消しゴムに書いた好きな人の行方

ウパ戌

消しゴムに書いた好きな人の行方

 赤智あけちは5年3組の教室の前に配置されている消毒液を手に吹き付けてから教室に入った。


「もうおまじないとか信じる年じゃないよねー」

「だよねー」

「う、うん。だねー…」


 彼が教室に入るとまず目に入ったのが女の子3人組が駄弁っている姿であった。


「あ!赤智先生だ!おはようございます!」


 その中の一人が元気よく挨拶してくる。


「はい。おはようございます」


残りの二人はその女の子、葺屋そうやに付随して鈴木すずきは挨拶して、神木かみきは会釈をした。


「ねね!明智せんせ!先生もおまじないとか意味ないと思うよねー」

「そうそう、ほら消しゴムのカバーの下に好きな人の名前を書くやつとか」


先ほど挨拶をしてくれた葺屋と鈴木は同意を求めるようにそう赤智に問いかける。


「あー、その状態で使い切ると結ばれるやつですか?」

「えー、なんで知ってるの?うける」

「先生が子供の頃にもあったんですよ。まぁおまじないなんて当たるも八卦当たらぬも八卦。占いと一緒ですよ」

「何言ってるかよく分からなーい」

「ほら、もう朝のホームルームが始まるから席に着きなさい」

「はーい」


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが教室に鳴り響く。それを聞いて赤智は教卓の前に移動する。


「おはようございます。朝のホームルームを始めます。まず、皆さんしっかり手は消毒しましたね?感染症が流行っているので皆さんも気を付けてくださいね。じゃあ出席を取っていきます」


 赤智は教師として日課同然である、出席確認や今日の注意事項などを一通り話す。


「じゃあ今日も皆さん頑張りましょう。以上でホームルームを終わります。日直さん号令をお願いします」


「せ、先生」

「どうかしましたか?神木さん」

「いや、あの、さっきのおまじないの話ですけど。当たることもありますよね?」

「そうですね、実際おまじないのおかげで自信を持てて、告白してみたら成功したっていう生徒はいましたよ。なので個人でやる分には全然構わないと僕は思いますよ。ただ、あまり信じすぎるのもどうかと思いますが」

「そうですか…。ありがとうございます!」


 神木は話を周りの人に聞かれたくないのか、答えを聞くとそそくさと先ほどのグループに戻って行った。なにやら色々聞かれているが誤魔化している様に見える。まぁ、そういうお年頃だろうと赤智は次の授業の支度を始めた。


 問題が起きたのは、2時間目である体育の時間の後であった。体育の授業が終わり、今日の日直である神木に少し片づけを手伝ってもらうために、赤智は彼女に声をかける。


「すいません。少しこれを持っていくの手伝ってもらっていいですか?」

「いいですよ。職員室までで良かったですか?」

「はい。ありがとうございます。とても助かります」


 職員室と教室の距離は非常に近いため、神木は他のみんなとは1、2分程度遅れて教室に戻っていった。

 行間休み中、次の授業の準備を赤智がしている時であった。職員室に少しもじもじとした様子の神木がやってきた。


「…赤智先生。今日のおまじないの話なんですけど」

「はい」

「実は私、好きな人がいるんです」


 彼女の真剣な様子に赤智は彼女の正面に向き合った。


「それで、今度告白しようとその験担ぎとして朝言っていたおまじないをやっていたんです。そのおまじないが終わったら告白しようと思って。けど体育から戻って消しゴムを見たらこうなっていたんです」


 神木は後ろに回していた手を前に出し手のひらを開いて見せる。そこに乗っていた消しゴムにはそこに書いてあっただろう名前はきれいさっぱり無くなっていた。それこそ、黒い跡すらもないほどに。神木の目は赤くなっており、もうよっぽど悲しんできたのが伺えた。


「でもこれは神木さんの消しゴムなのでしょうか?」

「…?」

「いやね、消しゴムに書いてあった文字を消すには結構苦労すると思うんですよ。神木さん、なんのペンで書きましたか?」

「市販の油性ペンです」

「消しゴムをこすって文字消すなら結構跡も残るはずなんですよ。こんな綺麗な消しゴムにはならないと思います」

「なら誰かが別の消しゴムに変えたってことですか?」

「いや誰かが間違えてしまって取違いになっただけかもしれませんよ。誰か近くの人に聞いてみるといいかもしれませんね。もし難しいようでしたら僕の方で少し周りの席の生徒の消しゴムを見ておきますよ」

「…お願いします」


「じゃあ、この問題をみんな解いてみてください」


 次の授業。赤智は演習問題を出すと机の間を縫って歩いた。神木の周りの机を通るとき相談で言っていた通り、消しゴムを見て回った。だが、そこにあったのは全てカバーが外れた消しゴムであった。そう神木の近くにいる生徒はみな、消しゴムカバーを使用していなかったのだ。もちろんそこには文字も文字を消した黒い跡などもない。いたって綺麗なものしかなかった。

 これはどういう事であるかと赤智は考え始めた。最初に相談を受けた時は、誰かが間違えて取違えてしまって直ぐに解決するものだと考えていたのだが、どうもそうも一筋縄ではいかなそうであった。これは人為的に起きたものだろうから。


 昼休み。赤智と神木は空き教室に集まっていた。赤智は消しゴムの入れ替えが起きていないこと、これが人為的に行われた可能性が高いことを彼女に話した。


「そうですか…」

「あまり力になれなくてすいません」

「いや、だいじょうぶです」

「少し言いにくいかもしれませんが…いや、やめましょう」


 眉間に皺を寄せた赤智が言いかけてやめる。


「…少しここの教室の掃除を手伝ってもらってもいいですか?」

「え?あ、はい」


 ポカンとした神木を置いて赤智は掃除道具がしまわれているロッカーに向かう。箒と塵取りを取ってきて神木の元へ戻る。


「僕が箒でゴミを集めて来るので塵取りを支えてもらっていいですか?」


 神木はその言葉を聞き、腰を落として塵取りを支える。掃除と言っても軽いものであった。とは言っても少しは時間を要するわけで、その間、赤智は彼女に話を振っていた。


「神木さんの好きな人ってうちのクラスの子ですか?」

「誰にも言いませんか?」

「生憎言う相手がいません」

「…えっと、うちのクラスの佐藤君です」

「佐藤君ですか、因みに僕の後学がてら何処を好きになったのか教えてくれませんか?いやぁ、生まれてこのかた彼女というものが出来たためしが無くてですね」

「運動が出来るとこですかね。昼休みとか窓からよく校庭でサッカーしているところが見えるんですよね。それがかっこよくてよく葺屋ちゃんと、佐藤君かっこいいねって話をしてますよ」

「葺屋さんも佐藤君が?」

「しっかりは聞いて無いけどそうだと思いますよ。あ、今のは内緒でお願いしますよ」


 そんな話もしながら、この空き教室の床の埃が溜まっていた所を掃く。神木は集め終わったゴミをゴミ箱に捨てに行った。赤智は掃除が終わった後、ゴミ箱にゴミが溜まっていないか確認する。空き教室とはいえゴミが溜まっているかも知れないと考えたからだろうか。


「おや?このゴミ箱にゴミが結構溜まっていますね。では、僕はこのゴミを捨てに行ってきますね。神木さんはもう教室に戻って大丈夫ですよ。手伝ってくださってありがとうございました」


 赤智は手早くゴミ袋を結ぶとそそくさと教室から出ていった。

 神木はそれに追随するように空き教室を後にした。


「ねぇ、どこ行ってたの?」


 教室に戻った神木に葺屋がそう尋ねて来る。


「赤智先生に掃除を手伝ってくれって言われちゃって…」

「へぇー、日直だからかな。お疲れ様」

「うん…」

「どこの掃除してたの?」


葺屋に被せて鈴木も聞いてくる。


「えっとね、音楽室の隣の空き教室」

「え…?」


その掃除場所を聞いた途端に葺屋はひどく顔を青くして神木に強く問いかける。


「ゴミ箱の中とか見たりした!?」

「いや私はしっかり見てないけど…。えっと、赤智先生がゴミ溜まっていたからって中のゴミ袋をしばって持って行ってたよ」

「どうしたの?なんかあった?」

「いや、なんでもない…」


葺屋は話を聞いてから終始落ち着きのない様子であった。


 残りの授業も終えて放課後。ホームルーム。


「……これでホームルームを終わります。みんな気を付けて帰ってくださいね。あ、あと、神木さんと葺屋さんはこの後、話があるので僕についてきてください」


 神木はある程度分かっていた様子で顕著なリアクションはしなかったが、葺屋は肩を大きく揺らし、ひどく何かを恐れている様子であった。ホームルームは終わり、皆が帰り支度を進める中、3人は教室を出た。そして、3人が着いたのはあの空き教室であった。

 教室には先ほど赤智が持って行ったゴミ袋があった以外変わった様子はなかった。葺屋の様子といえばまだ酷くびくついていた。


「僕が2人を呼んだ理由は賢い葺屋さんならもう分かっているかもしれませが、僕から少しだけお話をしても良いでしょうか?」


 葺屋ちゃんが賢い?神木はこの赤智の言葉に疑義ぎぎを感じた。神木が知る限り葺屋の成績はあまり良いと言えるものではなかったからだ。


「葺屋さん。このゴミに見覚えありますよね」

「ーーッ!」


 そう言って赤智がゴミ袋から取り出したのは黒い跡が付いたティッシュだった。


「し、知りません…」

「これで神木さんの消しゴムの字を消したのかと思いましたが違いましたか」


 葺屋はそのまま黙りこくったままだった。


「でも赤智先生」

「はい。何でしょう神木さん」

「ティッシュでこんな綺麗に消せるんですか?水を付けて擦ったとしても消えないと思いますし、しかも消しゴムが全然消せなくなっちゃうと思うんですけど」

「ああ。それはですね」

「消毒液です」


 赤智が何かを言おうとしたところ葺屋が遮って何か諦めたようにぶっきらぼうに言う。


「消毒液?」

「そう消毒液。ほら教室の前に置いてあるでしょ」

「でも消毒液でどうやって?」

「ここからは僕が説明しますよ」


 赤智は得意げに語りだす。


「学校に置いてある消毒液の主成分はエタノールなんです。エタノールは油性ペンを消せるんですよ。それこそ水性ペンを水で消すようにね。しかも、消毒液は揮発性が高い。あぁ、揮発性っていうのは簡単に言うと蒸発のしやすさです。蒸発は授業でやりましたね。ほら、消毒した後すぐ手が乾くじゃないですか。なので消しゴムには何の違和感も残らなかったんですよ。更に手早く消せるので時間もかからないんです」


 赤智は興奮した様子で一息でそう言うと、深呼吸をして息を整えた。


「ふぅ、以上が神木さんの消しゴムに起きた現象のカラクリです。合っていたでしょうか?あ、因みにこのティッシュを見つけたのは本当に偶然ですよ」


彼の様子に少し呆けていた彼女らであったが。更なる疑問をぶつけた。


「…でもなんで、私がやったって分かったんですか?」

「合っていたようですね。良かったです。それはですね。すいません、勘です。確証はありませんでした」

「へ?」

「神木さんと話して葺屋さんも同じ人が好きで尚且つ、一緒にいるのをよく見かけたので」

「ちょ!」


 赤智のあっけらかんとさっき彼女との秘密を暴露した。


「合ってて良かったです。葺屋さん。このカラクリは誰から教えてもらったんですか?」

「……兄が化学系の人なので良く知識を披露してくるんですよ」

「なるほどそれで」


赤智はひどく納得した様子で頷くと、


「では、いきなり呼び出してすいませんでした。気を付けて帰って下さいね。さようなら」

「へ?」


そう言って、もう言う事はないという風な様子でゴミ袋を持って教室から出て行ってしまった。


「…えっと、どうしようか?」

「…さぁ」


 取り残された彼女らは嵐でも過ぎ去っていったかのように呆然としていた。


「いや、もうなんか全然いいんだけどさ」

「うん」

「何で私の消しゴムの文字消したの?おまじないとか信じないって言ってたじゃん」

「それは…怖かったの。おまじないなんて当てにならないと思うんだけど、実際に当たってしまったらって思うと居ても立っても居られなくて。信じないって言ったのは自分に言い聞かせるため。ごめんなさい」


葺屋は彼女に向かって頭を下げる。


「うん。いいよ」

「いいの?」

「なんかさっきの先生の様子を見てたらなんかもういいかなって思っちゃった。あの時は悲しかったんだけどね」

「本当にごめんね。でも赤智先生すごかったね…」

「ね。なんか普段と全然違くて少し怖かったもん」

「ね!怖かったよね!」


 彼女たちはお互い前よりも近い距離で歩き、家路についた。

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