彼女をくれとは言ってない
えどわーど
Prologue
夢――寝ているときに見る夢なんていうのは、起きたときにその内容をはっきり覚えている者などそうはいないだろう。
それでも、詳細はともかく、朧げに何があったか覚えていることもある。そのときの夢もそうだった。
夢だからまぁ、荒唐無稽な話だ。何やら荘厳なオーラを纏った『神様』なるものが現れて、「何でも願いを叶えてあげよう」とか言うので、「恋人が欲しい」と答えた。大体そんなような感じだったと思う。
願いを告げた直後、意識が覚醒に向けて浮上した。『神様』とやらの姿も、声も一瞬で記憶から流れ落ちていく。ただ、交わしたやり取りだけが、洗い落し損ねた汚れのように脳裏に残ったまま、瞼の隙間から光が差し始めて――
■
ちゅんちゅん、ちちち
窓の外で鳥が囀る声を聞きながら、
たった今見ていた夢の残滓が、眠気の残る意識の中でぼんやりと灯っている。変な夢見たなぁ、と自嘲しながら、彼女はゆっくりと身を起こした。
高校一年の夏休み初日。遠くには蝉の声が響き、窓の外の日差しは既に強い。去年まで暮らしていた都内に比べればこの辺りは涼しいのだが、それでも夏の暑さを想い、少しだけ億劫になる。
「……ん?」
そんなことを考えながら上体を起こして、気づいた。腹の上に何かが乗っているような重さがある。怪訝に思い肌掛けをめくり上げて、ぎょっとした。
人の手だ。何者かの手が自分の腹に乗せられている。
「ひッ……!?」
そう気づいた瞬間、小春はベッドから転がり落ち、立ち上がるや否や肌掛けを跳ね除けた。その手の持ち主、いつの間にか彼女のベッドに忍び込んでいた者の姿が露わになる。そして目にしたものに、小春はもう一度息を呑んだ。
少女だ。小春と同い年の少女が、身を縮めるようにして眠っていた。それも、同性の小春が思わず言葉を失うほどの美少女である。
半袖のパジャマを纏った体躯は、小柄だが幼く見えるほどでもない。髪は腰まで届くボリュームで、しかも癖一つないその髪は、眩い黄金色に輝いていた。肌は白磁の滑らかさ。そして、目を閉じ眠るその横顔は、小動物のように愛らしくもあり、それでいて神像のように凛々しくもあった。
身を横たえた姿勢で眠っていた少女の手が、小春の腹に触れていたらしい。それを頭の片隅で理解しながら、彼女は
ただ、光を浴びたためだろう、ほどなく少女の眉が揺れ、瞼がゆっくりと開いた。薄く開いた唇の隙間から吐息が零れ、二度三度と瞬きした彼女の目が、スッと自然に小春へと向けられる。
目を疑うほどに美しい、サファイアブルーの瞳。ぴたりと重なった視線が、縫われたように動かせなくなる。
言葉もなく固まった小春を見つめた少女は、そこでニコリと笑みを浮かべた。初対面の相手に見せるとは思えない、気安く自然な笑顔で、
「おはよ、小春」
鈴を転がすような澄んだ声。ありふれた朝の挨拶なのに、その一言だけで嬉しそうなのがはっきりと感じられる。そんな声で名前を呼ばれた瞬間、小春の鼓動が跳ねた。
突然時が動き出したように、小春の表情が慌ただしく変わる。困惑も露わに視線を揺らし、見つめ合うのを避けながらも、少女から目を離せずにいた。
「お、おはよ、じゃないわよっ。
しどろもどろになりながらそう口にしかけたところで、小春がハッとその口を手で押さえた。
今口を突いて出た自身の言葉を反芻し、恐る恐るもう一度少女を見る。愕然とした面持ちで、小春は再び口を開いた。今度はゆっくりと。
「……ねえ、私、何であんたの名前を……」
震える声で投げた問いかけは、最後まで言葉にできなかった。
身を起こし、ベッドに座り込んだ少女は、小春の言葉に戸惑う様子もない。彼女は変わらぬ笑みを浮かべたままで、変わらぬ自然体の口調でそれに答える。
「そりゃ知ってて当然だろ」
「オレは、小春の彼女なんだから」
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