Ep.9
特に何かスポーツをしていた経験があるわけでもないが、小春は人並みに運動はできる方だと自覚している。
ボーリングにしても、たまに来る程度の経験しか無い中で一ゲームあたり平均一三〇点に届くのは、まぁまぁ良い方だろう。そう思っていた、のだが。
「っしゃ勝ったァ!!」
「ふぇぇ~、負けちゃったぁ……ぐやじぃぃぃぃ」
快哉を上げる花音と、天を仰いで嘆く野乃。二人のスコアボードを見上げる小春の目は、半ば焦点が合っていなかった。目の前に並ぶ図形と数字の羅列が、明らかに自分と同じ次元に存在していない。
ほぼ全てがストライクで埋め尽くされ、たまに逃したとしても確実にスペアを取っている。「プロボウラーでも目指してるのかお前らは」というツッコミすら、喉に引っかかって胃袋に落ちていった。
野乃が上手いのは知っていた。だが、今までこんなスコアを取っていたところは見たことがない。多分だが、花音の実力を目にして、手加減ができなくなったのだろう。つまりは元々これくらい上手かったということでもあるが。
そして花音。運動ができないわけではないだろうと思ってはいたが、こんなスコアを取るほどだとは想像していなかった。もしや、ボウリング以外もこんなレベルなのだろうか。まさかと思う一方、真っ当な予想を易々と裏切る得体の知れなさがあることも確かだ。
ともあれ、まともに張り合う相手を失った小春は、長々と溜息を吐き、一人だけ残っていた最後の一投を終えた。倒し損ねた二本のピンが、機械の手で奥へ押し流されていく。
「おっつかれー。ふふふ、小春にも勝っちまったぜ」
「勝負になんないわよこんなの。花音こそ、あんなに上手いなんて知らなかったわよ」
Vサインしながらの労いの言葉に、小春も苦笑を見せつつ肩を竦める。花音はもう一度強気に鼻を鳴らし、
「まぁな。大体のことはこれくらい出来るぜ?」
「流石に嘘でしょ?」
「いやいやホントホント。スポーツから恋人の喜ばせ方まで、パーフェクトにこなせますことよ」
「やっぱり嘘じゃないの」
小春の頬が軽く引き攣った。が、続けて花音が嘯きながら伸ばしてきた手を、彼女は払いのけつつ目を細める。呆れが吐息となって漏れ落ちた。
唇を尖らせる花音を横目に、小春は自分の鞄を開けて、仕舞っておいた財布を取り出す。
「ちょっと飲み物買ってくるわ。欲しければ二人の分もついでに買ってくるけど、何がいい?」
途端、何故か花音が目を丸くし、嬉しそうに輝かせた。
「お。じゃあオレは小春と同じやつ!」
言葉とともに、彼女の背後で勢いよく左右に揺れる犬の尻尾を幻視した。その時々で犬に見えたり猫に見えたり、割と忙しいな――と思いかけ、小春は胸中だけで激しく首を振った。猫に見えたなどという事実はない。あってはならない。
「私はいいよ。お手洗い行きたいから、帰りに自分で買う~。ってことで、あまのん荷物見といて」
他方、野乃はさっきまでの悔しさを跡形も見せず、ぶらぶら手を振って見せながら花音に言った。「おっけー」と花音が手を振り返す。
彼女一人を席に残し、小春は自販機へと足を向ける。レーン近くの自販機は来た時には既に故障中で、やむなく出入口近くの別の自販機まで足を運ぶしかない。
硬貨を入れて、スポーツドリンクのペットボトルを買う。落ちてきたボトルを取り出して、もう一本。二本目のボトルを取り出したところで、背後に気配が現れた。
「こ~はるん」
「野乃? 早かったわね」
振り返ると同時に呼びかけられた。視線を向けた先にいた野乃は、いつも通り、何の含みもない笑顔だ。
その彼女が、その顔のままで言う。
「あまのんとはどう? 順調?」
思わぬ問いかけに、小春は一瞬手足を強張らせた。
まさか突然そんなことを聞かれるとは思っておらず、どう答えるべきか迷ってしまう。今、自分と花音は順調な方がいいのか。いずれ別れるときに支障を来さないか。同時に、既にぎこちなく感じているとしたら、それはどの程度自然と受け取られるか。付き合ったばかりでもう、と軽蔑されたりはしないか。
――そして、今すぐ別れることを薦められたら、どうするべきなのか。
無数の懊悩が飛び交ううちに、無言のまま時間は過ぎていく。結局、小春は自嘲混じりの薄笑みとともに、
「どう、なのかな……私自身も、ちょっとよく分からないの」
どうとでも取れる言葉を絞り出して、目を逸らす。誤魔化しの言葉ではあったものの、本心でもあった。
ふむー、と彼女にしては神妙な顔で唸った野乃は、少し遅れて、淡い苦笑を零した。向けられた目が、まるで胸の内を見透かすようで、小春の背が粟立った。
そんな小春の反応を知ってか知らずか、野乃は柔らかい微笑を見せ、窘めるようなトーンで告げる。
「こはるんはクソ真面目だから、色々考えてることもあるかもしんないけどさ。あんまり無理しない方がいいと思うよ?」
「……?」
言わんとすることを掴み損ね、小春が無言で首を傾げた。
野乃が淡い笑みを浮かべていたのは、僅かな時間だけだった。すぐに彼女は、からかうような笑みを見せつけたかと思えば、小春から目を離して自販機に向き直った。
硬貨を投入しボタンを押す傍ら、野乃は背中越しに語りかける。
「「折角応援してもらってるのに、すぐに別れちゃったら軽蔑されそー」とか思ってない?」
「ぅえっ!?」
あまりにピンポイントに図星を突かれ、小春が堪え切れず取り乱す。うっかり落としたペットボトルを慌てて拾い上げながら、彼女は取り繕うような乾いた笑みとともに続ける。
「そ、そんなことは、ないけど」
口にしてはみたものの、どれほど信用できたものか。野乃を直視することができない小春の横顔を、野乃は笑みを崩さずに見やった。
彼女は続けて、
「私は気にしないよ、こはるんがあまのんと別れたくても。上手くいってる限りは応援するけど、無理してまで付き合い続ける必要、ないもん」
惚けた声音に反し、断定的に聞こえる台詞。小春は思わず、野乃の表情を盗み見た。さっきからずっと変わらない、ニマリとした笑顔。なのにその瞬間、何故かそれが冷ややかなものに見えた。
肌に滲む冷や汗を感じつつ、小春は気まずそうに、ゆっくりと野乃へ顔を向ける。石を飲んだような重さが喉に詰まるが、それでも彼女はどうにか声を絞り出した。
「本当に……本当に、自分でもどうしたいのか、よく分かってないんだ。だから、まだしばらくは考えてみるつもり」
半ば、自分の気持ちを見つめ直す気持ちで言葉を並べる。ぎこちない様子の小春を、野乃はじっと見守っていた。
「そー?」
「うん……ごめんね、心配かけて」
疑わしげ、というよりは、試すような相槌を返す野乃に、小春は弱々しく返事をすることしかできない。そんな彼女の肩を、野乃はぽん、と気さくに叩いた。
「こういうときは謝るんじゃなくて感謝してよー」
「……そうね。ありがと」
「どーいたしまして」
促され、言い直した小春に、野乃は笑顔で告げながら、今度は背中を叩いた。小春の前を歩きながら、
「じゃあ戻ろっか。あんまり私たちが二人っきりで話してたら、あまのんが嫉妬するかもしれないし」
冗談めかして言われたものの、本当にありそうで――ついでに言えば、子供っぽい拗ね方をされそうで、笑うに笑えない。小春の微妙な反応に何かを察しつつ、野乃は敢えて煽るように笑みを深めて足を止めた。
「あまのんと別れちゃったら、いっそ私と付き合ってみる? 飽きさせないぜー?」
それもまた、野乃なりの冗談だっただろう。だが、小春は微笑みながらも真剣な顔つきで首を振り、
「それはやめておくわ。疲れそう」
「マジなトーンで言わないで欲しいやつだよそれ」
笑みを凍らせた野乃に、小春はようやく少し明るい表情で首を竦めた。
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