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「君は、セレクトの」
振り向いた男性研究員が驚いたように声を上げた。
セレクトの修道院の子供たちが研究区にくることはほとんどない。
研究員の多くは、研究対象である僕たちに深くかかわることを避けているからだ。
「はい、アルフレッドといいます。人を探してて」
極力礼儀正しく姿勢を正し、はっきりとしゃべる。
できれば何度も声をかけるようなことはしたくない。そういうのはジャックとかの役割だ。
パーマをかけた研究員は困った顔で周囲をキョロキョロと見る。
「うーん、こういうの部署が違うから越権とか怒られないかな」
運よく中庭には他に誰もおらず、研究員も時間に余裕があるようで「とりあえず何か飲む?」と自動給仕機を指さした。
「すみません、よろしくお願いします」
一度礼をして、紙コップに注がれるお茶の褐色の流体に目を落とす。
こんなことをしてなんになるんだろう。後で怒られてしまうんじゃないか。
ぐるぐると脳内をめぐる言葉を無理やり振り払った。
「それで、なんだって?」
メガネの位置を直した研究員がタブレット型端末を取り出して訊く。
先ほどの話から誰かを探していると知って、メモを取る気のようだ。
「最下層で働いてる、ミカって人を探してて……」
「ミカ? 聞いたことないな……研究区の人?」
片手で文字を入力しながら、研究員の人はうーんと首をひねった。
えっと声を出して黙り込み、僕は自分がミカのことをほとんど何も知らないことに気が付いた。
「……僕の姉……にあたる人の知り合いらしいんですけど、その人に会わないと僕は」
ぐちゃぐちゃの思考を一つずつ声に出す。
知りたい。色のない無機質な何かがこのザイオンを覆っているような感覚を打ち払うために。
僕の知らない本当と嘘と真実がそこにあるはずで、僕はそれを知って。
「ああ、『血』の。なるほどね……、力になれるかはわからないけど、ボクに調べられることは調べよう」
ほらお茶飲んで。とコップの中のお茶を飲むよう促して、研究員はなんらかのデータを操作し始めた。
「ありがとうございます……僕は、ゲオルギウス様の真実を、知りたいんです」
お茶を一口飲んで、今日ここへ来た目的を話す。
その言葉を聞いて研究員は急に黙り、苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「それは、ルナさんから聞いたのかな」
「えっ……いや姉さんは、ミカって人に聞いたって」
そもそもまだ何を聞いたかなんて言っていないのに、研究員の人はこめかみを抑えてため息をつく。
急激に変わった空気に息が詰まった。
「……ごめん、ちょっと来てもらうことになるよ」
研究員の人が僕の手を引いて歩きだす。
突然のことに持っていたコップを取り落とし、振り向いた床にこぼれたしぶきが広がっていく。
「どうしたんですか、なにかいけないことなんですか!?」
「静かにしてくれ、今はそれどころじゃないんだよ」
余裕のない様子で、いくつかのゲートをカードキーで開いて研究員の人は研究所の奥へ進んでいく。
それから。
僕が解放されたのは研究員の人の持っている個人的な研究室のような場所だった。
「ここは……?」
恐る恐る僕が訊くと、積み上げられた資料をいくつか引き抜き僕の眼前に並べながら、研究員は応える。
「ボクの研究室。ある程度は機器があるし、簡易な検査ならできる」
思った通り、この人の研究室だった。
次に気になるのは、僕をなぜここに連れ込んだのかである。
「どうして」
疑問をまとめて口に出そうとすると、くるりと振り返った研究員は、食い気味に「どうして」に言葉を返す。
「どうして、はこっちのセリフなんだ。君はどうして「ゲオルギウス」の真実を知りたいと思った?」
すこし鋭くなった眼光に委縮しつつ、言葉をまとめなきゃいけない。
はじまりは小さな違和感だった。
物心ついたときには知っていたゲオルギウスの経典の中に、僕の中のゲオルギウスと食い違う記述が散見されたから。
博士の蔵書やいろんな人と話すたびに、このザイオンのみんながだれかの用意した台本を読んでいるような、そんな不協和音を感じてしまったから。
数日前イザヨイ姉さんが帰ってきてつい訊いてしまった。
それで、その違和感の輪郭のようなものが見えた気がしたんだ。
それから居ても立っても居られなくなって……。
「あのバカ博士……あの人のやりかたはやっぱり感情的すぎる」
研究員の人が毒づいた。
僕は家族に対してそういうことを言われるのが初めてで、どういう感情を持てばいいのかすらこの時はわからなかった。
「教えてください、ゲオルギウス様の経典に隠されている秘密を。僕らに秘密にされている何かを」
それよりも、僕は僕の欲求を抑えられずに研究員に問う。
きっとこの人は何かを知っているんだという事実が何よりも重要だった。
「……その前に、いくつかの検査をさせてもらうよ」
***
「心配だ……もし悪意のある誘拐だったら……」
白衣を揺らめかせてまだ博士は修道院中を歩き回っている。
「そんなに焦ることはありません。 時になれば帰ってきますよ」
それに対して、姉にあたるルナ姉さんは落ち着きすぎて、普通に夕飯の仕込みを始めてしまった。
私、ことアナベル……ベラはというと、いまだに状況を理解できず、修道院のあちこちを探し回っている。
「はぁ……」
博士が探した痕跡のあるあちこちを、見て回るだけでは安心できるものなんて見つからず、ため息ばかりが増える。
まったく、どこかに遊びに行くなら置手紙とか通信くらいくれたっていいのに。
ここ最近私たちセレクトは少しずつ距離が生まれているような、そんな感覚がある。
ジャックは防衛本部のほうで訓練に明け暮れて、帰ってくるとごはんとお風呂を済ませてすぐに寝てしまうし。
アルは難しい本ばかり読んで、ルナ姉さんのようによくわからないことばかりを喋る。
少し前までは私たちはいつでも一緒だったのに。
これが大人になるということなら、「セレクト」はいつか、散り散りになってしまうんだろうか。
「それは、嫌」
じわりと目と目の間が熱くなったのをごまかすように袖で目をこすり、アルの部屋のベッドに横たわる。
いつもなら几帳面なアルは勝手にベッドを使えばああだこうだと文句を垂れる。
今日はしんとしたこの部屋が、すごく寂しかった。
「早く帰ってこないと、私物化してやる」
静かな部屋に溶けた声は、誰にも届かない。
続く
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