第4話 決断

 A君は結局、区役所の福祉課に相談に言った。

 これまでの経緯を話して、同棲している女性がHIVポジティブで精神疾患があるけど、身元不明で適切な保護を受けられないでいると訴えた。

「身元がわからないから保険証もないので・・・。私の扶養に入ってもいいんですけど、一体、何から始めていいかわからなくて・・・」

 A君は泣いていた。なぜこんな目に遭うのか・・・エリートだったはずの自分が・・・。福祉課の人も同情している様子だった。

「自傷行為とかはありますか?」

「いいえ。それはないです。外出が怖いみたいですが、家にいる時は落ち着いてます」


 結局、Bさんを精神病院に保護されることに話が決まった。Bさんは強制的に収監されて行った。Aさんは鍵を開けないといけないので、その日立ち会った。

 Bさんは叫んだ。

「裏切ったな!死ね!」マンション中に怒号が響いた。

「ごめん!ちゃんと治療した方がいいと思って」

「殺してやる!」

「ごめん。ちゃんと治療した方がいいよ!」

 

 A君は落ち込んだ。これでよかったんだろうか。

 血液検査をしたら、A君はHIVに感染していなかった。病気さえなかったら、Bさんと一緒にいるのは楽しかった。一緒にテレビを見たり、持ち帰りの美味しいスイーツを食べたりする、普通の時間が心地良かった。俺は裏切り物なんだろうか?俺たちが過ごした時間は偽りなんだろうか?

 Bさんと暮らして、もう4年ほど経っていた。


 ***


 Aさんは迷った末に、Bさんが収用されている精神病院を訪ねて行った。Bさんのことが心配だったからだ。


「白谷マユミさんに会いに来たんですけど・・・4年も一緒に暮らしていたので、気になってしまって」

「白谷さん?そんな人いませんよ」

「え、でも、役所の人がここだって・・・」

「ああ・・・もしかして、あの人じゃないかしら・・・。蔦美津冴子さん」

「え?名前違うんですか?」

「そうなのよ・・・行方不明だった人みたいで」

「えぇ!」

「そうそう。ご両親から捜索願が出ててね。本人が頭がおかしくなってて、自分の名前を忘れちゃって」

「蔦美津さんですか・・・」

「会う?」

「はい」


 Aさんは、蔦美津冴子さんの主治医と話した。それによると、蔦美津さんは都内に住んでた28歳の女性で、4年前に実家から家でしたまま行方不明になっていたそうだ。施設に入っていたことは今までなかったそうだ。レイプされたり、殺人を犯してしまったという事実はなかった。小学校高学年になった頃から、幻聴が聞こえるようになって、学校には通っていなかったそうだ。親は国立大学の教授で、兄は妹の精神疾患を直すために精神科の医者にまでなっていた。


 Aさんが暮らした白谷マユミというのは、Bさんが作り出した別人格だったのだ。


 ***


 AさんはBさんに直接対面した。一応、面会用の部屋があった。

「マユミちゃん」

「A君!迎えに来てくれたの?」

「うん。ごめんね。こんな所に閉じ込めて」

「A君のマンションに帰りたい」

「うん。もうすぐ帰れるよ」

 A君は嘘をついた。

「私たち、いつ結婚するの?」

「君が退院したらね」

 A君はそれから毎週見舞いに行くようになった。

 そして、マユミさんに頼まれた物を差し入れした。


 しかし、A君はやがて自分にできることはないと悟って、行かなくなった。

 そして、家も引越した。


 ***


 それから数か月後、A君はニュースで衝撃的な事件を耳にした。


『今日午後3時ごろ、都内の〇〇精神病院で男女二人が刺されて死亡するという事件が発生しました。二人の男女は入院患者の両親とみられています。刺したのは30歳の女性。両親が自分を捨てたから刺したと供述しているとのことです』


 うわ・・・殺しちゃったんだ・・・Bちゃん。

 別れてよかった・・・。

 Aさんは安堵した。


 ***


 あれから何年経っただろうか。Aさんは40になっていた。

 美しい女性と結婚して、2人の子どもを儲けた。

 それでも、AさんはBさんのことを時々思い出していた。Bさんとのことは今まで誰にも話したことがなかったが、恋しくなることがあった。猫のように甘えて来るところがかわいかった。色々な意味で人間離れしていた。知的障害のある人のようだったけど、彼女といると肩肘を張らずにすんで、すごく楽だった。

 殺人犯と暮らしていて、結婚まで考えていたなんて、今ではお笑い種だ。Aさんは苦笑いする。

 

 ある土曜日の昼下がり。奥さんと子どもたちは、ママ友たちと一緒に市民プールに出かけていた。Aさんは家で一人ゆっくりして、ゴルフ番組を見ていた。そういう時間が一番好きだった。家族元気で留守がいい。


 インターホンが鳴った。あ、宅急便だ。そう言えばなんか来るって容子が言っていたっけ・・・。Aさんはテレビを点けっぱなしで、玄関に向かった。

「はい」

 Aさんはカメラを確認せずに、いきなりドアを開けた。多分、宅急便の人だ。

 

 しかし、目の前に知らない女の人が立っていた。

「A君。退院したから、会いに来たよ。私たちいつ結婚するの?」

「え、マユミちゃん?俺、実はもう結婚してて・・・」

「裏切者!」

 

 気が付くとAさんの腹には包丁が突き刺してあった。

 Aさんは激痛で言葉もなく、よろめいた。


「ねぇ。いつ、結婚するの?」

 女は何度も尋ねたが、Aさんの返事はなかった。

「ねぇ?結婚いつ?ねえ」

 床に倒れたAさんの胸の辺りには血だまりができていた。

「ねえ!早く答えてよ!」

 玄関にBさんの声がこだましていた。

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