3-1.おでこxxx
それからの梨乃にあった変化といえば、利用するスーパーを変えたことぐらいだ。駅前の高級スーパーでしか取り扱われていない高い酒や珍しいドレッシング以外の食材諸々は、坂道を真っ直ぐ行った先の例のスーパーで購入している。
あれだけ高級スーパーのどこ産の野菜ということや有機なんちゃらにこだわっていた彰宏は、変わったことに気づきもしない。結局味なんて分かっていなかったのだろう。肩書きがあればそれで満足できる男なのだ。
「あ、やっぱり梨乃さんだ。こんばんは」
その日は週の後半で、それはつまり彰宏の名古屋出張の曜日だった。だから梨乃は食材を買いにスーパーを訪れる必要はなかった。ただなんとなく、テレビを観ていたら"アイスを食べたいなぁ"と思い立ったのだ。
そして道中にあるいくつかのコンビニを素通りしてやって来たこのスーパーで、杉田と偶然会った。それだけ。
「最近よく会いますね」
と笑った杉田の持つカゴには大量のアイス。初めて会ったときの玉ねぎの量もそうだが、いったい何人で暮らしているのだろうかと疑問に思ってしまう。もしかして杉田も結婚しているのだろうかと、梨乃が視線をやった先の杉田の左手薬指にそれを証明するものはついていなかった。
「あ、あぁ。ここのスーパー近くて便利だなって」
「ですよね!広くて綺麗ですし。駅前はちょっと遠いっすよね〜」
もう買い物は終わったのだろうか。杉田はこのまま帰るのだろうか。梨乃は談笑をしながらそんなことを頭の隅で考えていた。
「あ、梨乃さんもアイスですか?」
「え、あ、あぁ。急に食べたくなって」
「分かる!アイスって突然食べたくなりますよね」
だから俺大量に買い置きするんですよ、と杉田はカゴの中身を自慢げに見せて、何かを閃いたのか「あ、」とニンマリ口角を持ち上げた。
「梨乃さん、自転車?」
「え?……はい、自転車、です」
「だよね、だよね!じゃあ無理かぁ」
残念そうな声を出した杉田の閃きは、どうやら「アイス食べながら一緒に帰りたかった〜」ということらしかった。
「じゃ、じゃあ!近くの公園で食べてから帰るっていうのは……」
どうですか……と、梨乃の語尾はだんだんと弱くなる。言いながら、何を必死になってるんだと冷静になってきたのだ。
それなのに杉田が満面の笑みで「めっちゃいい!」と賛成してくれたので、梨乃は今さら「やっぱりなしで!」と取り消すことができなくなってしまった。
2人がやって来た公園はスーパーの裏手側にある、遊具がブランコと砂場しかない小さな公園であった。そこには木のテーブルを挟んで短いベンチが2基あって、梨乃と杉田はそれぞれ別のベンチに腰を下ろした。
「ねぇねぇ、梨乃さんてどんなアイスが好き?俺、年がら年中バニラ系が好きでさぁ」
ガサゴソとビニール袋からお目当てのアイスを探しながら、杉田はアイスの好みを口にする。
「わ、わたしも!わたしもなの!今日みたいな暑い日にも絶対バニラ!」
一息に言い切った後、嬉しくなって声を弾ませてしまった自分を梨乃は恥じた。なにはしゃいでんの、と頬が赤くなったが、公園の心許ない外灯では杉田に気づかれてはいないだろう。
だけどそうして無邪気にはしゃいでしまうほど、梨乃は嬉しかった。それは杉田と好みが同じとか、そんなことじゃなくて。「夏にバニラ食べるとか正気じゃないぞ」と自分の好みを彰宏に一刀両断されたいつかの記憶を、慰めてもらった気になったからだ。
「たまーに食べるみかん味も美味しけどね」
「うふふ、そうだね」
丁寧語が自然と外れ、いつの間にか友達みたいな砕けた口調になっている。その事実に気づいて、だけどおかしなことじゃないよと誰に向けたか分からない言い訳を並べて、梨乃はバニラ味のアイスを食べ進めた。
「ね、俺たち好みが似てるかもね」
先にアイスを食べ終えた杉田が頬杖をついて梨乃を見つめた。そこには梨乃が貸したエコバッグのキャラクターのことも含まれているのだろう。
あの、うさぎ型のキャラクター"もっぺん"は
15年前に誕生したのだが、その2年後にできた別のうさぎキャラクターに人気を奪われた悲しい過去がある。
ファンも少なく、今では忘れた頃に限定商品が出されるぐらいのキャラクター。だけど梨乃は一途に推し続けている。
「あのさ、次会えたら言おうと思ってたことがあって……」
梨乃がアイスを食べ終えたのを見届けた杉田は、言いづらそうに口を開いた。見たことのない緊張感を含んだその表情に梨乃はドキリとした。何を言われるんだろうと考えるが、どこかでおおよその予想はついていたようにも思う。
「もっぺんのイベント……久しぶりにするでしょ?それ、一緒にどうかな、と、思って……」
「…………っ、」
「あ、嫌ならいい、断って!ただ、俺は梨乃さんと行けたら楽しいだろうなって、ほんと、そう思っただけだから」
杉田の頬が赤い。正確にはハッキリと見えるわけではないが、そうだと確信できるほど、杉田の声は照れていた。
梨乃はそんな彼を見て、さっき私の頬が赤くなったことも気づかれたかなぁ、とそんなことを考えた。
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