Ep.14
今まで、恋をしたことはなかった。
他の子たちが、誰が格好いい、誰が好きという話をしているときも、共感することはできなくて、何となく遠巻きにそれを聞いていた。良い人だな、とか思うことはあっても、付き合うとか恋に落ちるとか、そういうイメージが湧かなかった。
それでも、恋愛に興味がなかったわけじゃない。いつか、私だって誰かに恋するときが来る。何かのきっかけで、誰かに心惹かれる気持ちが理解できるときが来る。
だから、松葉くんから中庭に呼ばれたときには期待した。もしかしたら、これが私にとっての『きっかけ』になるんじゃないか。そんな風に期待した。
本当に、期待したんだ――
「呉さん、好きです! 付き合ってください!」
ああ。
初めて告白されたのに。
こんなに平気でいられるものなんだ。
■
メモに指定された通り、放課後、校舎と校舎の間にある中庭。一人で先に待っていた小春の元へとやってきた松葉は、真っ直ぐに小春を凝視しながら、開口一番そう言った。
針金でも入ったように硬直した背筋や、真一文字に結ばれた口元からは、隠せない緊張が窺えた。それでも目は逸らさず、小春からの返事を待っている。彼の真剣さが、痛いほど伝わってくる。
彼の熱意を受けるほど、対照的に冷めきったままの自分が滑稽に思えてきてしまう。
「えっと……」
どう言葉を返すべきか。幾らかの逡巡を経て、小春は間を取るような心境で、
「その、どうして私なの?」
小春の認識では、松葉とは単なるクラスメイトという域を出た交流はなかったつもりだ。告白される理由に心当たりがない。
彼女の疑問に対し、松葉はその問いかけの意味を勘ぐる様子もなく、告白した勢いもそのままに捲し立てる。
「呉さん可愛いし! それに気が利いて、クラスの中の雑用とかさりげなくやってくれてるの知ってたし、頭良くて、授業中なんかも堂々としてるし! そういうとこ鼻にかけないけど、だからって日陰にいるわけでもなくて、なんかいつも雰囲気に華があって! だからその……そういうとこ、いいなって思って」
言っているうちに恥ずかしくなってきたのか、徐々に尻すぼみになりながら、それでも松葉はそう締めくくった。再度返事を待つ姿勢に戻った彼の視線を、小春もまた真っ向から受け止めた。
やはり、どう伝えるべきかは迷う。それでも、伝えるべき気持ちは分かり切っていた。
一度、深呼吸。松葉が、いよいよかとばかりに身構える。
「……松葉くん」
「! はいッ!!」
「ありがとう」
「でも私、松葉くんの気持ちにちゃんと応えられない」
告げた瞬間、歓喜の笑顔になりかけた松葉の顎がカクンと落ちた。
彼の期待を心苦しく思いながらも、小春は続ける。
「松葉くんが私のこと、そういう風に思ってくれてたことも、告白してくれたことも、嬉しいな、光栄だなって思う。けど、私は今まで松葉くんのこと、松葉くんがしてくれたみたいに真剣に考えたことなかった。松葉くんが向けてくれた真剣さに、同じだけの気持ちを返すことが、今の私にはできないの。だから、ごめんなさい」
精一杯の気持ちを込めて伝えるとともに、深く頭を下げる。自然と松葉の顔から目が逸れた。彼の視線の行方が分からない不安もあったが、軽々に頭を上げたくもない。無体な返事をするしかない小春なりに、誠意を表したつもりだった。
しばらくして、ゆっくりと面を上げる。松葉は一歩も動かず、じっと小春を見つめていた。彼女が顔を上げたのを認め、彼はゆっくりと首を傾げ、
「え、っと……他に好きな人がいるってこと?」
心底不思議そうな声音で問われ、小春の方が困惑してしまう。言葉通りの意味で尋ねているのかさえ疑問に感じつつも、ひとまずそうだと捉えるしかない。首を左右に振り、答える。
「ううん、そういうわけじゃないけど」
「俺のこと嫌いなわけじゃないんだよね、今のを聞いた感じ」
食い気味に、松葉の二の矢が飛んできた。気圧され、半歩後ろに下がる。
「嫌い、じゃ、ないけど……」
「じゃあ、何で?」
「何でって……?」
離れた距離を埋めるように、松葉が一歩踏み込んだ。反射的に、小春がさらに一歩後退。離れる彼女を見て、松葉は歯がゆそうに足を止める。
追うのはやめ、それでも彼は不可解な問題に直面したように、苛立ちの混じる渋面で問いかけた。
「誰とも付き合ってない、好きな相手もいない、俺が嫌いなわけでもない。なら何で付き合えないんだ? 他に何が足りないんだよ?」
それは、最初の告白と同じくらい真剣な、鬼気迫る問いかけだった。彼の形相を見つめ続ける小春の表情に変化はない。ただ、困惑し浮足立っていた心は、ゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
松葉の熱を感じる。冷めた――今なお温度を下げ続ける自分の心を感じる。沈殿していく失望は、松葉に対してのものか、それとも別の何かか。
「付き合いたい」。松葉の熱意の本質はそれだ。「好き」以上に「付き合いたい」、そのことは感じ取れても、その理由には理解が及ばない。
(それって、そんなに大事なことかな……)
気分が悪い。吐きそうだった。けれどもそれはおくびにも出さず、小春は小さな嘆息を添えて語りかける。
「足りないとしたら、私の気持ちじゃないかな」
その声の平坦さに、感じるものがあったのだろう。松葉が顔を強張らせ、息を詰まらせる。
彼自身、気圧された理由は分かっていないのだろう。戸惑うように瞳を揺らす彼の目前で、小春は肩の力を抜いた。彼女の困惑と緊張が、そっくりそのまま松葉へと移っていったかのような構図だ。
「松葉くんは、付き合い始めたら私が松葉くんのことを好きになるかもしれない。だから、他に付き合ってる人がいないなら付き合おう、って言いたいんだよね」
小春の言葉は、確認というには断定的な口調だ。が、同時に正しくもある。動揺を自覚しながらも、松葉は首肯した。
途端、小春が再び口を開く。
「でも、付き合うってことは恋人になるってことで、恋人になるってことは、好きな人同士がするようなことをするってことでしょ。松葉くんは私のことが好きっていうのは聞いた。何かをするのもされるのも、違和感がないのは分かる。けど、私はまだこれから松葉くんを好きになるかもしれないって段階。なのに、好きな相手と同じように接するのって、おかしいと思わない?」
淡々と捲し立てる彼女に、松葉は返す言葉がない。
小春の言い分が尤もだから、というのもある。しかしそれ以上に、今まで自分が見たことのない彼女の態度に、得体の知れなさを感じていた。
言葉を失い立ち竦む松葉、自分が追い詰めた結果であると、果たして小春は気づいているのか。すっかり様相を違えた彼の眼をひたと見据えて、小春はとどめを刺す。
「だから私は、松葉くんとは付き合えない。あなたの気持ちには応えられない。ごめんなさい」
同じ言葉を繰り返し、小春はもう一度深々と頭を下げた。顔を上げると、松葉はやはりそこにいた。凍りついたように動かない彼を一瞥する小春の表情には、もう戸惑いはない。
彼女は踵を返し、松葉に背を向けて歩き出す。足元の芝が微かに音を立て、足跡も残さずに立ち去る彼女を見送った。
中庭から出る直前、小春は足を止めて、もう一度松葉の方を振り返った。棒立ちの彼と目が合った。
力のない、だが物言いたげで、恨みがましげな双眸が、小春の視線と重なった。
「……さよなら。また明日」
聞こえたかは分からない。それでも小春は軽く手を振りながらそう言って、今度こそ松葉を置き去りに、その場を後にした。
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