第2話 あなたになれたら

 赤ちゃんをベビーカーに乗せ、公園まで散歩に行き、ママ友たちとおしゃべりするのが日課だ。

 光の後をつける影子が、背後に佇むのも、日常の風景。

 どうしても慣れない。監視されているようだし、始終無言なのもあって、単純に怖い。なにを考えているのだろう。

 怖すぎて、気づかないフリをして過ごした。招いてないのに自宅のバーベキューへ来たときは、警察を呼ぼうかと思ったが。

 

 

 

 スーパーへ行っても同じだ。

 ママ友と買い物をすれば、パシャパシャと撮影音がする。商品棚からのぞく、折れそうなほど痩せた手が、フラッシュを放つスマホを握っている。

 光はママ友の背中に隠れた。

 ママ友は影子を睨み、視線で迷惑だと示す。けれど影子は、帽子の下の目を爛々と輝かせ、隠れる光の様子に興味津々だった。


 

 

 赤ちゃん抱っこ講座の日。公民館に、赤ちゃんを連れた親が集まっていた。

 光も参加していた。わが子が急に泣き出したので、なだめようと四苦八苦していた。

 やってきた講師が、光の姿勢や赤ちゃんの足の位置を変える。

 

「足をこうしてこうしてください」

 

 赤ちゃんはピタッと泣き止んだ。魔法のようだ。

 

「すごーい」

 

 ほかの母親たちも、口癖にすごいすごいと言って笑った。

 その様子を、スマホで撮影している女がいた。室内なのに、つばの広い帽子を深々被っている。時々、片手に抱えている布の塊をのぞきこみ。

 講師が咳払いし、

 

「撮影禁止です」

 

 影子は怯まず、

 

「先生、私の子にもやってください」

「……? あなたのは、うーんそうね……」

 

 影子さんの言う『私の子』とは、布の塊だ。

 講師は、影子の頭のてっぺんから爪先まで、ゆっくり視線を下ろし、観察した。見るからに怪しんでいる。

 光も同じように影子を見るが、『あれ?』っと思った。

 

「影子さん、その服どこで買ったの?」

 

 服装が、自分が前に買ったばかりのものにそっくりだ。

 影子は当たり前のように、

 

「光さんがSNSで着てるの見て、かわいいから買っちゃった」

 

 案の定だった。私を真似ている? それに、しゃべり方やしぐさも。

 不意に、赤ちゃんの泣き声がひときわ大きくなった。

 

「ミルクかな。おっぱい飲ませてきます」

 

 影子さんから離れるいい口実ができた。光は逃げるように、授乳用のついたての裏へ隠れた。

 

 

 赤ちゃんはごくごくとおっぱいを飲む。丸まった小さな背中を、光はトントンと軽く叩いた。

 

「よしよし。もっと飲め」

「よしよし。もっと飲め」

 

 間近の囁きに、ぎょっとした。

 いつの間にか、布を抱えた影子が、隣にいる。

 

「あ、気にしないで。私も赤ちゃんに授乳中だから」

 

 影子はさらけだした片胸を、大事そうに抱えた布に押しつけている。

 顔が引き攣るのが、自分でもわかった。

 

 

 

 影子の家は、いつもゴミで散らかっている。掃除をしないで、壁一面に、光の日常の写真を貼るのが、影子の日課だ。

 残り少ない貯金で、スマホやパソコンの画面を映せる、大型テレビも買った。

 花見。公園。スーパー。バーベキュー。公民館。赤ちゃんを抱いた光の動画が、絶えまなく再生される。

 姿見の前に立ったら、ビデオと見比べながら、光のしぐさ、表情、赤ちゃんの抱き方を真似した。

 三脚につけたビデオカメラで、自分の姿を撮影もした。画面の中に、動く自分の動画と、光の動画を並べ、何度も何度も見比べた。

 録音した音声も聴き込み、真似する。

 

『だよねー』

「だよねー。だよねー。だよねー」

 

 何度も何度も、そっくりになるまで真似した。

 

 

 

 道端で、ベビーカーをひいたママ友たちと、光は立ち話をする。

 

「影子さんストーカーだよ。光ちゃん大丈夫?」

「うーん……」

 

 正直なところ、具合は悪かった。行く先々で付きまとわれるので、ノイローゼ気味だ。

 

「警察に相談しなよ」

「したけどダメだった。危害加えてるわけじゃないから」

 

 すると前から、つばの広い帽子を深々と被った女が、ベビーカーを押してやってきた。

 

「影子さんだ」

 

 影子は光たちの近くで、足を止めた。光たちは身構える。

 影子は帽子を外した。

 日光に照らされた顔に、腰を抜かしそうになる。

 

「え? 光?」

 

 ママ友はざわめいた。

 光そっくりの顔が、ニッコリ笑った。

 

「私のことわかる? 影子だよ。整形したの」

 

 しゃべり方や声音やしぐさまで、光そっくり。

 

「なんで整形なんて……」

「光ちゃんが大好きだから。光ちゃんになりたいから」

 

 背筋がゾッと凍った。

 

 

 

 毎日気が休まらない。

 光は自宅に引き篭りがちになった。

 外へ出たくない。影子が怖い。買い物も通販にしようか。

 だが、そうも言っていられない場合もある。

 例えば、赤ちゃんが丸い頬を赤くし、息を荒くして、ぐったりしているときなど。柔らかい肌に触ると、燃えているように熱い。冷やしても、市販の解熱剤を与えても、熱は下がらなかった。

 一番大切なのはわが子だ。そこで、急いで病院へ向かった。あの人に会わないよう祈りながら。

 

 


 病院で薬をもらい、飲ませた。しばらく休ませたら、赤ちゃんはケロッとして、すっかりもとのように、元気に手足をパタパタさせた。

 

「すぐ熱下がってよかったね」

 

 と、話しかけながら、会計を待つため、待合室のソファへ座ろうとした。

 斜め後ろで、知り合いのママ友数人が集まり、談笑している。

 

「みんな来てたの?」

 

 光が話しかけると、彼女たちは振り向き、驚きの色を浮かべた。

 

「え? 光ちゃん?」

 

 光は、ママ友の輪の中にいる、もう一人の『光』と見比べられた。

 受付から呼び声がする。

 

「中条光さん」

「はい」

「はい」

 

 反射的に発した返事に、『光』が声を被せた。

 院内に、ざわめきが波立った。

 光は倒れそうだった。

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