2-1.手の甲xxx

 彰宏の友人に会うたび、あぁアキくんの友達っぽいな、と梨乃は思う。どこがどう"ぽい"のかを説明はできないが、とにかく"ぽい"のだ。


「この前合コンした女、アレは完全にオレの金目当てだな」

「目当てにしてもらえる金があるだけいーだろ」

「はは、たしかに。けど金目当ての女はウンザリなんだよなぁ」


 そんな話の流れで「梨乃ちゃんは彰宏の何目当てだったの〜?」と聞かれた時には、随分酔っているなと梨乃は愛想笑いを浮かべた。

 本音は笑いたくもなかったが、彰宏が大切に思っている友人たちなのだ。あからさまな態度はさすがに取れない。


 梨乃がそうやって話を濁していると、キッチンから新たに出来上がったつまみを持って彰宏が現れた。もちろんそのローストビーフは梨乃が仕込んだものだ。


「お前ら、梨乃のことあんまりイジメるなよ?」

「ばっか、イジメてねーよ。お、オレお前が作るローストビーフ好きなんだよね」


 彰宏の友人は皿がテーブルに置かれるなり箸でひょいと摘み上げて、2、3枚を一気に口に放り込んだ。


「で?なんの話してたの?」

「ん?あぁ、金目当ての女はウザイな、って話」


 友人のその言葉に彰宏は「まぁな」ととりあえずの同意をみせたが、「でもさぁ」と話を続ける。


「実際、金を稼ぐ能力のない男に魅力なんてないだろ?だから俺らに女が寄ってくるのは自然なことだよ」

「ぎゃはは!彰宏、めちゃくちゃ言うよな」

「ほんと言い過ぎ。あ、でも見たわ、今日。このマンションのロビーで。貧乏そうな男」


 友人の一人はその"魅力に乏しい男"を思い浮かべながら、嫌味たらしく下品な笑みを浮かべた。


「ここに?貧乏そうな奴なんていないだろ?」


 と言う彰宏も同じような笑みをしている。梨乃は溜息を吐きそうになるのをグッと堪えて、彼らが帰った後はどこから片付けようかなぁ、なんてことを考えていた。


「住人じゃなくて出入りの業者。クリーニングを受け取ってたかな?」


 金を稼ぐ能力がある、つまり女が言い寄ってくるだけの魅力があるはずの彰宏も、その友人も、梨乃の白けた感情に気づく能力はないらしい。そもそも彼らは他人の感情になど興味がないのかもしれない。だからこんな風に恥も外聞もなく、ベラベラと下品な話題で盛り上がれるのだろう。


「あぁ、そういや居たな」

「だろ?愛想だけはやたらいいの。元気に挨拶なんかしちゃってさ。あれは学生の時はモテたけど、今は見向きもされないタイプだな」


 その言葉に一同は殊更盛り上がり、ギャハギャハと耳障りな笑声をこぼす。この部屋の壁が分厚くて良かったと、梨乃は心の中で毒を吐いた。こんな低俗な話をしているなんてことが隣人に知れたら、それこそいい笑いものだ。




 そんな地獄のような時間は毎回決まって夜まで続く。いつもはそんなことにはならないのだが、今日はつまみの話が良かったのか(これは勿論嫌味だ)酒を飲むペースが早く、御開き前に酒が底をついてしまいそうだ。

 これ幸いにと梨乃は買い出しを申し出た。初めこそ「いーよいーよ」「悪いから」と遠慮していた男たちであったが、彰宏が「梨乃はこれぐらいしかできないんだから、買いに行かせりゃいいんだよ」と言ったことで場の空気が一変した。


「そっかそっか。梨乃ちゃん今日なんもしてないもんね?」

「おい、失礼!でも、ま、お願いしよっかな?買い出し」


 あぁ、心が死んでいく。友人の妻をこき下ろす彼らにも、自分の配偶者が笑われているのに止めようともしない彰宏にも、梨乃は失望していた。ここは酷く息がしにくい。苦しくて苦しくて、心が枯れていく。




 創作の出会いで泥酔をしていた梨乃は、彰宏に飲酒を禁止されていることになっている。

 だからあの酒が充満する部屋で一滴たりとも飲んでいなかった梨乃は、電動自転車でスーパーを目指していた。いつも利用している駅前の高級スーパーは酒の種類も豊富に用意されているのだ。


 しかし今日の梨乃はどうしてもそこに行きたくなかった。正確には、他に行きたいスーパーがあった。

 夏の夜の涼しい風を受けながら梨乃は電動自転車を漕いで、杉田と待ち合わせをしたあのスーパーにやって来た。

 別に杉田に会いたかったわけではない。深層心理では会えるかもと期待していたのかもしれないが、表面的にはそんなこと少しも望んでいなかった。


 文句を言われるかもしれないけれどこれでいいやと、梨乃はカゴに酒を突っ込んでいく。彼らが毛嫌いしていそうな庶民的な値段の酒ばかりだ。彼らが帰った後、彰宏に「あんな恥ずかしい酒を買ってきやがって!どういうつもりだ?!」と叱責されるかもしれないが、今の梨乃にとっては知ったことではなかった。


「え、それ一人で飲むんですか?」


 背後から突然声がかかって、梨乃は反射的に肩を跳ねさせた。勢いよく振り向いた先にはもう会うことはないだろうと思っていた杉田が驚いた顔で立っていて、梨乃と目が合った瞬間にふんわりと笑う。


「また会いましたね」


 そうやってさらに笑みを深くした杉田を見た瞬間、梨乃はようやく呼吸ができたのだ。

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