Ep.4

 小春と花音。二人について、周囲の人間の評価はある程度共通する。

 眉目秀麗、そして成績優秀。然るに、夏休みの課題は二人にとって、手間ではあっても手こずる程のものではない。そう高を括っていたのだが。

 小春の部屋、テーブルに向かい合って黙々と問題を解き、ある程度の区切りごとに答えを見比べる。食い違いがあれば、それが何故かを確かめ合う。そんな時間が続いた。

 途中で昼ごはんも挟んで、それ以外は至極真面目に勉強に打ち込む。恋人と勉強、というシチュエーションは漫画などでは見るものの、終始それだけ、ということはまずあるまい。

「――で、ここを因数分解すると、こっちの式になるだろ?」

「うん、そこまでは私も同じで……ああ、ここで計算ミスしてたのか。ありがと、助かったわ」

「良いってことよ。よっし、これで数Iの分は終わりだな」

 ノートと睨めっこしていた顔を上げて、花音が大きく伸びをした。小春も足を崩し、背を反らした上体を手で支えながら息をつく。

「思ったよりかかったわね。数Aの方はまだ残ってるし」

「だなぁ。数Iよりは問題数少ないとはいえ」

 億劫そうに小春が唸ると、花音も同じ調子で言いつつ頭を揺らす。思いの外課題が進まなかったことを、どちらも不服に思っていた。

 もっとも、細かい点では違いもあったらしい。

「あ~あ、さっさと終わらせて、小春とあんなことやこんなことする時間にしたかったんだけどなぁ~……」

「……私はさっさと終わらせて、あんたを家に帰したかったんだけどね」

 二言目には誤魔化そうともしない願望を口にする花音に対し、小春は眉間を引き攣らせながら憎まれ口を返す。ただ、それでも彼女はすぐに相好を崩し、

「とはいえ、余計なちょっかいかけて来なかったのは偉いじゃない。私も一人でやるより捗ったし、助かったわ」

「ん、お、おう」

 笑顔で率直に感謝を伝えると、花音が不意にたじろいだ。それとなく目を逸らした彼女を意外そうに見やった小春は、遅れて薄っすら染まった花音の頬に気づき、口元を得意げな笑みの形に変えた。

「なぁに、照れたの? ちょっと褒められただけで?」

「なっ、ちげぇし!」

 途端、花音は火が付いたように激しく腕を振って否定した。一層赤みを増した彼女の顔に、小春は笑みが深くなるのを抑えられない。

「意外だなぁ。素直じゃないとこあるのね。ひょっとして、私と変なことしたいとか言ってたのも照れ隠しか何か?」

 攻守逆転の優越感を胸に、からかいの言葉を口にする。

 しかし、花音は睨むような目つきで小春の方を見ると、小さく首を左右に振った。絞り出すような声で、

「だから違ぇって……ただ、久しぶりに小春が普通に笑ってるとこ見れたから、「あぁ可愛いな」って思って」

「んなッ!」

 思わぬ反撃だった。鼓動が乱れて顔が熱くなる。口元を戦慄かせて黙りこくる小春だったが、花音もまだ勢いを取り戻せず、もじもじしたままだ。

 図らずも、お互い無言の時間が流れた。沈黙を破ったのは花音だ。彼女はわざとらしく咳払いをし、机に広げたままだったノートを閉じる。

「と、とにかく、数学が全部終わらなかったのは残念だけど、今日はもう帰るよ。結構遅くなっちまったし」

「あ、ああ、うん。お疲れ様」

 何となく顔を合わせづらく、そっぽを向いたまま小春も応じる。

 可愛い、と言われたことが恥ずかしいわけじゃない。笑顔を見せただけで、ここまで照れる花音を直視していることが、無性に恥ずかしかった。加えて言えば、花音の反応に平静を乱してしまった自分自身が恥ずかしかった。

 それが何故か、なんとなく理解できるのに、あと一歩理解し切れないもどかしさがあった。

「そうだ、毎日家にお邪魔するのも悪いし、明日は天気も悪そうだからさ。代わりに明後日、デートしようぜデート」

 小春の心中を知ってか知らずか、花音はわざとらしく声のトーンを上げると、そう提案してきた。自分の知る彼女らしさが戻ってきたことに少し安堵しつつ、小春は微苦笑で肩を竦める。

「そういうところは気を使えるのね。それで、デートって何するつもり?」

「おっ、何だかんだ素直に応じてくれるのか」

「表向き付き合ってるんだから、そうそう突っぱねるわけにもいかないでしょ。言っとくけど、妙なとこに連れてくようなら即別れるわよ」

 破顔する花音に仏頂面を突きつけて告げる。対する花音はすっかり本調子を取り戻した様子で、小さく何度も首肯しながら、

「分かってるって。ほら、自然公園、最近行ってないんだろ? あそこ行こうぜ。あ、ちゃんと日焼け対策もしとけよ」

「自然公園?」

 意外なチョイスに、小春は目を瞬いた。

 自然公園は、最寄りの停留所からバスに乗って二十分ほどの場所にある、少し大きな公園だ。公園と呼ばれてはいるものの、実際は小さめの日本庭園と言った方が実態に近い。こちらに越してきてから、小春は幾度か足を運んだ場所ではあるが、デートスポットとしてはかなり地味だろう。

 彼女の困惑を余所に、花音は荷物を纏めた鞄を抱え上げながら、太々しい笑みを刻んだ。

「ああ。今の時期は、色々見頃だぜ。小春なら楽しめると思う」


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