Ep.13

 小春が初めて告白を受けたのは、中学三年の初夏だった。


 ある日、本当に前触れなく、事件が起きた。クラスメイトの松葉まつばたけるが、包丁で斬りつけられたのだ。

 小春がそれを知ったのは、事件翌日の登校中。学校に着く前に先生に呼び止められ、案内されるがままに会議室に向かうとそこに警察官がいて、二人からそのことを聞かされた。

 初めは、自分がこんな場所でそれを知らされる意味が全く分からなかった。容疑者に数えられているのかと不安になり、頭が真っ白になりかけた。ただ、その直後に聞かされた話の方が、さらにショックでもあった。

 犯人はその場で取り押さえられており、その捕まった犯人というのが、隣のクラスの越前えちぜんうしおだった。彼とは前年同じクラスにいたということは覚えている。もっとも、松葉といい越前といい、特別親しかったわけではない。少なくとも小春はそう考えていた。

 だが、犯人の動機として、小春の名前が挙がったという。曰く、「松葉が小春と親しくしていたのが気に入らなかった」のだと。

 目が点になったのを覚えている。

「呉さん、越前くんと交際していたとか、何か揉めていたことは?」

「ありませんっ!」

 強く否定したことも覚えている。先生から浴びせられた疑わしげな視線の冷たさも。

 小春からすれば、何故クラスが一緒だっただけの男子が、自分の名前を出したのかさっぱりだった。ドラマなどではよくネタにされる「一人の女子を奪い合う男子」という図式が現実のものになるなど考えてもみなかったし、ましてその渦中に自分がいるなど、予想していたはずもない。

 そして、自分の意思とは無関係に、事件が起きたという理由で、大して知りもしない相手との関係を疑われたのは、あまりに大きな衝撃だった。

 その後少しの取り調べを経て、小春は教室へ逃れることができた。

 事件のことは、多くの子たちが既に知っているらしかった。興味本位の眼差しが向けられ、ひそひそ話をしている様子も見られたが、話しかけてくる子たちは総じて同情的だった。

「小春、大丈夫?」

「越前に変なこととかされてない?」

 ――妙な心配をされた気もするが。

「私は大丈夫。けど、正直びっくりしたよ。全然知らないところで事件に巻き込まれてるなんて、思いもしなかった」

 朝から疲労困憊でぼやく小春を、クラスメイトたちが慰める。

 松葉の安否を案ずる声も多かった。気さくで友人が多く、女子の人気も高かっただけに、実際に被害にあった彼に対する同情の方が、小春へのそれよりずっと多かったようにも思う。当の小春も、自分を口実に怪我をさせられた彼に対する申し訳なさを感じていた。

 何にせよ、そのときの小春はまだ、不幸な事故に巻き込まれただけで済んでいたのだ。


 松葉が登校してきたのは、週が明けて月曜日。斬りつけられたといってもそこまで深い傷だったわけではないらしく、本人は平気そうにしていたが、それでも腕に巻かれた包帯は痛々しかった。

 小春の方から声をかけるべきか。しかし元々そう親しいわけでもないし、逆恨みで怪我をさせられたことを恨んでいたら、むしろ自分から話しかけるのは良くないだろうか。悶々とする小春だったが、彼女の悩みとは裏腹に、松葉が彼女の席に近づいていった。

「おはよう、呉さん」

「! お、おはよう」

 あくまでも平常運転で声をかけてきた松葉に、小春は動揺を隠せなかった。ただ、向けられた笑顔に邪気はない。むしろ、気まずくなりそうなのを察して、敢えて普段通りの調子で話しかけてくれたのだろう。

 少し安堵しながら、小春は続けて、

「その、何て言うか……大丈夫、じゃなかったとは思うんだけど、ええと」

「あはは、いや、大丈夫だよ。大仰に包帯巻いてるけど、実際ちょっと掠っただけだから」

 やはりどう言葉をかけたものか、咄嗟に判断がつかない小春の様子を見て、松葉が笑う。遠巻きに見守るクラスメイトたちにも言い聞かせるよう声を大にしながら、彼は腕を振って見せた。

 どの程度言葉通りに受け取っていいのかは迷ったが、ひとまずは彼の言うように、それ以上の心配はしないことにした。その上で、小春はもう一つの懸念に意識を移す。

「ならよかった。けど、ごめんね。私がきっかけで、変な風に絡まれたみたいだったから……」

「それこそ呉さんが謝ることじゃないよ!」

 バンッ、と机を叩いて、松葉が声を荒げる。思わぬ反応に驚き背筋を震わせた小春を目にして、慌てて松葉が手を振りつつ、

「っと、ごめん。驚かせちゃって」

「い、いいんだけど……痛くない? 手とか腕とか」

「いや、それはいいんだけど」

 小春の心配を余所に、松葉はあっけらかんと腕を振るって見せた。本当に痛みを感じている様子はない。幾ばくか安堵し、小春は肩の力を抜いた。

「とにかく、呉さんが気に病むことないよ。越前が勝手なこと言ってるだけなんだし、自分と関係ないところで言われたことに責任感じてたらキリがないでしょ」

「……ありがとう」

「いいって。あと、心配してくれてありがとう」

 互いに小さく頭を下げ合ってから、松葉は軽く手を振って自分の席に戻っていった。同時に担任の先生が教室に入ってきて、小春たちのやり取りを見守っていたクラスメイトたちも、各々の席へ座る。

 朝礼が始まった教室の中で、小春はさりげなく、松葉の手が置かれていた机の上に残された紙片を、手元に手繰り寄せた。手の平よりも小さい、メモ用紙の切れ端。書かれていたのは、簡潔極まるメッセージだ。

『放課後 中庭』

 読み取った瞬間、微かに胸がざわついた。

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