2 魔法使いの少年
薄暗く、埃っぽい部屋の中で2人は面を向かっている。
「……お前が冗談を言うやつじゃないのは知ってるよ。それにこんな状況だ。信じるしかないわな」
信じ難い。信じ難いがそれはもはや言い訳だ。俺は狂ってはいないし、ローベンだって嘘はつかない。いつも友達として話していたローベン・ハーバーと自分のことを魔法使いだと言ったローベン・ハーバーは同一人物だ。第一に俺はこの目で見た。そして今も目の前にその証拠はある。
「青い薔薇か。ジャパンとオーストラリアの企業が生み出そうとしてるらしいが、こんな意味の分からん手段で生み出されたこいつを見た人間は俺が初めてだろうよ。世間的な名称ならばBlueRose(青い薔薇)。多くの薔薇愛好家の夢であり、その花言葉は『不可能』だ」
床に置かれている13本の花束を取り、まじまじとその色を見る。その青色に嘘偽りは無く、これが本当だと、これが『魔法』だと語りかけているようだった。
「流石の知識だね。それと……悪かった。昨日君が意味を込めてくれたこの薔薇を練習の材料にしちゃって」
深々と頭を下げてローベンは謝罪した。なるほど。昨日反応が悪かったのはこんな風に使ってしまうにも関わらず、無理に友情だのなんだの言って俺が渡したから申し訳なさでも感じていたというわけか。
「……頭上げろよ。別に怒っちゃいねえよ。なんなら意味のあることに使ってくれて良かった。それに俺だって青い薔薇を見てみたかったんだ」
「……なんで驚かないんだい?」
先程までの魔法使いとしての空気はなりを潜め、ローベンはいつもの雰囲気で心配そうに声をかけてきた。
「驚いてはいるさ。だけど別にお前は俺の知ってるローベンだろ? んじゃ何も問題はねえよ。友達の新しい一面が見れたってだけなんだから。それに俺だってこんなよく分からんもんを持ってっからな。あり得なくはないかなって思ってよ」
「あ……」
右腕の袖を捲って痣を見せる。それだけでローベンは納得したようだった。だがローベンはまだ思うところがあるようで、
「……まだ僕と友達でいてくれるかい?」
こんなことを言ってきた。……全く、馬鹿なやつだ。
「もちろんだ。というかお前、全然地味じゃねえな。魔法使えるとか誰もできねえことじゃねえかよ」
俺は嫉妬心と共になんだかローベンが遠いところに行ってしまったような感覚に襲われた。
「地味なのは変わらずだよ。僕が魔法使いだって知ってるのは今ここにいる君と僕の
「先生?」
「そこに座ってよ。そして僕の話を聞いてくれ」
ローベンが指さしたこれまた古木のテーブルの椅子に俺は腰をかけた。よいしょとローベンも俺と面を向かう形で椅子に腰をかけ、口を開く。
「君は昔、自分の話をしてくれたね。僕は君に何も伝えていなかった。僕も実は拾い子なんだよ」
「……なんだって?」
脈絡もクソもない唐突な告白に俺は当然ながら困惑した。
「僕もすぐそこの森で拾われたのさ。この家の家主、僕の『先生』にね」
浮かない顔に遠い目をつけながらローベンは渋々と語り出す。
「寒い日だった。確か冬だったかな。僕は森の中で倒れていた。記憶は──うん、あまり無いな。覚えてるのはこの名前だけ。他にも何かを覚えている気がするけど靄がかかってるみたいで。そして僕は森の中で先生に出会った。先生は僕を拾ってこの小屋で僕を育ててくれた。僕はこの杖だけ持っていてね、先生は僕のことを
ローベンは頬を掻きながら楽しさに寂しさを混ぜたような表情を見せる。今までローベンの正体なんて全く考えたことがなかった。だがよく考えてみると不自然だ。この島に学校は1つしかない。それだけ子供の数は少ないということだ。ならば島に暮らす子供なんて全員顔見知りと言っていいほどに今までで見る機会はある。だがローベンは俺の店に来て初めて見知った仲だ。そんなやつが訳ありでないはずがない。
「ところでその先生っていうのは何者なんだ? 常人ならそんな魔法使いなんて単語、簡単には出さないだろ?」
「呼んだかね?」
首筋に冷たい感触が舐めるように走る。後ろを振り返るとそこには白い髭を蓄えた岩のような肌の老人の顔があった。
「うおおっ!?」
激しく椅子が揺れた。動揺した際に俺の体が椅子の足にぶつかってもう少しでこけるところだった。
「そう驚かんでくれたまえ。私も驚いてしまうよ」
老人も驚いたのか目の前にあったその顔を後ろに引いて悲しそうな表情を見せた。だが驚くのも仕方がないだろう。だって後ろを振り向いたら真ん前にその顔があるのだ。
「先生、起きてたんですね」
「ああ、おはよう、ローベン」
ローベンと老人は挨拶を交わす。それだけで彼らが今までこの古小屋で過ごしてきたということも納得できるくらい自然と一体化した挨拶だった。
「あなたがローベンの義理の親父さんか?」
「いかにも。私の名前はフォーグリッド・バース。聞き覚えがあるのではないかね?」
バースは確かめるように自分の名を告げた。
「バース? バースと言えばこの島の名前?」
「そうだ。この島は私が作った人工の島だ」
「えっ?」
反射的に聞き返す。今この老人は島は自分が作ったと言ったのか?
「この島は私が30年ほど前に作り上げたものだ。イタリアの政府と合同でな」
「てことはバースさんはイタリアの偉いさん?」
「いいや、私はただの老人だよ。ただこの島を作り上げるために若い頃に努力しただけだ」
髭をさすりながらバースはその仏頂面を崩すことなく言った。
「……何か目的があって作ったんすね。この島を。……もしかして『魔法』に関することすか?」
「ほう、ならば君は見たわけだね。ローベンが魔法の練習をするところを」
俺は無言で頷いた。
「……少し話そうか。ローベン、お茶を出してあげなさい」
「はい。先生」
ローベンはそう言って足早にキッチンに向かった。
先程までローベンが座っていた椅子にバースはゆっくりと腰掛けた。
「さて、君の名は何と言うのかな?」
「……ノア・ウィザード」
少し間を置いて俺は自分の名前を伝える。
「ノア・ウィザード? 変わった名前だね」
「よく言われますよ」
「おっと、確かにそうだろうね。すまない、気を悪くせんといてくれ」
「大丈夫っすよ。慣れてますから」
自己紹介の内容は初対面の人と話す時の定型文になってしまっている。つまりそれだけ名前については尋ねられると言うわけだ。
「ノア君は学校には行っているのかな?」
バースはこちらを気にかけるような声で訊いてきた。残念ながらその質問も俺にとってはデリケートな内容だ。
「……いえ、行っていません」
「やや、すまない。また失礼なことを訊いてしまったようだ」
肩を落としてバースは落ち込んだ。俺は慌ててバースの機嫌を取ろうと話しかける。
「いえいえ! 大丈夫っす! 俺はちゃんと家で働いているんで!」
「家で働いている? 君の家はお店か何かなのかな?」
俺はバースと自分の家のことを話し合った。俺は自分の雑貨屋での仕事や、親父の作業現場のことなどを。バースはローベンの日常生活のことなどを話した。
「バースさんはなんでこの島を作ったんですか?」
会話がいい感じに弾んできた時に俺は本題に入った。
「そうだよね。それが一番気になるよね。この島を作った理由はね、この世界と『あちらの世界』を繋げるためなんだ」
「あちらの世界?」
「ローベンの住んでいた世界だよ。あちらの世界は『断層』もしくは『
「ローベンが住んでいた世界……」
ローベンはこの近くにある森で倒れていたところを拾われたと言っていた。そしてローベンは魔法使いだ。ならば自然とこの爺さんも魔法使いだと考えるのが妥当か?
「あなたも魔法使いなんすか?」
頭の中でまとめた結論で尋ねてみる。
「いいや、私は魔法使いではない。私は魔法に溢れた世界に生まれておいて魔法をを使えない人間だったのだ。だが、その代わりに持っている
バースはローベンがトレイにティーカップを持ってやってくるキッチンの方を見た。するとローベンの手からトレイが離れ、トレイが浮遊して向かってきた。
「!?」
そしてトレイはテーブルにゆっくりと置かれた。
「私は『超能力者』だよ」
バースはトレイのティーカップを持って一口紅茶を啜った。
「超能力……魔法の次はあの超能力と来たか」
俺は少し混乱し始めた。まだ何も聞いていないから分からなくて当然だが、魔法と超能力は何が違うのだろう。
「私の超能力はそこそこ便利な品物でね」
そう言うとバースは次にテーブル上の蝋燭の上に手を被せ、円を描くように回してその手を引いた。すると着火源がないにも関わらず蝋燭の頭に火が灯りだした。
「……なんでもありなんすか? 超能力ってのは」
「いや、この程度ならできるってぐらいだよ。こちらの世界では超能力は上手く発動しない。魔法も然りだよ」
「じゃあ向こうの世界だったら、もっと強い超能力や魔法が使えるってことすか?」
俺はローベンの入れてくれた紅茶を飲みながら言った。ローベンの入れてくれた紅茶は普通に美味しかった。
「そうだね。この世界と向こうの世界では
バースは顔を少し顰めたようだが、元から顰め面であるためあまり表情の変化は窺えない。
「超能力者で身分が低い? じゃあ魔法使いの方が身分は上?」
「いや、魔法使いと超能力者は同格だ。断層で最も数が多く、地位が高い人間。それが『魔法能力者』と呼ばれる人々だ」
「魔法能力者? 名前から察するに魔法使いと超能力者のハイブリッドってことすかね?」
魔法と超能力の違いはあまり分からないがとりあえず言葉通りの意味で訊いてみる。
「その通りだよ。魔法能力者は魔法を使い、固有の超能力を所持する。断層の人口の8割は魔法能力者だと私の時代では聞いていた」
バースが難しい顔をして言った。どうやらバースは向こうの世界のことについてかなり詳しいようだ。ならこの右腕の模様だって何なのか知っているかもしれない。もしこれが向こうの世界由来のものならば、俺の正体はほぼ確実なものとなるだろう。
「……この右腕のこれについて何か知っていることはありますか?」
そう言って俺は右腕を捲り上げで右腕の痣を見せた。
「!? まさか、それは
痣を外に出した途端にバースは驚きの一声をあげた。
「神家の紋章?」
「ああ! それは血の断層において神の一族と言われる聖五神一族の人間のみが持つ紋章! まさか、君が……!」
「……すみません。ちょっと何言ってんのかわかんねーんすけど」
頭が混乱する。興味本位で聞いただけなのに突然これだけ驚かれるとどうすべきなのか分からない。だが聞きたいことだけは分かる。
「──俺って、何者なんすか?」
「……君の本当の名は私には分からない。だが確かな事実を君に伝えることはできる。君は
俺の顔を真っ直ぐに見つめてバースが言った。
「剣使い?」
「ローベン。彼に杖を貸してやってくれ」
「? はい、分かりました」
そう言ってローベンは俺に杖──といっても長さ20センチほどの素朴で細い木の棒を渡した。
「これをどうすれば?」
何をすればいいのか分からず、とりあえず右手でそれを持ち少し振った。
「その杖に意識を集中させるんだ。自分の存在を全てぶつけるかのように」
「杖に意識を……」
体の意識を杖に集中させる。あらゆる意識を、全て……。意識を集中させた時、突然身体中に何かが流れ出すのを感じると同時に激しく右腕の紋章が赤く発光した。そしてその何かが紋章を経由して杖を握る右手に送られるのを感じた。
「ノア……!?」
一瞬だった。気がつくと俺は杖を手にしているのではなく、長さ60センチメートルほどの
「剣……? 俺は
俺は面白おかしくなって鼻で笑ってしまった。
「剣使い。それは断層における最高の
バースは尊敬を込めたような声でそう話した。
「俺がそんな人間なのか……?」
信じられないが信じざるを得ない。俺は恐らくバースの言う通りの人間なのだろう。俺には何の知識もない。それなら彼の言う言葉を信じるのは道理だ。だが自分がこの島の、あの家族の1人である自分を思い返すともはや俺に他の家族がいたことを信じることはできない。それでもやはり知らないといけない気がする。
「……この島はすでに向こうと繋がっているんですか?」
「今までで1度も繋げたことはない。だがこの場所は私が魔力、まあいわゆるエネルギーが集まる地形を選んで作った島だ。今まで蓄積されたエネルギーを集めれば1日ぐらいで繋げることはできるよ」
その言葉を聞いて決心した。俺の望みを叶えられるかもしれないならやるしかない。
「ローベン! 行ってみないか? 俺たちの故郷に!」
「えっ?」
「お前も多分俺と一緒なんだろ? 記憶がなくて本当のことを知りたい。運命っていうのは不思議なもんだよなあ! この島に同じことを考えている二人がいるなんてさ!」
当てずっぽでローベンの考えを言ったが、なんとなく、だがしかし柔い確信を持って言った。
──ああ、分かったんだ。名前を馬鹿にされる日々に嫌になって、人に会うことさえ嫌だったあの頃に、俺がローベンに惹かれたわけ。俺は感じていたのかもしれない。ローベンと俺の故郷が同じ場所だということを。
「……僕も君の言う通り記憶がない。僕は先生に拾われて自分が魔法使いだと言うことを知った。そして先生はこの本をくれた」
そう言ってローベンは先程魔法を使うときに読んでいた本を見せた。
「この本は先生がいつか自分が魔法を使えるようになりたいとその一心で少年時代に使っていた魔法書なんだ。先生は僕にこの本を託してくれた。だから僕はもっと魔法のことを知りたい。この本に書かれている魔法を超えないといけない。もちろん僕だって自分が何者なのか知りたい。ノア、君は僕の好きな言葉を知ってるだろう」
──ああ、知っているとも。
「『希望があるところに人生がある』だろ?」
「その通りだ! 先生! 僕もノアと一緒に向こうの世界へ行きたいです!」
ローベンがこれだけ強く自分の意見を伝えるのを初めて見た。顔は期待に満ち溢れ、声色までも明るくなった。
「……そうか。実は私もそろそろお前に断層へ行ってみないかと誘うつもりだったのだ。だが少し不安だった。いつも1人で魔法の練習をしていて友達もいないお前を魔法使いが溢れるあの世界に送り出すとお前に辛い思いをさせてしまうかもしれないと思ってな。しかしその心配もないようだ。お前には良い友達がいる。私も安心してお前をあの世界に送り出せる。……私の若き頃の夢を君たちに託そう。向こうで良い生活を送ってくれ」
「ああ。……っと。もうこんな時間か。すまねえ、そろそろ帰らねーと。明日また来ます。そのときに行き方を説明してください」
腕時計の針は12時10分を指していた。
「分かった。気をつけて帰るんだぞ。行く前に怪我でもされては元も子もないからな」
「じゃあね。ノア。明日一緒に行けることを期待してるよ」
ローベンが手を振りながら言った。
「俺もだ。とりあえず親に話してみるよ。また明日な」
俺は手を振り返して家の外に出た。外に出ると夏の暑さがぶり返して俺は親父の元に急がなければならないという焦燥感が急速に高まった。
俺はボディーバッグをかけ直して全速力で走り出した。
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