3-2.芽生えた感情に祝福

 木、金、土曜のどれかがいいと言った梨乃に、杉田は「じゃあ、金曜にしよっか」と応えた。梨乃が指定した3つが彰宏の名古屋出張の曜日なのだ。


 梨乃にとって、誰かと出かける為に待ち合わせをするということ自体が久しぶりであった。

 最寄駅が同じなので「そこで待ち合わせをしようか?」と聞いてくれた杉田の提案を「他の用事も済ませたいから」と断ったのは、一応の警戒のためだ。

 特に知り合いはいないのだから、梨乃が杉田と2人でいるところを目撃されてもなんら問題はないのだが。夫以外の男性と最寄駅で待ち合わせというのはあまりにも厚顔無恥で、さすがに気が引けた。


 イベントは百貨店の13階の一角で行われており、そこはいつも漫画などの人気キャラクターのポップアップ会場になっていた。2人はその百貨店のメイン入り口で待ち合わせの約束をしている。


 百貨店は主要駅直結で、そこまでの道のりは平日と言えど大勢の人が行き交っている。少しでも気を抜けばあらぬ方向に流されてしまいそうだ。

 梨乃はこんな人混みではあちらもこちらも互いに気づけないだろうと思った。だからこそスマホを出して杉田に電話をかけようとしたのだ。それなのに。

 

 わたしと彼の間には特別な引力が働いているのかもしれない。そんな馬鹿げた思考が浮かび上がってくるほど、梨乃は杉田をすんなりと見つけた。

 違う。偶然見つけただけならそんなこと思わない。そうじゃない。そうじゃなくて、これは彼の気配に引っ張られたと表すべきだと、梨乃は思った。そして同じように杉田も。

 

「やっぱりここにいた」


 と、杉田は柔らかく笑んだ。普段上向きの彼の眉尻が緩く下がるだけで、どうしてこんなに切なく感じるのだろう。梨乃はその感情の名前を知りたくて、そして同じぐらい知りたくなかった。


「だって、ここが待ち合わせ場所でしょ?」


 居るのは当たり前だよ、と言った梨乃の言葉を「そうじゃないよ」と杉田は否定する。


「そうじゃなくて。梨乃さんがいる気配がしたって言ったら、笑う?」

「……え、え〜?なにそれ、笑う。……侍みたい」


 梨乃は自分自身を取り繕うことに必死だった。本当は笑わない。笑うわけない。だって、わたしも同じことを感じた、と梨乃は心の中で答えた。


「え、俺って侍なの?」

「だって、気配読むんでしょ?」

「まぁ、まぁ、そうなんだけど、微妙に違うっていうか」


 杉田は侍という単語が余程面白かったのか思い出したように肩を震わせていたくせに、その次には「そうじゃなくてね。梨乃さんの周りだけ空気が違うんだよ」と、梨乃の心を鷲掴みにくるのだから、梨乃はもうたまらなくなってしまう。


「そういう感じ、わかる?」

「あは、わかんない」

「まじかぁ……じゃあ、やっぱり俺って侍なのかもしんない」


 そう言ってふざけた杉田に梨乃が「ねぇ」とじっとりとした視線を送れば、「待って、梨乃さんが言い出したんだからね?!」と心外だとでも言うよに、杉田は下唇を突き出した。




 イベント会場はグッズ売り場とキャラクターカフェが併設されており、カフェの順番待ちの間にグッズを買える仕組みになっている。

 梨乃はお目当てのもっぺんぬいぐるみを2つ手に取り、どっちの子を持ち帰ろうかと真剣に悩んでいた。興味のない人からしたらどっちも同じだろ!という話なのだが、ぬいぐるみは微妙なパーツの配置違いで顔つきが変わるのだ。


「ねぇ、杉田さんはどっちの子がいいと思います?」

「ん?俺?んー、どっちの子も可愛い顔してるね」


 けど俺ならこっちかな、と杉田は梨乃の右手に握られた方を指さした。


「じゃあこの子にする」


 と、左手の方を棚に戻すが、梨乃は後ろ髪を引かれる思いだ。そんな梨乃の姿を見た杉田は愛おしそうに眦を下げた。


「じゃあ、こっちの子は俺が連れて帰ろうかな」

「え?杉田さんが?」

「そ。こっちの子に会いたくなったら、俺に……」


 そこまで言うと、杉田は声を詰まらせた。俺に、に続く言葉はなんだろう。聞きたい。だけど聞かない方がいい。それぐらいはわたしにもわかる、と梨乃は空気を変えるために新たな話題を探す。


「それにしても、アラサーがキャラクター物持ってるってマズいかな?」

「そんなん言われたら、俺なんて30越えの男だしねぇ」


 先ほど梨乃が棚に戻したぬいぐるみを手にした杉田の言葉を聞いて、梨乃は目を丸くした。


「……杉田さんて何歳?」

「今年33」

「もっと若いと思ってた」


 なんなら自分と同じぐらいだと。今年33歳ということは彰宏と同い年だ。

 そんな梨乃のリアクションを見た杉田は「それ喜んでいいやつ?」と複雑そうな表情を浮かべる。そんな杉田に梨乃は焦った。幼いとか落ち着きがないとか、野暮ったいという意味ではないのだと釈明すればするほど、墓穴を掘っている雰囲気になっていく。


「傷つけちゃったね、ごめんなさい」


 これ以上は何を言っても傷口が広がりそうだと素直に謝れば、杉田は「あはは」と耐え切れず吹き出した。そんな杉田の様子を見た梨乃は「揶揄ったの〜?!」と鼻根に皺を寄せる。杉田を傷つけてしまったと落ち込んだのに、揶揄われていただなんて不貞腐れたくもなる。


「ごめん!怒らないで!ごめん〜。焦ってる梨乃さんが可愛いくて……ほんと、ごめんね」


 だなんてしおらしく謝られてしまえば、梨乃は「もうっ!いいよ」と許してしまう。そんな梨乃に「ごめんね」と再び謝罪をした杉田は「でもさ」と、途端に声のトーンを落として真剣モードだ。


「好きなものは好きでいいんだよ。誰の目も気にする必要なんて、」


 梨乃を励ますように紡がれた杉田の言葉はそこで不自然にぴたりと止まった。どうしたのだろうと、杉田の顔を見上げれば、彼の視線が自分の左薬指に注がれていることに梨乃は気づいた。気づいてしまった。


「あ、さっきの訂正……好きになっちゃいけない人はいるね」


 そう呟いた杉田の声が、下がった眉尻が、あまりにも苦しげで、梨乃は何も言葉を返せなかった。

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