Ep.5

 紅白の花を咲かせた百日紅サルスベリ。長く首を伸ばしたハス。他にも小さな花をつけ、鮮やかな緑の葉を晒す大小の草木。自然公園に足を踏み入れた二人を迎えたのは、そんな光景だった。

 空は快晴。照りつける日差しは強く、微風は肌を炙るようだったが、反面草花の色合いはくっきりと映えていた。木陰からは蝉の声も聞こえてくる。

「言ってた通りね、こんなに綺麗なんだ」

 小春がそんな感想を漏らす。感嘆の声に、彼女の隣で花音が得意げに背を反らした。

「そんな褒めるなって。自分の彼女を誇りたくなる気持ちは分かるけど、オレが可憐で可愛いのは今日に始まったことじゃないだろ」

「公園のこと言ってんのよ、公園のことを」

 げんなりとツッコむ小春を余所に、花音は髪を掻き分け悦に入っていた。金糸さながらの髪が陽光を煌びやかに照り返す様は、悔しいほどに絵になっている。実際に、周囲から驚きや好奇の視線がちらほらと向けられる気配もあった。

 花音の服装は、白のノースリーブのワンピースに、長袖のレース地のカーディガン。真っ白な肌色の細い腕が、薄っすらと透けて見える。そこに、どことなくミスマッチにも思える麦藁帽を被っていた。帰国子女のお嬢様が日本の夏を満喫しているかのような出で立ちだ。あながち間違ってもいないのかもしれないが。

 一方の小春の服装は、薄手のシャツとロングパンツにキャップを被った活動的な格好。加えてその手にもう一つ、特徴的なアイテムを持っていた。カメラだ。小ぶりとはいえレンズ交換式の、年頃の少女が持つのは珍しい品である。

 写真家の叔父――父の弟から譲り受けたものだ。本人曰く、買い替えた際のお下がりなのだそうだが、写真を本職にする人間にしてはお手頃な機種らしく、本当のところは分からない。

 小春が写真を撮り始めたのはこのカメラを貰ってから、それが引っ越してきてすぐなので、つまりはまだ数か月のことでしかない。一応、叔父や父からは以前から写真にまつわる蘊蓄うんちくを聞かされていたので、多少覚えている知識はあるのだが、それでもまるきり初心者だ。

「いやーしかし、今日の小春は可愛いっていうより格好いいな。似合ってるぜ、服もカメラも」

 周りの目に気を取られた小春とは対照的に、花音はまるで気にしている素振りはない。腕を組み、舐めるように小春の全身を検めた末に発した台詞に、小春は小さく苦笑を浮かべる。

「まだ全然初心者だけどね。けどありがと。花音も、喋らなければお淑やかな感じで良いと思うわよ」

「いいだろ、この見た目と中身のギャップが」

「へこたれないわねあんた」

「へへ、褒められちった」

「ポジティブも度が過ぎると病気よ」

 痙攣する眉を隠そうともせず悪態をつく小春にも、花音は満面の指でVサインなどしてのけた。暖簾に腕押しとはまさにこの事だろう。浮かべた苦笑いが張り付いたまま剥がせなくなる。

 溜息をひとつ落とした後、小春は一度外した視線を再び花音へと戻し、

「けど、本当にここで良かったの? 私はまぁ、写真撮ったりして楽しめるけど、花音は退屈だったりしない?」

「ん?」

 カシャッ

 が、目を向けた先にあったのは花音の顔ではなく彼女のスマホで、小さなレンズと目が合った瞬間、小気味よい電子音が鳴った。

 虚を突かれ言葉を失う小春を余所に、花音はしばし画面に指を這わせ、何かを確かめるように小さく頷く。そして唐突に、にへら、と相好を崩した。

「よっしゃ、可愛く撮れた」

「……あんたはあんたなりに楽しめそうね」

「そう苛ついた顔すんなよ。代わりにオレのことも撮っていいぜ」

 小春はどうにか吐き捨てて、花音を真っ向から睨みつける。それでも花音はどこ吹く風で、機嫌よく応えた。彼女の台詞を無視して、小春はぷいっと顔を背ける。

 突然写真を撮られて嬉しいわけではない。恋人にいきなり撮られた、などというエピソードが、別れ話の種になるわけもない。赤の他人ならいざ知らず、カップルの間でのこととなれば、人に語り聞かせたところで惚気話にしかならないだろう。

 恋人らしい時間を過ごすのは、円満に別れるため。あくまでそれが目的なのだから。

「こーはーるぅ~。無視するなってぇ」

 気を取り直し、カメラを目の前の百日紅の木に向けたところで、後ろから花音の声が飛んでくる。背中にやたらと気配を感じるものの、肩や腕に触れてこないのは、小春の撮影を妨げないためか。

 とはいえ、気にはなる。一度シャッターを切ってから、仕方なく花音の方を振り返った。

「猫みたいな声出さないでよ、無視はしてないって――」

 カシャッ

 振り向いた瞬間、またシャッター音が響いた。

「……同じような写真ばっかり撮って楽しい?」

 冷え切った声で、小春が問うた。花音はスマホの画面に目を凝らしつつ、

「好きな相手の写真は、何枚あったって嬉しいもんだぜ」

 やはり淀みなく言ってのけた彼女だったが、その直後、少しだけ笑顔を曇らせて、

「けど、やっぱ小春は笑ってる顔が一番綺麗だな」

「花音の前では確かにあんまり笑う気になれないのよね。なんでかしら」

 心なしか気落ちしているように見えたが、小春はむしろ追い打ちのように告げた。

 そうしてから、急に罪悪感が湧いてくる。恋人に対する台詞としては、あまりに辛辣過ぎたのではないか。そんな思いが胸に圧し掛かった。

 そっと唇を噛み、謝ろうと口を開きかけたとき、

「……照れ屋さんだもんな、小春は」

 まるでそれを制するようなタイミングで、花音が先にそう嘯いた。気にしてなどいないと言わんばかりの、お気楽な笑みを浮かべる彼女の顔を、小春は口を半開きにしたまま見つめてしまった。

 フリーズした彼女の隣に、軽い足取りで花音が滑り込む。そのまま小春の腕に自分の腕を絡めると、抱き寄せるように引っ張った。

「ほら小春、池の方行こう。それか日陰入った方がいいぜ。ぼーっと突っ立ってたら、日射病になっちまう」

「えっ、あ、うん」

 呼びかけられた小春も、気を取り直して花音と足並みを揃えた。

 同じ方向に歩きつつ、小春は小声で囁く。

「花音」

「うん?」

「その、さっきはごめん。ちょっと、言い方キツ過ぎたと思う」

 神妙な声で落とした謝罪の言葉に、花音は目を瞬いた。意外そうな反応をした彼女だったが、すぐに口元には笑みが浮かぶ。

 皮肉げな、薄い苦笑だ。

「そういうクソ真面目なところ、オレは好きだよ」

 小春は、それに応じる言葉が出なかった。

 花音の言葉と表情の乖離が、小骨が喉に刺さるように、嫌な感触を残した。

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