第2話 バイト中に知り合いが来ると気まずい



 今日も今日とて俺はこの世界で生きている。

 目が覚めたら悪い夢のように消えてくれないかと願ったことも一度や二度じゃない。

 その度に子供相手に腰をヘコる彼らがチラついてしまうのは最早病気を疑っていいと思う。


 この世界の法則について、少しだけ分かったことがある。

 何故か、そう何故かこの世界では『一定年齢以下の女児は容姿がいい』ということだ。

 恐らくはこの世界の子供、メスガキの顔には何かしらの補正がかかるのだろう。

 それに誘蛾灯の様に誘われた無様な負け犬ワンちゃんは、ころっと犬のように敗北してしまうのだろう。


 俺はこれを『メスガキフィルター』と呼ぶことにした。

 滅多なことでは使わないだろう。というか使いたくないわこんな単語。


 このフィルターが『俺含む全ての人間に適用されている』のか『世界そのものに適用されている』のか、これについては現時点では分からない。

 考えても仕方がないことだが、分かれば一つの指標になりうるかもしれない。




 おかしいのが『俺』か、それとも『世界』か。









「いらっしゃいませこんにちはー」



 そんな世界でも働かざる者食うべからず。

 休日の時間を使い、俺はバイトに精を出している。

 喫茶店のバイトは俺の心に癒しを齎してくれる。この世界で生きる上での数少ない癒しだ。


 俺が勤めているのは、美味しいコーヒーとお茶請けが密かに評判の喫茶店。

 働いて既に2年目になるこの喫茶店、俺は最高にやり甲斐を感じている。


 そう、大学近辺のこの喫茶店、何を隠そうお客さんの年齢層がとてもいい。

 同じ大学の先輩から、少し年上のお姉さんの来客率が他の店舗に比べてとても良いのだ。

 日々いい年下大人が子供に嬲られるのを横目に見かけ、精神を削られている俺にとってそれはもう眼福と言わざるを得ない。


 それに、一般的に喫茶店という場所は子供一人では入りにくい。つまりメスガキが現れる可能性は非常に低い。

 それを逆手に取り、今のこのバイトを選んだと言ってもいい。

 いやそれ以外にも理由はあるし、まったく来ないわけでもないが……


 そうこう言っている間に、ドアからカランコロンと来客を告げるベルが鳴る。

 入ってきたのは女性客が二名。スーツを着た綺麗系と可愛い系のお姉様方。



「いらっしゃいませ、こんにちは」


「あら、こんにちは。ほら、こっちこっち」


「こんにちはぁ。……はぁ、いい所ねぇ」


「ありがとうございます。お席にご案内いたしますね。二名様ご来店です」



 はーしんど。分かるか?この尊さ。

 俺を見て軽く微笑んでから店内を歩く二人の姿は正しく天からの使いだよなぁ!?

 休日でスーツってことは仕事中か?お疲れ様です。にもかかわらず年上特有の品すら感じるこの余裕、上品さ。

 たまんねぇなぁ!


 その緩み切った感情をぐっと抑え、努めて冷静に、丁寧な接客を心がける。

 俺がすべきは愛を説くことじゃねぇ、愛してもらうことだ。

 その為にも俺は可能な限り、『いい店員』であるんだッ。



「こちらがメニューです。それと、本日の日替わりコーヒーはマンデリンとなっております。ごゆっくりどうぞ」


「ん、ありがとう」


「ありがとぉ」



 あぁ、たまんねぇ……

 これだからここのバイト辞めらんねぇんだ……!!


 仕事は接客対応のホールと、調理担当のメイクに大別されるが、俺は主にホールを担当している。

 たまに人が必要な時は調理も行うが、俺から希望してホールを任せていただいている。

 そうじゃなきゃやってらんないからなこんな世界!バーカ!滅びろ!


 ……まぁ、さっきも少し言ったが、まったく奴らが来ないわけじゃあない。

 この間もそうだった。ありえねぇほどフリルのついたゴスロリのメスガキが来たことがある。

 悲鳴を上げずに冷静に席まで案内できた俺を誰か褒めてほしい。

 さして俺に何かするでもなく、店内で事に及ぶということもなかったのが気がかりだが……いやないならないに越したことはねぇんだけど。


 案内をした後考えに耽ってしまったが、再度来店を告げるベルが鳴る。

 待たせてはなんねぇ!と急ぎ入り口に戻るとそこには───




「お邪魔しまぁす」



 うわ出た、ブレザー着たロリだ。

 とはいえ俺はそれをおくびにも出さない。

 彼女にそんな口をきけば俺の首が一発で吹き飛びかねない。



「どしたんすか、瑠海ちゃん。オーナーなら今はいないっすよ」



 彼女達は『蜜川 瑠海』。この喫茶店のオーナー、蜜川さんの愛娘だ。

 最近高校に上がったとかで、反抗期に入ったことをオーナーが嘆いていたのを覚えている。

 俺の言葉にケラケラと笑いながら小馬鹿にしたような目で手を振りながら答える。



「今日はお客さんでーす。ほらぁ早く案内してー?」


「はぁ、そっすか。んじゃ、こちらへどうぞー」



 最近はこうしてお客さんとして来店することがある。

 正直なところ、扱いにすっげぇ困る。高校生とはいえ顔を見知った間柄であり、かつお世話になってる店のオーナーの娘だ。

 結局敬語ともタメ口ともつかない曖昧な言葉遣いではあるが、当の本人はさっぱり気にせず、それどころかタメ口かましてきやがる。

 席に案内してメニューを差し出しつつ、軽くぼやいてみる。



「そんな頻繁に来ても、別にサボったりしてねっすよ?オーナーから見張るよう言われてんのかもしんねっすけど」


「ん~?別にそんな理由じゃないしぃ?」



 まっ、その魂胆も俺は見抜いているわけだが。目的は分かってる、監視だ。

 大方、オーナーから抜き打ちで行ってきて、サボってないか見て来いとでも言われたんだろう。

 あるいは、娘達に自分の店の自慢でもしたいのかもしれない。

あの人も口数は少ないが、大概親バカだかんなぁ……



「別に理由なんかいーじゃん。ねー日替わりコーヒーってなにー?」


「瑠美ちゃんにブラックはまだはえーっすよ。ラテでいっすよね」


「えー。子ども扱いはんたーい」



 こうしてみるとこの子は随分個性が強い。

 髪はかなり明るい茶髪、学校では先生にいろいろ言われているのは想像に難くない。それに肩を超えるくらいに伸ばした髪の手入れはきっと大変だろうな。

 背は……高校一年にしては随分低く見える。150には届いていないだろう。それもまた可愛い容姿を引き立ててるのかもしれない。

 将来は母に似て美人になる。オーナーはそう語っていたが、確かにと思わせる見た目だ。



「ほらほらお客様のご注文だぞー。ちゃんと接客しないとパパにチクっちゃうぞー?」



 こっ、小憎たらしい真似を……ッ!

 ここのバイトが今の所人生で一番の心のオアシスなんだぞッ!

 もしクビにでもなったら俺はもうお姉さま方と会えなくなるってことだろうが……ッ!!



「……はいはい。んじゃ、苦くても文句言わないでくださいよー」


「やーん。苦いの飲まされちゃうんだってー」



 思春期の少年少女はそういう言い回しをどこで覚えてくるんだろうな。対処に困る。

 だが、今の俺はマジレスの鬼。メスガキの罠になんか負けはしないのだ。



「一応言っときますけど、頼んだんだから飲みきってくださいよ?マンデリンは苦みが特徴の豆ですからね」


「えっ」


「それじゃ、ごゆっくりどうぞー」



 呆けた顔のメスガキを放っておき、注文をメイクに伝えておく。



「だだ、大丈夫でしょー……。志賀さんの言うことだし、きっとちょっぴり薄めたりしてくれるって……」



 は?しないが?大人を舐めるなよ……!

 という冗談はさておき、そのまま持っていくのは決定だ。

 この苦みがいいんじゃあないか、ええ?







 さて、一見するとこの子、瑠海ちゃん『メスガキ』に該当しないように見える。

 どちらかというなら『ギャル』に近いようにも見える。ギャルって表現が合ってるか分かんねぇが。


 だが、俺は知っている、なんなら見てしまっている。

 この子が『調教』をしようとしているところをな。






 あれは二年前、俺がこの世界が改変されたとは気づいていなかった頃。

 腰へこワンちゃんを見かける度に尋常ではない程SAN値を削り減らしていたころだ。

 今は慣れた。慣れたくなかったが慣れてしまった。



『どこかに美人なお姉さんが俺とおしゃべりしてくれるアルバイトは……流石にねぇか……』



 俺は大学に入る為に一人暮らしを始め、そしてよさげなアルバイトを探しがてらこの街を散策していた。

 求人で探すのも考えた。だが、それじゃ勤務先にメスガキがいるかもしれねぇ……!

 今思うと冷静じゃなかった。が、その時は本気で思っていたんだから精神的にかなり追い詰められていたんだと思う。



『バ~カ♡本気にしちゃった?ぷぷぷ、なっさけな~い♡』


『なっ……おっ、大人をからかうんじゃないっ』



 道を歩いているだけでこんなのがしょっちゅうだ。

 もう視界に入れるのも嫌になって若干のノイローゼになりつつあったぞ畜生。


 特に収穫も無くただ時間だけが過ぎてしまい、そろそろ日も暮れそうだし帰るかぁと思っていたところ。

 そんな中、俺は見てしまったのだ。



『───キッショ。それでも大人?』


『クソガキッ、大人を舐めやがって……ッ!!』



 などと言っていたのだから間違いない。もっとも途中からの会話だったから全貌は知らないけどな。

 その男は十中八九、言葉で言い負かされて無様屈服腰へこワンちゃんへと成りかけていたのだろう。

 だが俺は、その時はまだここが『メスガキ物エロ同人世界』とは知らなかった。

 俺にはその光景が『中学生を襲おうとする不審者』にしか見えなかったのだ。


 この世界の法則の一つに『男、特に大人はメスガキには勝てない』というものがある。

 故に、元々男があの子に危害を加えることはできないのだ。



『……せーのっ、おらァ!!!』


『あ?ブッ!』



 だがそんな考えは当時の俺にはなく、俺はその場で手に持っていたバッグを男に投げつけ、その子を護ってしまったのだ。そう、言わずもがな当時中学生だった蜜川 瑠璃ちゃんだ。

 男は顔にバッグをぶつけられて怯み、正気を取り戻したかのようにその場から逃げていった。


 そう、俺はあろうことか……


 メスガキを、助けてしまった……ッ!!








 ということがあったが、俺は元気です。いや元気じゃないかもしれん。

 それからは警察に連絡だのご両親に頭下げられたりだの、バイト探してるってポロっと言ったらお礼だなんだとなし崩しにここの喫茶店に連れられて、今に至る。

 知らずとはいえ、俺は自らメスガキと接点を作ってしまうとは、とんでもねぇリスクを背負ってしまったもんだ。


 ここにいると必然、高頻度で瑠海ちゃんに会うことになる。

 つまり本人だけでなく、仲間を呼ぶ可能性だってあるわけだ。ここで働き続けるのはやはりリスクが高い。


 ……だが、ここの喫茶店で働かせてくれていることに感謝しているのも事実だ。

 お陰で俺はここのバイトでお姉さま方と交流し、日々の癒しを得ているのだからな。

 こればかりは感謝してもしきれない。

 オーナーもよくしてくれるし、なにより俺はここでバイトするのが好きだ。


 それに助けなきゃよかった、とは決して思わない。万が一、億が一、兆が一、あの子は本当に襲われていたのかもしれない。

 俺の選択は、間違っていなかった。例えメスガキ達との関りが増えたとしても、人命を守ろうとした俺の選択は正しかった。



「……考えすぎか。こんな世界だしな」



 いかんいかん、思考に没頭しすぎた。

 やめよう。無様屈服腰ヘコワンちゃんだろうがそうでなかろうが、不審者なら通報すればいいだけの話だ。

 疑心に満ちた思考を止め、俺は彼女達の所にコーヒーを持っていくのであった……はぁ……









「う゛えぇ……苦いぃ……」



 舐めてた。いや舌先には確かにコーヒーだけど、侮ってたわぁ。

高校生になったのだしコーヒーくらい飲めるだろうと高を括ってた。

 苦い。それはもう苦い。

 今鏡を見たら涙目だと思う。まさかこんなに苦いのが苦手だとは自分でも思ってなかった。


 大人はどうして、こんなに苦い物をあんなにも美味しそうに飲むんだろう。

 いや、あたしはもう大人なんだ。この黒い水を乗り超えて大人になるんだ。



「言わんこっちゃない……。無理せず、備え付けの砂糖使ってくださいねー」



 志賀さんはそう勧めてくれるが、出来るならこれはブラックのまま飲み切りたい。

 あたしはもう大人なんだぞって、他の誰でもない、この人に認めてもらいたい。







 あたしは前に、志賀さんに命を救われたことがある。


 忘れもしない、ある日の下校中。

 その日はたまたま早く帰りたい気分で、近道を通ろうと路地裏に入った時だった。

見るからに挙動不審な不審者に襲われそうになった。


 あまりに怖くて、その時のことははっきり覚えているわけじゃない。

 でもその人は背が大きくて、明らかに目が血走ってて、全然冷静じゃなさそうだったのを覚えてる。



『クソッ、あのメスガキどこへ行きやがった……ッ!!』



 怒って激情に駆られた大人があんなに怖いものだなんて知らなかった。

 恐くて、焦ってその場を離れようとしたとき、その人の目がぐるりとこちらを捉えた。



『……何見てんの』


『あぁ?チッ、なんだお前、あのガキじゃねぇ、クソッ、どこ行きやがった……ッ』



 怖かった。一目散に、脇目も振らず逃げたかった。

 けど、弱い所を見せたら自分に襲い掛かってくるんじゃないかと思うと、虚勢を張るしかなかった。

 考え直してみると火に油を注ぐ行為にしかなってなかったと思う。思い出すたびに自己嫌悪が強くなる……



『さっきからガキだのメスだの……キッショ。それでも大人?』


『あ゛ぁ!?クソガキッ、大人を舐めやがって……ッ!!』



 まるでお腹が空いてる時に餌を見つけた野良犬のようで。

 男の目が、ゆらゆらしていて恐ろしかった。

 その男が怒りながらこっちに向かって歩いてきたとき、もう家には帰れないのかな、なんて考えてしまう程に。


 志賀さんが助けに来てくれたのはそんな時だった。



『───おらァ!!』


『あ?ブッ!』



 どこからか飛んできたのはバッグだった。

 それは寸分違うことなく、男の顔面に吸い込まれていった。


 走ってきたその人は、片腕で私を護るように立っていた。

 その背中があまりにかっこよくて、今でも目に焼き付いて離れない。



『おいおいおい流石に見過ごせねぇぞ……ッ!』



 助けに来てくれた志賀さんは私を背に、しっかりと目の前の男を見据えていた。

 その視線に当てられたのか、私を襲おうとしていた男は慌てて逃げて行った。



『……なんなんだよマジで。なんで最近こんなことばっか起きんだよ。法治国家日本どうしたんだよ……』


『だいじょぶ?怪我とかない?ちょっと待ってて、すぐ警察に通報するから』



 飛び込んできた彼はよくわからないけど、打ちひしがれてるようだった。

 けれどそれもすぐに切り替えて、警察に電話を始めていた。

 それからは警察が来たり、父さんや母さんが泣きながら迎えに来てくれたり、志賀さんがウチの喫茶店のバイトになったりと本当に色々あった。

 志賀さんは震えて泣いてる私を見て、警察が来るまでの間、ずっと傍にいてくれた。








 あの時の背中が、あまりに大きく見えて。

 だから私も、早くあんな風にかっこいい大人になりたくて……



「あまぁいぃ……」


「ミルクと砂糖入れりゃ、そりゃあねぇ」



 いや無理だわ。コーヒー侮ってたわ。

 んでもってミルクと砂糖は凄い。考えた人に賞をあげたいくらい凄い。えらいっ。



「コーヒーって苦いんだねぇー……」



 出来るだけ頑張ったけど、見てて憐れに思ったのか、おにーさんは「使ってください。見てらんねっすよ……」とだけ言ってミルクポットと砂糖の入った瓶を置いて行った。

 美味しく飲んで欲しいと言われてしまえば無理は出来ないし……



「大人だって飲めない人は飲めないっすから。飲みたいならあっさりした奴とか、薄めたのも出しますし」



 無理に飲んでも美味しく飲めなきゃ意味ねーし、とやや苦笑いで言うお兄さんにちょっとドキッとしてしまった。マジ不覚だわ……

 ヤバい、耳赤くなってたりしない?んな少女漫画みたいなことになってたりする?



「……いつか、ちゃんと飲めるように頑張るから」


「ブラックがちゃんとってのもおかしいんすけど……まぁ、オーナーも喜ぶでしょうし、頑張ってください。……で合ってますかねぇ?」



 どうしたら大人になれるのか、私には分かんなくて。

 コーヒーがブラックで飲めたら大人になれるって、それくらいしか思いつかなかった。

 だから、ちょっとだけ変な質問もしてしまうんだ。



「……ねね、これブラックで飲めたら、志賀さんみたいになれる?」


「え?いやーどうすかね。でも瑠海ちゃんが俺みたいになって、いいこと無いと思うんすけど」



 そんなことないと思うけどなぁ。

 この間もパパに「最近……バイトの彼に、口調が似てきてないか?」とか言われてたけど全然そんなことないと思う。ほんとに。

 ちょっとダウナーな感じに憧れてるとか、そういうんじゃないし?



 志賀さんみたいな、優しくて、かっこいい大人になりたいだけだから。

 誰かが困ってたら迷わず駆けだせるような、そんな大人に。



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