Ep.1

「かの、じょ……?」

 茫然と、おうむ返しに呟く小春。自分がどんな顔をしているのかさえ分からないまま、彼女は首を傾げた。疑問に思うというより、頭を支える力を失ったかのような仕草だ。

 対して、少女は小春の反応を訝しまなかった。泰然と腕を組み、一つ頷くと、

「おう。名前は天野あまの花音カノン。小春と同じ●×高校の一年でクラスメイト。そんでもって、小春の彼女――恋人だ」

 まるで初対面の相手に自己紹介するように、初対面ではあり得ない内容をつらつらと語る。堪らず顎が落ちた小春の顔を覗き込みながら、少女――花音はそこで片目を瞑って見せながら、悪戯っぽい声音で続けた。

「なんとなく、そんな実感は湧いてきたんじゃないか?」

 言われて、小春は我知らず片手を胸に置いた。

 記憶はない。花音との思い出も、自分に彼女がいたことも。なのに、彼女が何者なのかは確かに知っていた。彼女が言った通りの内容を。そして、花音が自分の恋人だという荒唐無稽な内容さえも、それが事実なのだと確信できる。繰り返すが、記憶はないにも関わらず、だ。

「……何者なの、あんた」

 警戒せずにはいられない。だが同時に、恋人を疑いたくないという自制心が膨れ上がる。

 そんな感情が顔に出ていたかどうか。花音はその質問に、笑いながら肩を竦めた。

「言っただろ。小春の恋人だって」

 はぐらかすような答えに、小春の目が据わる。だが、彼女を制するように、花音はもう一言付け加えた。

「心当たりがない、なんてことないだろ? お前が神様に頼んで用意させたんじゃないか」

「っ!?」

 口を開きかけていた小春が、雷に撃たれたように痙攣した。

 確かにそんな夢は見た。だが、何故それを花音が知っているのか。

(私が夢の中で神様に願ったから、この子が生まれたって言いたいの? そんな馬鹿な……!)

 何もないところから突然人が生まれるなんて、あまりに非科学的だ。しかしそうでなければ、どう説明をつければいいのか。記憶にない恋人の存在も、彼女が自分の見た夢を知っていることも。

 認めることには激しい抵抗がある。一方、それ以外の解釈があり得るのか。

(元々花音は本当に私の彼女で、私が何かの拍子に記憶を失った? それで変な夢を見たときに、寝言でも聞かれていれば……けど、そんな偶然ある? いや、そもそも何で私の恋人が――)

 口に手を当て、しばし思案する小春の顔を、花音はやはり微笑とともに見つめていた。

 やがて、小春は伏せていた顔を上げると、花音の方へ目をやる。直視を避けるように微妙に視線を泳がせながら、

「ねぇ、今のが本当だったとして、何で私の恋人が女の子なわけ? まさかと思うけど、私が男に見えたんじゃないわよね」

「馬鹿言え。オレを作った神様は、小春の性別間違うほど目も耳も鼻もイカれちゃいねぇよ」

「匂いで判断しないでくれる?」

 投げた疑問に、花音は即答。思わずツッコむ小春だったが、花音は意に介した風もない。

 実際、小春の性別を見紛う者はかなり稀だろう。背丈こそ女子の平均よりやや高いものの、肩で揃えた艶のある黒髪と切れ長の瞳を擁した美貌は、多くの男子の関心と女子の羨望を集めてきた。スラッと細長い手脚や白魚のような指も、男子のそれとはかけ離れているし、胸の膨らみにしたってパジャマの上から見て取れる程度にはある。方向性こそ違いはあるが、彼女も花音に負けず劣らずの美少女と呼んで差し支えないほどなのだ。仮に学ランを着ていたとしても、女子の男装だと分かるだろう。

 腕を組んで軽く背を逸らした花音は、何ということはないトーンで、

「ただ単に、小春の恋人になる人間をすぐ用立てようと思ったときに、丁度男を作る部品の在庫が切れててな」

「部品!? 在庫!?」

「うん。で、リクエストが「彼氏」じゃなくて「恋人」だったから、じゃあ女でもいいかと」

「女でもいいか!?」

 次々繰り出された突飛な台詞に、小春は思わず叫んでいた。それでも花音は泰然とした姿勢を崩さず、うんうんと頷きながら続ける。

「一応、神様なりに気を使ったんだぜ? 彼女を作るんならせめて、ってことで、格好いい、可愛い、綺麗の三拍子揃った外見にしたんだから。自分で言うのも何だけど、ここまでの美少女、そうそうお目にかかれないぜ」

「ホントに自分で言うと台無しよ」

 げっそりと呟いた小春は、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。あまりに滅茶苦茶な内容を聞かされ、理解力のヒューズが切れてしまっていた。

 逆に花音は、ベッドから降りて小春の傍に立つ。手を差し伸べながら、

「つーわけで、そろそろ目も覚めただろ。着替えてリビング行こうぜ」

「……その口調も、神様が気を利かせた結果?」

 げっそりした声で唸る小春に、花音はわざとらしく気障きざに笑いながら、曖昧に首を振る。

「口調は性格に合わせただけだぜ。まぁこういう性格に仕上がったのは、神様のせいかもしんないけど。お淑やかでしっとりした美人さんより、女の子の恋人にはむしろ適役だろ?」

 言いながら花音は、一向に手を上げない小春に業を煮やしたか、屈みこんで彼女の手を握る。無抵抗に立ち上がりかけた小春だったが、ふと我に返って眦を吊り上げた。

「……って、待ちなさいよ。あんたそもそもどうやってここに、って言うより、何で私の家にいるのよっ」

 その手を払いのけつつ、再度問いを投げる。花音はカラカラ笑いながら、ベッドの下に手を伸ばすと、鞄を引っ張り出しながら応じる。

「何だよまだ寝ぼけてるのかぁ? 昨日からお泊りデートに来てただろ。ほら、こうして着替えも持ってきたし」

「嘘っ、だったら私が夢でお願いする前からここにいたってことになるじゃない!」

「その辺は辻褄合うようにしてあんだよ。嘘だと思うなら、小春の父さんにも確認取ろうぜ」

 噛みつく小春の態度も意に介さず、一度肩を竦めると、花音はそれ以上言葉による説得を続けようとはしなかった。

 代わりとばかりに、彼女はその手をパジャマのボタンにかけ、外す。あっという間に全て外すと、躊躇なく前を開いて脱ぎ捨てた。

「ぅえ!?」

 当然露わになる花音の素肌。飾り気のないブラ一枚を身に着けただけの裸身が、目を逸らす間もなく小春の網膜に焼き付いた。

 一点の曇りもない柔肌、小ぶりな双丘や、腰に向けて滑らかなカーブを描くボディライン。おへその窪みや健康的な腹部の曲線まで、一瞬しか目にしなかったはずの姿が妙に克明に記憶され、小春は訳も分からず頭を湯立たせた。

「いっ、いい、いきなり脱がないでよ!?」

 小春自身、自分がどうして同性の裸にここまで狼狽えるのか分からない。ただ、花音に対しては、裸を見ることも、見られることも、今までにない抵抗を感じていた。意志に反して早鐘を打つ胸を、ただ無為に手で押さえることしかできない。

 他方、花音の方は気に留めることもなく、上に続いて下も脱ぐと、鞄から取り出したシャツとスカートを手にした。真っ赤な顔を背ける小春をニヤリと見下ろし、

「ほほー、可愛い反応だなぁ。小春に見られる分には平気なつもりだったんだけど、そういう風に意識して恥ずかしがってくれると、こっちもちょっと照れくさくなっちまうな」

「うっさいわね! いいから早く服着なさいっ」

「はいはい」

 とうとう目を閉じ手を振り始めた小春に、花音は鼻で笑いながら服に袖を通した。

 衣擦れの音に耳が引っ張られる自分を、小春は内心で叱責する。そんな時間もすぐに過ぎ、彼女は花音の気配の方へ、恐る恐る目を向けた。

 シンプルな白のTシャツと、グレーのスカート。清潔感のあるシンプルな格好ではあるのだが、真っ白な無地の布地は、どことなくその下の素肌を思わせ――と、直前の光景がまた脳裏に蘇る。

「っっっ~!」

 声なき声とともに、髪を振り乱して頭を振る小春。それを目で追いながら、花音はゆっくりと立ち位置を変え、小春の背後に立つと、彼女の両肩に手を置いた。

「な、何?」

 唐突に触れられ、小春の背筋に電流が走る。

 肩越しに背後を振り返れば、花音と目が合った。ドキリとしつつも、目を伏せがちにしながら睨み返す。そんな彼女の反応に、花音は晴れやかな笑みを浮かべながら言った。

「小春も早く着替えろよ。手伝ってやるから」

「出てけ――ッ!!」

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