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 夕食を終え、全員で片付けを済ませた後、ルナの説教が始まった。

「ゲオルギウスの経典によれば、日々これに感謝せよと申されました。」


 ロードという宗教は、落陽の時代が始まってから生まれた新しい宗教で、「ゲオルギウス」という聖者が起こした奇跡から自然発生的に広がったとされている。まだレーツェル技術が一般化していなかった時代、ゲオルギウスは神秘の力を用いて人々を守り続けたが、最後には究極の黄昏を撃退した代償に倒れたとされている。彼の聖骸から「光」が分け与えられ、人々はそれを糧に生き延びたという話だ。

 ……もちろん、これらは比喩に過ぎず、実際にはレーツェル技術の発展とミッドナイト技研の台頭によって生まれた宗教だ。しかし、それが多くの人々に支持され、人類を救済してきた事実も否定できない。


「ねえルナ姉さん、ゲオルギウス様って、実際にはどんな存在なの?」

 アルが疑問を口にした。経典にはゲオルギウスの奇跡が多く記されているものの、彼の姿や人間性についてはほとんど言及がない。アルの年齢なら、そんな疑問に行き着くのは当然だろう。


「そうですね……経典には詳しいことは書かれていません。ですが、私はこう思います。」

 ――理知と狂暴を兼ね備えた、怪物ではないかと。


 その一言で、部屋はしんと静まり返った。14歳のルナが、敬虔な信徒でありながら「怪物」と言ったことに皆が驚いたのだろう。彼女の言葉には確信めいた響きがあったし、普段は冗談を言うタイプではないだけに、その意外性が際立った。


「私は、ゲオルギウスが始まりのサイバスロン、もしくはミッドナイトが発見した適合者だと聞いてるわ。」

 私は、静寂を切るように言葉を放つ。これが一般的な説であり、いま存在するすべてのサイバスロンの祖となる英雄だ。ただ、この話にはいくつかの矛盾があることも事実だ。


 子供たちは私とルナの間で視線を交互に送りながら、何が正しいのかを問いかけるような眼差しを向けていた。私たちがこの世界のことを完全には知らないこと、その無知が恥ずかしいと同時に、断言できない自分への無力感がこみ上げる。


「と、いうように様々な説があるけれど、それぞれが信じることを大切にすればいいのです。『ロード』は一つではないのですから。」

 ルナが、柔らかい口調で結論づける。

「どういうこと?」

 ジャックとベラが困惑の表情を浮かべて顔を見合わせるが、私にもルナの真意は計りかねたので、話題をそっと流すことにした。ルナは昔からこうだった――何か大きな秘密を抱えながら、時折思わせぶりなことを言う。




 10年前。


 孤児となった私はロードに拾われ、ザイオンの修道院に預けられた。まだ物心つかない頃、初めて教室の戸を開けると、一人の少女がポツンと座っていた。

「はじめまして、私はイザヨイ。あなたは?」

 その私の挨拶に対し、少女はあいまいな視線をこちらに向け、「ルナ」とだけ答えた。それが、私とルナの最初の出会い。言葉少なで、どこか遠い世界を見ているようなその子は、しばらく私にとって近寄りがたい存在だった。

「ここにはあなたしかいないの?」

「そんなことないよ」

 その言葉が、博士もいるという意味であることは分かったが、それが私の求める答えではないことは明らかだった。だが、日々を共に過ごすうちに、私たちは自然と姉妹のような関係になっていった。


「ルナ、ぼんやりしてちゃだめ。私たちはいつか世界を取り戻して、広い場所を旅するの。」

 昔、博士にもらった絵本を夜中に一緒に読んだとき、私はそんな約束をルナにした。彼女と共に、絵本の中の夢のような世界を旅する――そんな未来を夢見ていた。

 あの頃のルナは、トウモロコシの浮かんだスープをぼんやりと飲んで、あまり興味がなさそうだったが。

「どうやって?」

 その問いは無機質なものではなく、少し期待を含んでいた気がする。だから私は約束したのだ。

「私がみんなを守る騎士になって、ルナや博士、そしてこれから増える仲間たちと一緒に行くの。約束!」

 そのとき、ルナは初めて笑って、「うん」と小さく頷いたのだった。




 夜も深くなり、修道院の屋根に座ってザイオンの最下層の天井を見上げていると、天窓からルナが顔を出した。

「みんな寝た?」

「うん。昼間たくさんはしゃいだからか、本を読んでいるうちに次々と寝ちゃった。」

 ルナがくすくすと笑う姿を見て、私もつい笑みが漏れた。静かな寝息を思い出し、家族の温かさを感じる瞬間だ。

「みんな、イザヨイが帰ってくるのを楽しみにしてたから。」

 ルナもまた、優しい表情を浮かべながら、私の隣に腰掛ける。その言葉が嬉しい。あの頃のルナと今のルナは、確実に変わっているのだ。


「そういえば、さっきの説教で言ってた『怪物』って、どういう意味?」

 ふと思い出し、私は彼女に尋ねる。ルナが冗談を言うタイプではないから、あの言葉には何か深い意味があるのではないかと感じた。


「それは……私の考えというわけではないんだけどね。」

 ルナは少し言葉を選びながら、天井に映る疑似夜景を見上げる。

「ミカがね、遠くの街で光が目覚めたから、きっとゲオルギウスは近く復活するって言ってた。」

 ミカ。それはルナの知人で、この最下層にいるという人物だ。私は会ったことがないが、ルナが信頼しているのは確かだ。


「それで、ミカはゲオルギウスが復活するとき、理や知、狂や暴がそれぞれ別れて目覚めて、あるべきところに集まるって。」

 つまり、ゲオルギウスの奇跡がいくつかの要素に分かれて復活し、最終的にゲオルギウスとして一つになるということだろう。それが事実なら、人類にとって吉兆かもしれない。


「それって、カイン……?」

 私の脳裏をよぎったのは、黎明のサイバスロン、光と影の英雄――カインの話だ。もしこれがその前兆だとすれば、希望が生まれる可能性もある。


「かもしれない。でも、私にはまだ何も見えない。」

 ルナはふわりと宙に手をかざし、頼りない笑顔を浮かべた。その仕草に、私は思わず笑みを浮かべた。

「まったく、思わせぶりなんだから。」

 そう言って、私たちは久しぶりに姉妹のような会話を楽しんだ。疑似天球のプロジェクションマッピングが東の空を白ませるまで、笑い声が夜に響き続けた。



 

 

    続く

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