12 入学式

「へっくし!!」


「大丈夫かい? スパーダ」


「……ああ」


 雨に濡れたせいか体がとても冷たい気がする。だがそれよりも気掛かりなのは、やはりあの赤髪の少女のことだった。


「なんだったんだよ……あの子。スパーダが傘渡そうとしたら逃げ出してさ。恩を仇で返すのはいただけないよ」


 ローベンはフンと鼻を鳴らした。確かに客観的に見ればそうなのだろうが、さっきの言葉には反論したいところがあった。


「……そう言うな。あの子、すごい取り乱しようだった。多分悪いのは俺だ。急に知らねえ男子に触られたら誰だって嫌だろ」


「いや、それでも親切を拒否されたら嫌だろう? それに実際あの子にとっては都合の良いことだったのに、何故傘を取らずに逃げ出したのだろう?」


 ……ローベンの言っていることはごもっともな意見だ。俺だって何故ああも強く拒絶されたのかは分からないし、心に靄がかかったみたいに納得できない。このわだかまりは苛立たせるものじゃなくて、何故? という疑問の要素の方が多い不快感がある。


「さあ、な。分かんねえ。分かんねえけど……まあ、また会えるだろ。その時に聞いてみるのもありだろうよ。そう簡単に聞いていいもんかは知らんが」


 庭園を抜けて、校舎が見えた。相変わらず馬鹿みたいな横幅を持つこの校舎をぐるりと迂回し、緩い勾配を登っていくと入学式の会場である大講堂が現れた。


 周囲には多くのローブ姿の人たちが見え、外からでも島にいた頃に経験した謝肉祭カーニバルで賑わう人々のような喧騒が強まった雨の音に負けることなく広がっていた。


「わっ、すごい人……」


 ローベンはまだ人混みに慣れていないのかキョロキョロと周囲を見渡しては人の顔ばかり伺っていた。


「行こうぜ。外にいると風邪ひいちまう」


「あ、引っ張らなくても行くって」


 俺はローベンの袖を掴む。そして大講堂の中に入るため、足早に人混みへと突っ込んだ。とにかく少しでも落ち着いた場所に行きたかった。体も冷えるし、も落ち着いてはいなかったからだ。


 受付を済ませて、大講堂に入った。傘をさしていたにも関わらず水浸しになっている俺に受付の先輩と思われる生徒は訝しげな視線を送ってきたが、何はともあれ式に出ることはできる。


 中に入ってその様子を一言で言うならば、この学校のスケールから想像できるように“馬鹿みたいにでかい講堂”だ。その収容可能人数はライブ会場が如き大多数を想定したであろうもので、二階に至るまで席が隙間なく詰め込まれている。


 そしてすでに多くのローブやらスーツやらを着た人々が席に座り、階段下、向こうステージ側に俺たちの組である「1」の数字が空中に浮かび上がっていた。


「君たち、何組かな……って君、どうしたの?」


「え?」


 今までに経験したことのないスケールの式が執り行われるその会場の壮大さに圧倒されていた俺の右から、何やら声が聞こえた。その声の方向を向くと緑のラインが入ったローブを着た青い髪の女生徒が不思議なものを見るような顔で俺をじっと見つめていた。


「あっ……と、あなたは?」


「え? ぷっ……くく……ああ、ごめんごめん。質問し返されるとは思ってなかったからさ。私は君たちの先輩さ。さて、君たちは何組の新入生なのかな?」


 その先輩を名乗った女生徒は子供を宥めるような口調で俺たちに尋ねた。


「1組です」


 何故か質問し返してしまった俺を見かねてか、ローベンが即座に返答した。女生徒はにまりと笑って俺たちの肩に手を置いて押すような形で階段を降りていく。


「そっちは任せたよ。トシ」


「おうよ。任せな」


 押されてしっかりとは確認できなかったが、後ろで返事をした生徒はなんか……変な格好をしているように見えた。


「さ、ここだよ。どうやら君たちは最後の方に来たみたいだね」


 数字の浮かび上がっている一帯の下に俺たちを案内してその女生徒は俺たちを座らせた。俺たちが座ったのは最後尾の右側で、俺は端から三番目の席に座った。


「式が始まったら騒いじゃダメだからね?」


 そう言って踵を返し、女生徒ははまた入り口付近に帰って行く──と思われたが。


「あ、そ・れ・と……」


 彼女は急にこちらを振り返って何かを俺に向かって投げ渡した。唐突なことで一瞬何をされたのか分からなかった。


「え!? あ、はい!」


 俺はなんとかそれをキャッチする。それは柔らかくて、少し温もりを帯びたタオルだった。


「また返しに来てねー。それ使って体拭いときな」


 今度こそ彼女は来た道を戻るために階段を上がっていた。「ありがとう」を言う暇もなくその姿は人混みにかき消されてしまって、またやるせない気持ちが胸の奥から湧いた。


「……あったけえ」


 だけどその温かみで体を拭くと、なんだか体の芯から温まるようで、冷たい雨に濡れた寒さも、心に積もった冷えたわだかまりも溶かされていく気がした。


「……るせねえ……」


「ん?」


 髪の毛を拭いていると俺の横に座っていた男子生徒がなぜか体を震わせていることに気がついた。俯きながら何やらぶつぶつと呟いている。


「ど、どうした?」


 俺は体調が悪いのかと思い、ポンと軽く男子生徒の肩へ手を置いた。


「いてっ!」


 ローベンが突然声を上げた。肩に置いた手が弾かれ、その拍子にローベンの顔に手が当たったのだ。一日に二度も手を弾かれる経験は初めてだった。


「悪い! ローベ──ン!?」


「許せねえ! 何でお前、ルーナ先輩のタオルおおっ……! 羨ましいっ!!」


 俯いていた男子生徒は目にも止まらぬ速さで俺に顔を近づけ、鼻息荒く俺に怒り──いや、をぶつけてきた。俺はほっと息を吐く。どうやらモヤモヤするような出来事は起きそうにない。ただこの男子生徒はあの先輩のタオルを貸してもらった俺が羨ましいだけのようだ。


「どうしたんだ? あの先輩のことでも好きなのか?」


「馬鹿を言えッ! そんなこと畏れ多くて考えるのも烏滸おこがましいわ! あのお方はこの国を統べる『聖席十二貴族』が一家、エルヴィロード家のご令嬢であるルーナ・グライス・エルヴィロード様だぞ!?」


 俺の言葉に反応してその男子生徒は早口であの先輩の素性を誇りを持ったかのように語り始めた。


「へー、すごい人なんだ。それならちゃんとお礼しないとな」

「いらん! 俺がお礼するッ!」

「なんでだよ」


 思わず突っ込んでしまったが、この男子生徒も身嗜みだしなみがしっかりしていて、良いところの出身のように思える。髪の毛だって一切の傷みがない黒髪で、肌の血色も良く思えた。


「君、名前は?」


 俺の横に座るローベンが身を乗り出して名前を尋ねた。


「よくぞ聞いてくれた! 俺は東区の名門クレイストン家が嫡男、レビン・クレイストン!! よろしくなっ!」


 彼はローベンの手を強引に引っ張って握手した。先程の嫉妬する彼とは違い、とても爽やかな笑顔をローベンに見せたが、俺に顔を向けた時にはすでに俺を妬む目つきの悪い人相へと変貌していた。


「……お前、名前は?」


 レビンは嫌そうにしながらも俺に名前を訊いてきた。


「え? ああ、俺はスパーダ・リンドバーグっていうんだけど」


 という言葉を口にした途端、一組の席に座る生徒たちの騒がしさが一斉に止んだ。そして目線が俺へと集中する。レビンの目の動きも固まっていた。この空間だけが、とても冷たい空気に包まれた気がした。


「……リンドバーグ? リンドバーグって……あの?」


「え? そう、だけど……」


 ──ローレンス様じゃないのか? 


 ──スパーダって誰だよ? 偽物? 


 ──ローレンス様は亡命なされてからは行方不明だろ? それに俺たちと同じ年頃じゃねえし。


 ざわつき始める生徒たち。皆が口々に話し始めて音の衝突で何を話しているのかは聞こえない。ただ全員の顔には好奇心と疑いの色が見え隠れしている。


「あっ──と……」


俺はどうすれば良いのか分からずにもたついていた。俺の名前がこれほどまでの影響を与えるという実感がなかったためだ。場の空気に飲まれる。本当に今日は毎度毎度モヤモヤさせられる。何でこうなるのだろう。学校というものは──いつも。


 嫌な記憶が引き出されそうになり、目を閉じた時、それを壊すパンッという音が響き渡った。


 再度、皆が静まり返る。顔を上げるとレビンの横の眼鏡をかけた生徒が立ち上がって真っ直ぐ前を向いていた。そして一切顔を動かさずに一点を見つめた後、こう言った。


「静まれ。……式が始まる」


 彼はぶっきらぼうにそう吐き捨てるように言うと、乱暴に席へと腰掛けた。生徒たちは状況を理解できていないようで、互いの顔を見合ったあと、会場に響いたブザーの音で一斉に前へと向き直った。


 俺も前を向こうと思ったが、ローベンの横の席が一席空いていることに気がついた。見渡してみると席の数はきちりと四十。この空席によって今ここにいる人数は三十九人。一人欠席しているのだろうか。そう物思いに耽っていると、マイク音が会場に響き渡り、俺は反射的に前へと向き直った。


 前を向くと灰色の髪をオールバックに整えた若い男性が司会の台へと着き、すでにその責務を果たしているところだった。


「ご来賓の方々、在校生の皆様、そして入学される皆様方、ただいまより第六百三十二回エーデルヴァルト魔法学校入学式を挙行いたします。まずは我が校の校長、オースター・ネルソン校長のご演説です」


 司会の言葉で周りは一気に静かになった。それと共に白い髭の校長がステージに上がるための階段をゆっくりと登っていく。そして堂々とした足取りでステージ中央の演説台に立った。


「ご来賓の方々、在校生たちよ、この入学式に参加してくださり感謝いたす。そして新たなる世代の子たちよ。ようこそ! ここが名高きエーデルヴァルト魔法学校じゃ! ここに集まった新入生は皆、歳もバラバラで目的、出身もそれぞれ違うのであろう。しかし、皆この魔法学校で学ぶという目的においては一致しておるはずじゃ。そして我々はこの世界の様々な情勢を見てそして行動して行かなければならない時代を生きておる。7年前の神殺しの夜、多くの人を失った。家族を失った者たちも多くおるじゃろう。それに追い討ちをかけるディールの侵攻、大英雄テガロスの加護はもうこの世界にはない。それに伴う時代の波。我々はまた戦わなければならない時代を迎えた。故に生き抜く術を、かけがえのない命のありがたさを皆には知ってほしい。歓迎しよう! 皆の学舎まなびやはこのエーデルヴァルト魔法学校じゃ!」


 声高らかに宣言し、校長は一礼した後、席に戻っていった。

 大きな拍手が体育館全体に響き渡った。校長の演説は見事だった。それは今までの気さくな老人である校長を知っていたそのギャップによるものだろうか。いや、違う。あれが本当の「校長」の姿なのだ。それと同時に俺はこの学校で学ぶという事実に好奇心と僅かな怯えを感じた。


 ──信頼する人間は選べってな──


 俺は唐突にあの暗闇での会話を思い出した。目の前で大勢に話したあの校長の言葉に、嘘偽りは、は一つもないのか──?


「ノ……スパーダ? 体調でも悪いのかい?」


 ハッと息を呑むと横の友人が心配そうに声をかけてきた。


「……いや、なんでもない。大丈夫だ」


 俺は頬を叩いて気を引き締める。人を「信頼する」のと「疑い続ける」のは天秤で釣り合いをとるものじゃない。今はこの式にしっかりと集中することだ。


 来賓やら、連合関係者の演説はあまり耳に入っては来なかった。皆は彼らのことを知っているのかざわつく場面もあったが、俺にとっては初見の他人にすぎない。そんな知らない人間の取り留めもない演説に悦を見出せるほど俺は生真面目な人間ではないのだ。


「ありがとうございました。次は在校生代表のレヴェル・スピルバーグ君です」


 静寂の中に席を立ち上がる音が割って入る。音の主は後方にいるようで、階段を降る音がカツカツというブーツの放つ音であることに気がついた。


 俺は後ろを振り向いた。彼は俺の横を通り過ぎる。その瞬間、俺は時間の流れが緩やかになったかのように彼の姿を吟味していた。


 神々しい混じり気のない白い髪。スラリとした長身に誰から見ても理解されるであろう二枚目。彼の一挙一動には学生離れした風格というものを感じる。


 彼の黄金の瞳が俺を捉える。まるで磔にされたかのような感覚。その感覚は彼の眼が離れた際に途絶えた。


 俺は心臓の鼓動が速くなっていることに気がつく。直感。論理と言った難しい御託を並べなくていいというのならば、「」とは彼のような人間のことをいうのだろう。


 彼は階段を降り、ステージに上がる。黄金の瞳はここからでも恐ろしいほどの色の濃さの虹彩を持っていることが分かった。


 彼はゆるりとした口調で演説を始める。


「新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます。曇天の空でなければ、どれほど晴れやかな気持ちであったことでしょうか。さて、生徒代表として……いや、ここからは私の持論となりますが、皆様に言葉を一つ伝えたいと思います」


白髪の彼は一間を置き、この会場にいる全員の顔を見渡す。その顔つきはやはり学生離れしていて冷たい氷のような冷然とした顔つきだった。



「……



その言葉で会場から発する音源は全て消え去った。誰も彼もがこの場で言葉を発してはならないというかのような顔でステージの青年に目を向ける。


 彼の顔つきが変わる。先程までの冷然とした顔ではなく、その黄金の瞳に熱を灯す。


「学問、競技、そして実戦。今を生きる学生たちにとってこれらは避けられない障害である。そう考える方々もいるでしょう。しかしそれは障害ではなく好機チャンスなのです。学問で強く在る。得た知新は人を導き、より良い未来を作る橋となる。競技で強く在る。積み重ねられた名声は未来を築く多くの人々の希望となる。実戦で強く在る。生き残った者はその手に未来を切り開く力を得る。──そう。強さとは未来そのもの。過去を悔やむ暇があるならば、明日を生み出すための時間を使いましょう。この血の断層ブラッドフォールトには既に大英雄の庇護はなく、我々は700年の惰性を捨てなければならない。人は再び強くなければ生き残れない生命へと堕落した。平和という頂上から混沌という奈落へと世界は変わってしまった」


彼の拳が強く握り締められる。そこから溢れ出したものは彼の覚悟そのものだった。彼は声高らかに宣誓する。


「なればこそ、私はこの言葉を身に刻む。──強く在れ。身で劣るならば心を。武で劣るなら文を。これは決して突き放す言葉ではない。弱者など存在しない。人は強い。誰も彼もが夢を持ち、それに向かって突き進める力を持つ。そしてその強さは人によって違う。完璧な人間など存在しない。人を人たらしめる最も強き力はだ。新入生よ。友を作れ。支え合え。君たちは輝ける。そして君たちが輝いた時に思い出すものは友の顔だ。この学舎で暮らす七年間。悔しくて眠れない日も、悲しくて投げ出す日もあるだろう。そんな時に思い出せ。──君たちは一人じゃない。君たちは弱くない。強く在れ。強く在れ。……以上で私からの演説を終わります。ありがとうございました」


 生徒代表は一礼をした後、堂々とステージを降りた。終盤はもはや口調さえ変わり、ステージ前方の席に居座る教師と思われる大人たちでさえ圧倒されていた気がする。しばらくの沈黙の後、誰かが思い出したかのように手を叩き出すと、皆もそれに気がついたのか盛大な拍手で彼を席へと送り出した。


 右に座るローベンを見ると驚きで固まっており、意識はここにはないようで、左に座るレビンは驚きと尊敬を込めた目で彼の姿を追っていた。


「あれが管理生のレヴェル・スピルバーグか……! まだ3だっていうのになんて迫力だっ……!!」


「──え?」

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