7-2.好きだとそれだけを思う
杉田の助言を元に、梨乃は彰宏の不倫の証拠を集め始めた。
彰宏のスマホのロック解除の暗証番号が二人の結婚記念日なのには笑ってしまった。新婚時期なら嬉しかったのだろうが、不倫をしている彰宏がパスワードすら変えていない事実は梨乃を見下しているからだと思えた。
彰宏は梨乃が不倫に怒り反旗を翻すなどとは微塵も考えていないのだ。
覗き見た彰宏のスマホ内のメッセージアプリには、多勢の女性とのやり取りがズラリと並んでいた。
しかしそれを順番に精査する時間は生憎とないのだ。彰宏が風呂から上がってくるまでが勝負だった。
なので梨乃は明らかな肉体関係があった彼の生徒の女の子と、恐らく肉体関係があるだろう梨乃に電話をかけてきた女性、この2人とのやり取りに絞ることにした。
彼女たちは彰宏と頻繁に連絡を取り合っているようで、トーク画面の一番上とその下に表示されていた。
こんな不倫の証拠そのものを消しもしていないなんて、余程馬鹿にしてるのね、と梨乃は悲しみを覚える。今までの結婚生活とはなんだったのだろうか。彰宏にとっては全く意味のないものだったのだろうか。
トーク画面には、不倫の証拠の有効性が認められている肉体関係があったと推測できる内容のやり取りの他に、ご丁寧に性行為中の写真や動画までが保存されていた。
好意、ましてや愛などはとっくに枯れていたと思っていたが、いざズラリと並んだ証拠を目の当たりにすると手が震えてくる。
それは彰宏への愛を示すものではないが、時間を共にした情はまだ残っているのだろう。
そんなことを思っていると風呂場で彰宏が湯船から出る気配がしたので、梨乃は慌ててそれらのスクリーンショットを撮った。
この時梨乃は気づいていなかったのだ。画面を開いているときに新たなメッセージを受信していたこと。そしてそれが自動的に既読になってしまったこと。
彰宏は肥大した自尊心の塊のような男だが、愚かではない。人の本質を見抜く力に長けており、機微にも敏感であった。だからこそ梨乃の変化に気づかないはずがないのだ。
そんなことになっているとは露知らず、梨乃と杉田は杉田の部屋で逢瀬を重ねていた。
ただ一つの約束はセックスをしないこと。梨乃としては一度したなら二度も三度も変わらないと思うのだが、杉田はそこを譲れないようだった。まぁ、それは良かったのだ。だけど。
「ね、杉田さん、わたしね」
「ちょ、近い!梨乃さんダメダメ、近いから〜っ!」
杉田は梨乃が近寄るとスッと体を引いて距離を取る。これが梨乃は面白くなかった。
梨乃が傷ついた表情をすると、杉田は焦ったように「ごめんね」と謝るが、やはり近づくのは駄目なようで「いい匂いがする、からっ!」と顔まで逸らしてしまう。
「……じゃあ、いつならいいの?!一回ヤッたんだからもういいじゃん!」
「ちょ、コラ、女の子がヤッたとか言っちゃいけません!」
ほんとにも〜、とブツブツ文句を言いながら、杉田は台所へ水を汲みに行く。
杉田は可愛いものが好きだし、感動モノの映画やドラマでよく泣くし、甘い食べ物が好きだし、と、筋肉隆々な見た目とは裏腹に随分と可憐な男だった。
梨乃はそんな杉田の前だと素直になれた。嫌なことは嫌だと言えるし、思いっきり口を開けて笑えるし、自然と感謝の言葉を口にできる可愛げのある女でもいられた。梨乃は杉田の横にいる自分のことが大好きだった。
「ね、わたし働こうと思って」
「え?!そうなの?!突然どうしたの?」
唐突な梨乃の告白に、杉田の綺麗な切長の目はまん丸になっている。
「うん……アキくんにお金返していきたいし……」
「……それは俺が」
「でも、杉田さんに甘えてばっかりは嫌だもん」
梨乃はそう言って杉田に抱きついた。広い胸にすりと頬を寄せれば、頭上で杉田が長い息を吐き出した音が聞こえる。理性と性欲とが闘っているのだろう。
「アキくんに離婚したいって言うよ」
「……その場に俺もいたいんだけど」
「え〜?ふふ。それ絶対変じゃん……!」
その光景を想像した梨乃はクスクスと肩を震わせた。だけどできるならそうしたい杉田の気持ちは痛いほど分かる。
梨乃から離婚を切り出された彰宏がどういった反応をするのかが、全く読めないのだ。
プライドを傷つけられたと激昂する可能性もあるし、梨乃への愛が枯渇している故にあっさりと認めてくれるかもしれない。
だけど彰宏の不倫の証拠は揃った。だから今の状況でまごまごとしていることは、時間の無駄なのだ。
「でも、心配なんだよ……」
杉田は自身の腰に回った梨乃の手を掴み、すりすりと内手首を何度も撫でた。
「いざとなったら、生徒の女の子との不倫の証拠を突きつけるから」
だから大丈夫だよ、と梨乃が優しく微笑むから、杉田はそれを受け入れるしかなくて。だけど杉田はまだ向き合うべき己の罪から逃げ続けていた。
それはもちろん梨乃を失いたくないから。
笑うしかないのは、そのせいで梨乃を失うことになったという事実だ。
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