悪夢は続く

『ターゲットから別れるって言ったの?』


 期待に満ちた上司の声が右耳に流れてくる。


「はい、危ないから二人きりは避けるよう伝えました」

『いいわね、順調だわ。これでさっさと別れてくれたら依頼達成、しかも大金が舞い込んでくるわけね』

「そう、だといいんですが」

『彼氏が逆上するかもって?』

「まぁ、はい。あとは簡単に山浦大希が応じてくれるか、ですね」

『そうね、警察沙汰は絶対避けたい。沢村君、最後まで見張っててくれる? 他の調査員にも頼んでおくわ』

「了解です」


 通話が切れたのを確認してから、僕はため息をついた。

 ターゲットの立華まいは、家庭内で受けた親からの罵倒が原因でかなりのストレスを抱えていたのと、同級生だった男子から執拗なイジメを受けていた。

 山浦大希は……ターゲットの立華さんとは幼馴染やご近所といった繋がりはなく、同じ学年の別クラス。

 イジメをしていた男子と山浦大希は友達だったみたいだ。

 それがどうしてか付き合うようになったというわけで、肝心な詳細は誰も知らない。

 立華さんの左手首に刻まれた深い傷。

 何度か傷をつけている痕もあり、自殺ではなく自傷行為が目的だったんだろう。


『この傷のせいで、彼を不幸にしてしまったんです』


 立華さんはそう呟いて、詳しい説明がないまま立ち去ってしまった。

 そして今回、とうとう別れることに。

 僕は、車のフロントガラスから見える公園に目を向けた。

 そこは立華さんが住むアパートから徒歩一分もあれば行ける住宅街の公園。

 立華さんの表情が分からないほど離れたところに車を路駐して見張る。

 公園に設置した盗聴器は、雑音が混ざりながらも僕の左耳に届く。

 呼ばれた山浦大希は、ベンチに腰掛け立華さんの言葉を待っている。


『あの、大希君……』


 少し風の音が強いけど、聞き取れないほどではない。

 僕は耳を澄ます。


『付き合って結構、経つね』

『五年二か月と十五日』


 交際年数から日付まで細かく覚えてる……。


『うん。だからね、その、私なりに考えたんだ』

『えーと籍、入れる話?』


 気だるげに、乗り気じゃない口調。


『……ううん、私、私……大希君と別れようと思って』


 意を決して、立華さんは吐息を多めにようやくハッキリ口にした。


『は? え、なんで?』


 山浦大希の受け入れられない、といった感じに慌てた口調へ一気に変化する。


『いきなり、ごめんなさい。大希君がね、私と付き合ってくれてるのは……私の傷のせいだって分かってたのに、大希君に甘えてたから……』

『なに言ってんの?』

『いつまでも弱い人だって思われたくない。だから、これは大希君の為にも、私の成長の為にも必要な別れだと思う』

『…………沢村って奴が変なこと吹き込んだんだろ』


 うーん、やっぱり怪しまれてるけど、探偵とは思われていない、かな。


『だって、だったら、何の為に俺、こんな色々やってるのに』


 なんかボソボソ言ってるなぁ。


『沢村さんは、アドバイスをしてくれただけ。相談したのは私、私なりに考えて出した答えなんだ……私、大希君と同じ位置にいたい』


 対等な関係でいたい、立華さんが望むのはそれだけ。


『まいちゃん、これからどうやって生きてくの? 人とまともに目も合わせられないし、怒鳴られたらそれだけで委縮して泣くし、拒否されたらすぐに謝るし、すぐ自分の体を傷つけるし、そんな奴が一人で生きられるわけないじゃん』


 どっちが依存しているのかって天秤をかけたら、山浦大希に傾く。


『……うん、だから、お別れしよ。そんなのが大希君の隣にいたらダメだから。大希君には、大切な人、いるでしょ』

『え』


 薄々勘付いていたのかもしれない。

 彼氏の話を訊くと、いつも幸せを噛みしめる微笑みに憂いな表情を浮かべていた。


『旅行、楽しんできて……大丈夫、心配しないで大希君、大好き……』


 遠くからでも分かる、立華さんの手が山浦大希の顔に撫でるように触れ、軽く口づけを交わす。

 ベンチから離れていく立華さんは、そっと立ち去っていく。

 山浦大希は追いかけることも、声をかけることすらしない。

 ベンチで空席の隣を見たまま固まっている。


「依頼達成、特にトラブルはなさそうです」


 僕は上司にイヤホンマイク越しに報告する。


『本当!? それじゃあ早速依頼者に報告するわね! よくやったわ! あとで高級焼肉奢ってあげる!』

「はは……ありがとうございます」


 ご褒美が焼肉かぁ……。

 それから、メッセージが届く。


『彼と話をして、別れることになりました。相談に乗って頂きありがとうございました。またパソコンのことで分からないことがありましたらいつでも言ってください』


 あぁ、そういえば機械が苦手ってキャラだった。

 僕は返事をして、もう一度公園を見る。

 山浦大希はベンチで頭を下げて、両手で髪を掻きむしっている。

 盗聴器を取りに行きたいけど、もう少し時間を置くか……。


『……夢、に出るんだよ……まいちゃん、まいちゃんが、近くにいないと……』


 風の吹く音と交ざりながら、山浦大希のボソボソと呟く声を拾う。

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別れさせ屋と、違和感カップル 空き缶文学 @OBkan

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