無様屈服ワンちゃんばかりのこの世界で俺は巨乳好き

第1話  腰へこ犬に俺はなれない




 この世界は変わってしまった。

何が?と言われてしまえば「全て」と答える他ない。

 どうして?いつから?どのようにして?誰によって?そんな誰も知ることが出来ない疑問は既に忘却の彼方。

 俺に出来ることは、ただこの世界を受け入れることだけだった。


 寂れた公園の細道を歩きながら、ベンチに座るやや生え際が後退した、どこか苛立たし気なスーツの中年を見やる。

 そんな彼に歩み寄っていく人影が現れた。

 ああほら、来たぞ。この世界の「常識」が───




「あれ~?おじさん一人でどうしちゃったの?」


「えっ、ああ、いや。少し頭が痛くってね。休んでるんだよ」


「ふ~ん?そうなんだぁ。ねぇ、お仕事はどうしたのぉ?」


「いっ、今は休憩中でね」


「……ふぅ~ん。お昼から公園で時間潰しねぇ?かわいそ~」


「お、お嬢ちゃん。あんまり大人をからかうもんじゃないぞ。それに僕は時間を潰しているわけじゃ……」



 子供とは社会通念上、法倫理、あらゆる意味で『手を出してはいけない』ものであり、そして大人もまた『子供に手を出してはいけない』ものだ。

 子供の邪気のない悪意。それに憤る大人。

 それに対抗する術を持たない大人の無力感を知ってか知らずか、子供の暴言は止まらない。



「あれぇ?怒っちゃったぁ?子供相手にムキになっちゃったぁ??」


「なっ、なにを……」


「あれあれぇ?怒っちゃったのぉ?ねぇなんか言ってみてよぉ?お・じ・さ・ん♡」


「こっ、このガキ……」


「キャー!こわーい!ガキだってぇ!子供相手に凄んで悲しくないのぉ?」


「ぐっ……」



 あぁ、『展開』が始まってしまった。

 この世界がこの世界であることの証左。

 それが今、俺の目の前で───







「ざ~こ♡ザコ毛根♡甲斐性なし♡子供に口げんかで負けて恥ずかしくないのぉ?♡」


「はぁ!?負けてないが!!!???」



 ───俺は、囚われている。

 ───「メスガキ」がやたらに多いこの世界に。



 仔細はこの際省くが、俺が気づいた時にはこの世界の在り方は大きく変わってしまった。

 ざっくばらんに言えば、この世界はある日を境に『メスガキ物エロ同人みたいな世界』になってしまったんだ。


 ……いやそうはなんねぇだろぉっ!?

 百歩譲って超能力に目覚めるSF世界になるとか、魔法が使えるようになるファンタジー世界になるとかそういうのでいいじゃねぇかよ!!

 よりにもよって「メスガキエロ同人世界」ってなんだよ!!バカかよ!!


 俺が初めてその現場を目撃したのは15の頃。

 当時の俺はまだ高校上がったばっかで、なんにも理解できちゃいなかったが、今思い返すとあれが始まりだった。

 普段通りチャリで学校に通う筈だったその登校中、随分体格のいい男と見た目10くらいの子供が向かい合って何か話していたのが目に映ったんだ。


 方や眉間に皺を寄せ、青筋を浮かべ、今にも子供に殴りかかりそうな男。

 方やそんな大人の表情をものともせず、ニヤニヤと嘲笑を浮かべて小馬鹿にする少女。



「ざ~こ♡お飾り筋肉♡威勢だけ♡童貞♡」


「あ゛あ゛!?てっ、てめぇガキの癖に……!!」



 常識的に考えて、子供の挑発に大人が乗るわけがない。だがそいつは今にも殴り掛かりそうになっていた。

 思わず止めに入ろうと思ったが、俺はその足をすぐに止めた。

 何故か。決まっている。その必要はないとすぐに判断できたからだ。



「くっ……この……っ!お、俺は負けない……うぅ……」



 その男が腰をヘコヘコさせていたからである。

 あまりの見てられなさに俺はその場をそっと離れ、何事もなかったかのように学校へと向かった。

 それからというもの、道行く先でやたらとこういう出来事を見かけるようになった。



「やーいロリコン♡」


「だっ、誰がお前なんかに……っ!!」




「キッモ♡子供相手に盛っちゃって恥ずかしくないのぉ?」


「ちがっ、これは……うっ、うるさいっ!!」




「あっは♡無様でワンちゃんみたい♡ねぇワンって言いなさいよ♡言え♡」


「クゥ~ン……」



 今やこんなことが身の回りで日常的に起きるのだ。控えめに言って気が狂う。

 残念なことにこの世界での【男:メスガキ】の勝率は確認しているだけでも驚異の【0:10】。

 この世界の男は『メスガキ』には勝てないようにできているらしい。そんなことある?


 何より恐ろしいのがこの世界、メスガキ達の罵倒は辞書でも引いてんじゃないかってくらいに語彙が豊富だ。その語彙力をもってしてワンちゃんを躾けている。

 豊富な語彙力と罵倒で、言葉巧みに精神を屈服させる技術がこの世界の子供にはあってしまう。いやあってたまるかそんなもん。でもあるんだから仕方ねぇよ……っ!!


 きっとそれが刺さる人間にとってこの世界は、ある種夢のような世界なんだろう。

 道を歩けばメスガキに当たる。なるほど、クる人にはクる世界だろうさ。





 だがそもそも俺にそんな性癖はねぇ。俺はお姉さん系が大好きなんだよ。

 子供相手など冗談じゃない。俺は2つ年上のおっぱいがデカいタレ目のダウナー系お姉さんと結婚するんだ。

 年下は範囲外だし、なにより未成年に手を出してワッパかけられるなど死んでもごめんだ。相手が挑発してきたなど、司法にとっては罪状を増やす言い訳にしかなりやしない。





 さて、昔を思い返すのもいいが今は買い物帰り。無様犬に成り果てたハゲを放置し、帰路へと向かう。

 冷たいなどとは言わせない。誰だって関わりたくないだろあんなの。



「あれぇ?お兄さんこんなところでどうしたの?」



 うわ出た。

 下校中と思しきランドセル背負った幼女だ。


 ……軽くしゃがんで目線を合わせる。

 侮るなかれ、子供とのコミュニケーションではとても大切なことだ。



「よっ、雛ちゃん。買いもん帰りだったんだが、珍しい犬を見かけてな」



 出た、などとは言ったが、知らない子じゃない。近所に住む小学生『小野寺 雛』ちゃんだ。

 姉が俺と同い年で、同じ小学校だった……らしい。そこまで付き合いがあった訳じゃないからよく覚えてない。

 そういやそんな苗字の人いたな、程度だ。

 そんな子供を無碍にするのは流石に……と思い話しかけていたら妙に話しかけられるようになっちまった訳だ。



「ワンちゃんっ!?どこどこっ?ワンちゃんどこっ!?」


 そこらの人目に付かない路地裏か警察の二択だろう。この世界であの二人が行く場所なんてそこしか思いつかねぇ。



「あー……さっきまでいたんだけど、どっか行っちまったかな」



 腰へこワンちゃんなど見たくもないし、そういうことにしておこう。

 そもそもこの世界の警察が屈服マゾ犬にどんな対応をするかなんて知らねぇし。

 だがこのご時世だ。公共の場で子供に大声で怒鳴り散らかし、しかも立つもん立ててたら捕まったっておかしくないだろう。

 というか捕まれ、何も起きなくてもそれは危険人物だ。



「なーんだ、ざんねーん。……ねねっ、お兄さんこれから暇?遊ぼっ!」


「悪い、この後ちょっと用事が立て込んでんだ」



 この子を嫌っているわけじゃないが、この流れはあまりよろしくない。

 この世界の「メスガキ」カテゴリの属する子供の「遊ぼう」は素直に受け取るのは良くない。

 最悪2~3人に囲まれて殺されてもおかしくない。社会的に。



「えぇ~~!!前も用事って断ったじゃーんっ!」


「すまんって。ほら、可愛い顔膨らますな。フグになっちまうぞ」



 なまじ顔見知り(と言えるかは怪しいが)の妹だけに心苦しいが、許してくれ。

 君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟り無し。メスガキに不用意に近づくことなかれ。

 雛ちゃんは、ぷひゅー、と空気を吐き出してフグをやめる。



「うー……分かった。じゃ帰るっ。またねっ!」


「おう、またな。……前見て走れよー!」



 手をブンブンと振りながら、子供らしい笑みで走り去っていく。

 そんなあの子を見ている俺はというと、どことなく憂鬱な気分だった。



「……あの子も、メスガキ、ってやつなのかな」



 雛ちゃんの私生活のことはよく知らない。

 小学生の私生活なんて知ろうとも思わないが、あの子が『メスガキ』かもしれない、と思うと時折怖くなる。

 ひょっとして、俺が知らないというだけで、あの子もそこらのへっぴり腰犬を調教しているのだろうか。

 この世の中では俺の方がおかしいのかもしれないが、見知らぬ他人を罵倒するあの子を見たくないと思うのは情けない事だろうか。


 しかも罵倒されているのが俺の知人だったら?

人の性癖のことをあれこれ言う気はない。だからこそ、身の回りの人の性癖開示などされたくない。

 あんなに元気いっぱいで明るい子供が、陰では情けない大人ワンちゃんを生産していると思うと……



「なんか、やるせねぇ……」



 午後の講義の無い、幸せな一日。

 それでも俺は、この世界を嘆かずにはいられなかった。









「……ただいま」


 からっぽの家に、わたしのひとり言が響く。

 もうすぐ夕方なのに、家には誰もいない。



「……また、お金」



 リビングを覗くと、机の上には見慣れた千円札と、スーパーのお弁当。

 明日の昼は自分で買いなさい、というメッセージ。

 それを見ているのが何だか苦しくって、私はそれを無視して部屋に駆け込む。





 自分の部屋に着いた。

 ランドセルを床に放り投げ、ベッドに飛び込んで布団にくるまる。



「……」



 寒い。

 この家は何もかもが、冷たい。



「……お兄、さん」



 唯一あったかいのは、今日会ったお兄さんとの思い出だけ。

 その他には、なんにもない。

 それだけが、胸の中でポカポカしてる。

 だからよりいっそう、この家が寒く感じる。



「帰りたく、なかったよぉ……」



 最近不審者が多いというお知らせもあって、あまり一人で歩きたくなかった。

 でも今日は友達も皆先に帰っちゃって、私は一人だった。

 なんだかそれが無性に怖くて、心細かった。


 だから、お兄さんを見かけて、つい近づいてしまった。

 背が高くって、いつも眠そうで気だるげな目。伸ばした髪の毛が右目を隠してて、見る人によってはちょっと怖いかもって人。

 でも、話すときは見降ろさないで目の高さを合わせてくれるし、いいことをしたら褒めてくれて、悪いことをしたら叱ってくれる。

 見た目よりずっとずっと優しい人。


 分かってる。

 お兄さんは優しいけど、あまり子供と一緒にいたがらない。

 なんとなく分かってはいるんだけど、それでも一緒にいたかった。

 この冷たい家にいたくなかった。



『雛ちゃん』



 名前で呼んでくれたことが嬉しかった。

 私の名前を呼んでくれる家族は、全然家に帰ってこないから。

 お父さんもお母さんもお仕事で、帰ってくるのはいつも私が眠ってから。

 学校行事にもあまり来てくれないから、あんまり好きじゃない。

 お姉ちゃんは早めに帰ってきても、疲れてるからかすぐに寝ちゃう。

 しかくしけん?とかで今が大切な時期だって言ってたけど、もっと構って欲しい。



「……寂しい」



 お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、嫌いなんかじゃない。家族を嫌いになんかなれるわけない。

 それがまた、悲しい気持ちを増やしていく。



『またな』



 明日も、お兄さんに会いたい。

 あったかくて、優しくて、眼を見て話してくれる。

お兄さんに会いたい。




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