭に手を乗せた。その手はやっぱり大きくて、やっぱり、親父なんだ。


「よし! とりあえず帰るぞ。そして母さんも混ぜて話をしよう」


「そうだな」


 そうして俺と親父は浜辺を出て、大工たちに挨拶をしてから帰路に着いた。その道中──


「あ、悪い、先に帰っといてくれ」


 俺はある思いつきが浮かんで親父を先に帰るように促した。


「ん? どうしたんだ急に?」


「いやー、ちょっと急用が出来てな。すぐに帰るから。あ、このランチバッグ、母さんに返しておいてくれ」


 そう言って俺は親父に空のランチバッグを押し付ける。俺は浮き足立って不自然な動きをしているのだろうか、親父は疑いの目を俺にかけつつも折れ、1人で家に帰っていった。


「よし、んじゃ行くか」


 まだ決まったわけじゃない。決まったわけじゃないけど、もしやるのなら今日しか無い。そう思いながら俺は商店街へと駆け出して行った。


「ただいまー」


 親父と別れてから30分ほど遅れて俺は家に着いた。リビングに入るとすでにシャワーを済ませた親父がテレビを見ながらソファに寝転びくつろいでいる。


「おかえり。遅かったじゃない……ん? それなあに?」


 母さんが覗き込むように俺の背中を見ようとしてくる。母さんの視線を防ぐように俺は体を翻して腕でそれを隠す。


「わわわ、なんでもない! なんでも!」


 そう言って俺は逃げるように自分の部屋へと戻り、机の上にボディーバッグと隠し切った(はず)のそれを置く。


「あ、結局食べなかったな……」


ボディーバッグの中を漁ると食べなかったスナック菓子が出てきた。それもまた机の上に置いて俺はリビングへと向かう。


「シャワー浴びてきてもいい?」


 リビングのドアを開け中を覗き込みながら尋ねる。するとキッチンから母さんが顔を覗かせ応対する。


「いいよー、汗かいてるでしょ? しっかり落としてきな」


「はーい」


 何気ないこの会話も今日の出来事を思い出すとなんとも言えない感情を交えながらのものになる。


「ノア、とりあえず話は飯食ってからな」


 ソファでくつろぐ親父が小声で母さんに聞こえないよう言った。


 シャワーを浴び、夕食を取り、普段の生活通りに俺は過ごした。俺はその間にこの家族生活を振り返っていた。学校を辞めることをすぐ許してくれた母、自分に憧れをくれた父。2人は見ず知らずの子供だった自分を実の子のように育ててくれた。それに俺はとても感謝していた。


「ノア、お父さんも」


 夕食から約2時間後、リビングに戻ると母さんに呼び出されテーブルで話が始まった。


「ノア、お父さんから聞いたわ。あなたローベン君と本当の自分を見つけに行くんでしょ?」


「……ああ、そうだ。俺は昔からずっと自分が何者なのかを知りたかった。歳さえ分からないんだ。そして今、俺は自分を知るチャンスを持っている。俺はローベンと一緒に自分のことをちゃんと知りたいんだ」


母さんにしっかり目線を向けて言う。母さんは心配そうな表情をしていた。


「あなたはここでの暮らしに満足できてないの?私と店の仕入れとか、お父さんの工事の手伝いをするのはいやなの?」


「そんなことないさ。でも俺はやっぱり行かなくちゃ。本来俺は母さんたちの子供じゃない。ここでの暮らしは最高だ。嫌なこともあった。だけど店の手伝いをして、親父の大工仲間たちと馬鹿騒ぎやって母さんに叱られたりする日々が俺の生きがいだと思っていた。……エレナ姉ちゃんが帰ってきてもまた店に寄ってもらえるように頑張らないといけないのも本当なんだ」


「だったら無理に行かなくてもいいじゃない。私はアンタが離れていって学校で味わったような苦しみをもう一度受けることがあった時に1人で抱え込んでほしくないんだよ」


 母さんはより悲しいやら寂しいといった色々な感情が混じったような顔をして言った。


「心配すんな。俺にはもう友達がいるし、あの頃よりも強くなった。またあの時のような日々が続いても俺は必ず乗り越えてみせるさ。」


 そうだ。今の俺には友達がいる。あの頃には友達なんて誰もいなかった。だから俺は何も心配なんかしていない。


「母さん。ノアはもうあの頃のノアじゃないんだよ。ほら、目を見てみろ。これは決心した男の目だ。俺がこの島に来ると親父に説得した時と変わらないんだよ。こうなった男はもう誰にも止められないさ」


 2人はしばらく俺の顔を見つめる。その眼差しに背くことなく、真っ直ぐに。俺は真っ直ぐな決心を見せる。


「……分かったわ。頑張ってきなさい。ノア」


 諦めたように母さんは俺の頼みを了承した。


「! ……ありがとう。母さん」


「でもいつか必ず帰ってきてね。それまで店続けるから」


 優しい微笑みを母さんは見せてくれる。その顔を見ると俺の胸の内から温かいものが溢れてくる。


「もちろんだ」


「よし! それじゃあ今日は早く寝ろ! 明日の朝ごはんはみんなで食べるぞ!」


 親父は笑顔で話を締める。


「そうだな。それじゃあ、おやすみ。明日は6時起きかな」


「おやすみ、ノア」


 ベッドに入ってからは予想以上に早く寝付けることができた。それは両親に自分の思いを伝えられたことによる安堵からだろうか。それとも未練が残らぬように今をキッパリと捨てるための行動だったのだろうか。

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