第18話 砂辺:洞窟

「うっ……ぐっ」


 四人が見たのは、根塚の変わり果てた姿だった。

 彼の体は骨に皮が張り付いたようにガリガリで、ズボンから覗く足は、完全に白骨化していた。腹回りも、どこに内臓があるのかわからないくらいだ。目も虚ろで、とても物が見えるようには思えたかった。

 ズボンが不自然にモコモコ動いたかと思うと、その裾からネズミが出てきた。次に服の袖が蠢いたかと思うと、そこからもネズミが落ちてきた。彼はそれを反射的に掴み取ると、迷わず口に入れ、噛み砕いた。

 これで生きていられるのが不思議なくらいだった。

 彼の声が聞こえる。


『どうして来てくれなかったんだ?』


 その声はこの部屋に反響し、目の前に本人がいるにもかかわらず、どこから聞こえてくるのかわからなかった。


「次の日の朝に来たの! でも、見つけられなかった」

『そう。それくらいで諦めちゃてたんだ、ボクのこと』

「違うの! 次の日も、その次の日も来たのよ! 諦めきれなかった、だから」

「まて兎口、近寄らないほうがいい」


 砂辺が、前に身を乗り出した兎口の肩を押さえ、周りを見回しながら言う。

 いつの間にか、無数のネズミに取り囲まれていた。

 それをみた中川さんが、大きなリュックの中からなにかを取り出す。


「逃げる準備をしよう」


 中川さんが小声で言いながら取り出したのは、お米の袋だ。それを三つ取り出し、その封を開けて構える。


「俺が先に上がって引き上げるから、それまでこれで気を引いて!」


 そう言ってなるべく広く広がるようにぶちまけた。

 ネズミが一斉にそこに群がる。

 そのスキにリュックを背負った中川さんが縄梯子をすばやく上り、振り返って叫ぶ。


「上がって来い! こっちからも引っ張り上げる!」


 その声に反応し、坂木が縄梯子に捕まる。上ろうとするが、安定しない縄梯子を上るのは難しく、全然上がれない。が、その縄梯子自体を中川さんが上から引っ張る事で、徐々に上に上がっていく。

 その後ろで僕はお米の袋を引き裂いて開け、中川さんがまいたのとは逆の方向へ袋ごと投げた。袋からこぼれたお米が床に散らばり、こちらにもネズミが群がってくる。三つ目の袋を開けながら言った。


「兎口、先に上へ……。兎口?」


 気付いた時には、兎口は根塚のすぐ目の前にいた。


「根塚君、一緒に帰ろう」

『帰りたかったよ、ずっと。でもそうさせてくれなかったのはお前たちだろ。もうほっといてくれ』

「好きなの」

『え?』

「ずっと、根塚君の事、好きだったの」

『いきなり何を』

「でもそんな事言ったら、鹿島や熊野がどんな事をするかわからなかった。今まで以上に根塚君に強く当たるかもしれなかった。だから言えなかった」

『そんなの、今更だろう』

「今だからだよ。やっと見つけたんだから、絶対連れて帰る。ねえ、そうでしょ」

『……本当に?』


 根塚の言葉に兎口は大きく頷いた。


「砂辺、上がって来い!」


 僕は縄梯子に掴まって叫んだ。


「兎口! お前も来い!」


 兎口にその声は届いていない。

 そろそろネズミがお米を食べ尽くしそうだ。

 中川さんが坂木に言う。


「リュックの中にある物を出して、封を開けたら中にばら撒くんだ!」

「は、はい!」


 坂木がリュックを探ると、中にあったのは小麦粉の袋だった。


「砂辺、とりあえずお前も上がれ!」


 中川さんの声に、僕は縄梯子を上り始める。うわ、全然上がれない。とにかく足が安定しないから、まったく踏ん張れない。腕力だけでなんとか上っていく。

 中川さんも引き上げてくれたおかげで、なんとか上まで来れた。

と同時に坂木が口を開けた小麦粉の袋を中に投げ込む。粒子の細かい粉は、もうもうと洞窟内に立ち込めた。壁を伝って上ってこようとしていたネズミたちが、小麦粉の匂いに惹かれて下りていくのが見える。


「兎口!」


 叫ぶが、振り返りもしない。彼女はしゃがんで根塚に手を伸ばしていた。その周りをネズミが囲んでいる。


「根塚君」

『ああ……兎口、さん』


 根塚も手を伸ばし、その手が触れ合った瞬間。


 ガブッ!


「きゃあああ!」


 ネズミをそうした時と同じように、掴んだ手を口に運び、噛みついた。

 それは反射的に、当然のように行われた。

 そこへネズミが殺到する。

 兎口の悲鳴が響くが、すぐに聞こえなくなった。


「残念だけど、今は自分たちが助かる事を優先しよう」


 中川さんが、小麦粉の袋を二つ同時に投げ込みながら言う。


「外に出て、離れたところにいて」


 中川さんはリュックの底を探っている。

 僕と坂木は祠を抜け、外に出る。日は傾きかけているが、明るく開放された外はそれだけで安心感があった。

 祠の中では、中川さんがさらに小麦粉を追加投入したのだろう、うっすらと白い煙のようなもやが流れ出てくるのが見える。

 そして中川さんが飛び出してくる。後頭部を押さえ、身を低くして。僕たちに気付くと駆け寄ってきた。


「大丈夫か?」


 僕と坂木は頷く。


「中川さんは? 怪我はない?」

「問題ないよ」

「これからどうするんですか?」


 中川さんは少し考え、なにかを決心したようだ。


「出来る限りの事はしてみよう。上手くいくかどうか分からないけど」


 そう言って肩にかけたリュックの底を探り、四角いものを掴み出す。

 それはジッポライターだった。よくある簡易ライターと違い、芯のオイルに点火するので、手を離しても多少の風でも消えない。消すときは蓋を閉じるのだ。


「え、もしかして……」


 中川さんはそれに火を点け、そのまま祠に、その奥の洞窟に向かって投げ込んだ。


「伏せて!」


 中川さんの声に身を地面に伏せる。それでも気になって、洞窟を見ていたら。

 一瞬の閃光とともに轟音が響く。粉塵爆発。身体を骨から叩かれたような振動に硬直してしまう。

 そして次に、今度は地面からの振動。ゴゴゴというかグググというか、そんな音と共に地震のような揺れがきて……。

 祠が潰れた。

 上から押し潰したように山肌が崩れていく。すぐ横の川底も巻き込んだのか、川の水が一部流れ込んでいた。

 どれくらい経っただろうか、ほんの十数秒か、十分以上か、とにかく辺りが落ち着くまで僕たちは動けなかった。


「もう、大丈夫かな」


 中川さんの言葉に、ゆっくりと体を起こす。興奮がおさまると、今更恐怖に体がすくんだ。

 悪夢のような根塚の状態。

大量のネズミ。

 それに飲まれる兎口の悲鳴。

 襲われ、逃げ、助けられ、そして今。

 現実離れとはこういう事なんだろうか。違うかもしれない。


「とりあえず、暗くなる前に帰ろう」


 坂木が無言で頷く。やはりショックを受けているようで、顔色が悪い。

 僕たちは、足元に気をつけながら、お互いに気をつけながら、草むらが揺れる小さな音に身をすくませながら、視界の端を何かが横切った幻視に怯えながら、家へと帰って行った。ちなみに中川さんだけは元気よく下山していた。

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