第12話  ユメグイ弐

 男はエレベーターに乗っていた。どこのビルのエレベーターからは全くわからない。あまり広くないエレベーターで、定員は6人くらいだろうか。男以外誰も乗っていない。エレベーターは12階にとまる。チンッという安っぽい音がして、エレベーターのドアが左右に開く。暗いビルの廊下が広がっていた。そこで男は昨日は11階でエレベーターが開いたことを思い出す。その前は10階。最上階の13階に行くことで、ナニカ恐ろしいことが起こる。それが本能的に感じられた。



 シノノメ探偵社には、インターン生の明と久斗を除いて、2人の社員がいる。ひとりは所長のシノノメ。もうひとりは事務作業などをメインでやっている夜だ。夜も光陰高校卒らしい。

「久斗と明が家見に行ったけど、何もなかったってわけね。所長も言ってたけど、やっぱり精神性の不眠症じゃない? 一見寝れてるように見えても、浅い睡眠が続いているみたいなタイプのやつってあるらしいし」

「うん、夜の言う通りだと俺も思うよ。本人にも何も憑いていなさそうで家にも原因なしなら、何もないだろう」

 社員ふたりはそう言うが、久斗は何か引っかかっているようだった。明は門外漢なので黙ったままだ。

「所長、ユメワタリをするのはどうですか」

 ユメワタリという明の知らないワードが出てくる。

「何だユメワタリって」

「俺の特有技能だよ」

 答えたのは東雲だった。

「人の夢に入れるし、他人を人の夢に案内できる」

「そう、それで俺と明で行ってみるのはどうかなと思って」

「田町と?」

「ええ、正直俺も90%は何もないだろうと思っているので、ユメワタリをして、覚えていない夢の内容を俺たちが見れば、何もないことを確定できるかなと」

 人の夢に入れるだとか何でもありだなこの業界……と思いながら、明は黙って話を聞く。

「まあ、うちの事務所でインターンするなら、田町もいつかはユメワタリするだろうからね。安牌そうな案件で練習しておくのはいいかもね」

 そのあとすぐ久斗が赤松に連絡をとり、今日の夜ユメワタリをすることとなった。

 


赤松が夜11時に事務所へやってきた。事前に久斗がやることを伝え、寝るための準備を持って来てもらった。シノノメ探偵社には東雲が使う仮眠室があるので、そこで寝てもらうのだ。明は赤松が来る前に所長が使った後の仮眠室のベッドシーツや枕カバーをコインランドリーへ持っていき、乾燥までしてきた。新品でなくて申し訳ないが、まあ許される範囲に清潔にはなっただろうと考える。

 慣れない場所で赤松がすぐに寝つけるかと明は心配していたが、悪夢のせいで寝不足だったのか、仮眠室の硬いベッドに横になった赤松はすぐに寝息を立て始めた。

「寝たな。それじゃあワタルか」

 東雲は寝ている赤松の額を右手で押さえ、何か言葉を唱える。その言葉は明には不思議と聞き取れなかった。

「うん、問題なく回路は開けた。行けるよ」

 東雲に言われた久斗は黙って頷き、仮眠室を出た。ここでユメワタリをすると思っていた明は驚いて、慌てて久斗を追った。久斗は事務所の硬いソファーに深く座って、明を手招きしていた。どうやら隣に座れという意味らしい。

「ユメワタリで夢に入るのは俺たちの意識というか魂だけだからな。身体はソファーに置いておく」

 そう言われて、明も久斗と同じようにソファーに深く腰掛けた。遅れて仮眠室から現れた東雲は明と久斗が座っているのとは反対側のソファーに浅く座った。

「明、久斗と手繋げ」

「は? 何でですか」

 特段からかいの様子は見せずに、東雲は「はやく繋いで」と催促をしてくる。

「嫌なんですけど」

「えーあんまりだな、明。俺と手繋げるなんてこんなラッキーなことないだろ?」 

 にやにや絡んでくる久斗を明はキッと睨みつけた。

「嫌だ!」

「まあそう言うな。久斗がチャラついてムカつくのは俺もわからなくもないが、手を繋いでほしいのはリスク管理だから」

「リスク管理?」

「座標の問題ですか?」

「そうそう」

 そう言いながら東雲は明と久斗の額に人差し指を当て、また聞き取れない言葉で何かを呟いた。

「俺自身がワタル時は、ユメの中で好きな場所に転移できるんだけど、他人をワタらせるときは、適当な場所に転移してしまうからね。手じゃなくてもいいけど、何かしら繋ぎをつくらないと別々の場所に着地してしまう。何もないとは思うけど、明をひとりにするのは心配だろう」

 そう言われると、手を繋がないわけにはいかなくなる。仕方なく久斗の手を握ると、にっこり笑った久斗が指を絡めて握りなおしてきた。所謂恋人繋ぎというやつだ。すぐに手を離そうとするが、久斗ががっちり握りこんでいてほどけない。

「おいっ」

「繋ぎは強い方がいいだろ。所長飛ばしてください」

「うん、いくぞ」

 抗議する間もなく、明の視界がぐにゃりと歪んだ。奇妙な浮遊感に身体が揺蕩う。五感はどれも歪んだり揺れたりして、頼りなくなる。それでも久斗と繋いだ手の力強さだけは感じることができていた。そして、強く身体が揺れる感覚がして、段々と視界がクリアになり、夢の世界にやってきたことを悟った。ふっと強い衝撃がかかり、一度目をぎゅっとつむる。目を開けようとしたとき、久斗が明の手を今まで以上にぐっと強く握った。

「くそ……」

 久斗の呟きを聞きながら目を開けると、そこにはイタ。



 エレベーターの前にフードを被った男が立っていた。明たちに背を向けてエレベーターの階数表示をじっと見つめていたが、ゆっくりと振り返る。ソレは人間の姿かたちをしている。しかし、明にはその男の禍々しいオーラがしっかりと見えた。身体の中に自分以外の人間を取り込んでいることも見えた。完全なバケモノだった。

「ユメグイ……」

 久斗がぽつりと呟く。久斗の言葉に、明はちょうど先週の自衛の授業を思い出した。先生が、「君たちはそうそう会うことがないだろうけど」と前置きしながらユメグイの話をしていた。

 能力者の能力はほとんどが先天的なものだ。能力の純度を上げ、技能を磨くことはできるが、そもそもの能力の器を大きくすることはできない。しかし、能力者はいくつかの方法でその器を強制的に広げることができる。ひとつは先生がやっているような制約を設けること。他にもいくつかあるが、その他の方法として先生はユメグイを例にあげたのだ。

「制約の他の能力向上の方法は、ほとんどが禁忌だね。その中のひとつに他人の魂を食らうというものがある。他人の魂を食らうことで、自分の器が魂と重なることで増大する」

 ユメグイは他人の夢を食らい、最後には魂を食らうのだという。寝ている時間は人間は無防備になりやすいため、実際に現実世界で食らうより、やりやすいのだという。

「ただし、他人の夢に侵入するには、特殊な技能が必要だから、誰でもできるってわけじゃないよ。自分がその能力を有している、もしくは夢へ案内してくれる協力者がいる必要がある。でも、現実世界でやるよりも祓師に感知されにくいし、犠牲者も病死扱いされることが多いからね」

 他人の命を奪ってまで力が欲しいものなんだろうかと考えながら授業を受けていたが、そうやら目の前のフードの男は力が欲しいらしい。男の禍々しさから考えるに、既に数人を食らっているのだろう。明はぞわりと身体を震わせた。

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