第6話 みえるものまもるものつかうもの弐

明の担任となる人物との通話を終えた学園長は、明に担任に会いに行くように言った。国語科準備室が2階にあって、そこにいるからと言われ、慣れない校内を一人で歩く。霊能力を持つ不思議な生徒たちが通う学校だと知っていても、こうして歩いているだけでは、今まで通っていた高校と特段変わった場所のない普通の学校のようだった。学園長室がある4階からゆっくりを降り、目的地に辿り着く。国語科準備室は、2階の一番端の小さな部屋だった。

「失礼します」

 ドアの外から大きめの声をかけて、からからとドアを引いた。古い紙の匂いが明の身体をふわっと包んだ。部屋の中は背の高い本棚が壁を埋め尽くしていて、中に少し髪の長い男性が一人、机に向かって仕事をしているようだった。明の声とドアが開けられた音で、入口に視線を向けた男性は、明の姿を見つけると笑って立ち上がった。

「田町明くんだね。話は聞いてるよ。埃臭いけど中へどうぞ」

「はい」

 部屋の中には来客用のスペースなどもちろんなく、男性は壁に立てかけてあったパイプ椅子を取り出して広げ、明にそこに座るよう促した。明は「失礼します」と会釈して、パイプ椅子に腰かけた。

「初めまして。俺は2年普通科組の担任をしている先生です。よろしくね」

「あ、田町明です。よろしくお願いします……先生?」

「はは、君の名前は知ってるよ」

「えっと、先生のお名前は」

 お前が名乗らないから名乗ったんだよと思いながら、明は直接名前を聞いた。すると先生は首を左右に振る。

「言えないんだよね。名前」

「は?」

 「なんだそれ」という言葉をなんとか飲み込む。

「祓師がよくやる【制約】による能力強化だよ。何か約束事を作ることで能力を増強させることができる。俺の場合は名前を捨てた」

「名前を捨てた?」

「そう。だから俺には呼ぶべき名前がないんだよ。だから『先生』って呼んでくれ。みんなそう呼んでるから」

 明は、そういえば、さっき学園長も担任の名前は言わずに『先生』と言っていたことを思い出した。なんとなく違和感があったが、新しい環境にいっぱいいっぱいで、深く考えていなかった。ここに来るまでに歩いてきた校内におかしなところがなかったからこそ、いきなりそれっぽい話をされて、頭がまた混乱する。

「祓師ってみんなそんな感じなんですか?」

「そんな感じって、【制約】のことかい?」

 明は頷く。同じ祓師なら、あの久斗も名前をいずれ捨てるのだろうかと思いを巡らせた。

「いいや、俺は弱いからね。強くなりたかったから名前を捨てただけだよ。でも、この【制約】は大なり小なり行われることが多いっちゃ多いかな。アチラガワでもやるだろう? 願掛けとかさ」

「……部活の試合の日の朝は、絶対オレンジジュース飲むとか?」

「え? あ? ははははははは何それ、君……可愛すぎるだろ」

 明の返答に先生が笑い始めた。真剣に例えを言ったつもりだった明はムッとする。

「あーごめんね、怒らないでよ。でもそういう感じ。それから個人の選択判断によるものもあれば、一族に課せられた生まれつきの【制約】もある。でも君が思ってるほど辛いものでもないよ。名前なんて記号だしね。俺の記号は『先生』で十分だ。俺が名前を名乗らない理由、納得してもらえたかな?」

「……はい。わかりました。先生、これからよろしくお願いします」

 ここにいるのは変な大人ばっかりだ……。と思いながら、明は小さく頭を下げる。下げた頭をもう一度上げて先生と目を合わせると、入室してからずっと笑顔だった先生は突然真顔になっていた。

「田町くん、君大変だと思うよ。今まで知らなかったことを知り、見えなかったものを見ることになる」

 言い聞かせるような声だった。

「でも、この学園はそういう生徒を守るためのものだから。嫌かもしれないけど、そこは信用してほしい」

 真剣な声と眼差しに、明は「はい」と答えることしかできなかった。肯定の返事をした明に、先生はまたにこっと笑顔を見せる。

「じゃあ、よろしくね。クラスもきっと気に入るよ」

 先生が握手を求めて右手を明に差しだした。明はその手に自分の右手を差し出す。ぐっと握られ、人のてのひらの体温を感じる。その体温は、今日ここにきてからずっと浮ついた地に足のついていない緊張状態だった自分を初めて安心させてくれるものだった。

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