9 7年越しの親子再会
……何を話せばいいのだろうか? 7年ぶりに再開したとはいえ、記憶にない目の前の男を親として認識することはごく不自然で、難しいことだ。
ローベンはそう思い、ノアが不器用なりにも作ってくれた時間を未だ使うことができていなかった。
「……とりあえず、茶でも飲めよ」
気まずい空気を感じたのか、グリフィスが声をかけた。ティーカップをローベンの前へ差し出す。
「あ、ありがとうございます」
「おいおい、親子なんだぞ? そんな畏まらないでくれよ。まあ、お前には俺が親だっていう記憶もないんだろうけどな」
グリフィスは先程ノアと話していたような責任を強く持った長としての顔ではなく、一人の親としての親しみを持った優しげな顔をしていた。
「うん。何も記憶はない。僕はこの杖しか持っていなかった。だけど、僕はある老人に拾われたんだ」
ローベンは自身に残っている記憶を話した。その話を聞いている時のグリフィスの顔は嬉しそうであったが、それと一緒に申し訳なさそうな哀愁を漂わせていた。
「そうか、すまないな。俺のせいでお前には望まぬ少年時代を過ごさせてしまうことになってしまった。親として不甲斐ない」
父親は深々と息子に頭を下げた。
「そんなこと言わないでよ。僕はノ……スパーダという友達ができたし、先生には魔法の使い方を教えてもらったんだ。ここで僕らと同じ年頃の子たちがどんな生き方をしているのかは分からないけど、僕は今までの人生に満足している。だから謝らないで」
息子は父を励ました。記憶にない男でも、このような真っ直ぐな心を姿勢で示す男を父と認めないはずがなかった。
「……すまない。しかし大きくなったな。あんな小さな子がここまで育つとは。よっぽど大切に育ててくださったのだな」
「先生は能力者だったんだけど、僕は先生が持っていた魔導書をもらって毎日練習していたんだ。まだ全部は使えないけど、いくつかの魔法は使えるようになった。先生は僕に夢を託したんだ。この世界で幸せに生きられるようにと」
「魔導書……? それは一体どんな本なんだ?」
グリフィスは訝しげに尋ねた。
「ええっと……ここにはないんだけど、バースさんがくれた本だよ。すごい古そうな本で色んな魔法のことが書かれているんだ」
「……そうか。魔導書……ふーむ……」
グリフィスは顔を顰めて考え始めた。ローベンはグリフィスは考え事を常にしているような慎重な人物なのかとその人物像を考察した。思い詰めた結果、グリフィスの顔はその緊張を解き、柔和な笑顔を見せる。
「……そうか。お前はいい人に育てられたんだな。本当に良かった。その人のためにもこの世界でお前は強く、賢くならなければならない。そのためにもにスパーダ様と共にエーデルヴァルトへ入学するべきだろう」
「エーデルヴァルト……」
ローベンはルゴッキーの話を思い出した。低所の話だ。刑務所のような場所で、外への出入りも限られるという。
「もしかして低所を怖がってるのか? 大丈夫だ。あそこはもうすでに廃止されているし、私の時代は一人も入った者はいなかった」
「そうなの? なら大丈夫か」
ローベンはほっと息を吐き出す。それを見て父はにこやかに話しかける。
「お前は私の息子なのだから入るわけないよ」
笑いながらグリフィスが言った。ローベンはその顔を見て鏡で自分の顔を見た時と同じ面影を垣間見た気がした。
「そしたらな、そいつが魔法薬をぶちかましてな。もう俺の頭はえらいことになった。みんなの笑い物だったぞ」
「父さんの頭がどんなのになったのか気になるなあ」
グリフィスは楽しそうに昔話をしていた。実の息子と七年ぶりの再会を果たしたのだ。親として嬉しいことこの上ないだろう。ローベンも時間を忘れて会話が弾む。
「そういえば、エーデルヴァルトってどんな学校なの? 校長先生から聞いたんだけどあんまり分からなくて」
「ん? エーデルヴァルトか。エーデルヴァルトはこの世界、断層の中でも屈指の名門校だよ。断層で初めて作られた魔法学校でもある」
「え? そうなの?」
「そうだ。他の魔法学校はエーデルヴァルトをもとに建てられたものが多い。故に魔法史にも名高い多くの魔法能力者たちはこの学校から輩出された。だが……」
グリフィスの明るい声色が急に暗くなった。
「だが?」
「……エーデルヴァルトはあのローズベルバードの母校でもある」
グリフィスの顔が一気に暗くなる。その声はとても重くて低い。
「え? あの闇の王が……?」
「やはり名門というだけあって力を求める者もたくさん集まる。闇の王は魔法能力者を優遇し、それ以外の人間を人間以下と評している。『優れた者だけの世界をつくる』と奴はあの夜に言った。志が誤った方向に向いた時にそれらは大きな力となって世界に牙を剥くんだ。お前は絶対にそんな道に堕ちるんじゃないぞ。たとえ何かが裏切っても心だけは正しい道を進むんだ」
真っ直ぐに子を見つめて父はそう告げる。それは彼の心からの頼みだった。誤った道を進んだ者たちに多くの命を奪われる凄惨な事件を経験した人間が一番理解した次の世代への教訓。ローベンはこの言葉を深く受け入れた。
「僕はノア……スパーダと共にこの世界で強くなる。だけど力の使い方は間違えない。力で何もかも解決しちゃいけないんだ。先生は能力者で、魔法能力者に憧れた。悔しいこともあったはずだ。魔法能力者主義の闇の王たちの考え方は先生に誓って、決して許さない」
ローベンの決意は固かった。力に溺れたものの結末は滅亡だけだ。ローベンは思い出す。過去にとある軍人が皇帝に成り上がり、力に溺れ衰退したという話を。そういった話は数多く存在し、現代を生きる自分たちを戒めるために語り継がれるものなのだと。
「お前たちがこれから強さだけの魔法能力者ではなく、強さを使いこなせる魔法能力者になってくれることを期待してるよ」
そうグリフィスが言った次の瞬間にノックが部屋に響く。そしてドアが開くと校長とノアが一緒に入ってきた。
「おや、一緒だったのですね」
「二人ともちょうどこの部屋に戻るところでの。ローベン君よ。有意義な話はできたかの?」
「はい。とてもいい時間になりました。このような機会を作っていただきありがとうございました」
ローベンが姿勢を正してお辞儀をした。
「親子で揃う姿を見るのも久しぶりじゃのう。わしは親子の姿を見るのが好きでな。親のいない子もこの世界にはたくさんおるのじゃ。そのこともちゃんと理解するのじゃぞ?」
相変わらず校長は宥めるような声でローベンに言った。
「はい」
「さて、そろそろ帰るかの。世話になったな、グリフィスよ」
「私も息子と再会でき、嬉しい限りです。ありがとうございます。ローベン。頑張るんだぞ」
ポンとローベンの頭にグリフィスが手を置き、くしゃくしゃと頭を撫でた。ローベンの頬が少し赤らんだ。
「うん。……また会えるよね?」
「もちろん。いつでも来てもらっていいぞ。でもこれからまた忙しくなるからな。しばらく後になるかもしれんな」
「そう。それじゃあまたね」
ローベンが手を振った。
「じゃあな。最近は治安もあまりよくない。私たちもじきに警備を強めるつもりだ。それまではできる限り路地裏などは使わないようにな」
グリフィスが忠告して手を振りかえす。
「では行くぞ、君たち」
「……はい」
ノアが若干の間を開けて返事した。そして三人はグリフィスの部屋を出て行った。
「そういえば、校長先生は何をしていたんですか?」
ローベンが思い出したかのように尋ねた。
「ん? わしはこの世界では顔が効く方での。魔法連合の偉いさんとお茶会でもとな」
笑いながら校長が茶化して答える。ノアの目つきが少し細まったのをローベンは見た。
「そうなんですか。ノアはどうだった? 散歩してたんだろ?」
「え? ああ、ここは広すぎて迷うってぐらいだ。立ち入り禁止のところも多いしな」
「行ったりしてないよね?」
心配そうな顔をしながらローベンが聞いた。
「分かりやすく立ち入り禁止って書いてあるところにわざわざ行く馬鹿がいるか」
ノアは馬鹿にすんなと言わんばかりに鼻を鳴らして返答した。ローベンは胸を撫で下ろす。そして来た道をもう一度振り向いて父がまだ手を振り続けてくれていることに気がついて、手を振り返した。
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