彼氏さん

 二階の角部屋に、ターゲットの部屋に踏み込んだ。

 スポーツブランドのサンダル……サイズからすると二七、八センチ、と大きい。

 彼氏さんの物だろうけど、どんどんイメージ像から離れていく。

 間取りは『1DK』、キッチンには調味料とフライパンと鍋、それから先ほどコンビニで購入した既製品が並ぶ。

 小さな白い冷蔵庫と小容量の縦型洗濯機。

 お風呂場とトイレは別々になっている。

 立華さんは洋室の扉を開けて中へ案内してくれるが、僕は緊張してしまう。

 幾度と女性の部屋に入ったことはあるけど、彼氏さんがいる、という状況は初めてだ。


「お邪魔します」


 僕は小さく呟いて入った。

 仕事用のデスクと、ゆっくり寛げるローテーブルとソファーが目に入る。

 そして、ソファーには例の彼氏さんが、横になってスマホを片手に寛いでいた。

 縦に三本白い線があるスポーツ系のパンツと、グレーの半袖シャツ。

 顎髭を少し生やし整えている。

 ぼさぼさの茶髪に、眠たげな目を細くさせてチラッと軽く僕を視界に入れた。

 

「こんにちは……お邪魔して、すみません」


 挨拶しないのも悪いか、と会釈してみるが、彼氏さんは興味なさそうにスマホへ目線を戻す。

 立華さんは仕事用のデスクに置かれたノートPCを起動させようと歩き出した。

 彼女の背中を一瞬、目で追う彼氏さんだが、すぐスマホに戻す。

 それを何度も何度も、立華さんがキッチンに行ったかと思えば一瞬目で追い、部屋に戻ってきたらまた一瞬目で追う。

 僕のことなど眼中にない様子。

 微妙、どころか異常な違和感を覚えてしまう。


「えと、設定は……ここから」

「はい」


 僕と立華さんが並んで座っていても、全く興味を示さない。


「えーと、この認証設定は必要ですか?」


 寄らなくてもいいけど、僕は立華さんの顔に近づくように画面を覗いてみた。


「っ! えっと、後でも設定直せますから、必要じゃなければ大丈夫です」


 立華さんは少し驚いたようにビクッと跳ねる。

 すると、彼氏さんは目だけじゃなくて、首を動かして立華さんに顔を向けた。

 大丈夫だよ、と安心させるように微笑む立華さん。

 柔らかく繊細に微笑む横顔に、僕の股間が擽られる。

 彼氏さんは何も言わず、表情すら変えず、手元のスマホに戻って行く。

 一通り初期設定を終えて、充電器とノートPCを箱に入れる。

 箱を抱えて外に出ると、立華さんはわざわざ見送る為に出てきてくれた。


「ありがとうございます、立華さん。今度お礼も兼ねて食事に行きませんか?」


 試しに誘ってみる。

 立華さんは目を合わせず、いつものように俯いて、困り眉で微笑む。


「そんな、大したことじゃないですから……それに、沢村さん、彼女さんいるのに、あの」

「あぁいや、もう別れちゃいまして、今はフリーです」

「え、あ、ご、ごめんなさい……私」


 さらに俯いてブツブツと何か謝罪を呟いている。

 本当に謎が多い二人だ。


「僕の方から切り出したんです。だから、気にしないで」

「ど、どうして、別れを? 彼女さん、きっと心配しているんじゃないでしょうか」


 その心配って、どういう意味だろうか。 


「うーん、心配してくれるのは有難いですけど、やっぱりお互いの為にならないんじゃないかと思って、彼女には好きな人がいましたから」

「…………あ」


 どこか納得したように頷いた立華さん。


「それじゃあ、また連絡します。本当にありがとうございます」

「はい……お待ち、してます」


 拒否なし、ただ僕に好意を寄せているとは思えない。

 アパートから離れて駅前近くまで歩いていると、迎えの車がやってきた。

 運転席には上司が……。


「お疲れ様、沢村君。乗って乗って」

「お疲れ様です」


 後部座席にノートPCを乗せ、僕は助手席へ。

 

「依頼者の彼氏、どんな様子だった?」

「うーん、なんというか、無関心なような心配性なような、異様な空気が漂ってました」

「どういう意味?」

「ターゲットの話を聞くと、どう見ても浮気相手は依頼者なんですよ。それに、依頼者から貰った写真……」


 上司が持っているクリアファイルから一枚の写真を取り出す。

 髪をワックスで整え、優しく紳士的に笑う男性。

 上から足先までカジュアルな服装にまとめ、都会的な立ち振る舞いで写るのは、山浦大希。

 依頼者の彼氏であり、ターゲットと浮気しているはずのフリーター。

 よく見れば見るほど、どこか意図的に細工したような笑みを浮かべている。

 本命である依頼者が撮影したなら、もっと普通に笑ってもいいはず。


「みたいな人じゃなかったですよ、なんかソファーでだらけて、僕のことなんか一切無視。ターゲットを時々見るだけで、ずっとスマホを触ってましたね。しかも、ターゲットとは高校の時から付き合っているそうです」

「ふぅん、じゃあ依頼者は山浦さんに騙されてるってわけ?」

「多分、もしくは分かっていて、か」

「はぁーだからこういう依頼は受けたくなかったのよねぇ」

「仕方ないですよ」


 依頼者が社長の知り合いとは……。

 上司は大きくため息を吐きながら、僕を乗せて探偵事務所に向かった。

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