マスカット マスコット ヘビ

🌻さくらんぼ

マスカット マスコット ヘビ

「なにそれ、ヘビ?」

 学校の授業も終わり、あとは担任の先生が戻ってきた後のホームルームだけ、というときだった。教科書をリュックの中へ戻していたハナカの手は、ピタリと止まる。

 ななめ前の席から振り向き、話しかけてきた相手――リンタの視線は、私のシンプルな黒いリュックにぶら下がる、ストラップのぬいぐるみにある。

 

 頭が真っ白になった。リンタに

「あ、えっと、ごめん。ヘビじゃなかった?」

 そう、これがヘビだということに、間違いはない。水色の、ゆるいS字型をしているマスコット。目はクリッとしていて、本物のヘビのような不気味さは一切なく、かわいらしい。とはいえ、どう見てもヘビだ。

 問題はそこじゃない。

 けれどハナカは、小さく首を振るので精一杯だった。リンタは気まずそうにしている。

 それでも説明なんて無理だ。できるはずもない。代わりに耳が、じわじわと熱くなった。  

 目を泳がせていたリンタは、気を取り直したように再び、口を開きかける。が、そこでチャイムが鳴る。先生が教室へ入ってきた。リンタはもう一度ヘビを見て、何も言わずに前を向いた。ホームルームが始まる時間だった。




 ホームルームが終わるなり、ハナカはリュックをつかんだ。逃げるようにして教室を出る。リンタとも、ほかの人とも話したくなかった。ホームルームでの話の内容など、なにも耳に入らなかった。代わりにずっと、さっきのリンタの言葉が、頭の中をグルグルしている。

『なにそれ、ヘビ?』

 この子のことは、バレてはいけなかったのに。恐ろしいことが起きる前に、あの言葉の通りにしないと。

 階段を駆け下り、同じく下校しようとしている他クラスの生徒たちの合間を縫って、自分の下駄箱へたどり着く。がやがやワイワイとみなのんびり靴を履き替える中、ハナカは玄関そそくさと去った。外はまだ、まばらにしか人がいない。ハナカは走り出した。向かう先は、家ではない。ちょうど一週間前、初めて行ったところ――このヘビのマスコットを手に入れた場所だ。




 一週間前。

 ハナカはリュックではなく、エコバッグを下げていた。中学校に入っても部活に入部しなかったハナカは、帰宅後にこうして、母から置手紙でおつかいを頼まれることも少なくなかった。正直、面倒だ。でも、サボることであとからぐじゃぐじゃ言われるくらいなら、とっとと済ませて、誰もいない静かな家でゴロゴロしていたほうが、ずっといい。

 いつものスーパーマーケットで、頼まれていた食パンと、インスタントのスープを買い終えた時だった。近くを通った女の人が、何かの紙切れを落とした。

 私に関係ないことだ――なんて言葉が一瞬頭をよぎったが、けっきょくそれを拾い上げる。なにが書かれているか見ようとは、微塵も思っていなかった。すぐその人を呼び止めて、渡すつもりだった。でも、目に飛び込んできた。

『片想いのとき 心を見抜くマスコット 1510円』

 水色のヘビのマスコットの写真が添えられている。

 

 ドクッと心臓が跳ねた。浮かぶ顔がある――リンタだ。

 これは落とし物だということをすっかり忘れて、その下にあった説明に目を通していく。

『片想いの相手と会うとき、マスコットから片想いの相手が見えるところにつけてください。心を見抜いてくれます。ただし、相手にこのマスコットのことをいけません』

 紙の端にある『マスカット』が、店名らしい。その横には、住所も載っている。普段はあまりそっちのほうには行かないけれど、ここからそう遠くはない。ほかにも、笑顔を引き寄せるマスコットや、猫の手を借りられるマスコットなど、いろいろ載っている。だがハナカは他をじっくり見ることなく、ヘビのマスコットの欄に夢中だった。

 この写真のマスコットは、おまじないのようなものらしい。そんなの、絶対に効果があるわけない。けれど……気になる。本当に片想いの相手の心を見抜いてくれるとしたら。

 本当は、好きな人とか、付き合っている人がいるのかとか、そういうことが気になっている。でも、聞けない。だって、それでいるって言われても、いないって言われても、そのあとはどうしたらいいのかわからない。変なことを言って、意味不明な人だと思われたくない。

 だけど、直接聞かなくても、見抜いてくれるのなら。こっそり知ることができるのなら。

 まだ母が帰宅するまで、たっぷり時間がある。

 ハナカは一旦家に戻り、買ったものを置いて、貯金箱をひっくり返し、店へと向かう。



 そうして1週間前、『マスカット』に行ったのだ。丘の途中の木々の中に立つ、丸太小屋の店。そこで私は、この水色のヘビを買った。

 店の中はかわいいぬいぐるみでいっぱいなのに、店のカウンターにいたのは、気難しそうなおじいさんだった。ドキドキしながらお会計を済ませたハナカに、おじいさんはボソッと言った。

「もし相手にこいつのことを知られてしまうようなことがあれば……。またここへ来い。お祓いをせにゃ」

 お祓い?と聞き返す間もなく、おじいさんは店の奥へと消えていく。

 大変なものを買ってしまった。そう思った。

 あの紙切れの文句も、おじいさんの言葉も、守らないわけにはいかない。私は、リュックの網目状になった横ポケットに入る位置に、水色のヘビをつけた。



 だけどそれが今日、なぜかリュックのポケットから飛び出していて、リンタにバッチリ見られてしまったのだった。






 丘を登り、『マスカット』を見つける。リュックを背負う背中が暑い。息切れ切れに、店の分厚い扉を押す。カランカランと、牧場の羊がつけている鈴のような音がした。

「いらっしゃいませ」

 店内に足を踏み入れると、声がした。おじいさんではない。女性の明るい声だった。てっきりこの店は、おじいさんが一人でやっているものだとばかり思っていたハナカは、少し面食らった。が、店内に並ぶいろいろなぬいぐるみを眺めながら、カウンターへと向かった。

 女性は胸に名札をつけている。『ミコト』と書かれていた。長く黒い髪の毛をポニーテールにしていて、背が高い人だった。

 何も持たずにカウンターへ来た私に、ミコトさんは不思議そうな顔をした。

「あの、このぬいぐるみのことなんですけど……」

 リュックの横にある、水色のヘビのマスコットを見せる。

「まぁ! うちで買ってくれたことがあったのね!」

 ミコトさんはパァっと明るい顔をした。それから咳払いをして、言う。

「その子がどうかしましたか?」

「お祓いをしてもらわなきゃいけなくて」

「お祓い?」

 キョトンとされてしまった。ハナカは説明する。

「1週間前に、ここでこの子を買ったんですけど、そのときお店の方に……」

 言いながら、ハナカは自信を失くした。あのときおじいさんは本当に『お祓い』なんて言っていただろうか。この店は、そんな言葉は似合わない、かわいらしい雰囲気だった。

 語尾が小さくなっていくハナカの前で、女性は

「全く、あの人はまたおふさげしたのね。お客さん相手にはしないでって言ったのに」

 と、呆れ声でつぶやく。

 ハナカはびっくりして聞いた。

「もしかして、お祓いする必要なんてないんですか?」




 お店の裏のテラスに、ハナカとミコトさんはいた。目の前のテーブルには、紅茶とクッキーが並んでいる。迷惑をかけたからと、勧められたのだ。ミコトさんは向かいの席に座っている。

「……心を見抜くヘビを好きな人に見られたから、お祓いをしてもらわないといけないと思って、ここへ来たのね」

「はい」

 ミコトさんに事情を話すのは、不思議な気分だった。好きな人の話なんて、誰かにしたことがなかったのだ。ハナカの友達はみんなおしゃべり好きで、互いが話したことをすぐに広めてしまう。週末にケーキを3つも食べたこと、テストで名前を書き忘れたこと、隣に引っ越してきた人の家の犬がかわいいこと……。本人から聞く前に知ることだってよくある。でも、誰かの陰口を聞くことはなかった。だから、仲良し故の現象なのだった。そんな仲良しのみんなと話したり、聞いたりするのは楽しい。けれど、その子たちに、好きな人がいると話すことはできなかった。名前を挙げなくても、広まって、バレてしまうに違いなかったから。そんなの怖くて、できない。

 もちろんこのヘビのことだって聞かれた。だけど本当のことを言うわけにはいかなくて、この前来た親戚のおばさんがくれたと嘘をつくしかなかった。おばさんが来たのは本当だったし、その話はしてあったから、友達はみんな、ハナカの言うことをあっさり信じてくれた。そうしなきゃいけないのは少し心が痛んだし、寂しいような気もしたけれど、最悪の事態を避けるには仕方のないことだった。

 だからこうして、好きな人がいることを話したのは初めてだった。もちろん、ミコトさんは、私の片想いしている人の顔も名前も知らないけれど。

 ふわふわとした不思議な感覚でいるハナカの前で、ミコトさんは真面目に言った。

「うちの子たちはね、私と、あなたが最初にうちの店で会った人――父とで作っているの。あの文句を書いたのは私よ。私たちは、買ってくれた人の願いが叶いますようにという気持ちを込めて作っているわ。でも」

 ミコトさんは、自分の目の前にある紅茶を飲んだ。それに釣られて、私も啜る。甘酸っぱいローズヒップの香りが広がった。ミコトさんはカップを置く。

「ごめんなさいね。私たちは魔法使いじゃないの。だから本当にそのぬいぐるみに力があるつてわけじゃない。その代わり、お祓いが要るようなことにもならないわ」

「そう、ですよね」

 がっかりしたような、ホッとしたような。そんな気持ちがした。

「何を言っている、ミコト」

 突然声がして、ハナカは文字通り飛び上がった。危うく紅茶をひっくり返すところだった。近くの窓から、1週間前カウンターにいた、あのおじいさんが顔を出している。

「おまえはそうかもしれんが、わしは違うぞ。

 そいつにはちゃんと効果がある」

「父さん、そうやって人を混乱させることは言わないで。ちょっとしたおまじないみたいなものってだけでしょ? 私たちは魔法使いじゃないわ」

「わしが魔法使いでないと言い切るのは100年早いぞ。わしのことを一番わかっているわしが言っているんだから、何も間違いはない。それにそいつを作ったのはわしだ」

 おじいさんはテラスへ出てきた。

「いいか、そいつは人の心を見抜く。おまえさんの心から払わなければいけない、邪悪なものがあるのを見かねて、ぽけっとから飛び出してきたのだ」

「私の心、ですか?」

 てっきり、ぬいぐるみがお祓いをされないといけなくなるのだと思っていた。しかも、見抜かれたのは、リンタじゃなくて、私の心……?

「そうだ。片想いってやつは厄介でな。良くない方向に働くと、自分が相手にどう思われているかばかり気にして、相手のことを考えられなくなってしまう。それが時には、相手を傷つける行動になるのだ。そうなる前に、わしの作ったヘビは忠告をしに飛び出したわけじゃ。胸に手を当てて聞いてみろ。おまえさんは、自分のことばかり気にして、恋をしていないか?」

 そうだ。おじいさんの言う通りだ。

 リンタが話しかけてくれたときも、このヘビを買うと決めたときも、友達に片想いの話ができないのも。好きな人のためになることや、好きな人を傷つけてしまうことなんて、何一つ考えていなかった。

 と、ミコトさんが笑いだす。

「ミコト、何がおかしい」

「父さんが乙女心を真剣に話してるんだもん。しかもその話が、お祓いってことでしょ? そんなの面白いに決まってるじゃん」

「長く生きていると、いろんなことがわかるようになる。おまえだって色んなことがわかるようになると、お節介を焼きたくなるぞ」

「ならないわよー」

 ミコトさんはクッキーを摘んだ。

「それにしても、今まで父さんがそんなことを考える人だったなんて、知らなかったなー」

「誰にだって話してみないとわからないところがあるからな。わしが魔法使いだということも、そのうちわかる」

「それは絶対にないでしょ」

 ミコトさんは口にクッキーを放り込むと、お皿をこちらへと押した。

「クッキーも、遠慮しないでね」

 ハナカはありがたく、クッキーもいただくことにした。

 誰だって話してみないとわからないことがある、か。

 サクッとした生地と甘いチョコチップが、口の中で溶けていったのだった。





「「昨日は」」

 次の日の朝。教室で会ったリンタとハナカの言葉が重なる。二人はフッと吹き出して、それから昨日はごめんと、互いに口にした。

 それからリンタは、私のリュックの横に目をやる。今日は堂々と、水色のヘビがぶら下がっているはずだ。

「俺さ、実はその……。ほら、前に姉ちゃんがいるって話しただろ。それでそのぬいぐるみのこと、姉ちゃんから聞いて、知ってたんだ」

 ガッと、顔が熱くなった。

「ハナカ、好きな人がいるんだなって思って。俺、情けないよな。ちゃんと聞けなくてさ。テキトーなことばっか言って。だけど、決めた。ハナカに好きな人がいるとしても、言っておきたい。俺はハナカのことが――」






 好きです。







 ハナカのリュックの横で、水色のヘビのマスコットは満足気に、ゆらりとゆれたのだった。



               (おしまい)

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