Ep.3
呉家の朝食は大抵いつもシリアルだ。今日はそれに加えて、巣ごもり卵が人数分。三人で囲んだ食卓は、然程の時間をかけずに終わった。
『ごちそうさまでした』
手を合わせ、声を揃える。花音も慣れた様子だったのが小春にはやはり気になったが、父の前で突っ込むのも躊躇われた。
「片付けはオレやっておきますよ」
あまつさえ、皿を持ってキッチンに向かいながらそんなことも言い出す始末だ。今まで何度もこうしてきた――こうしてきたことになっているのだろう。
「よろしく。私は洗濯機回してお掃除しておくから、お父さんは休んでていいよ」
「あー……うん、じゃあお言葉に甘えようかな」
困惑を見せないよう必死に堪えながら、花音に続けて小春も言う。二人の少女を交互に見て、泰彦は申し訳なさを滲ませつつ頷いた。
休むとは言いつつ、部屋に向かった泰彦は仕事に取りかかるつもりだろう。翻訳やコラムの執筆などの文筆業で生計を立てているからこそ、この春に今の家へ引っ越して来るのにもあまり支障はなかった。
「こっち終わったら、小春の部屋にいるからな~」
キッチンからかけられた声に、洗面所へ向かおうとしていた小春の足がピタリと止まる。そのまま方向転換し、花音の元へ。
朝食前と同じように声を潜めながら、
「ところで、あんたはこの後どうするつもりなの?」
「数学の宿題は今日中に一緒に片付けちまおう、って話だっただろ。夕方には自分の家に帰るよ」
小春の知らないことを、さも当然と答える花音。げんなりしつつも、小春はそれに首肯した。
「あっそ……言っとくけど、部屋のもの勝手に弄ったりしないでよ?」
「当たり前だろそんなこと。そこまで常識ないと思われたくねぇなぁ」
「勝手に人のベッドに潜り込んでおいて言えた台詞じゃないわよ」
「んー、それはアレだ、大目に見といて」
釘を刺してから、小春は宣言通り洗面所へ向かう。洗濯機に洗濯物を放り込んで、スタート。それから家中に掃除機をかけて回り、風呂場に戻って洗濯機の給水ポンプを湯舟から引き上げ、風呂掃除。越してきてまだ数か月とはいえ、それ以前は祖父母の住まいだった家だ。その頃から何度となく訪れていただけあり、勝手知ったるものである。
風呂掃除が終わった頃には、洗濯も終わっていた。さて干そう、と思ったところで、唐突に洗面所のドアが開く。花音がいた。
「よう、手伝いいるか?」
流石に意表を突かれて、小春は目を丸くした。ただ、すぐに気を取り直すと、首を左右に振る。険しい顔ではなく、あくまで親しい知人に接するように、
「一応お客さんなんだから、そこまで気を使わなくていいわよ。そんなに待たせずに終わるから」
そう告げたにも関わらず、花音はお構いなしに洗面所へと入ってきた。手をぱたぱたと振りながら、彼女は怪訝そうな小春を見上げて言う。
「まぁそう言うなって。小春の父さんが手伝おうとして部屋から出てきたのを、オレがやるからって代わってもらったんだから」
「……人ん家の家事に、よくそんなにも首突っ込んで来れるわね」
半ば以上、胸中を呆れに支配されながら、小春がげんなりと零した。花音は得意げに笑みかけ鼻を鳴らす。
「赤の他人じゃねーからな」
「赤の他人でしょうが」
「つめてー」
洗濯機を開け、隣のカゴに洗濯物を放り込み始める花音。シャツなどはハンガーを通して、洗濯機の隣の竿に仮置き。小春と同じ手順、慣れた手つきだ。改めて、花音が小春とともに短くない時間を過ごしていたらしいことを察する。同時に、その記憶がないことを歯がゆくも思った。
自分の記憶を遡ってみても、具体的に花音と恋人として過ごした時間の記憶はない。あるのは、花音が自分の恋人だという根拠のない実感だけだ。思えば、彼女の身の上に関する知識すらない。
気にならないと言えば嘘になる。とはいえ、面と向かって聞き出すのも、まるで彼女に興味があると言わんばかりで抵抗があるのだが。
「? 顔になんか付いてるか?」
「……何もないわよ」
カゴを手にした花音の顔を、ついまじまじと見てしまっていたらしい。否定の言葉とともに、小春はハンガーにかかった洗濯物を手に取って、花音とともに洗面所を出た。
庭の竿に洗濯物をかける。ズボンやバスタオルはそのまま吊るして洗濯ばさみで固定し、下着やタオルは洗濯ばさみ付きのハンガーに吊るす。やはり、花音の手つきに淀みはない。
「花音。あんたの中では、こういうことするの何度目?」
つい気になって尋ねてしまった。二人並んで無言という状態が気まずかったからでもある。花音の方は特に気にした風もなく、作業の手を止めないままで問い返した。
「こういうこと、ってのは、洗濯の手伝いとかか?」
「そう」
「まだ二度目だよ。前にやったときに厳しく指導されたからな、よく覚えてる」
小春が短く答えを促すと、花音が微かに苦く笑い声を漏らした。からかうようにも、自戒を込めているようにもとれる響きだ。
だが、彼女が指摘したものを、小春は知らない。喪失感に胸が痛む――もとい、知るはずのないものを当然のように言われ、少し苛立ちが募る。
「私にはそんな記憶ないわよ」
意図して素っ気なく、小春は突き放すように言う。そのまま作業を続ける彼女だったが、思いの外何の反応もないことが気になって、横目で花音の様子を窺った。
一瞬、その顔が見たことのない表情に見えたのは、果たして気のせいだっただろうか。
「まあ、そうだよな」
涼しい声で、少し遅い相槌を打った花音の顔は、見慣れた明るい笑顔だった。
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