第11話 ユメグイ壱

インターンが始まって一か月が経った。毎週金曜日は学校ではなくシノノメ探偵社へ行って、研修という名の労働に駆り出されている。とは言っても今のところ明が恐れていたようなバケモノ関連の仕事はなかった。久斗は明と出会った日にしていたような浄化作業もしている様子だが、それ以外の仕事を一緒にすることもあった。今日も午前中に近所の老婦人宅の掃除をふたりでして帰ってきたところだ。一通りの家事をさらっとこなしてしまう久斗に、やっぱり嫌味な男だなと今日も思う。一方の明は、今まで気ままな実家暮らしで、久斗の指示通り動くことしかできず、今日も単純作業しかやらせてもらえなかった。

 帰ってきたふたりに、所長の東雲がホットコーヒーを出してくれる。コーヒーにこだわりがある東雲が入れてくれると、同じ豆を使っていても、自分で入れるよりおいしい気がして、明は「ありがとうございます」と喜んで受け取った。久斗も礼を入れながら受け取って、ミルクを入れている。それを見てブラックコーヒーを啜る明は、何だか勝った気持ちになっていた。

 ふたりをコーヒーで労った東雲は、この探偵社の所長をしている瘦せぎすの男だ。先生が言うに祓師としての能力も高いが、明と初めて会った日に「うちは久斗に任せてるから」と言い放ち、明の中ではインターン生に丸投げしてるヤバい人・ヤバい職場という認識を植え付けた。ただし、コーヒーの淹れ方が上手いので、そのヤバさも打ち消されてるかもとも思っていた。

「そう、今日15時から依頼者相談入ってるから」

 東雲が自分もホットコーヒーに口をつけながら告げる。

「え、久々ですね」

 久斗がお昼を過ぎたことを示すアナログ時計を眺めながら答える。

「しかも祓師仕事な。明は初めてだろうし、相談は久斗がやってくれ」

「わかりました」

「え、所長は同席しないんですか」

「俺は15時には昼寝してるんだよ。じゃ、久斗頼んだぞ」

「はい」

 久斗が何でもないように返事をする。慣れているのだろう。その様子に、明はやっぱりここはやばい事務所だなという思いを強めた。

 コーヒーを飲んで事務所内の掃除などをしているとあっという間に15時になった。15時ちょうどに事務所のドアを三回ノックする音がした。すぐに明が開けに行って、「どうぞ」と中に案内する。やってきたのは20代くらいの男性だった。最近いわゆるバケモノを認識できるようになった明だが、男性からは特に怪しげなバケモノの気配は感じなかった。久斗が男性にソファーを勧める。明は奥の部屋で用意していたコーヒーを準備して、男性の前に置く。男性は覇気のない小声で「ありがとうございます」と呟いた。

「私、シノノメ探偵社の本宮と申します。こちらにお客様のお名前、住所、連絡先等をご記入願います」

 高校生には見えないような堂々とした振る舞いで、久斗が男性に話しかけた。男性は軽く頷いて記入を始める。明は久斗の隣に座りながら、気持ち背筋をピンと伸ばして、きちんと見えるように気を付けてみた。男性は記入を終えて、用紙を久斗に渡した。神経質そうな右肩上がりの文字が並んでいる。赤松義之という男性は、その用紙に書かれた内容を見ると、紹介でこの事務所を訪れたようだった。シノノメ探偵社のホームページなどにはバケモノ退治なんて文字は一文字も入っていないので、祓師仕事は基本的に紹介らしい。

「赤松様、この度はシノノメ探偵社にご依頼ありがとうございます。契約につきましては、案件をお話しいただいてからお見積りを出しますので、そのときにお願いいたします」

「はい、よろしくおねがいします」

「では、お話をお伺いいたします」

「はい……そもそも霊障とかそういったものなのかもわからないんですけど……悪夢を見るんです」

「悪夢……」

「ええ、夢の内容は全く覚えていないんですけど、すごく苦しい気持ちになったことは覚えていて、いつも飛び起きるんです。すると毎回午前三時で、それも不気味で。睡眠外来とか出来ることは大体やったつもりで、それも効果が見られなくて悩んでいたら、知り合いにお祓いとかしてもらったら?って言われたんです」

「そのお祓いをしてもらった神社かお寺で弊所を紹介されたんですね」

「そうです」

 久斗は赤松の話をメモに取りながら話を聞いていく。そのあとも、ときどき久斗が質問をしながら赤松の話を聞いたが、赤松が夢の内容自体を覚えていないため、バケモノによる霊障なのかさえはっきりはしなかった。

 赤松が帰った後、コーヒーを片付けていた明に久斗が声を投げる。

「明、ナニカ見えたか?」

「なにかって」

「わかるだろ、バケモノの気配は感じたか?」

「いや……俺は何も見えなかった」

 初めての祓師仕事で、どんな恐ろしい客が来るのだろうと少し身構えていたが、赤松はびっくりするくらいバケモノの気配とは無縁だった。見えるようになってから、道を歩いていても何かしらバケモノを背負ったり、奇妙なオーラを纏ったりする人物を目撃するようになったが、赤松はそういったものが一切なかった。

「だよな。俺もだ。何もない」

「ただのストレスじゃないのか」

 奥の仮眠室から東雲が姿を現した。欠伸をしながら伸びをしていて、完全に昼寝をしていたようだ。

「所長、キイテタんですか」

「田町の初仕事になるかもしれないだろ。そりゃキイテル。でもキイタ限りバケモノ系じゃなさそうだけどな。お祓いいった先も何も祓うものがなかったから念のためうちに回したんだろ」

「そうですね……まあでも、もう少し調べてみます。なあ、明」

 東雲と久斗の会話が全くわからず、ぼんやりしていた明は急に話を振られてわけもわからず「え、ああ」と返事をした。

「明もこう言ってますし、明日学校無いので赤松の家を見てきます。本人に原因がないなら家かもしれませんし」

 こうして明と久斗は赤松の家に出向くこととなった。赤松が書いていた住所を頼りに家を訪れる。アポイントもとっていないので、中に入るわけではない。しかし、久斗曰く、ヤバい家は「わかる」とのことだった。

「明もあの屋敷を見た時、ヤバいって思わなかったか?そこまでの道中も不気味に感じなかったか?」

「感じた……」

「そんな感じだよ。ヤバい家は外から見ればわかる。逆に中に入らないとわからない程度のバケモノなら放っておいていい。あ、あのアパートみたいだ」

 久斗が立ち止まり、20メートル程先にある二階建てアパートの二階部分を指さす。

「何か見えるか?」

「いや……久斗は?」

「俺も何も見えないな。やっぱりストレス性の不眠なのか?」

「昨日話してくれた内容も、バケモノ要素なかったよな」

「そう、だからそれが俺は気になる。それに所長がバケモノ案件じゃなさそうだって言ってたしな」

「所長がそういうならそうなんじゃないのか?」

 明の言葉に久斗は薄く笑う。その横顔を見上げながら、何だかムカつく奴だけど、相変わらず顔はいいなあと思わされる。軽薄そうな顔ではあるが。

「所長、対バケモノは強いし、珍しい技能持ちだけど、勘が死ぬほど悪いんだよ。明もあの人と道に迷ったりしたら、あの人が言う道の反対を行けよ」

「なんだそれ……」

「だから、所長がバケモノ系じゃないって言うなら、逆にあるんじゃないかってこと」

「なるほどな……」

 何の成果もない偵察だったが、帰りに久斗がコンビニでアイスクリームをおごってくれたので、まあ良しとしようと思った。

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