6 昔話〜街にて

 オリバーに連れられて学校の外に出た。学校まで来た道の逆を歩いていく。


「スパーダ様。一つお願いが」


「なんすか?」


 スパーダと呼ばれるとなんともむず痒いような感じがする。今までずっとノアと言われていたから、急に自分以外の誰かと間違えられ続けているような感じだ。


「今のこの世界では剣使いの力は無闇に使わないでください」


 オリバーが冷淡な口調で止めを刺すように言った。


「あの剣使い取締りのこと? やっぱりヤベーの?」


 俺は軽い口調でオリバーに聞いた。


「ええ、とても危険です。この国はとても豊かです。他の国と比べればとても。しかしがあれば必ずがある」


「どういうことすか?」


「見てみますか? 貴方と同じ剣使いの姿を」


 オリバーのサングラスから見えないにもかかわらずギラリと眼光の圧が強まったのを感じた。これ以上踏み込むなと。そう体現しているようだった。


「……俺からは見ない。今日はオリバーさんに任せます」


 俺は話の中心から引いた。まだ深みに入るには早すぎる。なんせこの国の一欠片もの知識さえないのだ。急ぐ必要はない。


「分かりました。ローベン様はどこか行きたいところはありますか?」


「とりあえず街をちゃんと見てみたいです!」


 今のローベンは目を輝かせた少年でしかなかった。ローベンは胸を弾ませたような明るい口調で自分を主張した。


「分かりました。こちらからでも行けるので行ってみましょう」


 学校の長い敷地と家に挟まれた街路を通ると少しずつ賑わいの声が聞こえてきた。


「オリバーさん。僕の父はどんな人なんですか?」


「グリフィスさんはこの国の誰もが知っている魔法能力者ですよ。フローラはグリフィスさんがいなかったら本当に神殺しの夜で滅んでいたかもしれないと言われるほどです。強く、そして人望の厚さが何よりもすごいところですね」


 歩きながらローベンの顔を見てオリバーが話した。


「そうなんですね。会ってみたいです」


「また会えると思います。グリフィスさんは魔法連合の上層部の方なのでなかなか会えないかもしれませんが」


 俺たちはオリバーと談笑しながら街道を歩いて行った。


「ここがフローラ中央区、メルバーダです。五大国の特産品を取り扱う店や、飲食店、娯楽施設など様々な店が構えています」


 そこは現代の街にも似た風貌の商店街だった。様々な店が立ち並び、見たことのない食べ物や商品があった。極め付けは奥にそびえ立つ時計塔だ。ロンドンの時計塔ビッグベンに匹敵するその大きさは遠く離れたここからでも圧倒的な存在感を放っていた。


「あのでっけえ時計塔は?」


「あれは『大議会場グランドパーラメント』ですよ。単純に時計塔とも言われますがね。あそこはこの国の政治が行われる議会場です。時計塔を中心にして周りにはビルなどが立ち並んでいるのですよ」


「へえー、ここも結構な都会すけどねー。俺らの住んでた島の街とは大違いだ」


「とりあえずここら辺を見て回りますか?」


「そうっすね。とりあえず」


 俺たちは賑やかな喧騒が広がる街の中へと潜り込んでいった。

 

 大通りの左右には様々な店が並んでいる。一歩進めば人とぶつかるのではと思うほどの賑わいっぷりだ。


「お、オリバーじゃねーか! 久しぶりだな!」


 しばらく歩き、色々な店を見回った後、大通りの右側から男の声がした。


「おう、ルッキー! 元気だったか!」


 オリバーが声を返した先には少しよれた青いローブを着た三十代くらいの男性が店の前で花の手入れをしていた。


「おかげさまで店も繁盛してるぜ! そっちの坊ちゃんたちは?」


「こちらはあのスパーダ・リンドバーグ様とグリフィスさんのご子息、ローベン様だ」


「ほえ!? あ、あのスパーダ様とローベン様だって!?」


 その男は花の手入れそっちのけで俺の前にひざまづいた。


「こ、これはなんとありがたいことか……! 貴方がスパーダ様……! お元気そうで何よりです!」


「やめてくれ! こんなところで! とりあえず中に入ろう!」


 周りを通りかかった人々がこちらを見てざわつき始めたため俺は店の中に入ることにした。


 店の中には様々な物が置いてあった。青く光り輝く地球儀のようなものや、宝石、見たことのない道具の数々。本棚には本がびっしり埋まっていた。


「オリバーさん、この人は?」


「この男はルゴッキー・ヴェルマン。私の同級生です。10年ほど前からこの店を開きました」


「ルゴッキーさん。すまねーが、俺には記憶がないから自分が本当にそのスパーダ・リンドバーグってやつなのかも分からねーんだ。だからそんな畏まって接しないでください。調子が狂いそうになる」


 ただの一庶民でしかなかった人間にいきなりの好待遇は気持ちが悪い。これからもこんな待遇が続くと思うと頭を抱えたくなる。


「何を仰いますか! 貴方様の右腕に宿る神家の紋章こそが神の一族たる証拠、スパーダ様である証拠でございます」


「えっ?」


 不思議に思った。なぜこの右腕に刻まれた神家の紋章が分かるのだろう。今は長袖を着ていて紋章は見えないはずだが。


「あ、すみません。ちまうもんで」


 ルゴッキーが照れ臭そうに頭をさすりながら言った。


「見える?」


 ふと横を見てオリバーに目線で尋ねた。


「こいつの能力は透視能力なんですよ。魔力が溜まっているものなら物理的に見えなくても能力が視覚として判断するんです」


 どうやらこの青いローブの男は俺の神家の紋章が見えるようだ。能力には常時発動型もあるのか。


「まあ、まだまだ分からねーことだらけなんで。とりあえずオリバーさんにこの街の案内をしてもらってるんすよ」


「それはそれは! では私の店をぜひ見ていってください! 初めて見るものばかりだと思いますよ!」


 それからはルゴッキーからの商談が延々と続いた。話が途切れることなく次々と自身の取り扱う商品の説明をされ、どうやらローベンは気が滅入ってきたようだった。かくいう俺はというと向こうで培った商人魂に火がつき、様々な商品について持論を展開していた。


「ねえ、ノア。この話いつまで続くの?」


 ローベンが疲れたような声で訊いてきた。


「俺とこの人の商売魂が底つくまで」


 そういうとローベンの顔が暗い絶望に包まれた。


「こちらはですね、『ヴェデーレ』というアイテムでして、こちらのレンズを覗くことで能力や魔法のぶつかり合いで飛散した魔力の跡を見ることができます。魔法連合の調査隊やこの国の警察なども使う逸品でして……」


「ああ、ありがとう。ルゴッキーさんの商品への情熱はハッキリ分かったぜ。すげえなルゴッキーさん」


 流石に話が長引きすぎると他のところを見る時間がなくなってしまうのでここいらで話を切り上げることにした。


「もったいないお言葉でございます」


「これだけ商品の説明が出来るのは一流の証拠だ。俺も向こうじゃ雑貨屋をやってたから分かるけど。一つ一つの商品に対して向ける情熱がどれだけ薄れやすいかってことも知ってる。大好きなんでしょ、商売」


 俺のその言葉は本心から出た言葉だった。それを聞いたルゴッキーは突然涙を流し始めた。


「ありがとうございます……。すみません、お見苦しい所を……。私のこの気持ちを理解してくださったのは貴方が初めでございます」


「こればかりはやったことのある人間にしか分からねえ。理解されないのも無理はないっす」


「それではこちらの商品を……」


「いや、もう大丈夫です」


 流石にこのマシンガントークには俺もついて行く気は起きなかった。


「……せぇ!……せ!」


「……だれか!………ください!」


 話を続けていた中、何やら店の外が騒がしくなってきた。


「なんだろう? 外が騒がしくなってきたよ?」


「少し見てきます」


 オリバーは重々しい顔つきのままルゴッキーの店から出ていった。


「……鬼の檻場が見られるのか」


 先程とは打って変わって真剣な声でルゴッキーがひっそりと呟いた。


「おにの、おりば?」


 ローベンはルゴッキーの小声を聞き逃さなかった。


「恐らく外を見れば分かると思いますよ」


 はぁ……とため息をついてルゴッキーは言葉を濁した。その顔は何かを思い出しているようで陰っていた。


「行くぞ、ローベン」


 俺はローベンの腕を掴み、引っ張って外に出た。


「おらあ! さっさと金寄越せってんだよ!」


「いいもんあんじゃねーか。貰ってくぜ〜」


「やめて下さい!」


 実際に見たことはなかったがどうやらこれが強盗というやつららしい。みずぼらしい服装をした男三人組で若い女性の店員を脅して金と物を巻き上げている。


「助けねーと!」


 何ができるか分からないが助けを求めている人を見殺しにはできない。俺は走り出した。しかし突然目の前の地面が隆起し、生み出された見事な石柱によって進路を阻まれる。


「うわ、なんだ!?」


 立ち止まって石柱を見る。石柱は地面の色と全く同じ色で本当に地面から生えていた。


「あ? なんだよテメェ」


「街中で騒ぎを起こすのはお控え願おう」


 強盗の肩を掴んだのは強面のサングラスの男だった。


「オリバーさん!」


「お二人はそこにいるように」


 オリバーは俺の前に聳える石柱を指差した。


「いつまで掴んでんだよ! この野郎!」


 強盗は乱暴にオリバーを振り払った。オリバーはどっしりと構えていて突き飛ばしを食らっても微動だにしない。


「おい! やるぞお前ら!」


 リーダーと思われる一人の声で残り二人の強盗が集まってきた。


「ちょうどいい。スパーダ様、ローベン様。『魔法』と『能力』についてお教えしましょう」


 オリバーが杖を取り出した。すかさず強盗たちもその小汚い服のポケットから杖を取り出す。


「こんな街中でやんのかよ!!」


 通りにいた住人や観光客が慌ててその場を離れ、これから起こる戦いに巻き込まれないよう避難し始める。そして往来する人々が消え去り、乾いた風が吹く煉瓦の上にオリバーと強盗たちが向かい合う。


衝撃インパライ!」


 強盗の一人が叫んだ。煉瓦の地面が剥がれ衝撃音と共に空気がオリバーに向かってまっすぐに進んでくる。


吸収アブリムーブ


 オリバーが杖を向けるとその衝撃は少しずつ、空気が抜けるように消えていった。


風力ヴィエント


 オリバーが呪文を唱えると、先程の衝撃が比ではないほどの強力な風がお返しと言わんばかりに強盗に向かって真っ直ぐに吹き荒れる。


「! 防守ステプト!」


 もう一人の強盗が唱えた。目の前に透明な壁が現れたが一瞬にしてその壁は砕け散った。


「ぐあっ!」


 その強烈な突風の前に壁を出した男は吹き飛ばされた。男は地面に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。


「ちくしょう!」


 飛ばされた仲間をよそ目にもう一人が無鉄砲にオリバーに突っ込む。手にはナイフを持ち、乱雑に振り回すその姿は正しく強引に盗む者の姿だ。


「お二人とも、今のは全てです。魔法はと呼ばれる高次存在から生み出される魔力を材料に詠唱によって確立させることにより発動します」


 突っ込んできた強盗と接近戦を繰り広げながらオリバーが説明した。力の差は歴然だった。オリバーは強盗の攻撃を全て避けながら話している。


「ちくしょう! 何で当たらねーんだ!」


 強盗が躍起になる。その一つ一つの挙動がさらに大雑把になっていく。


「ちなみに魔法を使うのに必ずしも杖は必要ありません。ですが魔法はその魔法の対象を捕捉、つまり狙いを定める必要がある。また杖は使用者の魔力に馴染みやすく使いやすい。そのため魔法使いや魔法能力者は杖を使うことが多いのです」


「邪魔だ! どけ!」


 奥のもう一人の強盗が力を溜めると手から大きな火球が生み出された。投げつけられたその火球の熱量は10メートルほど離れた建物の脇にいる俺にさえもそのエネルギーを感じさせるものだった。


「オリバーさん!」


 まずい……! 分かる。あれは魔法じゃない。魔法なんかとは比べ物にならないほどの力を持つ技法! それはつまり……!


「これが。能力者一人一人が異なる能力を持ち、基本的に魔法を凌駕する力ですが、魔力の消費が激しいのが欠点です。魔法を超える力を持つ能力に対してはこちらからもで対処します」


 火球が目の前まで迫る。オリバーはその場に立ちすくんだままだ。


「オリバーさん!」


 ローベンが叫ぶ。その叫びも虚しく、街のど真ん中で爆発が起きた。あたりが黒い煙に囲まれる。避難していた人々が悲鳴をあげる。


「へっへへ……なんだよ、当たんじゃねーかよ」


「オリバーさん……」


 ローベンが崩れ落ちる。俺の体も棒となり、硬直した。目の前で起きた惨劇は誰も止めることができないものだったのだと。その事実を俺に突きつける。


「──このように、能力に対しては能力で対抗します」


 黒煙の中から声が聞こえる。ローベンが顔を上げた。黒煙を抜けたその先にはオリバーが平然と立っていた。そしてオリバーの前には傷一つない大きな壁が聳え立っている。


「これが私の能力、『創建そうけん』です」


 オリバーが手を叩くと壁は崩れて消えた。


「この能力は派手さこそありませんが便利な能力だと私は自信を持って言えます。こんなふうに」


 もう一度オリバーが手を叩いた。すると強盗を囲むように側から柱が乱立し、それは彼らの頭上へと収束され強盗たちを閉じ込める檻となった。


「なんだ!?」


 強盗たちはこうして一人の魔法能力者に容易く捕らえられたのだった。


「くそ! 出しやがれ!」


 強盗たちが乱暴に檻を揺らす。びくりともしないその檻の外からオリバーは彼ら一人一人に杖を向けた。


「まずお前たちは詠唱の発音からやり直すことだな。そのような詠唱では魔法を確立させるので精一杯だろう」


 オリバーは厳しい口調で吐き捨てた。


「なんだと……! 馬鹿にしやがって! お前みてえなやつと違って俺らは食っていくのもままならねえ。こうでもしねーと生きていけねえんだよ!」


「それでも精一杯生きている人々もいる。お前のように盗みに走る三下も多々いるが、その行為は如何なる理由があろうとも悪だ。俺もお前と同じだった。それでもここまでの違いが出るのは恐らくの違いだな」


「なんだと……?」


「お前達は魔法能力者管理部に連れて行く。再起してまた出直してこい」


 オリバーはまた手を叩き、柵を手錠に変化させて強盗たちを拘束した。


「すみません。私は管理部を呼んでくるので街を見るのならルッキーの店で待っていてください」


 オリバーが強盗たちを見ながら言った。


「あ、ああ。分かった」


 俺は我に返って返事をした。なんて強さだ。何が起きているのかはあまりよく分からなかったが、ただただ強い。その一言しか思い浮かばなかった。


「中入ろうか、ノア」


「……そうだな」


 俺たちは何事もなかったかのようにルゴッキーの店に戻った。振り向いた時にはもう街は先程の賑わいを見せる。それこそように。


「外の騒ぎ。ここまで聞こえていましたよ」


 カウンターに座っているルゴッキーが道具の手入れをしながら話しかけた。


「鬼っていう意味が分かったぜ。捕まえて容赦無く正論かましてやがる」


 昔通った学校の鬼教師って呼ばれてた先生もそんな感じだったことを思い出した。


「それだけで済んだんですか?」


「ん? ああ、今管理部とやらを呼びに行ってますよ」


「昔のアイツなら多分相手が気を失うまで殴り続けてますね」


 道具を磨きながらさらっと恐ろしいことをルゴッキーが言った。


「えっ? どんな人だったんですか、オリバーさんは?」


 ローベンが尋ねた。


「学校一の問題児でしたよ。すぐ暴力を振るって、先輩達を殴り倒して。それが原因で『低所』に入れられましてね。それでもそこの管理者が手に負えなかったみたいで戻ってきたんですわ」


「低所ってなんすか?」


「低所っていうのは成績不振や、問題児が入れられるクラスです。地下にあるんですよエーデルヴァルトの」


「地下ってまるで牢屋みてえっすね」


 俺は冗談で例えを言った。


「実際そんなもんですよ」


「えっ?」


 首筋にそろりと寒さが掠る。つい先程にもこんなやりとりがあった気がした。


「低所に入れられると外に出られるのは各学期の長期休暇期間のみになっちまうんですよ。寮に戻ることもできずに低所の個室がその生徒の部屋になるんで。何よりもスパルタの管理人がずっと見張ってるんで脱出は難しいですな。まあ、今は廃止された制度だって聞いてますけどね」


 俺とローベンは顔を合わせた。言葉を発さずともローベンは俺と同じことを考えたように見えた。


「でも、オリバーさんは出てきたんですよね? そのあとどうなったんですか?」


「出てきた最初の方こそまだ暴れてたんですけどね。ある日を境にめっきりそういった行動が無くなって。多分学長と何か話したんでしょうなー。それからというもの真面目に勉強に勤しみ、魔法、能力も暴力に使わないようになって良いやつになりました」


「そうなんですか。それが今のオリバーさんになってるわけですね」


 ローベンが納得したように言った。


「しかし、アイツもそれから順風満帆な生活は送れなかったんですよ。神殺しの夜の後、闇の王のスパイなんじゃないかと疑われて5年間連合の刑務所『箱庭』に入れられてまして。ネルソン学長や友人達の抗議の結果、出所できたんですよ」


「オリバーさんにそんな過去が……」


「まあ、アイツはあんな風貌ですしね。疑われても仕方ないというか。恐らく容疑もでっち上げられたものです。魔法連合も最近は世界情勢の調整に苦労してるみたいですし」


 ため息混じりにルゴッキーは語る。


「神殺しの夜の後は大変でした。なんせ国の大半が焼けてしまったので。7年の間にこの国は一人一人が生きるために必死になって毎日を過ごしてきたんですよ。強盗事件も後を経ちません」


 微笑を崩さずにルゴッキーは話し続けた。この世界はどこもかしこもこんな治安の悪い場所だらけなのだろうか。それでもこの国はまだマシなのだろう。


今日歩いたこの地区は生気にあふれていた。人々が溢れかえり、賑やかな喧騒に包まれる都。それでもあの強盗のような貧しさ故の強行に出る人々が絶えない。平和なんてこの世界には存在しないのかもしれない。


 そんなことを考えているとオリバーが帰ってきた。


「ただいま戻りました。どうしたんですか? そんな顔をして」


「いや、なんでもないよ」


 俺は一体どんな顔をしていたのだろうか。


「では、街の散策に戻りますか?」


「いや、やっぱりいいっす。色々聞けたんで。今日は帰ろうと思います。いいよな? ローベン?」


「うん。そうだね」


 ローベンも頷いた。


「承知しました。では帰りましょう。またな、ルッキー」


「じゃあな、オリバー。スパーダ様、ローベン様、またのご来店をお待ちしております」


「それじゃあまた。さん」


 俺は『ご来店ありがとうございました』の看板を見つめ、扉を開き外に出た。


「今日のところはこんなもんで十分です。今日で全部覚える必要はないっすよね? いきなり常識はずれなことばっかり覚えられないし」


 俺は深く息を吐いてみる。今日の出来事がこちらでの日常ならまだまだこの世界に馴染むのは不可能だろうなと思った。オリバーの圧倒的な実力によって強盗は鎮圧されたが、あの時に俺が突っ込んでいたら間違いなく魔法やら能力やらによって玉砕していただろう。


「そうですね。この世界とあなたが生き延びた世界は違うのでしょうから、知らないことが多くあるはずです」


「そうだろうなぁ……だって空の色だって──」


 俺は上を向こうとしたはずだ。はずなんだ。だけど、こんな光景が目に入ったら、どう足掻いたって上なんか向けない。


「──────」


 絶句した。暗い路地裏だったからあまり奥までは見えない。だけど見えた。繋がれた鎖、ボロボロで汚れた服、乱れた髪に、絶望的な、その横顔。あれは確実に──


「スパーダ様?」


「オリバー……さん。あれ……」


指を指した時にはもう、その姿はそこにはなかった。その瞬間に、その体は誰かに引っ張られるかのように引き摺られて消えたのだから。

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