【第3話】川の神と紙芝居
午前中、月詠荘のリビングは静かだった。
ハルがバイト、茶蘭は学校、ジナンは
……ジナンだった。
虎吉は近所の力仕事、優は喫茶店の準備中。
少しくたくたになっているソファに
座っていた神河クロは、一際分厚い
ファンタジー小説を静かにめくっていた。
クロの趣味は、読書。
特に児童文学や昔話が好きだった。
人間の感情がそのまま物語になっていて
わかりやすく、そして少し切なかった。
ページをめくる手が止まる。
「……これは、川の神が出てくるのか」
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちはーっ!クロにいちゃーん!!」
現れたのは、近所の保育園児3人組。
先日、ジナンが勝手に開催した
「神様ってほんとにいる!?神と遊ぼうの会」の影響で、何故か月詠荘には“神様の巣”…
という噂が流れていた。
「今日はさ!
クロにいちゃんのお話、聞きたい〜!」
「紙芝居やってくれるってジナンが言ってた!」
「顔はちょっと…ほ、ほんの少しだけ
こわいけど、本当はやさしいって!」
クロは小さく目を見開いた。
(……泣かれると思っていたのに)
数秒の沈黙の後、彼は立ち上がると
本棚から手製の紙芝居セットを取り出した。
いつか、子どもに読み聞かせしてみたいと思い
自分で描いたものだった。
「……見せる、おいで」
「やったーー!!」
◆ ◆ ◆
近くの公園、木陰のベンチ。
そこに即席の紙芝居台をセットして
子どもたちを前にクロは静かに話し始めた。
「『川の神と、はしっこの村』──」
絵は拙いが線がしっかりしていて
色づかいに温かみがあった。
登場するのは無口な川の神様と
言葉を忘れた小さな子。
「川の神は、静かに流れ続けました。
誰にも気づかれないように…
誰にも踏まれないように…」
「でもある日、村の子が泣いてこう言ったのです ──“本当は誰かと話したい”って」
声はいつも通り低く抑えていたが
子どもたちはじっと聞いていた。
ページがめくられるたび視線が交錯し、
少しずつ笑顔が生まれていく。
「……そして神さまは勇気を出して、
たった一言だけ返しました」
『……ここにいるよ』
その瞬間、子どものひとりが
ポツリと呟いた。
「……クロにいちゃんも、神さまだったの?」
クロは答えない。
ただ、少しだけ、口元をゆるめる。
「……前は、そうだった。
今は、紙芝居のおじさん」
「えー!違うよ!
クロにいちゃん、絵も上手だし声もすきー!」
「また…読んでくれる?」
「……作っておく」
それはきっと、彼なりの「約束」だった。
◆ ◆ ◆
いつの間にか夕方になっていた。
子どもたちが「ありがとう〜!」と
手を振って帰っていく姿を
見えなくなるまで見届けた。
クロが紙芝居セットを、片付けていると
後ろからコンビニバイト帰りのハルが
声を掛けてきた。
「お疲れさまです、クロさん。
……って、それ、手作りだったんですね」
「……うん」
「すごいですよ!俺も見たかったな、紙芝居」
「……また、やる」
それだけ言うと、クロはふっと息を吐いた。
まるで、川の底に溜まっていた濁りが
少しだけ流れたような顔をして。
「今日は、泣かれなかった」
「それ、大きな進歩ですね」
「……勝った」
そのひと言に、ハルは思わず笑ってしまった。
「じゃあ、今度はみんな呼んで…
紙芝居大会ですかね!」
「……ジナンが調子に乗る」
「それは…確実ですね」
◆ ◆ ◆
夜、月詠荘の本棚に1冊の絵本が増えた。
タイトルは──『川の神と、ことばの種』
表紙には微笑む神さまと、
しゃがんで耳を傾ける子どもが描かれていた。
クロはその前で
立ち止まり、そっと目を閉じる。
(また、誰かに声を届けられたら、それでいい)
静かに流れる、川のような想いを胸に──
神河クロは今日も
少しずつ、人と繋がっている。
《To be continued…》
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