Ep.8

 あのデートの二日後には、花音はまた小春の家を訪れた。先日やり残した宿題の残りを片付けるためでもあったが、余った時間はデートのときの写真を二人で見たりして過ごした。

「何度見ても可愛いなー、この猫二匹の写真」

「それはもういいって言ってんでしょーが」

 そんなやり取りを交わしながらも、険悪な空気になるわけでもなく――そんな空気を作ることもできず、二人の時間は和やかに過ぎていく。

 そんな二人が、その次に顔を合わせたのは、小春の家でも、デートに出かけた先でもなかった。

 学校だった。


「だりぃ~。登校日とか何で存在すんだよ。いらねーよ爆散しろよ跡形もなく。誰が得するってんだよ一体」

「口は悪いけど概ね同感ね」

 教室の椅子に腰かけて、だらしなく足を投げ出した花音の言葉に、小春も同意を返す。彼女も不機嫌そうな仏頂面だ。

 夏休みもまだ序盤のうちに設けられた登校日。授業らしい授業があるわけでもなく、集会と宿題の提出があるだけの半日登校だ。これでやる気がある方が稀有だろう。実際、欠席している生徒も少なくない。真面目な方だとは自負している小春にしても、来なくていいならわざわざ登校したくはなかったのが本音だ。

 とはいえ。

「やほー。こはるん、あまのん、このあと暇かい?」

 不貞腐れていた二人の元に、とぼけた調子で声をかけながら歩いてくる少女がいた。花音が耳をピクリと揺らし――こういうところが普段から猫っぽく見えるのだ――顔を上げる。小春も同様に声の主を見た。クラスメイトという以上によく見知った相手だ。

「暇だぜー」

「空いてるわ」

 揃って答えた二人に満足そうに頷くのは、クラスメイトの海原うみはら野乃のの。同時に小春にとっては再従妹はとこでもある。まだ祖父母が健在で、夏や冬の休みに遊びに来ていた頃、親戚の集まりがあるとよく一緒に遊んだものだ。

 癖の強い髪と、垂れ目の上に乗せた丸眼鏡が特徴的な彼女は、妙に艶めかしく指をくねらせながら、

「玉ぁ転がしに行こーよ、玉転がし」

「……ボーリングだよな?」

「そだけど? 何で疑問形?」

「ボーリングの動きに見えないからでしょ……」

 自信なさげな花音の確認に、野乃が首を傾げた。突っ込む小春は花音とともに、こめかみに薄っすらと汗を浮かべる。その何かを撫でまわすような卑猥な手つきは何だ、と口にしたいのを、二人ともぐっと堪えていた。

 溜息一つ、小春は未だ疑問符を浮かべる野乃に尋ねる。

「ところで、私たち以外には誰かいるの?」

「まっちゃんは行くってー。りーちゃんも誘ったけど、てっちんとおデート行くって言ってた」

 問われた野乃は、直前までの疑問を音速で放り捨て、あっけらかんと答えた。彼女の台詞に、今度は花音が目を丸くして野乃を、次いで小春を見る。

海老川えびかわ勅使河原てしがわらって付き合ってたのか!?」

「え、いや、私も今の聞いて初めて知ったけど」

「ちな私も今日初めて聞いた~」

 小春も驚いていないわけではなかったが、花音の剣幕に却って冷静になりながら応える。野乃は野乃で、一切温度を変えずにそれに続いた。

 それから、彼女は意味ありげな微笑を浮かべて、

「あ、そういう意味じゃあたしもお邪魔だったかな? ひょっとして二人もデートの予定だったり?」

 小春の背筋に電流が走った。思わず表情が引き歪んだが、幸い野乃の視線は花音の方に向けられていた。

 聞かされていなかったわけではない。野乃は、小春と花音の仲を知る友人だ。それでも、実際にその状態の彼女に会うのは今日が初めてで、突然その事実を本人から突きつけられると、分かっていても冷や汗が流れる。

 小春の反応を目に留めながらも、花音はそれに構うことなく、ニヒルに鼻で笑い肩を竦める。

「舐めてもらっちゃ困るなぁ野乃さんや。こちとら夏休みの間はほとんど毎日イチャイチャしてんだぜ? 登校日くらい他の奴らとも遊びたくなるさ」

「うおおぅ、すごい惚気のろけだぁ。よっ、流石あまのん、女たらし」

「誰が女たらしだ。オレは小春以外に手ぇ出したことなんかねぇぞ?」

 花音が野乃を睨みながら額を小突き、野乃は「ぷぇぇ~」と鳴き声を上げて大げさに仰け反る。そんなやり取りが終わる頃には、小春も気持ちを落ち着けていた。静かに深呼吸した彼女は、薄い苦笑を見せてぼやく。

「冗談はそれくらいにしておいて。まちはどこにいるの? 待たせてるんなら早く行ってあげた方がいいんじゃない?」

 動揺を消した彼女の様子を見て、花音は微かに目元を緩めた。野乃は小春へと振り返り、両手を特に意味もなく左右に広げながら返事をする。

「まっちゃんは図書室。借りっぱなしだった本返しに行ってる。終わったらこっち戻って来るってさ~」

 と、彼女がそう言っている最中に、背後の廊下で足音が聞こえてきた。走っているらしい。しかも全力疾走の雰囲気だ。

 訝りつつ三人が顔を見合わせた瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。その向こうに、肩で息をする少女の姿。「まっちゃん」こと町江だった。

 何事かと小春が疑問を投げようとしたが、町江はそれより先に手を出して、

「ごめん! 借りてた本、一冊行方不明になってて、今から家探してくることになったわ! じゃ、また!」

 一方的に捲し立てるや否や、現れたときと同じ勢いで走り去っていった。口を挟む余地もなく見送る羽目になった三人は、唖然としたまましばし立ち尽くすしかなかった。

 やがてぽつりと、

「……じゃ、行こっか?」

「行きますかー」

「そーね……」

 口々に言いながら、小春たちは教室を後にした。

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