7-3.思うだけじゃ伝わらない
日曜日は話したいことがあるから時間を作ってほしい、という梨乃の頼みを聞いて、彰宏は久しぶりにゆっくりと朝食をとっていた。
「で?話って?」
食べ終わるなり本題に入った彰宏はスマホで誰かにメッセージを送っているようで、梨乃に一瞥もくれない。
「あ、うん……わたし働こうと思って。それでアキくんにお金を返していきたいの」
真剣な話になるので、梨乃は台所の片付けを途中で止めて彰宏の目の前に腰を下ろした。
「は?お前が働く?無理だろ」
「……どうしてそんなこと。できるよ、だってわたし!」
高校卒業後から5年ほど働いていたことは彰宏も知っているはずだ。梨乃は反論をしようと口調を強めた。
「どんくさいじゃん、お前。一緒に働く人が迷惑だろ」
彰宏は梨乃の方を見ようともせず、冷たい言葉を投げるだけ。今にも「話はそれだけか?」と立ち上がりそうな雰囲気を感じる。梨乃はそうなる前に離婚の意思を伝えようと、膝に置いた拳に力を込めた。
「はぁ……そもそもお前がちょっと働いたぐらいで返せる金額じゃないだろ?どういった心境の変化だ?」
案の定彰宏は、話はこれで終わりだとでも言うように立ち上がった。先ほどから忙しなく稼働しているスマホからは相変わらず目を逸らさない。どう転んでも、梨乃に真剣に向き合う気は起きないらしい。
「あー、わかった。お前、俺の不貞の慰謝料を差し引くつもりか。あと、財産分与?」
梨乃が口を開く前に彰宏が核心をついた。梨乃が離婚の意思を固めたことに気づいたのだ。
彰宏は梨乃を決して待たない。いつまでもウジウジしている梨乃を待つ時間は無駄だと考えているからだ。
そしてまた、梨乃がその問いに反応を返す前に、彰宏は「ん」と手のひらを梨乃に見せ、何かを要求するポーズをとった。
突然の行動に梨乃が「え?」と戸惑うのは当然なように思うが、察しの悪い梨乃に彰宏は苛立ちを深くする。
「スマホ出せ。そもそもそれも俺が払ってやってんだから、お前のじゃないだろ。出せよ、早く」
嫌だよ、と梨乃は拒否をするが「いいから出せよ」と語気を荒くする彰宏に逆らうことをしてはならないと、梨乃の体が意思に逆らいスマホを差し出した。
一体なにをするのだろう。もしかして杉田との関係に気づいていて、その証拠を得るためにスマホをチェックするのだろうかと思ったが、彰宏はそれをすぐにポケットにしまい込んだ。
それから唐突にどこかに電話をかけ出したのだから、梨乃はこれから何が起こるのかと気が気ではない。
「もしもし?今時間ある?……そう、今から俺んち。……あ?いないから、おー」
まさか不倫相手をここに呼ぶのではあるまいなと、梨乃の眉間に皺が寄っていく。
スマホを取り上げた理由が音声録音をさせない為だとしたら、彰宏の行動にも納得ができた。
「梨乃、お前杉田って知ってるだろ。そいつに惚れたか」
通話を終えた彰宏が再び梨乃の前に座って口にしたそれは、問いかけではなかった。事実と分かった上で敢えて確認をしているのだ。
「それで俺と離婚して、杉田と再婚でもするつもりだったのか?コソコソと俺の不貞の証拠も集めていたみたいだったしなぁ」
一向に答えない梨乃に痺れを切らした彰宏は「まぁ、いいや」と口にするなり、ベラベラと梨乃の心情を言い当てる。
「教え子との不倫がバレたら俺は終わりだしな。くくく、良くやったよなぁ、杉田は」
だけど詰めが甘かったと彰宏が呟いた頃、彼が呼び出した相手から彰宏のスマホへ着信があった。
彰宏は「開けるから上がって来いよ」と楽しそうに会話をしている。やはり不倫相手をここに呼んだのだろうか。
玄関まで迎えに行った彰宏がリビングに通したその相手を見た瞬間、梨乃は息が止まるかと思った。事実、次に吸うのか吐くのかが分からなくなって、ヒュッと正常でない音が喉から漏れた。
「っ、梨乃さん、……おい、騙したのか」
彰宏が呼び寄せた相手ーー杉田は彰宏を責めるように声を低くしたが、彰宏はそんなこと気にも留めず、「まぁ座れよ」と杉田を梨乃の目の前の椅子へと促す。
梨乃は杉田の顔をチラリと盗み見て助けを求めようとするが、杉田は目を合わせてくれない。後ろめたさを体現しているかのようなその行動が、梨乃の心を酷く傷つけた。
杉田は梨乃との関係を進めたことを後悔しているのだろうか。それが純然たる事実として横たわっているようで、梨乃は自身の手首をぎゅっと握り締めた。
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